<kiss>
陽子の名前が液晶に表示されている。
出たくない。
喋れる自信がない。
だけど逃げるのはもっと嫌だ。
私は震える親指で通話ボタンを押した。
「…もしもし、陽子。どうしたの?」
いつもと同じを装い、知らないふりをする。
私は陽子も隼人も好きだ。
だから、縁は切りたくない。
またやり直せるから…そう思う。陽子は大切な友達で、それに変わりはない。いつか許せる。思い込んでも、この気持ちは変わらない。“どうして”?
『今度さ、遊園地行こうよ?』
陽子はいつもと変わらない。
「あっ…うん、良いね」
私は明らかにいつもと違うだろう。
『でしょ?それでさ、菜々子と隼人と誠司くんと私とカンナで行こうって話よ』
陽子は楽しそうに話す。それは隼人が来るからだろうか。
「あはっ…誠司くんかぁ。懐かしいな」
岡本誠司は高校時代の友達だ。いや、 今度の遊園地に行くメンバーは高校時代の部活で一緒だった
メンバーだ。しばらく連絡を途絶えていたが、つい半年前からご飯に行ったりするようになった。
『カンナはそうなるかもね』
ふいに陽子が言った。
私は誠司くんが苦手だ。
整った顔立ちは多分隼人よりカッコイイだろう。だが彼は昔から大人びていて、私はよく分からなかった。どうも中学の時に童貞を卒業しており、遊び人の割にはお金持ちだ。高校時代では内緒でタバコを吸っていた。ここまではただの不良だと見えるかも知れない。 しかしそれらが似合う男なのだ。ちょっと背伸びをしたピアスも誠司くんを引き立てている。
ふいに吸うタバコも、煙をはくときの横顔は素敵だと思う。
そんな所が苦手である。 私にはどうも合わない。そんなこんなで、私だけ誠司くんにあまり会っていない。しかもフリーターという重荷を背負っているので。
「まぁ」
私は適当に答えた。
『ふふ、じゃあまたね!待ち合わせ場所はメールで知らせるね』
「うん、じゃあ」
通話が終了すると、私は少し嬉しくなった。
隼人に会えると思えば胸が踊る。今度のデートで魅返してやればいい。
それだけの話だ、と考えた。
「カンちゃん、ちょっとお醤油買ってきてくれるー?」
奥から母さんの声が聞こえる。
「いいよー」
私は向こうの台所まで聞こえる大きな声で言った。
簡単に行く準備をして、外に出た。
空を見上げてみる。
曇っていて、灰色の空だった。雲はなんだか厚くてグレーにも見える。
汚い空でも気分がスカッとする。
私は大股でスーパーへ向かった。気付かないうちに外は冬に近づいたものだ。
喫茶店“優香”が見えた。
隼人、いるかな──。
ガラス張りになっている所から覗いてみた。
隼人と陽子が楽しそうに会話しているじゃないか。
目を疑った。
しかし目の前の現実は変わらない。隼人は作業着で、陽子が私服。しかもあれがブランド品だということが女の私には分かった。
隼人に会いに行くのに、良い服を着ていく。
私は勝手にそう捉えた。
いや、実際にそうだろう。
二人は楽しそうに会話をしている。作業着の店の奴が客と会話。信じられない。そう思う。
その瞬間、隼人が陽子の頬にキスをした。
陽子の顔は恋する少女のように、頬が赤くなる。
体だけの関係じゃない…。
それは何となく分かった。
しばらくそこで様子を見ていた。動くエネルギーが湧いてこない。
陽子と目が合った。
陽子の目が後悔に変わるのが分かった。
私が睨んだからだ。
走って、家に帰った。