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タイム・スパイラル  作者: やあやあやあ


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第二十五章 雪辱と後悔 第三話

僕は彼女のその問いかけに戸惑った。「ねえ。港?どうしてそんなつまらなそうな顔を浮かべているの?」彼女は僕の顔を覗き込んだ。その顔は歪み、その顔全体にはこわばりを纏って、唇は何かをまるで堪えているかのように固く結ばれていた。そして、彼女の瞳には底知れない漆黒が広がっていた。僕はその瞳を見た瞬間、その瞳に反射したこの僕自身の姿を見たその瞬間、大きな狼狽を覚えた。まるで、その瞳の中にうつる深淵が僕の周りを取り囲み、今にも喰らいつくしてしまう、そんな感覚だった。僕は彼女の前で、その狼狽のために僕は僕自身の顔を大きく歪ませてしまう。

彼女は僕のその顔を見た瞬間、きつく閉じていた唇を緩めた。そして、その唇からやってきたのは乾いた笑い声だった。彼女は僕の目の前で、僕をその瞳の中に閉じ込めたままで、笑い続ける。その笑い声は大きくなっていく。彼女から漏れ出したその声はいつしか、床へと、壁へと、そして天井へと伝播した。まるでその瞳の中の僕を取り囲んでいるその影のように...

気づいたときにはもうすでに、僕は水槽の中で溺れていた。周りを取り囲むものは底知れない暗闇を抱え込んだ液体。その水もどきが僕の抱えていた空気を追い出して、僕の体の中へと入り込んでいった。僕の体がどんどん不明瞭になっていく。腕の、足の感覚が消え去っていく。その消失感は身体の末端から中枢へと這い出ていって、この身体の中をぐるぐると這いずりまわっていった。

僕の薄れゆく意識の中で聞こえてくる声。「もう、僕は僕自身を生きているのが怖いんだッ!僕は生きている実感を持てないまま生きていることに耐えることを、これ以上続けることなんて出来ないみたいだ。僕が生きているといつも過去の後悔が僕の心を指さすんだ。その指によって見せつけられるその心には、かつて純粋”無垢”だったはずの心の姿は見る影もなくて、ただ醜悪に成り果てていくそんな姿があった。心に降り積もる記憶はどんなに素晴らしかったことでも、いつかの僕がその過去を省みてしまったとき、そのすべてが嫌になってしまったんだ。僕はその嫌な気持ち悪いこの感覚を味わいたくなかったから、過去を見ないで未来だけを見ることに努めて生きてきたんだ。だけど、どうやらそんなことに意味はなかったみたいだ。そう、どうやら僕は過去にあまりにも依存しすぎてしまったようだ。そのせいで未来を見るといつもそこにいた過去の記憶の私の残像が幸せそうに笑っていたんだ。その満面の微笑みを見て、湧き上がるのは虚しさだった。その虚しさは今に、そして未来に対しての虚しさだった。そして、これから味わ続けてしまう”かつての幸せの残像”に対しての絶望だった。そしてそのかつて味わっていた幸せを否定したいこの僕に対しての恥だった。僕は本当にこれでも今を生きているといえるの?(言えない。)幸せという名の希望がなく、未来にこれ以上の意味を見出せない、そんな僕の心には絶望すらなかったんだ。そう、これが運命だった。運命という名の見えてしまった幸せの形には意味なんてなかったんだ。そのことに対して湧き上がる気持ち悪さが生み出す希死念慮。その強迫観念が僕の中に、そして僕の幸せだった今まで(過去)を覆い隠すように降り積もり、僕の見ていた理想も、恥も、今までも、そして未来さえも隠し、貶め、消し去ってしまったんだッ!」「どうして、そんなことができるの?」目の前にいた彼女が訊ねた。「僕は逃げたかったんだッ!そう、僕は逃げるために、これからの運命から逃避するために、醜悪なこの心を全部捨て去ってしまいたいんだッ!そう、僕はこの盲目的不自由から開放されたいんだッ!このわかりきった絶望の形から、過去の僕自身の後悔を晴らす意味のない生から、そう、僕は他でもないこの僕自身から逃げたいんだよッ!」

僕は全身の感覚が消えて、残るはこの頭の中でうねるこの思考だった。気持ち悪かった蠢きは今となっては心地よい。さあ、この思考を手放して、この海に同化して、馬鹿になって、自由になろう。僕は右腕に掴んでいたダガーナイフを僕の頭へと振り下ろす。しかし、ナイフが僕の眉間を貫こうとしたその瞬間、誰かが僕の右腕を強く引っ張った。その誰かは僕をこの海から引っ張り出した。

そこにいたのは一人の少女。彼女は息を切らしながらびしょ濡れの僕に笑いかけた。「どうして邪魔をするの?やっと、僕は開放されるのにッ!」彼女はそんな僕の顔を見て悲しそうな顔をした。「ふざけるなよ...本当のこと...そしてその末路がただ諦めただけ...はぁ...うるさいんだよ...さっきからあんたの辛気臭い話を...聞いていると本当に...疲れるわ。はぁ...でも、何とか間に合ったみたいだね...よかった。」彼女はもう一度、その顔に笑顔をつくってこの僕に見せる。まるで安心させるかのように。

「ねえ。港?あなたの過去は自業自得なんじゃないの?その過去を創り出してきたのはほかでもないあなたでしょう?そもそも、あなたのいう過去の自分って何?そんなの他でもないあなたなのよ?そう、あなたは過去の自分という赤の他人を創り出してその他人に責任をただ押し付けて逃げ続けているだけなのよ。」その言葉を聞いて僕は彼女を睨む。「黙れッ!知ったようなこというなッ!」僕の声は今にも死にそうだった。そう、ノイズだった。「ごめんなさい。だけど、私はあなたのことをよく知っているわ。だから、伝えに来たの。あなたは今も過去もずっとあなたのままだったということを。そう、今のあなたにとっては残酷で、未来のあなたにとっては希望となる真実を。」彼女の言葉が僕の心を抉り出し、白日の下に晒す。嫌だッ!やめてくれッ!その心が投影したのはかつての僕、後悔だらけの人生。それは彼女にとっては一瞬だったが、僕にとっては何回も執拗に追い立てる長く引き伸ばされた地獄だった。その地獄の中で僕が歩いていたのは一つの道だった。

そこには海月が輝いていた。その海月は僕を一瞥した後にはっきりと告げた。「ねえ?恥ずかしくないの...」

そこには珊瑚が輝いていた。その珊瑚は僕を一瞥した後にはっきりと告げた。「ねえ?恥ずかしくないの...」

僕はその問いかけに答えることなんて出来ないで、立ち止まる。僕が背後を振り返るとそこには奈落が広がっていた。その奈落には底が無いように見えた。(僕はその崖に飛び込んだ。落ち続ける僕の身体。そう、この奈落には底なんて存在しないんだ。さあ、このままずっと落ち続けよう。この身が朽ち果ててしまうまで...)

奈落へと落ちそうな僕の服の襟をつかんでいたのは彼女だった。「さあ、行くよ。約束の場所へ。」彼女は僕の右腕を引っ張ってこの道を走り出した。

「辱などない。私は未来に生きているのだからッ!」海月が朽ちて死んでいった。

「辱などない。今の私は幸せなのだからッ!」珊瑚が白骨化して死んでいった。

彼女の足はこの道の終点、大きな水槽の前で立ち止まった。「これは...なに?」戸惑う僕に応える彼女。「これは救いよ。」「救い...?」「そう、これは私にとっての救いだった。だけど、これはこれからあなたの救いになるのよ。」彼女はそう言うと懐からダガーナイフを取り出した。「さあ、このナイフで私を殺して...」彼女のナイフを握りしめた僕。そんな僕の目の前で彼女は瞳を閉じてその手を前に広げていた。

続く

読んでくださってありがとうございます。

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