第28章 三人目
私はこの人を傍から眺めていた。この人は顔面がボロボロで今にも崩れてしまいそうだった。この人の瞳があるべきところには風穴が開いていた。この人は全身のいたるところに10ミリほどの円形の風穴が開けられていた。その血と肉のサンドイッチにあけられた穴を見た私に湧き上がってきた嫌な感覚。その嫌な感覚には、じっとりとした冷ややかな緊張とありきたりな今があった。私はその今から目を逸らす。
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そのビルの横に立ち尽くす私。「どうしてこんなことになってしまったのだろう。」どうやら、この道を取り巻いている空間に私は閉じ込められてしまったようだ。ところどころ剥げているコンクリート、道路の脇には荒廃したみすぼらしいビルがあった。そう、ここにはその建物、二車線の道路、その道路に斜めに交差している一本の小さい細道(私がさっきまでいたサイクリングロードの家への近道だった脇道と結びついていたはずの道)しかなかった。私は何度もこの道を行ったり来たりしていたが、いつの間にかこのビル周辺に戻ってきてしまっていた。
私は頭上を見上げる。そこには曇天が広がっていた。その曇天に遮られた光が雲のじめっとした白色をこの空気に投影していた。その空気を吸った私の気分が沈んでいく。そんな気分が呼び起こしたのは公園で見たあの青空と雲のコントラストだった。雲と青空の調和、そしてその調和が見せた太陽の理想がそこで輝いていた。その輝きを見て思い出したのはかつての親友。私と彼はいつも一緒に過ごしていた。「私は最近、妙な既視感につきまとわれているんだ。」彼はいつも明るかった。孤独だった私にとって彼の存在は未来を示す希望の様だった。「最近、なんでもない些末なことに対して、一度体験したことがあるように感じることがあるんだ。例えば、自転車に乗っていた時の話なんだけどね。」彼と出会ったのは中学生のころだった。「やあ!転校してきた港だ!よろしくッ!」彼はまるで黒板の前で選手宣誓をするかのようだった。「私が自転車に乗って下り坂を駆け降りるときにいつも言いようのない既視感に襲われるんだ。」「へえ?どんな既視感なんだい?」「その既視感は変な違和感なんだ。私が下り坂を降り始めて少し経つと、どこからか視線を感じるんだ。その視線は頭上から見下されているかのような視線なんだ。」
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自転車に乗って、彼は気持ちよさそうに下り坂を疾走する。彼の頭上には晴天が広がって、心地の良い気温が彼の自転車のペダルを踏み込むのを軽やかにさせていた。彼はそのままの加速度で、この坂の三分の一ほど下っていた。その時だった。彼がおもむろに頭上を見上げた。オレは戸惑った。しかし、彼の視線はどうやら別のところに向いているようだ。オレは心を落ち着かせて彼の視線を追った。そこには一人の少女がいた。その少女は歩道橋の上から自転車に乗る彼を目で追っていた。カノジョの瞳には光のない深淵が広がっていた。そして、カノジョは彼を見て微笑みを浮かべていた。どうしてだろう。オレは”カノジョ”を知らない。そんなことありえないはずなのに...。その時、カノジョが振り返る。
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周囲の静寂を切り裂いて、あたりに響き渡るのは絶叫。「嫌だ。やめろ、やめてくれッ!」その絶叫はこの建物の中から聞こえてきた。私は思わず動いていた。この絶叫が貫いた私の心は歯止めをかける恐怖という名のブレーキではなく、焦燥感という名のアクセルを選択してそれを思いっきり踏み込んだ。こうして、私は突き動かされその建物の中へと誘われたのでした。
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建物の中はボロボロで外見相応に朽ち果てていた。この建物の中にはボロボロの紙束がうずたかく積まれており、端っこには木でできた棚のようなものが紐のようなものでひとまとめにされていた。私はこのぐちゃぐちゃで埃の降り積もったこの室内を見て、さっきの叫びは幻聴なんじゃないかと思い始めていた。その時、断末魔がこの建物を貫いた。「うわぁぁぁぁぁぁぁ」その声はこの建物の階段の下から聞こえてくるようだ。既視感。私はこの声をどこかで聞いたことがあるような感覚を覚えた。私はその声に誘われるかのようにその階段を一段一段降りていった。
階段を下りた先には海が広がっていた。その海の地平線の先には橙色に染まる何かがあった。それはまるで夕日のように輝いてこの砂浜を橙に染め上げていた。そして、その砂浜の上、そこに立って私の方を見て笑う一人の男の姿があった。
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「やあ。久しぶり。」その男はなれなれしく私に話しかけてくる。しかし、私にはこの男が誰なのか検討もつかない。「えっと...」私がこの状況を呑み込めないでいると、彼は懐から何かを取り出した。それは拳銃だった。「えッ...」その刹那、彼がその銃の引き金に手をかける。(嫌だ、やめろ、やめてくれ!)しかし、その言葉は声にならない。もうすでに俺の額には風穴が開いてしまっていたのだから。
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その男は拳銃を片手に近づいてくる。その顔には恐ろしく、気持ち悪く、そして悪趣味な微笑みを浮かべていた。「俺は無駄なことが嫌いでね。早速本題に入らせてもらったよ。」彼は引き金を引く。私の右足が吹き飛んだ。私の呆けた心をこの痛みが貫いてこの狂気じみた現実に引き戻した。「やめろ...」彼は引き金を引く。左足が吹き飛んだ。「やめてくれッ!」彼は引き金を二回引いた。両腕が吹き飛ばされてしまう。「どうして...」その時、私の心に湧き上がってきた追憶。その追憶が見せたのは死んだ親友”港”その懐かしい表情を私の瞼の裏側に投影した。その記憶と目の前の男が重なって...「お前、港か?」私は問いかける。彼との間に流れる沈黙、しばらくたってその男がゆっくりと口を開き、告げた。「違う。俺は”太陽”だ。」彼が引き金を引く。その瞬間、目の前が痛みでいっぱいになって私はもう目を開けていることができなくなって、それが目だけでなく、感覚だけでなく、意識だけでなく、思考に、そして記憶にまで侵食して、耐えきれなくなった私の目の前を眩しい白色が埋め尽くした。
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後ろに倒れる彼、銃を持ちその様を眺める男。その男は微笑みを浮かべて笑っている。「フフフ。どうしてこんなにもうまくいくのだろう。彼女をたぶらかして、そしてあの記憶は約束の場所にある。そして、今、邪魔者は消えた。」その時、彼の背後で何かが蠢く。それは漆黒の渦だった。「アハハハハッ!残念だったなッ!一手遅かったようだよ、お前はッ!」彼はそう叫び、口に含んでいた自決用の黒の錠剤を噛みしめた。
パリン...
その音がした瞬間、彼を中心に黒い渦が生まれその渦が彼を呑み込んでいく。「追いかけてみろ、この俺をッ!できるものならなッ!」彼はその渦に吞み込まれ、その渦ごと消えていった。その渦があった場所には一つの黒い錠剤が残されていた。
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「これで三人目か...」懸餅蒼汰は頭を抱える。「ご遺体がこんな姿ではもう...」その時、私はこの遺体が何かを持っていることに気づいた。それは箱のようなものだった。私はそれを拾い上げる。その箱は傾けるとさらさらとした音がした。「警部?何をもって...」その時、久留智海が怪訝な表情を浮かべた。「どうして笑っているのですか?」「えっ...」どうしてだろう、俺はいつの間にかこの顔に笑みを浮かべてしまっていた。
三人目 完
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