第22章 二人目#2
CDをただ眺め続けている一人の男。
彼はくたびれた服を着ていた。彼の顔面にはみっともない無精ひげを称え、ぼさぼさの髪をしていた。「なんてみっともない男なのだろう。」そして、彼は締まりのない口をその顔に浮かべ、彼はそのCDを開いた状態で固まっていた。彼はCDを眺めていた。そのCDは真っ白の円盤にマジックで<運命>と書かれていた。そう、そのCDははっきり言って、陳腐な代物だった。
そのCDは全体が仄かに焼けていた。そしてマジックの筆跡は柔らかく、味があった。そして彼はCD ケースを開けた状態でそんな退屈で面白くもないCDをただ茫然と眺め続けている。何が彼をここまでひきつけるのだろうか?もしかしたら、彼はこう考えていたのかもしれない。
(このCDは長いこと使われていたもののようだ。その証拠にこのCDの内縁部には大きな摩耗が見て取れたから。それに、このCD上部のマジックの部分にあった文字は少し掠れていた。その掠れ方はまるでその文字自体にひび割れが生じているかのようだった。” <運命>” 、その書かれていた文字並び、その掠れの状態の中で特にひどかったのは”命”の部分だった。
どうしてその部分だけが掠れているのだろう?まだ、”運”やその横の”<”や”>”も同じくらいの掠れがあったなら、何も感じなかっただろう。だけど、その”命”の掠れはあまりにもあからさまだった。まるで意図しているかのような、そんな作為的な掠れ。そして、気持ちの悪い掠れ。たぶん、この掠れを見てしまえば誰だってこんな風に考えこんでしまうだろう。そう、今のオレのように。
最初この文字を書いたとき、この”命”の字をあえて薄く、すぐ掠れてしまうように書いたのだろうか?いや、そんな感じはしない。この書かれた文字にはそのままの勢いがあった。そう、この文字には筆圧の強弱なんて考えるようなテクニカルな様子はまるで感じられない。つまり、この文字たちは初めは同じくらいの濃さで書かれていたのだろう。
では、どうしてこの部分だけが強く掠れてしまっているのだろう?
「運命」、文字通り、命が運ばれてしまったのだろうか?運命という名のバケモノ相手に人がどうするべきかを描いたのがこの<運命>なのだとしたら、このCDは誰かの道を指し示したはずだ。その誰かは生きるための道をここに見出した、それは祈りだった。その”誰かの世界”は狭かった。だけど、狭いからこそ、その世界は深かった。縦横無尽に張り巡らされたワイヤーでがんじがらめにされた世界。誰かはその世界の中で優越感に浸っていた。「これは僕の世界だ。この世界には僕しかいない。この世界の他人は僕の手のひら中で踊る人形だ。彼らは僕を励まし、喜ばせ、憎み、恨んで、殺意を向けて、消えていった。だけど、僕の心は動かない。彼らの励ましも喜びも退屈な記号。彼らの憎しみも恨みも見飽きた傷痕。殺意を向けられた彼らに首を絞められたってこの世界じゃ意味なんてない。そう、すべてはもう終わってしまったことだ。そうだろ?」だけど、それでは生きていくことなんてできない。すべてを知っていた全能感は一つの無知その存在によって崩れ去ってゆく。それは誰かの首筋に刺さった一本のナイフだった。
「どうやら僕はここまでみたいだ。」「ここでお終いなの?」「そうだな。僕は確かに今までを生きてきた。だけど、今まで僕は生きているにはあまりにも受動的だったようだ。そう、僕はずっと死人だったんだよ。この世界では。俺が生きていたのは記憶の世界、そう”俺のアカシックレコード”の中だったんだ。そうだ、僕はその中で、ある種の全能感を抱いていたんだろうな。その全能感のために生きていたんだ。馬鹿だよ。僕は...こんなことになるまでに、このナイフを見るまで、僕はこのことに気づくことすらできなかったんだ。そう、俺はもう、俺の世界はこのナイフで引き裂かれてしまったんだ。だから、もう俺には今を生きるための希望なんてない、そしてもうこれ以上の絶望もない。」「これが末路だっていうの?」「そうだ、これは俺にとっての新世界だ。絶望も希望もない、そして、生きている意味すら失われてしまったそんな世界。そう、この世界じゃあ僕は運命づけられた死を待っているだけなんだ。」「お前は何のためにいきてきたんだッ!」「そう、僕は無知だった。生きている意味を考えもせず、死にゆく意味を考えもせず、ただただのうのうと生きて、ただのうのうと死んでいく。死に対して抗いもせず、生きていることにすら感謝を忘れ、運命にあらがいもせず、ただ盲目的に運命を崇拝する馬鹿へと成り下がって、僕の中にあった時計はもう秒針を告げない。そうだ、もうすべてが遅いんだ。この世界じゃすべてが無駄になってしまうから。そう、これが、これこそがすべての終わりだったんだよ。死は所詮メタファーの一つにすぎないんだ。本当の終わりは生きているときにやってくるものだった。そうだ、それが運命だった。そう、もう僕はこの首筋に刺さったナイフをもうどうすることもできないんだ。」目の前にいる彼の首から血が流れ落ちる。それは彼が今までを生きてきたことの証だった。その色はもうすでにアカ黒く淀み切った闇へと成り果てていた。「そう、もう僕は死なんて怖くない。もう僕は死んでいるのと同じなのだから。そう考えると心地よい。この感情は、この世界は今この僕だけのものなのだから。この心地よい感情の前じゃあ死だって、苦しみだってもう、どうでもいいことなんだッ!」「・・・」
彼は涙を浮かべていた。「そうか...だから俺がいるんだ。これが運命か...」
僕は首筋に刺さったナイフを引き抜いて胸に刺した。そしてそのままの勢いで身体をめった刺しにした。
その顔には満足げな笑みが浮かんでいた。)
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俺の目の前に横たわっていた死体が動きだした。その死体は全身に刺傷があり、その刺傷は腐りつつあった。俺はどうにもならないでその様を眺めていた。その死体をめった刺しにしていたあの女はもう俺の目の前から消えていた。そして、その死体の右手には、さっきまでCDが握られていたその右手には、さっきまでいたはずの女が握っていたはずのダガーナイフが握られていた。そしてその死体はゆっくりと立ち上がった。顔は半分崩れ落ち、首筋には大きな傷跡、胸には大きな穴が開いていた。その傷跡は腐りつつあったが、首筋の傷だけはいまだ生々しいままだった。そこからアカ黒い液体が流れ続けている。彼女の腕は左腕は凄惨な姿だったが右腕には傷一つついていなかった。それどころか、その死体はナイフを力強く握りしめた。そんなズタボロの体で。その力には明確な意思が宿っているようだった。
続く
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