第十九章 希望ーR
僕はこの廊下を走る。心はもう落ち着きを失って、鼓動を逸らせている。何気ない日常の中で生きていた僕はいつものように自室のベットで横になり、朝になるのを待っていたはずだった。しかし、僕がベットから起きるとそこにあったのは未知なる天井だった。
その天井は気持ち悪さを覚えるほどに白かった。僕は身体を起こしあたりを見渡す。どうやらここは病院のようだ。(僕が寝ている間に何かあったのか?)僕はベットから起き上がる。そして僕はベットに備え付けられているナースコール設備に気づいた。僕はその機械のボタンを押し込む。その機械からインターホンの音がしてから機械音声が流れる。「しばらく、お待ちください。」そんな機械音声があたりに響く。その音が僕に気づかせる。ここは異常なほど静かだということに...僕は深呼吸をした、僕の心を落ち着けるために。僕はこの部屋を見渡す。この部屋はベットが二つある病室のようだ。僕の寝ていたベット、目の前に置かれたベット、そのベットとの間の床に点滴が死んだように横たわっている。その点滴の先には、(本来の用途で身体に刺すところには)、血が付着していた。その血は、艶やかな赤色だった。その血は、点滴の先から床にかけて血の痕を残していた。まるで無理やりこの点滴を引きはがしたように。僕はこの艶やかな痕がこの床を、いやこの空間全体の静寂に入れられた傷のように思えた。その傷を見てようやく僕の心に静寂が戻ってきた。その僕はその傷を目でなぞる。傷の先には一つの大きな引き扉があった。僕はベットから出て、その扉へと近づく。まるで引き寄せられるように。僕は気づいたときにはその扉の取っ手に手をかけていた。僕の思考は逡巡する。言いようのない不安が僕の心を訪れる。その不安が告げるのは後悔、そんな予感。僕の手が震える。その震えを見て僕はなぜか彼女のことを思い出していた。
扉を開放して僕は病室を後にする。扉の先には横に長く伸びている廊下があった。天井、壁、床すべてが真っ白、物音ひとつ感じない。引き戸が閉まる音がこの廊下によく響いていた。僕はその廊下の先を見る。この廊下は僕から見て右にずっと伸びている、かろうじて向こう側が左に曲がっているのが見える。廊下の途中にはさっきの病室にあった扉があった。そして僕から見て左方向では廊下はすぐに終わっていて二手に分かれていた。僕は先に左の分岐の先を見てみることにした。その分かれ道、左はずっと向こうまで伸びていおり、右には少し進んだ先に大きな引き戸があるくらいだった。僕は先にその扉がある方から見てみることにした。扉に手を伸ばす。もう、僕の手は震えていない。
僕がその扉を開放する。そして部屋の中にある程度進んだところで部屋の片隅に動く影に気づく。それは一人の男だった。彼は新聞を読んでいた。僕は人がいることに戸惑う。彼は物音ひとつ立てないで新聞を捲り、彼の前、簡易的な机の前にはコップがあり、そこには黒い液体が入っており、白い湯気を立ち昇らせていた。彼は捲る、静止、コップに手を伸ばす、静止、頁を捲る、静止を一定の動作を繰り返していた。僕は彼の様子を見ながら後ずさる。僕の感覚が訴える、逃げることを。僕はゆっくり後ずさる。僕の姿は彼の広げた新聞の陰になっているようだ。彼は一連の動作をいまだ繰り返している。僕は、まだ僕の存在はその男に晒されていないと感じた。しかし、同時に嫌な予感を感じていた。晒された瞬間、すべてが終わってしまう、そんな予感が。僕はゆっくり、音を立てないように後ずさる。息を殺し、僕の存在をこの空間に預け、この空間へと僕の心を同調させる。そうやって僕は、僕の存在感を消し去った。彼は新聞の頁を捲る。僕はこの空間に漂う寂しさで心へと湧き上がってくる焦りを上書きする。(僕はこの壁の一部...この空間の一部...そう、どこにでもいる空気、そのものだ。)僕はあと少しで扉の取っ手に手が届くところまで後ずさることができた。僕は少し安心してしまった。その瞬間、音のないこの空間に何かが響く。それは扉が閉まる音。僕が開けた扉が今になって勝手に閉じる、音を伴って。僕は、その男の方を見た。彼は新聞から顔を出し、こちらを見ている。その目は大きく開かれてこちらを凝視している。僕の心が恐怖で染まる。彼の手にはいつの間にかナイフが握られていた。そのナイフは赤黒く気持ちが悪かった。そのナイフを見た僕の顔が思わず歪む。その顔を見てその男は笑った。
僕はその部屋から勢いよく飛び出す、扉を大きく開けて廊下へと。そしてこの廊下を走る。僕は分岐点まで戻ってきた。その時、背後で轟音が轟く。この静寂を殺すように。僕は思わず、振り返る。そこで扉が見るも無残な形に成り果てていた。その扉は円状の穴が開き、あらぬ方向へ曲げられて、床に残骸となり横たわる。その残骸を踏みつけてその男は立っていた。その顔に笑みを浮かべて、力強く握るそれに殺意を込めて!僕の心はもう落ち着きを失って、鼓動を逸らせる。僕はただ生きていただけなのに。彼は僕にゆっくりと踏みしめるように近づいてくる。その様を見て、僕は悟る。もう迷うための時間は残されていないことに!
第19章 完
第20章に続く
読んでくださってありがとうございます。




