第十九章 好敵手ーN 第二話
潜水艦の調整が終わった。入り江に浮かんだ潜水艦が朝日に照らされて輝く。その様を見て満足げな彼と俺自身の姿があった。今日は雲一つない快晴だ。俺たちはその潜水艦、八番艦”ハウへト”に意気揚々と乗り込む。今日の海は澄んでいた。この空のように。その凪いだ水面には侵すことのできない神秘と言いようのない恐れとが同居していた。だけど、俺たちのこの時の気分の高まりがこの神秘と恐れを都合よく解釈してしまった。今思えばそれはただの蛮勇にすぎなかったのに。凪いだ水面を引き裂くように潜水艦は目的地へと走り続けていた。
「もうすぐ指定の座標に到着するぞ。」彼は窓を覗きながらつぶやく。彼は目に見えて興奮していた。俺は彼を見ていた視線をレーダーへと移した。するとそこには未知なる反応があった。「なあ、斜め右方向を見てくれ。」俺は彼に指示を飛ばす。すると彼は大きな声で言った。「見つけた!」彼に連れられて俺は窓を覗く。そこには大きな石門があった。その門はこんな深海に野ざらしにされているにも関わらず、傷一つない状態でじんわりとした畏怖を纏いそこにいた。その門は漆黒で表面にはいくつもの人の形をした彫刻があしらわれていた。俺はこの門を見た時、言いようのない不安と同時に理解できない調和を感じていた。彼らは一人一人個性を持っていた。俺はじっくりと眺めていたが歩いている男や遠くを見つめる女、座っている男や上から下を見下ろす女など、一つとして同じものはなかった。デザインの観点で見れば一つのものにバラバラなテーマの作品が無理やり置かれているカオスを想起するかもしれない。しかし、彼らには一つの共通点があった。彼らは首から上が傷つけられていた。鋭利な何かで執拗に傷をつけたような跡があった。その傷はとても生々しかった。どれも言いようのない、行き場のない殺意のようなものがかつてそこに存在していたと俺は考えずにはいられなかった。そう、その傷は生きていたいたんだ。俺はこの門を創り出した誰かはこの傷を表現するために人の像を用いたのではないかとさえ思った。俺は彼らの痛々しい傷からもう目を離すことができなかった。俺は彫刻を一つ一つ見ていた。必死に何かを見つけるように。そう、俺は何かを探していたんだ。見つけてはいけない何かを。そして、俺は見つけてしまう。この彫刻の中にいた自分自身を!
その男は片手にダガーナイフを持ち俺の前に姿を現す。「どうやらお前にとっての救いはお前を見捨てるようだな。お前は私の理想となって堕ちろ!」その悪魔は持っていたナイフで俺をめった刺しにした。俺から飛び散った血が彫刻、彼らの首に返り血となって飛ぶ。俺が最期に見たのは赤黒く染まったその門が音を立てて開放される、その様だった。
俺は気づくと彼に起こされていた。「おい!どうした?大丈夫か!」彼はいつの間にか横たわっていた俺を覗き込んでいた。俺は潜水艦の窓を覗き込み始めてから急に倒れてしまったらしい。「ああ…心配かけたな。大丈夫だ。」そう言って俺は起き上がろうとする。すると俺の鼻から血が出ていることに気づいた。「ほんとに大丈夫か?」彼は本気で心配そうな顔をしていた。俺は持っていたティッシュペーパーで鼻を抑えながら応える。「大丈夫だよ。鼻血なんてよく出るし。それより門は?」その問いかけに彼は首をかしげる?「門?なんだいそれは?」彼は門を見ていなかった。俺はもう一度潜水艦の窓を覗き込む。そこには、そう門があったところには大きな裂け目があった。その裂け目が口を開けて俺たちを今にも飲み込まんとしていた。潜水艦はその裂け目に向かって進んでいた。俺たちの目指す座標はこの先にあったから。
その裂け目の奥へしばらく進んだ後、俺たちの瞳に信じられない物が飛び込んできた。それは円柱状の建物。古びた遺跡が近代建築の皮をかぶってそこにあった。その建物の中央に橙色に輝く炎があった。その炎はこの深海の闇を照らしていた。そう、その炎はこの深淵を深淵たらしめるために存在しているようであった。そしてこの建物の周辺は水が滞っていた。俺は息が詰まるように感じていた。俺たちは潜水服に着替えてその建物へ向かった。その建物の中には簡単に入ることができた。そこには祭壇、祭壇の中央には炎、炎の中には石があった。その炎を見て俺は確認する。どうやら空気があるようだ。俺たちは恐る恐る潜水服を取る。「すげーな、おい!この澄み渡る空気!まさか深海でこんな空気が吸えるなんて!」彼はそう言って目を輝かせていた。俺たちはこの遺跡を見て回る。俺たちはまずその祭壇を見た。そこには石がある。その石をこの目で見たことで俺は気づく。あの見覚え、既視感の正体を。「もしかしてこれって月の石?」俺の呟きに彼は反応した。「月の石?」「この大きさで橙色の炎を上げて燃える石をかつて俺は見たことがあるんだ。アポロ11号の持ち帰った22㎏のサンプル、それらの成分を調べてみるとそのほとんどがリン酸カルシウムで構成されていたんだ。当時は話題になって、かつての大阪万博では月の炎と題してアメリカ館の目玉にもなったんだよ。」「へえ~。そんなことがあったのか!」彼は満足げにうなずく。「でも、もし月の石だとしたらなんでこんな月から遠く離れたこんな場所で燃やされているんだろう?」俺たちは考えたがわからない。諦めてあたりを見渡すと祭壇の横の石の机に何かが置かれていた。「これは…」それはかつての手記だった。
続く
読んでくださってありがとうございます。




