第9章 拉麺
今日はアルバイト。私(懸餅蒼汰)は自転車を走らせてアルバイト先であるラーメン店「聖杯」に向かっていた。私は今日のアルバイトが特別憂鬱だった。今日は三連休の真ん中で私はこの三連休に温泉旅行しようと思っていたから。しかし、バイト先に新しく入った新人が飛んだ。その新人はバイト先の店主が直々に面接をしていた。店主はその新人がお気に召したようで私に「大型新人が入るぞ。」と息巻いていた。私はその店主の様子に一抹の不安を抱いていた。案の定その不安は的中したのだった。
ラーメン屋「聖杯」は小規模個人経営の店だ。しかし、ラーメン好きの中では有名で週末は長蛇の列ができた。このラーメン店で一番人気は豚骨ベースの味噌ラーメンだ。味噌と豚骨が織りなす濃厚なスープ、そのスープによく絡む縮れ麵、厚切りの豚チャーシューと大きいナルトとたっぷりコーン。常連の人はこの味噌ラーメンにトッピングで頼むことのできるバターを入れて召し上がる。
私がこの店に出会ったきっかけは友達がこの店が一番おいしいと絶賛していたからだ。その友達は味にうるさいことで有名だった。チェーン店のハンバーガー屋さんに行ったときは一口食べただけでまずいと言っていた。遊園地に行った時も飲食店の味に気に入らず自分で作ったトルティーヤをこっそり持ち込んで食べていた。彼のそういうところは学校でも有名だった。一時期はその性質をよくいじられていたが学園祭で料理を見ないで当てる企画のブースで彼は実力を発揮したことで一時期人気者になった。そしてそんな彼がおいしいと言っていた店が気にならないわけがなかった。
その店の第一印象は最悪だった。きれいとは言えない外装。活気のない店内の雰囲気。店主の頑固そうな雰囲気。私はその雰囲気にやられてしまった。「何頼む?私のおすすめは味噌ラーメンにトッピングでバターだよ。」私は投げやりに「それでいいよ」と言った。少し待ってそれは来た。立ち昇る湯気を伴って。一口食べると濃厚な味噌と豚骨に、パンチのきいた唐辛子とアクセントのニンニクが口の中いっぱいに広がる。味に驚いたことのなかった私はこのおいしさにとまどってしまった。「うまいやろ。」そう私の顔を見て決め台詞のように言い放った彼の言葉は今でも忘れることができない。彼は友達のこのラーメンの食べて驚くリアクションを見るのが好きだったようだ。私以外の友達も何人か彼に連れられてその店でラーメンを食べたらしい。その友達の誰かからこの店のうまさが広まった。多くの人が来るようになり、店主が学生をアルバイトで雇用し始めるに伴って店の雰囲気は改善し今ではすでに有名人が何人かサインを残しているほどの人気店になっていた。
私が店に着くと開店前にかかわらず長蛇の列ができていた。「急でごめんねぇ。来てもらって助かるよ。」そう言うのはこの店の店主(尺匙豹)だ。お気に入りの緑の丸グラサンをかけていてじょりじょりしている髭と仏頂面がトレードマークだ。彼は話したことがあるかないかで大きく持つイメージが変わるだろう。私も話す前は「いつも不機嫌だなぁこの人。」と思っていた。しかし彼は話してみるとただただ普段の顔で損している人なんだとわかる。彼は驚くほど不器用で信じられないほどお茶目だ。しかし仕事のことになると真剣でひたむきな努力を欠かさないストイックさを見せる。私はそのギャップに掴まれてしまった。彼から急に出てもらえないか聞かれたとき思わずいけると答えてしまったのは彼の人柄に惹かれていた私がいたのも理由の一つとして挙げられるかもしれない。
アルバイトが始まった。今は午前11時。人が店内に波のように押し寄せる。私は注文を聞いてお客様をどんどん捌いていく。今店内には私と店主ともう一人調理担当のアルバイト(久留智海)がいる。私はお客さんの注文を聞く、ラーメンをお渡しする、お会計を承るの3業務を担当していた。本当なら新人が入って私の業務も楽になっていたのにと心の中で悪態をつく。
時刻は13時になった。本当ならまだ混んでいる時間帯なのになぜかお客さんが入らない。店内に残っていた最後のお客さんが食べ終わる。そのお客さんがお帰りになり店はがらんとなった。私は店の会計レジに行ってそこにある椅子に座って一呼吸する。するとそんな私を休ませてたまるかとでも言いたげなタイミングでお客さんが入ってきた。「やってる?」その声には聞き覚えがあった。「いらしゃいま…」そこにいたのは私にこの店を勧めてくれた友達だった。「おっ久しぶり蒼汰。元気だったかい。」「元気も何もお前が何も言わずに消えてから俺たち心配してたんだぞ。」彼はラーメン屋が有名になってからしばらくたって学校の友達に何も言わずに転校した。先生に私たちは彼が転校した理由を尋ねたが家の都合と突っぱねられてしまった。彼の電話番号は気づいたときには使えなくなっていた。「まあまあ。こう元気にお前の前に現れたからいいじゃん。私もそうしなきゃいけない都合があってね。仕方がなかったんだよ。」彼は悪びれずそういった。彼の顔を見ると目の下には酷いクマがあり寝ていないそんな印象を持った。彼の瞳には光のない漆黒が広がっており、私はその瞳に引き込まれる感覚に陥った。「それでも何か連絡するとかさ。」彼はただ黙っていた。すると店の中から店長がきた。「いらっしゃいませ~!あっお客さん。お久しぶりですね。お元気でしたか?心配してましたよ。急にぱったり来なくなったので。」そう店主がいうと彼はただ笑っていた。
「味噌ラーメン一杯。バター添えで」私は彼の注文を取ってできたラーメンを運ぶ。店内に彼以外の客はいない。私は店長に話して30分の暇を戴いた。店長もわざわざ来てもらったのに店がこんなにも空いていることに罪悪感のようなものを抱いていたようなそんな感じを出していた。
私は彼の座っているカウンターの横に腰掛ける。そして味噌ラーメンを頼む。彼とこうやって食べていることがもう遠い昔のように感じられた。「実は私病気だったんだ。」彼は急に話し出した。「えっ。お前が病気?」「そう病気だった。私の病気は82億3200万人分の一の確率で起こる病気なんだってさ。その病気は一般の人に知られるわけにはいかないらしくて、とある病院に隔離されていたんだ。」「そうだったんだ。」私は表面上納得した風を装って内面は混乱していた。この話を作り話として断じるにはとても荒唐無稽すぎる。彼はもうラーメンの具材をほとんど平らげてしまっていた。私は話に夢中でラーメンに集中できずにいた。「その病院の私の担当医がさ、マジでむかついたんだよね。話し方に自信がないですみたいな口調と表情で話してくるの。ありえなくない。」「どうゆうこと?」彼はわかるだろみたいな顔して話している。「医師っていうのは難しい資格試験をパスして初めてなれるんだよ。だから自信のない医師なんてありえないんだよ。なのにその医師は診察の時も自信のないようにゆっくりと話すから毎日毎日イライラしてさ。」彼の愚痴はその後も続いた。彼の愚痴の対象はその医師に集中していた。その愚痴には何か真に迫るものを感じた。私はその愚痴を聞いて初めて彼の話を信じようという気になったのだった。すると店長がカウンターにやってきた。そして彼に何かを手渡す。それはビニール袋に入っており彼は中身を覗き込むように確認した。「よかった。覚えていてくれたんだね。」店主は何も言わないでうなずくばかりだった。彼は言った。「実はさ、お前には会いたくなかったんだ。」「どうして?」私は尋ねる。「私は今でもお前のことを友達だと思っているからさ。」「ん?」「私は店主だけに用があったんだ。本当だよ。だからこれはもう事故みたいなものなんだ。」「さっきから何を言って…」彼は笑った。「生きてればしょうがないことなんてたくさんあるよな。私はもう諦めたよ。だからお前に本当のことを話したんだ。だからお前もただ諦めて…」そういい終わると彼はビニール袋から銃を取り出した。
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俺(久瑠智海)は雑誌を見ていた。お客さんが来なくて暇だったから。しかし、厨房の外が変に騒がしい。俺は厨房から出てあたりを見渡した。そこにはぐちゃぐちゃになるようにめった刺しにされた店主と頭から血を流して横たわる蒼汰がいた。「なにこれ…」俺は目の前に広がる血の海を見て吐いてしまった。カウンターには食べかけのどんぶりが一つ残されていた。
第九章 ~完~
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