第八章 電車
僕の意識は暗い電車の中で目覚める。誰かに起こされた。そんな気がして。あたりは暗くて誰もいない。電光掲示板には「次は日輪。」「日輪行き快速急行」という表示が繰り返されるだけだった。僕はこの電車に乗る前の記憶がないことに気づいた。だから僕の名前もわからないしどうしてここにいるのかもわからなかった。そしてこの列車も変に感じていた。この列車の社内には本来あるはずの灯りがなかった。僕はこの変な状況にとてつもない不安と非日常の体験からくる興奮を感じていた。僕は立ち上がろうとして僕の手に内にあるものに気づいた。それはメモだった。「あなたは何かを探していた。それが何なのか。私は知らなかった。いや知りたくなかった。私は思い出したくなかったから。しかし思い出してしまった。そう、だからもう私はあなたの前に現れることないよ。」そう書いてあった。僕はそれを見ているとなぜか目から涙。その涙でメモ帳の文字は滲んでしまった。僕は席を立って電車が進む向きと逆向きに歩き別の車両に行った。そこはさっき僕がいた車両と何にも変わらない車両だった。僕は踵を返して僕がいた車両からいけるもう一つの車両に向かった。そこもさっきの車両と何も変わらなかった。しかし、そこには人がいた。その人は僕を見るなり顔をみるみる悪くした。気分が悪くなった僕は近くの座席に座ってその人をじっと見ていた。その男は初め僕の存在自体を無視するような態度を見せていたが僕の態度がその男の出方を変えてしまったようだ。その男は僕に近づいてきた。「こんにちは。失礼ですがあなたは隣の車両の担当者ですよね。なんでこちらに来たんですか。私の仕事ぶりでも笑いに来たんですか。」「いやそんなつもりは…」彼は僕の言葉が言い終わる前に、むしろ積極的な邪魔をするかの如く、大きな自尊心に浸された口調で自身の正当性を示すかのように僕たち以外誰もいない車内で宣誓した。「何でもないならなんでここにあなたがいるんですか。迷惑なんですよ。目障りなんですよ。用もなしでこちらに来ないでください。」そうその男に言われ半ば追い出される形で僕は自分の元々いた車両に戻ってきた。しかしそこは僕が最初にいた車両とは様子が違っていた。そこには漆黒に染まっている何かがあった。それは僕の座っていた場所に鎮座していた。それは渦であった。電車の外から入ってくる町の光がその渦に吸い込まれていくのが見えた。それは次第に大きくなっていく。僕はさっきの男がいた車両に思いがけず戻ってしまった。そこにはその渦に体を食い破られようとする男の姿があった。「あなたのせいですよ。これは。この状況は。あなたが無責任だったから。」彼の声は今にも張り裂けそうだった。「どうして。どうして僕のせいなんだ。僕が何したっていうんだ。」「思えばあなたが私の前に現れたから。思えばあなたがただのうのうと生きていたから。思えばただ無知だったから。」そういい終わるとその男は渦に引き裂かれ丸められその辺に捨てられてしまった。その渦は僕に近づいてきた。僕は後ずさって最初の車両に戻る。そこには十分にでかくなった渦が口を開けていた。僕は渦に挟まれてしまった。渦はじりじりにじり寄ってくる。たぶん詰んだ。しかし諦めきれない僕は電車の窓を破壊しようと考えた。僕は持っていた包丁で窓を何度も何度も切り付けた。窓が傷ついていく。渦が近づくスピードはどんどん速くなりそれに比例した僕の心臓の鼓動の速さはとてもおぞましいものがあった。僕は一心不乱に窓を傷つけた。窓は傷つくばかりで壊れない。「私の仕事ぶりでも笑いに来たんですか。」そう窓がせせら笑った気がした。渦は僕を吸い込んで引き裂くには十分なほどに近づいていた。僕はもうあきらめていた。するとさっきの男がいた車両とは逆側の車両に通じる扉がおもむろに開いた。そいつは白衣を着た中年の男だった。僕はそいつが僕を助けに来たのかと思っていた。しかしそいつの後ろには渦がいた。「こんにちは。失礼ですがあなたは隣の車両の担当者ですよね。なんでこちらに来たんですか。私の仕事ぶりでも笑いに来たんですか。」「いやそんなつもりは…」彼は無責任にそう言った。かつての私のように。「何でもないならなんでここにあなたがいるんですか。迷惑なんですよ。目障りなんですよ。用もなしでこちらに来ないでください。」私は彼を隣の車両に押し込んだ。しかしそこで時間切れの様だ。大きくなった渦が私をとらえて引き裂く。最後に見たのはこちらを見る私。「あなたのせいですよ。これは。この状況は。あなたが無責任だったから。」私の声は今にも張り裂けそうだった。「どうして。どうして僕のせいなんだ。僕が何したっていうんだ。」「思えばあなたが私の前に現れたから。思えばあなたがただのうのうと生きていたから。思えばただ無知だったから。」外はいまだ暗い。夜明けも停車駅もたぶん来ない。
第八章 ~完~
読んでくださってありがとうございます。
あけましておめでとうございます。
今年から本格的にこの小説を更新していくつもりですので、
よろしくお願いいたします。




