第八話「前世の世界で見る夢は Ⅰ」
※アンナが回帰転生する以前の、前世の記憶です
※回帰転生中の夢の中のアンナ視点→回帰前の前世のアンナ視点→回帰前の前世のアンリ視点となります
また、この夢だ。始まることがわかる。
夢だということはわかるけれど、それを自分の意志で止めることはできない。
物心ついたときから私のなかに存在している、前世の記憶。
その記憶たちは、私の頭の中で薄れそうになると、まるで忘れることを赦さないかのように、過去からどこまでも追いかけてくる。そしてそれらはいつも底が見えなくなるほどに、深く深く刻みつけていくのだ。
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母上が亡くなり、その王座を継いだ兄上も戦の傷が悪化し、ついに今、亡くなってしまった。
今際の際で兄上が遺したのは、潰れそうなほどに重い言葉だった。
ひとつ、アンナが王座を継ぐこと。
ひとつ、帝王学をすべて身につけ国をよく治めること。
ひとつ、アンナには王配として、アンリを迎えること。
兄上に死なないでほしい。
王座になんて座りたくない。
アンリには…。結婚を押しつけたくない。
この願いはすべて、叶わないことが決まってしまった瞬間だった。
兄上の手は力が抜けきってしまい、硬直していくのを感じる。
それでもまだ私は兄上の手を握ったまま動くことができない。
ずっと私が握っているから、兄上の手もまだあたたかいような気さえしてくる。
アンリのことは大好きだ。子どもの頃からずっと傍にいてくれている。いつだって力になってくれている。
だからこそ、アンリには自由に生きてほしかった。
アンリはいつだってやさしく、いつだって楽しそうに共にに居てくれている。けれど、それは即ちずっと我が国から動けずにいるということなのだ。そういう約定が続いていたから。
幸せになってほしい。その機会を、この先もずっと私が奪い続けていいはずがない。
でもそんな綺麗な願いに反して、自由になったアンリに、私のことを好きになってほしいという貪欲な想いもあった。
いつの頃からか、私はアンリを好きになっていたのだと思う。
大きなきっかけがあったわけではないけれど、アンリが与えてくれるやさしい日々の積み重ねは、私にとって手放し難いものになっていた。
王命による結婚。それは王侯貴族にとって、なんら珍しいことではなかった。特に私にはそのような教育がされていたけれど、自由のない彼にはそのような話が向いたことはなさそうだった。しかしそれでは、アンリの気持ちを置き去りにしたままの結婚になる。
アンリが私のことをどう思っているのか、訊いたことはなかった。
複雑な立場の彼に、私の気持ちなど自分勝手に伝えていいはずがない。困らせたくなかった。
それにこの気持ちを伝えてしまったら、やさしいアンリのことだ。きっと私を悲しませないような言葉をかけてくれて、私の矜持を傷つけないよう振る舞ってくれるに決まっている。
この国に来てからずっと、きっと誰にも見せていない、自分の心を圧し殺して。
民たちがするように、お互いに好きだと伝え合って、そうして愛を育んで…そういう結婚がしたかった。
王族に生まれた以上、叶う可能性などほとんどないような願いだったけれど、ついに望みが潰えたのだと思い知らされてしまった。
アンリに向かって、あなたの自由を奪って夫にさせてしまうなんてごめんなさいと告げてみようか。
いいえ、きっとそれにもあなたは大丈夫と答えて、私が気にしないように心を砕くに違いない。
それならば。
ついに硬直しきってしまった兄上の手を握ったまま、私は声を発した。
「亡き国王陛下の王命に則り、これより私が王となります。王命ゆえ、アンリ。そなたを私の夫とします」
兄上を看取るあいだずっと私の背中に立ってくれていたアンリに、振り返らないまま、王族らしく一方的に告げた。
絞り出した声はいつもより少し低くなり、震えてしまった。涙声は隠し通せただろうか。
アンリの顔は、見られなかった。
もしもがっかりした顔を目にしてしまったら、これから先の日々を生きていけなくなってしまうから。私はなんて臆病で、卑怯なんだろう。
幸せになってほしいと願っていたはずなのに、
実際にはあなたと結婚できることをーー権力によってもたらされる幸せを、浅ましくも喜んでしまっている醜い自分の心を、悟られたくない。
背中越しに、声がした。
「謹んで、拝命いたします」
アンリの口から発せられたのは、今まで聞いたことのない、固く閉ざされたような声だった。
頭から冷水を浴びせられたかのようだった。
ああ、やはり嫌だったのだ。
アンリもきっと、恋愛というものをしてみたかったに違いない。
この国から出て、自由に生きてみたかったに違いない。
それを私が、奪ってしまうのだ。永遠に。
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華奢な肩が、背中が、震えている。
必死に声を圧し殺しているのがわかる。
いくらでも泣いていいのだと、この腕のなかで抱きしめてあげられたなら。
けれども自分の立場では、そんな自分勝手な振る舞いをするわけにはいかない。
今この瞬間から、彼女はこの国の王だ。
アンナがーー新たなる女王陛下が、お許しくださらない限り。家族同然に育った自分でさえ、もう指一本だって気安くふれてはならないのだ。
ずっと一緒に生きていけたらと、毎日祈っていた。叶うことなどないだろうが、祈らずにはいられなかった。
だが今、神は僕の祈りを聞き届けられたのだ。
アンナ。あなたは僕のことを、どう思ってる?
王命でも、僕との結婚を少しでもうれしく思ってくれている?
一縷の望みをかけて、未だ震える背中を見つめる。
振り返って、泣きついてはくれないだろうか。
家族を喪った悲しみを分かち合い、夫婦として手を取り合って、生きていけたのなら。
僕たちはきっと、どんなことでも乗り越えられる。
………しかし彼女は振り向かず、先程下された王命を、宣言した。
王として一番最初の、立派な仕事だ。
ああ、そうか。家族としての情はあるかもしれないけれど、それはきっと望んで結婚するようなものではなかったのだね。
元王族とはいえ、落ちぶれた敗戦国の捕虜。そんな僕を、彼女は蔑むことは一切なかったけれど、恋したり愛したりするような対象にはなるべくもなかったのだ。
先の国王陛下はきっと兄弟のように過ごした僕の心情を汲んで、僕とアンナを結ばせようとしてくれたのだろうが…。いくら兄君とはいえ、妹君の心までは汲みきれなかったようだ。
王命によって無理やり結ばされた運命を、あなたは恨んでいるのだろうか。怒りに震えているのだろうか。それとも、嘆いているのだろうか。
身の程をわきまえず、あなたの気持ちを考えもせず、あなたと結婚できることに喜んでしまった自分への、これは報いなのだろう。
愛する人と結婚し、けれど彼女に愛されることのないまま生きていく。
僕は自分に下された罰と幸福を、拝命した。
ここからしばらく、前世エピソードが続く予定です。




