第六話「王族の私生活 Ⅱ」〜謁見〜
※アンナ視点→兄上(アレクサンドル王太子)視点→アンリ視点となります
王侯貴族のみが通れる廊下を進んで、ようやく謁見の間にたどり着いた。
この静けさから察するに、どうやら公式の謁見はすでに終わっているようだ。
重厚な扉を開けてもらうと、母上と兄上、そして臣下のオレグ宰相だけが残っていた。オレグ宰相も他の臣下と共に帰っていてほしかったんだけどな。
母上と兄上に再び会える喜びと、怒られるところから始まるなんてというやるせなさを抱きながら、アンリと一緒に足を踏み入れた。
懐かしいーー。
荘厳さを身に纏い、強く、賢く、美しい、女神のような王。我が国を最も繁栄させた、王のなかの王。それでいて慈悲深く、戦で我が国に敗れた国の人々にも手厚い保護を受けさせた。
母上………またこうしてお目にかかれるとは。
お元気そうだ。病床に伏す前のお姿だ。
生まれ変わっても、やはり母は母である。
日本にも母はいるけれど、また違った懐かしさがこみ上げる。目が潤みそうになるのを必死にこらえた。
母上に似て、聡明で勇敢な兄上。
次代を担う王太子として充分な器を持って生まれ、だがその才能に甘んじることなく幼い頃から帝王学を余すことなく吸収していった。剣の腕も凄まじく、王族として必要なものをすべて備えていた。
兄上は武に秀でていたが、その力を積極的な侵略に用いることはしなかった。すでに我が国が豊かだったこともあるけれど、お優しい方だったのだ。
だがそれゆえに、突然攻め込まれた戦に応戦し、そこで負った傷によって若くして亡くなられるとは。
誰が想像できただろうか。
私は帝王学は教わらなかった。王位継承権はあるものの、兄上が強く偉大だったから必要ないだろうと判断された。
それよりもどこか他国の王族に嫁ぐか、他国の王族を婿にとるかして、国交を円滑にする一助となるべくそろそろ目処をつけなくてはならない頃だったと思う。王族の女性たちが皆担ってきた役割を、私も等しく与えられるはずだった。
そんな私が兄上亡き後、女王として王冠を戴くことになってしまうなんてーー。
誰が想像できただろうか。
少しだけ感慨にふけってしまった。
アンリとふたり揃って前に進み出ると、礼を執りご挨拶申し上げる。楽にするよう指示された。
目線を下座に向けると、ずっと佇んでいただろう臣下がまだ帰る素振りを見せない。仕方なく、けれどその心情はおくびにも出さず「ごきげんよう」と優雅に挨拶してみせた。
ダークチョコレートのような髪と凛々しい眉毛の下で、グレーの瞳が真っ直ぐにこちらを見据えてくる。この男がこうして私を見つめてくるのも、相変わらずだ。
「ご機嫌麗しゅうございますか、アンナ王女殿下…!本日はもうお目にかかれないかもしれないと伺っておりましたが、こうしてお目通りが叶って幸いです。お美しさに翳りはないように存じますが、お加減はいかがでございましょう?」
完璧なアルカイックスマイルでご機嫌伺いしてきたこの男が、オレグ宰相だ。「今日はもう会えないかと思っていた」などちょっとした皮肉を混ぜ込んできたのは、すっぽかしたこちらが悪いのだから甘んじて受けよう。
昔からこの男は得意ではない。もちろんとても優秀でその仕事ぶりに文句のつけようはないのだが、顔を合わせるたびに物凄い勢いで話しかけてくる。そしてこちらが丁寧にその場を離れるまで、そのグレーの瞳でずっと見つめ続けてくるのだ。
恭しく礼を執りながらも、無遠慮に投げて寄越してくる視線にやっぱり居心地が悪くなる。
「最悪かも…」
グレーの瞳が、目を瞠る。
しまった!心の声が!だだ漏れだった!!
「あ…、頭がまだ痛むようでして…!失礼、オレグ宰相。帰国したばかりでお疲れでしょうに、まさかこのようにお待ちいただいていたとは…」
不躾に見られて嫌だったのは本心なので、この際だから最悪という言葉は撤回しないまま、頭が痛いせいにして謝った。優秀なオレグ宰相なら、後半の言葉も「帰国したばかりなのに、まさかこんなに長くここに居座っているとは思わなかったわ」という皮肉として聞こえたに違いない。上流階級の会話なんてこんなものだ。
ちなみにこの国の王族が臣下に「失礼」と言うのは、かなりしっかりめの謝罪をしている。謝れない人間なわけではないの。
「いいえ、そのような!とんでもないことでございます。ご体調が優れないにも関わらず、帰国したばかりのこの身を案じ、ご配慮賜り…!誠にありがとう存じます…!」
私の皮肉、ちゃんと聞こえてた?なにやら感激しているように見えるのは気のせいだろうか。
「わたくしのことはどうぞご案じ召されますな。どうぞ御身を、おいといくださいますよう」
そう告げて、完璧だったアルカイックスマイルが少しほどけたような微笑みを向けて去っていった。もちろん女王陛下と王太子殿下にも礼を執ってから、優雅なステップを踏むかのように。
「相変わらず、変な男…」
そうひとりごとをこぼした瞬間、おほんっと咳払いが聞こえた。兄上からの、そろそろ謝罪を述べよとの合図である。
臣下の前で叱責することなく、家族だけになるまで待っていてくださる母上と兄上はやはりお優しい。
「それで?」
母上の声が反響する。圧が凄い。微笑みを崩さないままの目が恐い。
懐かしさに潤んでいた自分の目が、さらに潤いを増した。尊敬してやまない大好きな母上。けれど怒られるとなると反射で身体がすくむ。
そうか、17歳の身体はまだ母親に怒られるのが恐いのか。耐えろ私。中身は37歳の大人なんだから。
「申し訳ございませんでした!女王陛下!」
一言目は謝罪に限る。
まず謝罪の言葉を発した後に、ここがダメでした、こういう点で迷惑をかけたり残念に思わせてしまい申し訳なく思っています、ここを改善します、と述べるのだ。
会社員の基本である。
さぁ、謝罪を始めましょう!と顔を上げた瞬間
「アレクサンドルが後継になったとて、そなたが王女としての役割を放棄していい理由にはならぬ」
正論パンチが飛んできた。おっしゃるとおりです。用意していた言い訳がすべて頭から消え去っていく。
やだなぁ…絶対ここからお説教コースだ…と世を儚んだ、そのとき。
「おそれながら、女王陛下」
美しい微笑みをたたえ、けれども少し申し訳なさそうに眉を下げたアンリが口を開いた。
母上が目線をアンリに移す。話を続けていいという合図だ。
「王女殿下は、わたくしを庇っておいでなのです」
驚いてアンリを見るが、母上を真っ直ぐに見上げている。その横顔から、黙っておいで、という声が聞こえた気がした。
「王女殿下が体調不良とお伝えしたのは、偽りでございました。いえ、完全に偽りではないのですが…。実は、わたくしの不注意で殿下にお怪我をさせてしまったのです」
「………!アンリ!?」
「勢い余っての事故ではございましたが、医師を呼ぶ事態に相成りました。このことをそのまま陛下にお伝えすれば、わたくしが責を負うことになるだろうと殿下は心を痛め、体調不良だと御自ら表明なさることでわたくしを守ってくださったのです」
なんだかすごい美談になっている気がする。
「このように真実を語ることも王女殿下には止められていたのですが、どうにもいたたまれなくなってしまいました…。心からお詫び申し上げます。どうか、お叱りはわたくしに…」
深々と最上級の礼を執った姿勢のまま、私に向かってこっそりと、しかしおそらく母上に聞こえるように「王女殿下、命に背き申し訳ございません」と申し訳なさそうに言ってきた。
………こんなに話す子だったっけ、アンリ。
こんなにも弁が立つなんて。
驚いたのと同時に、アンリのこんな一面を覚えていなかった自分の記憶力に悲しくなる。
はぁという吐息が聞こえた。
「…して、その怪我とやらはいかほどなのだ?」
「あ、えっと、先程まで痛んでおりましたが、もう大丈夫です!」
再び、母上がため息をもらす。
「あっ!でも!それもアンリのおかげで!医師が来るまで冷やしてくれたり、声をかけ続けてくれたおかげで、無事だったんです!」
そうなのだ。目覚めた瞬間にアンリとおでこをぶつけて、この世界は一体…と思考を巡らすことに忙しくしている間、動かないでと甲斐甲斐しく応急手当をしてくれていたのである。
「そう…!だからアンリを責めないでください!」
ため息がふたつ聞こえてきた。どうやら、母上と兄上がほぼ同時についたらしい。
「わかった、もうよい。そなたの怪我が大事に至っていないのであれば、アンリは不問としよう」
「………!ありがとうございますっ!!」
アンリの隣で、私も最上級の礼を執る。
ふたりとも下がって休みなさいと告げられ、その場を辞した。
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この場に足を踏み入れたときには今にもこぼれそうなほどに目に涙をためていた妹が、ようやく安堵したのか輝くような笑顔と軽やかな足どりで謁見の間から出ていく。
「あの子にはどうしても甘くなってしまうな」
こめかみに手を添えて、目を閉じる母上。
我が母ながら、その仕草すらも美しくあらせられる。
「心中お察しいたします」
苦笑しながらも、自分も兄としてどうしても妹には甘くなってしまうので、理解を示し同意する。
あの宝石のような瞳を持つあどけない顔で見上げられると、どうにも弱いのだ。母上もきっとそうなのだろう。
「本日のアンリ節もまた見事なものでしたね」
素晴らしく出来の良い芝居を見させてもらった。母上も同じ心持ちだろう。
アンリはすべてを計算の上でやってのけたのだろうが、アンナのあの驚き方は素だった。
自分の言動によってアンナがどう反応するのか、そしてそのアンナを見て、女王陛下がなんと答えるのか…先の先まで読んだ上での振る舞いだった。
事故とはいえ王女に怪我をさせたとなると、一歩間違えば王族に害をなしたものとして高い代償を払うことになるというものを…。
アンリは幼少の頃より家族同然に暮らしてはいるが、そのこと自体に未だ否を唱える臣下も少なくない。弟のように思っているが、時と場合によっては庇いきれなくなる。
ただでさえ薄氷を踏んでいるような出生だというのに、妹の笑顔が翳るやいなや自らその薄氷を躊躇いなく踏みしめて進んでいく。そうして幾度となくお転婆な妹の失敗をなかったことにしてしまい、彼女を笑顔にしてきたのを近くで見てきた。
面白い男とも思えるが、危うい男だとも思う。
しかしこういう男であれば、あのいたいけな妹を任せられるのではないかという考えが頭をよぎったところで、いやまだ早いと己の思考を追い出した。
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アンナに熱い視線を向けるオレグ宰相に、内心怒りがこみ上げた。
アンナに向かってあんなにもあからさまに会いたかったなどと宣うとは。
不躾に、無遠慮に、僕のアンナをそんなふうに見るな…!
そう言ってしまいたい衝動に駆られる。
………本当は、“僕の”でもないのだけれど。
自分の心が呟いた過ちに気がついて、自嘲する。
アンナへの好意を隠さずにいられる立場を、羨ましく思わないではいられなかった。くやしいが、オレグ宰相はこの国のなかでも最有力といっていい格式高い家柄だ。
諸外国の王族のみならず、国内の諸侯たちも彼女の未来の夫の座につけないかと虎視眈々と狙っている。
アンナの鈍感さはかわいいところではあるけれど、自分の美しさに無自覚で無頓着なのは、そろそろ問題かもしれない。
女王陛下も王太子殿下も麗しく、美しい御一家。それゆえ、自分のことを普通で標準的な人間だと信じて疑っていないのだ。
純粋すぎるというのも、考えものである。
王室御一家はあたたかく、僕を家族同然に扱ってくれた上に、王太子殿下と同じような教育や剣技まで与えてくださった。
けれど傍目からは、やはり僕は他国から来た捕虜にすぎない。「いつ反旗を翻すかもしれない者をこんなにお側近くに置いて教育まで施すなど、あってはなりません」と進言してくる派閥は多く、そのたびにそれを退けてくださっている御一家には頭が上がらない。これほどの僥倖があろうか。
そう。今でも充分、幸せなのだ。
だから、これ以上求めてはいけない。
アンナが他国に嫁いでしまうのか、他国の王族を婿にとるのかはまだわからないけれど。
アンナへの想いはすべて圧し殺し、アンナが幸せになるまでは絶対に誰にも悟られてはならない。
そしていつか来るその日まで、アンナの笑顔はすべて僕が守るんだ。
そんな想いを抱きながら、アンナが必要以上に叱られないよう、場の流れを読んで進言した。おそらく女王陛下も王太子殿下もお気づきだろうが、表立って咎められたことはない。王太子殿下に一度「そなたは年々芝居が上手くなっていくな」とからかわれたくらいだ。
王族としての役割を果たすべく、重責を担う。おふたりはその重さを知るがゆえ、純粋無垢なアンナにはその重荷を最低限なものにしようとしている様子が垣間見える。
人に執着しないよう育てられた王族が、アンナの笑顔にだけは執着している。
だが、それでいいと思う。
それくらいの安らぎが赦されたっていいではないか。




