第五話「王族の私生活 Ⅰ」〜再構築計画〜
※アンナ視点に戻りますが、後半はアンリ視点です
※時系列は第三話の後です
約束通り、アンリは仲良く一緒に怒られてくれるようだ。着替えのための侍女たちを呼ぶと、あとで迎えに来るねとにこやかに去っていった。
薄桃色のシルクを着付けられ、身支度を整えてもらいながら、鏡を見た。
おそらくだが、このときのわたしは、17歳くらいだろうか?
侍女たちの手によって複雑に編み下ろされていく髪の毛の艶と、鏡に映った肌のハリを見て、おおよその検討をつける。
ついさっきまで37歳だったというのに。自分のなかで巻き起こっている時差にめまいがしそうだ。
けれど、これはチャンスかもしれない。
もしわたしがまだ17歳なら、これから起こる不幸な出来事を避けられるかもしれない。
ーー少なくとも、アンリをあのような形で喪うことはなくなるかもしれない。
歴史が変わるかもしれないとかそんなことよりも、私には、私の大切な人の幸せが重要なのだ。
ああ、つくづく私は王族に向いていない。こんな自分勝手な私は、神様から赦されないかもしれない。
それでもいい。アンリに赦してもらえるのなら。
見計らったかのように部屋まで迎えに来てくれたアンリは、身なりを整えた私を見て、はにかんだように「わぁ、今日もアンナは最高に綺麗だね」とヘーゼルの瞳を細めた。
その表情はまだあどけないが、大人顔負けの完璧な作法でエスコートしてくれる。彼の隣に並ぶと、このときの私がすでに背を越されてしまっていたことに気がついた。ほんの僅かな差だけれど。
「アンリ…大きくなったね…?」
心の声が出てしまった。
彼は少しだけきょとんと目を丸くしてから、へへっと笑い
「次の背くらべのときまで気がつかないかなって思ってたけど、油断したなぁ。気づかれちゃった」
もっと驚かせたかったんだけど、と言うわりにはうれしそうだ。
背くらべは、春分の日と秋分の日に大きな樹の下でしている、私たちふたりだけの恒例行事だ。幹が真っ直ぐだから背中を合わせやすく、目印のリボンも巻きやすい。
子ども時代によく「アンリって小さくてかわいいよね」とずいぶん長いことからかっていた自分がふとよみがえり、申し訳ない気持ちがこみ上げる。
いつだったかアンリのリボンが私のリボンを越えてからその差はぐんぐん開いていって、背伸びをしてもアンリのリボンを結んであげられなくなったときは少しさみしかったことも思い出す。
「結んであげたいからちょっとのあいだ抱きかかえて?」とお願いしたら、「僕以外にそんなこと言ったらダメだからね!」となぜかすごく怒られたことも。
あの後、結局どうしたんだっけ…。
私のなかに蔓る前世の記憶は、悲しい出来事ばかりをくっきりと刻みつけて、幸せな思い出をおぼろげにさせてしまっているようだ。
書き換えたい。この悲しみを。
同じ歴史を繰り返さないようにするためには、きっといろんな分岐があるはず。
それを見逃してはいけない。
アンリは、私が守ってみせるーー。
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なにやら隣で、百面相を繰り広げている。
かわいらしくて吹き出しそうになるけれど、14年間鍛え上げた顔面の筋肉を引き締め、耐えた。
オリーブグリーンの瞳が丸くなったり細くなったり、桃色の唇をとがらせてみたり真一文字に結んでみたり…唇ばかり見てはいけない。自制心を総動員して、己の目線を戒める。
アンナを目の前にすると、対外的に築き上げてきた仮面がどうしてもほころんでしまう。気をつけなくては。
まあ、じっと見つめたところで、どうせ気づかれはしないだろうけど。
アンナは、鈍感だ。それも、とてつもなく。ちょっと心配になるくらいに。
いや、そこもかわいいところなのだが。
はじめて出会ったときからずっと、僕があなたをお慕いしていることを、あなたは知らない。
アンナは自分に向けられる好意に、特に鈍い。
生まれながらに美しすぎたせいなのか、他者からの褒め言葉も好意も、彼らの挨拶や仕事のうちのひとつだとでも思っているのだろう。
そんな彼女だが、ひとたび公の場に出れば、王女としての品格と美しさに皆が釘付けになる。
賢く、社交もそつなくこなし、「お勉強きらぁ〜い」と言いながらもやるべきことはきちんとやるし、努力した分の結果は必ず出す。
美しく聡明、なのに鈍感で純粋な、僕の宝物。
けれどそんな鈍感な彼女が、今日に限ってなぜか僕の背の高さの変化に気がついた。しかも、ほんの僅差だというのに。
…頭をぶつけたせいだろうか?
変なことを口走っていたことも気にはなるが、寝言や寝ぼけグセがあるのは子どもの頃から変わらない。
そんなことよりも、アンナがこんな微細なことに気がつくのは初めてのことかもしれなくて、驚きを隠せない。
僕が自分の陰口を聞いてしまったときの心の機微には聡かったり、僕の体調が優れないときも彼女だけが必ず気づく。
鎧のように覆い隠して、周りに悟られないようにしているはずなのだが、本能のようなもので察知しているのかすぐさま駆け寄ってきて両手を握ってくるのだ。
しかしそういうこと以外では、人に対して執着がなく、疎い。
王族という存在は、人から執着はされるが、王族が人に執着することはない。
もしもひとたびそうしてしまえば、国が傾くこともある。
肉体はたしかに人ではあるが、心は人であってはならないのだ。
けれど僕は、アンナにだけは、人として幸せになってほしいと願ってしまう。
叶うのならば、そうさせるのは自分でありたいと焦がれてしまう。
純粋に輝く笑顔を、曇らせたくない。
些細な変化も、不穏の種も、見逃してはならない。
アンナのことを、もっとしっかりと見守らなくてはーー。




