第三話「再会」
私があとふたりは大の字になれるであろうベッドの真ん中に寝かされ、王族特務医師団の長が口を開いた。
「ふむ…多少腫れがありますが、外傷としてはそれ以上でもそれ以下でもないです」
そうでしょうよ。おでこがちょっと勢いよくごっつんこしただけだもの。珍しいことでもない。
「しかしながら、頭ということもありますし、なにより王女殿下の尊い御身…しばらくはご安静になされませ」
てきぱきと医療器具を片付けながら、私のお転婆っぷりにも釘を差してきた。つまりは、たいしたことはないが大人しくしていろということだ。
言うだけ言って、無駄のない動きで部屋を出ていく。仕事の出来る男め、相変わらずだ。
ーーそう、相変わらず。
どうやら私は、異世界転生ならぬ
前世に回帰転生してしまったようだ。
ーーそんなことある?
異世界転生というジャンルのフィクション作品が流行っていたのは知っていた。
WEB小説やら、漫画やら、アニメやら。わかりやすくもあるが、やたらと長いタイトルや副題をつけられていたような。
興味がないわけではなかったけれど、こちとら前世の記憶持ちである。
前世の感覚でいったら現代社会は異世界だし、現代の感覚でいったら前世の記憶もまた異世界だった。
不思議な話やファンタジーめいたものは自分の記憶だけでお腹いっぱいだったし、それを他から摂取するよりも仕事をしている方が生産的だったし、楽でもあった。
仕事に没頭して過去を思い出さない時間は、苦しみが紛れていいものだ。
しかし、こんなことならそういったジャンルの本も読んでおくべきだった。こういった場合の対処法や攻略法が載っていたかもしれない。まあ、こうなってしまっては攻略法はわからないけれど、わからないなりに今の状況を整理してみる。
まず、夢の可能性ーーないと思う。あんなにおでこが痛くなったのに、起きない夢なんて見たことがない。だからこれは夢ではないという可能性が高いと考えて、慎重に対処しなくては。
アンリや医者の様子を見るに、彼らの目には“私”の容姿はどうやら“37歳の日本人女性”ではなく、“前世の私”の姿で見えているようだ。前世の記憶での彼らの接し方と、今の彼らの接し方にはなんら変わりがない。
つまり…おそらく、という推測の域は出ないけれど、私は37歳の自分の体をどこかに置いたまま、意識だけ前世の世界に帰ってきてしまったということなのだろうと一旦仮定することにしよう。
けれどそれなら、日本人をやってる私の体はどうなっているのだろうか。この現象は一過性のもので睡眠を取ったら戻れたりするものなのだろうか、それともずっとこのまま…?
またあの前世のままに、同じ歴史を繰り返さねばならないのだろうか……
そんなひとりごとを頭の中でぐるぐると繰り広げていると、「ねぇ…」という声に引き戻された。
医師とともに彼も部屋を出ていったわけではなかったらしいことに、今更ながらに気がついた。
目線を窓とは反対側に動かし、私はあらためてまじまじと目の前の光景を見つめた。お気に入りのカーペットが敷かれ、私の使いやすい高さに合わせて作られたドレッサーやカウチ、手紙を書くためのデスクに美しい細工のキャンドルやオイルランプなど、質の良いもので揃えた調度品たちの真ん中で、彼は佇んでいた。ヘーゼルの瞳を潤ませながら。
真っ直ぐに見つめてくるものの、どういうわけかそれ以上口を開こうとしない。声を出したら怪我に障るとでも思っているのだろうか。それとも、怪我をさせてしまったと負い目を感じて言葉が出ないのだろうか。
ため息だと思われないようにゆっくりと息を吐いてから、出来得る限り平静を装って声をかける。
こうして声をかけるのは、現代の私にとって一体何年ぶりになるのだろうか。
「アンリ」
声をかけた瞬間、弾かれたようにこちらに大股で5歩ほど進み出て、こちらを覗き込んでくる。
「…っ!アンナ!ねぇ、大丈夫なの!?」
顔をこちらに向けた拍子に、黒髪がさらりといくつか頬にかかっている。あぁ、ヘーゼルの瞳がこぼれ落ちてしまいそうだ。
「大丈夫よ、アンリ。さっきはその…なんだか寝ぼけてたみたいで!アンリが運んでくれてる間に、ちゃんと目が覚めたみたい」
てへっと笑ってみせる。笑い返してくれない。
なぜだ。それどころか、眉根を寄せている。
「笑いごとじゃないよ…!思いっきりぶつけちゃったし、それに…アンナが急に変なこと言うから…!僕の石頭のせいでおかしくなっちゃったのかと思ったよ」
寄っていた眉が、話しているうちにハの字になっていく。今にも泣きそうな顔だ。
「医者が来てから、いつものアンナらしくなったから良かったけれど…」
あなたが運んでくれてる間に、自分がおかれてる状況をなんとなく察したのでねと心の中でひとりごつ。
ああでも、このままでは泣かせてしまう。なにか言わなくては。
「心配しないで?アンリ。本当に大丈夫なのよ!
そうねぇ…今から木登りだって出来そうなくらい!」
彼の目から涙がこぼれないように、つとめて明るく振る舞った。すると彼の涙はすぐさま引っ込んだ。思っていたのとは違う方向で。
「もうっ!またそんなこと言って!やっぱりアンナは反省してない!」
なぜ怒られてるのか。怒ったところで瞳の大きさがくりくりと強調されるだけで、全然怖くはないのだけれど。小動物みたいって言ったらさらに怒りそうなので、いったん黙って聞いておこう。
「木登りして、もう降りておいでよって言ったのに、調子に乗って落っこちたの忘れたの!?つい先月の話だよ!?」
あぁ〜~、そんなこともあったねぇ。懐かしいなぁ。
「アレクサンドル王太子殿下にもこっぴどく叱られたのに、ちっとも懲りてないんだね」
はぁ…としっかりめのため息とともにお小言を頂戴する。
しかし、なるほど。この頃に戻って来たのか、私は。
我が国での王位継承権の順位は、性別を問わず第一子が第一位となっている。母上が女王陛下として即位するときに、法を改正したとか。
そして兄上がまだ王太子ということは、まだ即位しておられないということ。つまり、母上はまだ生きておられるのか!懐かしい、一目会いたい。
「母上と兄上は今どちらに?」
逸る気持ちを抑えながら聞いてみると、アンリに2回目のため息をつかれてしまった。
そういうものは相手に見せつけるようにするものではないよ?と思いつつも黙って答えを待つ私の態度に、先程から続いていた彼のお説教への興味の薄さを悟ってくれたようで、問いに答えてくれた。
「女王陛下と王太子殿下は、ご予定通り謁見の間におられるはずだよ。オレグ宰相閣下が外遊から戻られてその報告も兼ねてるから、時間がかかってるんだと思う」
外遊は諸外国との外交を主な目的としているものの、他国の文化、経済、軍事力などの視察や研究も兼ねている重要な役割だ。重要なだけに、それに選ばれる者は限られている。
オレグ宰相は国内では歴代国王陛下の補佐役として、代々仕えてくれている優秀な一族の筆頭だ。賢王であれ愚王であれ、我が王家はこの一族には世話になっている。中でもオレグ宰相は極めて優秀であり、またその優秀さと比例して、己にも他者にも極めて厳しい人物なのである。
「………オレグ宰相が帰ってきてるのに、謁見すっぽかしちゃったのかぁ…」
あちゃぁ〜と、久しぶりにやらかしてしまった感覚にちゃんと凹む。やだなぁ。
「やだなぁ〜行きたくなぁ〜いって顔してるよ?」
プッと吹き出したアンリが、こちらを見て笑っている。あぁ、この笑顔でずっといてほしい。
「相変わらず、アンリには私の考えてることがお見通しなのね」
アンリの笑顔の懐かしさに、私もつられて笑う。
「そりゃそうだよ!アンナのことはなんだってわかる。ずっと一緒にいるんだから」
そうだったね。
いつもそう言って、本当にずっと一緒にいてくれていた。
あれ…なんだろう…
「え?え、アンナ、どうしたの?おでこがまだ痛む?」
涙が、止まらない。けれど困らせたくないから、慌てて首を横に振って
「……母上も、兄上も、宰相も、怒ってるかな?」
怒られたくなくて泣いているのだということにした。我ながら、いい誤魔化し方なのでは。
「大丈夫だよ、アンナ。安心して。僕がいるでしょ?」
誤魔化されてくれたようだ。穏やかな微笑みに、じんわりと胸があたたかくなっていく。
涙目で見上げると、さらににっこりと笑って
「楽しいときも一緒だけど、怒られるときも一緒だよ。ずっとそうしてきたじゃない!」
そう言って、両手で私の手を握ってくれる。
アンリが私を励ますときは、いつもこうだ。いつの頃からか、気がつけばなにかあるとすぐにそうしてくれていたけれど、最初にこうしてくれたのはいつだっただろうか。前世の記憶があるとはいっても、前世の自分が覚えていない部分まではわからない。
アンリはヘーゼルの瞳をいたずらっぽく輝かせながら「王女殿下は急な体調不良で謁見を欠席するって伝えてもらってるし、詳しい説明は僕がするから任せて!」と意気込んでいる。私より少し大きくなっている手が、さらに力強く握ってくれる。
そうだった。
いつもこうして、私を守ってくれようとしていた。
泣き虫で、素直で、でも芯が強くてやさしくて、笑顔がかわいくて、黙っていると美しい。
弟のようでもあり、幼なじみでもあり、親友でもある
ーー私のせいで亡くしてしまった、最愛の夫。
あなたは、幸せだった?




