第十八話「受容」
※アンリ視点
まるで壮大な夢か、物語を聞かされているかのようだった。けれど、たかだか夢の話だと一笑に付すことはできなかった。その根拠はアンナの様子を見て、という曖昧なものでしかないのだが。
冗談を言って笑わせたけれど、再び目を伏せ、シーツと一緒に自分の手を固く握りしめているアンナを見ていると、一刻も早く安心させてあげたいという思いに駆られる。
僕はそっと、アンナの手を自分の両手で包みこんだ。
「アンナ、話してくれてありがとう。悩みを打ち明けるのは勇気のいることだ。不安だっただろうに、がんばって話してくれてありがとう」
伏せていた目が、こちらを覗うように見上げてくる。緊張と不安で固まっていた彼女の手の硬直が、僕の手の中で少しずつほぐれていった。
「それにしても驚いたな。数百年後にはマンインデンシャなんてものが出来ていて、アンナがそれに乗っているなんて。ねぇ、そのマンインデンシャっていうのは、どうやって動くものなの?人がたくさん乗るのだから大きいんだろうね?」
「えっと…そうね。馬車二台分くらいの大きさの乗り物を十台くらい連ねたような形をしていて、馬じゃなくて電気っていうエネルギーで動くの」
また新しい単語が出てきた。
「デンキ……エネルギー……」
「うん。私は専門家じゃないから、仕組みを説明するのは難しいのだけれど」
うーんとか、どう言ったらとか、眉根を寄せて難しい顔をしている。
アンナは時折、もしもの話をするのが好きだった。
もしも自分が王女じゃなかったらとか、もしも民たちのように生活できたらとか。そうやって想像をめぐらすのが好きだった。
けれど、こんな誰も思いつかないような、現実に存在していない突飛なことまで想像するようなことは、今まで一度もなかった。
つまり、にわかには信じがたいことだが……
アンナは、真実を語っているのだろう。
「本当はね、隠しておくつもりだったの」
オリーブグリーンの瞳が不安気に揺れる。
「私がこうしてアンリに話すことで、もしかしたら何か変なことが起こるかもしれない。前世の頃の話もそうだけど、数百年後の私の生活のことも。電気とかも発明されるのは、今のこの時代から見たらもっとずっと先の未来のことだもの」
たしかにこの話を聞いた誰かが、これを実現させようとしたら…実現させてしまったら、この世界は大きく変わるだろう。
「でも、変えてしまいたいって気持ちもあるの。つらかった出来事を、少しでもどこか変えられないかなって。
……自分勝手よね。きっと元の通りに、同じようになぞって過ごさなくてはいけないのだろうけど」
包んでいる彼女の両手に、また力が入っていくのを感じる。
よほど、つらい思いをしたのだろう。
話を一通りしてくれたものの、すべてではないように感じられた。こればかりは勘だが。
まだ彼女の奥底に、どこか悲しげな苦しみが重く沈んでいるような気配がある。しかし今すべてを聞き出そうとしても、この扉を開くのは難しそうだ。
「アンナ。これは、アンナが選んでほしいんだけど」
はて、とこちらを向いた。
「変えてみようよ。ふたりで。この人生を」
オリーブグリーンの瞳が、真ん丸に見開かれた。
「今からデンキを発明して世界を大きく変えたりするのは、ちょっと大事になりすぎるけれど。もっと身近なことならどう?」
「身近なこと?」
「そう、身近な……たとえば、アンナが悲しくなってしまうようなことだけを変えてみるんだ」
「え……?」
「アンナが経験したことと同じことが起きるか、それともまったく別のことが起きるか、僕たちにはまだわからないよね」
「ええ、まだわからないことばかりだわ」
「そうだよね。そもそも未来に何が起こるのかわからないのはみんな一緒なんだ。未来のことがわからないからこそ、災害が起こるかもしれないと予測して、備える人もいれば備えない人もいる。
だから、アンナが何かこれから起こるかもしれないことに対して備えたとしても、それは誰かに咎められるようなことじゃないはずだよ。違う?」
「言われてみれば…そうかもしれないけど…」
「もちろん、アンナが経験した通りのことをそのまま変えないでいるのもいいと思う。
……ただ僕は、アンナがこうやって泣くようなことになるなら、すべてをかけてそれを阻止するつもりだよ」
そう。あなたが泣かなければ、それでいい。
そのためなら、どんなことだってしてみせよう。
アンナは、しばし虚空を見つめてから、なにかを決意したかのように僕の目を見た。
「それなら私、ひとつやりたいことがあるの」
「うん。なんでもいって?」
アンナは、大きく息を吸ってから、こう告げた。
「私、あなたを幸せにしたいの……!」
「うん。
………うん?」
これは。
結婚の申込みのように聞こえるのは、僕だけだろうか。
他に意味があるだろうか。ないように思う。
いや、まだわからない。アンナのことだ。「家族として」とか「友だちとして」というつもりかもしれない。
どういう意味で言っているのか、きちんと掘り下げなくては。
今度は僕が深呼吸をする番が来たようだった。




