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第十六話「芽生え」

※アンリ視点

 首元というか、肩口というべきか。

 ともかく自分の顔のすぐ横で、アンナがしゃくり上げる感覚がなくなったと思ったら、すぅーすぅーという息が漏れ聞こえてきた。


 まさか…、寝てる……?


 この状況で?立ったまま?

 いくら気心の知れた仲とはいえ、仮にも男性から抱きしめられているこの状態で?


 だいたいのことは計算通りに運ばせることのできる方だと自負していたが、ことアンナに関してはそうもいかない。

 アンナには昨日のように恥じらってもらって、異性としての意識をもっと高めさせてしまおうという算段だったのだが…。

 さすがアンナだ。予想の斜め上からとんでもないことをやってのけてくる。


 基本的にアンナは朝から元気だ。

「朝ってお腹がすくから目が覚めるのよね!」と(のたま)い朝昼晩とよく食べ、王女としての公務に勤しんだり、勉強の時間にはたまに抜け出してみたり、よく遊び、そしてよく眠る。

 心身ともに健康的で、お転婆な…いや、活発な女性だ。


 そんなアンナが、朝からひどい顔色をしていた。

 決して美しさが損なわれていたわけではないのだが、一緒に暮らしているからこそわかる、独特の違和感。

 いつもと違っていたのは顔色だけではなく、どこか悲壮感をまとった佇まいをしていたことが気にかかる。


 そしてあの泣き方。

 いくらなんでも、おかしい。何か大きな異変が、アンナの身に降りかかっているとしか考えられない。

 一体なにが、あなたをそんなに悩ませているのか。

 一体誰が、あなたをそんなに泣かせたのか。


 アンナが目を覚ましたら、なんとしてでも話を聞き出さねば。

 そんなことを考えつつ、自分にもたれかかっている体を上半身と左手で支えながら、慎重に腰を落とし、素早く右腕でアンナの両足をすくい上げて横抱きにする。昨日も思ったが、鍛えておいてよかった。




 食堂を出て、アンナの部屋の方へ足を向けたところで、女王陛下と王太子殿下がお出ましになられた。

 御二人とも、少しばかり驚かれたご様子だったが、僕に向けて礼は省略していいと手で合図を送られる。

 女王陛下にぽつりと「苦労をかける」と小声で囁かれた。目礼をし、アンナを抱えたまま静かにその場を立ち去った。

 数歩進んでから背後の方で「あの子はいくつになった」「17でございます」「……17の赤子とは珍しいものよ」という会話が聞こえた。御二人のなかでは、アンナが食事を待ってる間に寝てしまったのだとでも解釈されているのだろう。子どもの頃にもあったことなので、あえて誤解されたままでもいいだろう。ごめんね、アンナ。


 ぽろぽろと大泣きしたと思ったらそのまま寝てしまうなんて、たしかに赤ちゃんのようだ。

 けれどそれは、それだけ無防備になれるほどに僕のことを信頼してくれている証のようにも思えて、うれしさを感じてしまう。

 アンナを悩ませている問題の規模によっては御二人にもご報告せねばならないけれど。

 アンナが泣いた理由は、僕が最初に聞いておきたい。




 アンナの部屋にたどり着くと、ちょうど侍女たちが新しいシーツでベッドメイクの仕上げをしているところだった。

 アンナをゆっくりとベッドに降ろし、そっと布団をかける。

 目で呼び止めておいた侍女に、小声で尋ねた。

「昨夜から今朝にかけて、アンナに変わった様子はなかった?」

 すると、思いのほか詳細な答えが返ってきた。

「近衛の話によると、深夜に随分とうなされているようなお声が扉越しにも聞こえてきたそうです。

 その影響からか、本日は未明にお目覚めになられました。先程お取り替えした寝具からも、お辛かったご様子が見て取れました」

 仕事の出来る侍女だ。

「そうか…ありがとう。僕はここで少し様子を見ているから、アンナが目覚めたときのために水と軽めの食事を用意してきてくれる?」

 かしこまりました、と告げてから音もなく素早く部屋から出ていく。


 静かに寝息を立てているアンナの長いまつ毛を見つめる。そこから連なるように、頬に向かって涙の跡が残っているのを見て、胸が軋んだ。

 夜中にもこうしてひとりで泣いていたのかと思うと、無力な自分に苛立ちを覚える。

 アンナがひとりで泣くことがないように、夜も傍に居たい。

 ……夜も、と思い浮かべてから、あわてて余計な想像を頭から追い払った。

 この国では、男性は15歳になれば女性に結婚を申し込むことができる。

 春生まれのアンナと秋生まれの自分たちに合わせて、春分の日と秋分の日に背くらべをしてリボンを結ぶ。僕たちふたりだけの恒例行事だ。

 秋になれば、自分も15歳を迎える。

 そう…、もし自分にもその資格があるのなら、申し込むくらいは許されるだろうか。


 そんな荒唐無稽なことを考え始めてしまったところで、侍女が水と食事を運んできた。食事はどうやら、厨房がわざわざ気を利かせたのだろう。アンナの好きな果実、パン、シチューが並んでいる。

 シチューは冷めてしまったらまた新しいものを持ってくるのだろうが、アンナはそういう無駄を嫌がる。できれば目覚めてくれるといいのだけれど……と思っていたら、どうやらおいしい匂いに誘われて、意識がこちら側に戻ってきたようだ。

 瞼がゆっくりと開かれる。


「おはよう。食いしん坊さん?」

 ちょっとだけからかってみる。

 オリーブグリーンの瞳をぱちくりとさせてから、こちらを見つめてきた。

「あれ…?なんで?」

「さあ、なんででしょう?」

 いじわるかもしれないけれど、質問に質問で返してみる。

 しばらく垂れ目をぱちぱちとさせてから、自分の振る舞いを思い出したらしい。頬を染めて何やらブツブツとしゃべり出した。

「わぁ〜〜立ったまま寝るなんて!なんで満員電車で培った技が発揮されちゃったんだろう!?もうやだぁ〜!」

 マンイン……なんだって?

 呪文のような言葉を口走ったアンナが、いよいよ心配になる。


「アンナ?いったん落ち着いて。深呼吸しようか」

 呼びかけると素直に応じ、吸って、吐いて、と唇を一生懸命尖らせている。

 かわいらしい顔が、だんだんと落ち着きを取り戻してきたようだった。


「アンナ、まずは食事をしようか。侍女がアンナの好きなシチューを持ってきてくれたから、冷めないうちに食べよう?」

「え!やったぁ!食べる!」

 うんうん、かわいいね。

「うん、そうだね。そうしたら食事のあとに、少し話をしようか」

「話……?」

 きょとんとした顔をしてもダメだよ。


「うん。アンナが僕の顔を見て、あんなにわんわん泣いちゃった理由とか」

 恥ずかしそうな顔をしてもダメ。


「マンインなんたらっていうのが何なのかとかも、話を聞かせてほしいなって思ってるんだよね」

 逃してあげないから。






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