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第十四話「前世の世界で見る夢は Ⅶ」

※アンナ視点

 国境の村にて任務についた者たち全員の尋問を終えた。

 しかし、私の求めていた答えは、誰一人として口にしてはくれなかった。


 オレグ宰相の機嫌を取り油断を誘えば情報が漏れ出てくるのではと思ったが、伊達に国の中枢を担っていない。まったく綻びが出て来なかった。


 それはすなわち、アンリの潔白を証明できないという現実が、色濃くなってきているという証でもあった。


 国家への、王家への叛逆者は、等しく死罪である。

 その決を下したが最後、誰であろうと罪人と面会できなくなる。そう、たとえそれが王であっても、例外ではない。


 決を下す期日が来るまでに、なんとしてでもアンリに着せられた濡れ衣を晴らさなくては。

 そう自分を奮い立たせ、ひとりアンリの独房へ向かった。






 蝋燭の小さな灯火を頼りに、重く冷たい扉の前に立つ。広がる闇に対してあまりにも淡い光に心細くなるが、オイルランプはここでは禁止となっているのだから致し方ない。


 見張りの衛兵たちに、警備に問題のない程度に扉から距離を取るよう命じる。あまり褒められる行為ではないだろうが、私もアンリも自由なことなど何一つままならない身の上だ。

 ふたりの時間を少しばかり欲しても、神様はお目溢しくださるのではないだろうか。


 肩掛けを纏っていても肌寒さを感じる。

 コツリコツリと石の床を踏む音が、耳に冷たく響き渡った。

「………アンリ」


 石の床にそのまま座り、天窓からかすかにそそぐ月の光を見つめていたアンリに声をかけると、ゆっくりとこちらを向いた。


「………女王陛下に、ご挨拶申し上げます」

 いつもやさしく柔らかな声が、掠れている。

 どこか体を痛めているのか、これまで見てきた美しい作法ではなく、ぎこちない仕草で礼を執る。


「アンリ、そんな…、他の者がやるような挨拶はやめて」

 王配が、夫がするような挨拶ではない。少なくともふたりだけのときはしないようにと、ずっと伝えてきた。

 アンリもそれに応えてくれていたというのに、今そんな言葉遣いをしてほしくない。


「今の私は、国家への叛逆の疑いのある身です。貴方様のご温情を賜り、かろうじて称号を残していただいているだけにすぎません」


「まだ決は下していない!あなたは私の夫、私の王配よ…!」


「いけません……。女王陛下、情をお捨てになってください」


「何を、言っているの……?」

 アンリからの思わぬ言葉に、ひゅっと息を呑む。

 どうして、そんな諦めたような顔をしているの。


「おそらく、この計画はずっと前から……何年もかけて入念に準備されていたに違いありません。一番信頼していた私の近衛ですら、国境に向かったときにはすでに私に叛逆の意思があるとの疑念を持っていたようなので。叔父があの場にいたことも、おそらく偶然ではなく、何者かの手によって叔父たちがおびき寄せられたか…あるいは手を組んだ者がいたか…」


「私もその可能性を考えて、あなたの近衛や……あなたのことを良く思っていなかった者たちを調べているの。けれど……」


「何も出なかった。そうですね?」


「ええ……」


「まったく都合の良い頃合いにオレグ宰相が現れたことが、偶然ではないことを物語っているように思うのですが……よもや、これほどまでに追い込まれようとは。もう手も足も出ません」

 はは、と力なく笑うアンリは、しかしどこにも不機嫌さはなく、むしろ何かを悟っているかのような静かな面持ちだった。


 まるで、死を覚悟しているかのような。

 そんな覚悟、してほしくない。


「アンリ……お願い、諦めないで!私も諦めていないのだから!」


「女王陛下……」


「これは仕組まれたことなのだという証拠を見つけて、必ず助けるから…!!」

 力強く、言い切った。

 しかし、アンリは微笑んでかすかに首を横に振った。


「女王陛下……どうか私を、お見限りください。

 作られた証拠でも、ここまで数が揃えばそれが真実となります。今更覆すことはできないでしょう」


 なぜ、微笑んでいられるの。 


「私を庇い立てすればするほど、お立場が悪くなります。女王陛下としての威厳を守り、諸侯との繋がりを深め、その地位を盤石なものにしなければ。でなければ諸外国からの侵略を防ぎきることは難しくなります」


「いやよ!見限るなんて、絶対にできない!

 ……私に、あなたを殺させないで…っ」


 勝手に涙がこぼれていく。


「女王陛下……」


「女王陛下って呼ばないで!!」


「泣かないでください……」


「お願いだから…あなただけは、女王陛下って呼ばないで…!

 ただの、あなただけの、アンナでいさせて…!」


「………泣かないで。アンナ」


 懐かしい、昔のアンリだ。


「ははっ…涙でぐちゃぐちゃだよ?鼻水も出ちゃってる。かわいいお顔が台無しだ」


 アンリの、大好きな笑顔だ。

 その手をこちらに伸ばしかけて、途中で引き攣れたかのように止まった。

 やはり体を痛めているのか、そう尋ねようと口を開きかけたときだった。


「私は…、僕はね?アンナ。

 あなたのことを、お慕いしておりました。あなたは気づいていなかったけれど。ずっと昔、幼かったあの日に、出会ったときから」


 驚きで、一瞬涙が止まった。

 本当に……?


「オレグ宰相を恨んじゃいけないよ。彼はこの国と、アンナを思って行動しただけだ。国政に関する彼の手腕は見事なものなのだから、僕がいなくなった後はしっかり働いてくれるだろう」


「…っ、わかってるけど…!今は、政治の話なんてしないでよ…!」


「それから…、そうだなぁ。僕たちが会えるのは、もうこれっきりだ」


「……!どうして!?」


「これからアンナが決を下すまでの間、僕は拷問されると思う。叛逆罪の嫌疑に加え、余罪がないかどうかをね。そんなもの存在しないから、僕は何も話せない。…見るに耐えない姿になるだろうから、アンナは絶対に来ちゃだめだよ?約束して」


「いやよ!アンリ、そんなこと、言ったらやだ…!そうだわ、王命でそんなことさせないから!」


「アンナ、よく聞いて。

 アンナはこれから、叛逆罪を企てた元王配に見事に制裁を与え、より強く威厳のある君主として、この国を率いていくんだ」


「やだ…やだよぉ…」


 檻を掴んだ私の手を、アンリが片方の指先だけでそっと手を握ってくれる。

 もう片方の指は、反対側に曲がって腫れていた。

 手を握ってくれるまで、気づけなかった。気づかせてもらえなかった。


「だぁーいじょうぶ。アンナならできるよ。一緒にたくさんお勉強して、がんばってきたじゃない」


「私は…、アンリがいたから、がんばれたの。アンリがいなかったら、私なんてただの、平凡な、ひとりの女で…」

 感情がこみ上げて、しゃくり上げてしまう。

「私は…私なんかが、王族になんて生まれるべきじゃなかったんだわ……。神様が、どこかで誰かと取り違えられたのよ」


「アンナ。僕はね、アンナみたいな人が王になったことは、素晴らしいことだと思っているよ」


「どうして…?」


「アンナは、私利私欲に溺れない。民のために心を砕いて、心をいためて。寝る間も惜しんで、国のために働いてる」


「そんなの…、当たり前のことじゃない」


「そんなことないんだよ。少なくとも、今僕たちの国を侵略しようとしている君主たちは、そういう人間性を持ち合わせていない。人を傷つけてまで奪おうとするような国は、今すぐでなくてもいつか必ず滅ぶことになる」


 そうなのだろうか。


「アンナ。この先、今繰り広げられているいくつかの戦がどうなっていったとしても、誇りだけは見失わないで。

 不敬だと思わないでほしいんだけど、もしもこの国が滅んでしまったとしても、アンナのように心やさしい女王がいたことは、きっと語り継がれる。そして君主とはかくあるべきだと、後世の子どもたちがあなたを讃えるんだ」


「……国を滅ぼした愚王だと語り継がれるわ」


「戦の世ならば、そうかもしれない。

 けれど、平和な世になれば、アンナの国政は素晴らしいものだったということが、わかってもらえる日が来るよ。

 国を愛し、人々を愛し、戦の絶えない世にも関わらず、命を落とす人が減るよう心を砕いていた女王だと。そう言われる日が、必ず来る」


「ええ、そんな平和な世になったなら…そうね。

 夢物語のようだけど、いつかこの世から戦がなくなって、そんな話ができるくらいに世が平和になったなら…。

 ……そんな世界になるのなら、なんと呼ばれてもいい。歴史が私を愚王と語っても構わないわ」


「……アンナ。僕はあなたの、そういうところが誇らしく、愛おしいよ」


「アンリ…」


「さあ、そろそろ牢を出ないと。冷えるでしょう?体に良くないから」


「いやよ…!アンリ、お願いだから。一緒に、どうにか手立てを考えて…!」


「無理だよ、アンナ。ここまで巨大化したオレグ宰相の派閥には、太刀打ちできるものが何もない」


「有無を言わさず、王命で…」


「だーめ。孤立無援になってしまう」


「必ず証拠を…」


「ここまで調べて何も出ないんだ。綻びを見せるような人たちじゃないよ」


「でも…もしかしたら…!」


「アンナ」


 私を黙らせるかのように、真剣な眼差しでこちらを見つめてきた。


「アンナ。お願いがあるんだ。僕のこと、愛してるって言ってくれないかな。嘘でいいから」


「…!?」


「幼なじみとしてでも、弟としてでも、家族としてでも…なんでもいいんだ。アンナが言いやすいなら、どれでもいいから」


 そういえばさっき、慕ってくれていると言われたときに返事ができていなかった。


「僕は、出会ったときからずっと愛してる」


 早く想いに応えたいのに、声が出ない。


「あぁ…それ以上泣いたら、目が溶けちゃうよ?

 …ふふ。困ったなぁ。あなたはこんなに涙を流していても、かわいいんだから」


 いつもだったら、こんなにぐちゃぐちゃになる前に、あなたが涙を拭ってくれていたから。


「僕がわがまま言うなんて珍しいでしょ。もしかして初めてかも?なんてね、ははっ…」


 初めてだと思う。いつだってアンリは、わがままを聞いてくれる側だったのだから。


「………最期のお願いだ。アンナ。言って?」


 促されて、ようやくその言葉を、口にする。


「愛してるわ……心から……!

 ………っ、私も…!ずっと前から……!」 


 いつの頃からかわからないけど、夫として、心から愛してる。

 そう続けようとしゃくり上げた瞬間、


「…時間だ。アンナ、もう行って」


 突然、アンリに背中を向けられてしまう。

 どうして?愛してるって言ったのに。


「どうして…?」


「…うれしくて、泣いちゃったから」


 かすかに、声が震えている。


「この国に来たばかりの僕が、心細くて泣いたこと、覚えてる?

 アンナは僕を抱きしめてくれて、泣き虫アンリって笑ったんだ。

 くやしかったし情けなかったけれど…でも、ものすごく安心して、うれしかった。

 それ以来、将来絶対に泣かない男になって、アンナを守るって決めたんだよ」


 言われてみれば、アンリの泣き虫は子どもの頃だけだったかもしれない。


「そのとき自分で立てた誓いを、やぶってしまったところを見られたくないんだ。ごめんね、アンナ」

 

 後ろを向いたままのアンリが語る。

 出会った頃から今日まで、アンリの後ろ姿をあまり見たことがなかった。

 いつも目の前で笑顔を向けてくれていたか、隣でやさしく微笑んでいてくれたから。


 お願い、いつもみたいに、こっちを向いて。 

 震えながら、声を振り絞る。


「アンリ…お願い、こっちを向いて?

 まだ終わっていないの。私を見て?お願い…

 …っ、私、本当に…!あなたのこと…っ!」


 突如として、音が空気を裂いた。


「衛兵っ!!!女王陛下がめまいを起こされた!!今すぐお連れしろ!!」


 空気を裂いた音は、アンリの背中から放たれた声だった。こんなにも低く鋭い声は、初めて聞いた。

 すぐさま外に待機していた兵たちが、私をアンリから遠ざけていく。


 いやだ。涙でアンリの後ろ姿がにじんでいってしまう。


「アンリ!待って!!お願い…!アンリ!!」


 錯乱しておられる、早く医者を!と運び出される寸前で、兵たちの肩口から、アンリの頭が見えた。


 ーーその刹那、格子の合間から、ヘーゼルの瞳がこちらを向いた。視線が交わった。

 アンリが、にこっと笑った。

 満足そうな、輝くような笑顔だった。


 またたく間に、兵の肩で見えなくなってしまう。

 次いで、重く、固く、冷たい扉に阻まれてしまった。


 それが、私の愛する夫の、最期の記憶となった。






 アンリの処遇に決を下すまで、あと数日と迫ってきたある日。

 二つの報せが城のなかを飛び交った。


 一つ目の報せは、私の懐妊。

 二つ目の報せは、侵略者たちの猛攻が激しくなっていき、首都が火の海になりつつあるというものだった。


 私の国が、愛する人々が、燃え落ちていくーー。


 城を捨て、首都を捨てて、戦火をかき分け、逃げるようにと促される。

 女王陛下もお腹の中の御子も尊い御身、首都を捨ててでも生き延びねばなりませんと、国と共に死ぬことすら赦されぬ。


 尊い御身…?

 人は皆、尊い。王も乞食も、等しく人だ。

 生まれたときから今日まで、他者によって与えられた食べ物で生き延びる私は、乞食と何が違うのだろうか。

 王族として受けた教育にあるまじき考えが頭をめぐり、アンリならこの考えにどう答えるだろうと思いを馳せた。


 城から逃げることが決まったときに、牢にいる者たちを解放せよとの命を下した。

 牢から出て、どうにか生き延びてさえくれれば、いずれまた会うことも叶うはずだ。


 そのはずだった。


 王命を受けた兵に火の矢が当たり、それを執行する前に絶命したということを知ったのは、牢が全焼したとの報せを受け取ったのと同時だった。


 アンリのいる牢も、等しく燃え尽きたとの報せだった。






これにて回帰前の前世編、終了です!


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