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第九話「前世の世界で見る夢は Ⅱ」

※引き続き前世エピソード

※前半アンナ視点、後半アンリ視点


 翌日のアンリは、今まで通りのアンリだった。

 昨日の態度はもしかすると、アンリも兄上の死に動揺していただけだったのではないだろうか。兄上との別れが悲しかったから、固く冷たい声色になっただけで、私との結婚は実はそんなに嫌ではないのかもしれない。

 …都合よく解釈したくなる自分の思考に、嫌気が差す。

 

 きっと自分もつらいだろうに、アンリは私に対していつも以上にやさしくしてくれる。

 わずかでも眠れたのか、食欲はあるのか、細やかに私の体調を気遣ってくれる。

 兄上が戦で傷を負い、臥せってしまうようになってから、万が一のこともあろうから王になるための勉学に励めと言われていた。そのため兄上の様子を見ながら、連日連夜机に向かっていた。昨日兄上を看取ってから、その量を増やした。

 そんな私を見て、顔色が悪いと心配してくれたり、おやつを持ってきてくれたり、侍女に任せればいいようなことまで普段よりもさらに甲斐甲斐しく世話をやいてくれる。


 ありがたくもあるが、心苦しくもあった。

 アンリの自由と時間を、奪っている。

 それなのに、アンリがこんなにも自分を気にかけてくれることが、たまらなくうれしいのだ。


 また、扉がノックされる。どうぞと促すと、やはりアンリだった。

「女王陛下。そろそろお休みになりませんか?」


 もうそんな時間なのか。やらなくてはならないことが山積みで、気がつかなかった。

 王としてのいろはを学ぶことに加え、すぐに決裁せねばならないもののいくつかに決を下し、兄上の葬儀の段取り、自分の戴冠式、そしてーー私とアンリの結婚式のことも、考えなくてはならなかった。


「昨日の今日で、根を詰めすぎですよ?」

 眉尻を下げたヘーゼルの瞳が、私の顔をのぞき込んできた。

 そこで、はたと気がついた。


「アンリ。もしかして今日一日、ずっと敬語だった?ふたりだけのときも」

「そうですね。女王陛下におかれましては、大変集中されていらしたので、気づいていらっしゃらないなとは思っていましたが」

ふふ、とアンリが笑う。


 態度はいつもと変わらない。敬語だったことに私が気づかなかったほどに自然で、いつも通りだ。けれど…こんなにも近くにいてくれているのに、なぜだかアンリが遠く感じてしまう。

 彼がしきたり通りに礼儀作法を守っていることは、もちろんわかっている。

 王配といえども、君主には敬意を払わねばならない。

 そのようなことは、私が一番よくわかっている。わかってはいるけれど。

 突然なにか大切なものを取り上げられてしまったような、知らない場所へひとり放り出されてしまったような心持ちになる。


「アンリ。お願いがあるの」

「はい。なんなりと」

「女王陛下って呼ばないでほしいの」

 強い意思をもって、ヘーゼルの瞳に請う。


「………難しいことをおっしゃる」

「敬語もやめてほしいわ」

「それは…!絶対にできかねます…!」

「ならお願い。女王陛下と呼ぶのだけはやめて?……ふたりでいるときだけでいいから」

 学んだ交渉術が、さっそく役に立った。

 絶対に無理なお願いと天秤にかけて、聞き届けてほしいお願いに相手が頷くように促す。


「………わかりました。ふたりでいるときだけですよ?……アンナ」

 困り顔をしながらも、そう言って、微笑んでくれた。

 涙が出そうだ。

 いつもそう呼んでくれてた人に、好きな人に、名前を呼ばれることがこんなにも心震えるものだとは。


 私は、アンリが名前を呼んでくれるだけで、幸せだ。




 ーーーーーーーー




 ひとたび名前を呼んでしまったら、きっと僕は彼女を抱きしめてしまいたくなる。

 だから断ろうとしたけれど、アンナのあの目に見つめられて、断れるはずがなかった。

 いつも呼んでいた愛しい人の名前を口にすることが、こんなにも胸を締めつけるものになろうとは。


 努力すればするほど急速に疲弊していく彼女を、こんなにも身を削ってがんばらなくていいのだと丸め込んで、どこか遠くへ(さら)ってしまいたい。

 僕たちのことを誰も知らない遠い遠い異国へ逃げて、知らない土地で、ふたりで力を合わせて生きていこう。

 そう伝えてしまいたい衝動に駆られる。


 けれど、彼女は絶対にそうしないだろう。

 彼女はこの国を、民を愛している。


 あれはいつの日だったか。彼女の母君の御代に、建国記念の式典があった。

 そのときの光景を見た彼女は、目を輝かせていた。讃えられる王族の威光にではなく、民たちの笑顔にだ。


「ねえ見て!アンリ!みんな楽しそうに笑ってるわ!ほら見て、あんなに小さな子まで手を振って…!みんな、幸せそうな顔をしてる……」

 あまりにも眩しかった。

「ねえ、アンリ?王座を継ぐのは兄上だから、私にできることは少ないかもしれないけれど…。私も王族の一員として、なにかの役に立てたらなって思っているの。みんながこうして幸せに、ずっと笑顔でいられる世界をつくりつづけていきたいの」

 そう言って、笑っていた。

 手を振り返す彼女は、明るい陽射しを浴びて、さらに輝きを増していた。


 民の幸せを喜ぶ王女。立派な志を抱く彼女に、誇らしさをも感じた。

 そう…あのときは僕も、そうだねと言って笑い返したけれど。

 もしも時を戻せるならば、ひとつ聞きたいことがあるんだ。


 あなた自身の幸せは、どこにあるんだい?






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