track2-6. 夏鳥は弾丸を噛む -The Summer Bird Bites the Bullet-
そしてそのまま、別館の端にあるスタジオまで連れてこられて現在に至る。
帰宅部の夏野にとって、軽音楽部の部室はどこよりも遠い場所だ。
二室ある内の一つのスタジオに通された夏野は、鬼崎の指示通り中央のパイプ椅子に座らせられた。
楽器に囲まれたスタジオ独特の空気と香りが中学時代の記憶を想起させ、憂鬱がより深まっていく。
昨日の出来事だけでは、まだ当時のトラウマの払拭には至らないようだ。
しかし、憂鬱な理由はそれだけではない。
夏野はこちらを見下すように立つその上級生――鬼崎のことが本能的に苦手だと思った。
きちんと話したのは先程が初めてだが、上級生だからかそれとも彼特有のものなのか――自分の方が上の立場であるかのような絶対的で横柄な振舞いが、そのネガティブ意識を加速させる。
そして夏野の感情をまるで意に介さず、鬼崎はキーボードの後ろに置かれた革張りの椅子に腰を下ろした。
「ちなみに、僕のこと知ってる?」
「……勿論知ってますけど」
「ふぅん、サインいる?」
「いえ、結構です」
あっそ、と鬼崎の眉毛がひん曲がる。
そのリアクションを見て、夏野は正直に「面倒だな」と思った。
上手く機嫌を取ろうにも夏野は彼の曲をあまり知らないので、どうしようもない。
――そう、鬼崎達哉は既に名のあるミュージシャンだった。
2年程前に女性ボーカリストと『King & Queen』という音楽ユニットを組み、リーダー兼作詞・作曲者として世に出ている。
クラスメートたちの噂では高校入学前にレコード会社が主催するコンテストでの受賞歴があるらしく、弱冠高校生ながら多彩な楽曲を発表する鬼崎は、そのビジュアルも相まって一気に話題になった。
その金髪と長い睫毛に彩られた美しい顔は、正に異国のQueen=お妃様と言われても納得できてしまう程ずば抜けた存在感を演出している。
そして、夏野が鬼崎のことを苦手な理由の一つも彼の活動に起因していた。
あの文化祭の日、佑たちが演奏した曲の内の一つがKing & Queenの作品だったのだ。
勿論楽曲自体が悪いわけではないと頭では理解しつつも、あれ以来夏野はそれまで以上に鬼崎の作品から距離を置くようにしている。
ただ、当然ながらそんなことを鬼崎が知る由もなかった。
「まぁそんなことはいいんだけど、君、軽音楽部に入らない?」
「やめておきます」
「何で」
「色々と忙しいんで」
「帰宅部なのに?」
「部活以外の予定だってありますよ」
「君にそんな大した用事があるようには見えないけど」
畳み掛けるように不躾な問いを投げ付けられ、夏野はため息を吐く。
そもそも、質問したいのはこちらの方だ。
何故鬼崎がまったく接点のないはずの夏野のことを知っているのか――しかし、それを差し置いても夏野はあまり鬼崎と会話をしたくなかった。
口を閉ざした夏野を見て、鬼崎はふんと鼻を鳴らす。
「――ま、僕としても君自体に興味持ってるわけじゃないんだけど。ただ、君にはうちの部活に入ってもらわないと困るんだよね」
「……それ、どういう意味ですか?」
「今年の新入生でどうしても入部してほしい子がいてさ。そしたら彼、君のファンだって言うんだ」
――は?
不意に飛び出した想定外の単語に、夏野は目を丸くした。
鬼崎はいかにも面白くなさそうな顔で続ける。
「そのギタリスト、高校生とは思えない程上手いんだよ。だから彼に僕の作曲の手伝いをしてもらおうと思ってたのに、彼、君と同じバンドじゃないと軽音楽部に入らないって言い出して」
話の展開に付いていけず、夏野は言葉を発することができない。
鬼崎は何の話をしているのだろう。
音楽活動などしていない自分に何故ファンがいるのか――わけがわからない。
「だからさ、とりあえず夏野くんにはうちの部活に入部してもらいたいワケ。理解できた? 昨日の警察の話、学校サイドにされたくないでしょ?」
そう鬼崎が夏野に迫ったその時――夏野の背後でスタジオのドアが開く音がした。
鬼崎の視線がそちらに向いた瞬間、その表情がぱっと明るく変わる。
「あっ、見付けたよ。君の探してたボーカリスト」
夏野が振り返ると――そこにはギターを背負った明るい茶髪の青年が立っていた。
ドアの先に広がる世界から光が射し、短く切り揃えられた茶髪がそれを浴びて穏やかに輝く。
座ったまま彼を見上げる夏野に対して、こちらを見下ろすその目付きは随分と鋭かった。
とても『ファン』とは思えないその威圧感に、期せずして夏野と彼は睨み合う形となる。
「じゃ、僕帰るから。あとはよろしくね」
鬼崎が出て行くその間も夏野はぶすっとした表情で彼を見上げていたが、ドアが閉じたその瞬間、相手はそのきつめの眼差しをふっと緩めた。