track2-4. 夏鳥は弾丸を噛む -The Summer Bird Bites the Bullet-
次の日登校すると、クラスメートたちが夏野に祝福の言葉をかけてくる。
亜季が我がことのように喜んでおり、そこで初めて夏野も嬉しさを感じた。
今になって考えてみると、その頃から佑との会話は減っていったように思う。
同様にNORTHERN BRAVERとしての練習回数も減ったが、受験勉強のせいだと佑やバンドメンバーから言われ、そういうものだと信じて疑わなかった。
文化祭ライブまでの2ヶ月間、夏野はバンド練習のない日はカラオケで歌の練習をして過ごした。
そんな中、どうやら佑は他のバンドからもサポートを頼まれ、文化祭では掛け持ち出演をするらしい。
「もっとギター上手くなるためにはとにかく弾くしかねぇし、それがNORTHERN BRAVERのためにもなるからさ」
その言葉はあくまで佑のホームはNORTHERN BRAVERなのだということを証明しており、夏野は嬉しさと誇らしさを抱きながら、運命の日を待った。
そして迎えた文化祭ライブの日――その想いは儚く砕け散ることになる。
NORTHERN BRAVERはトップバッターだった。
いつものようにドラムが音頭を取り、楽器隊の演奏が始まった瞬間――ボーカルの夏野は耳を疑う。
彼らが演奏しているのは、バンドとして一度たりとも練習したことのない曲だった。
驚いて佑を見るが、彼は平然とギターを弾いている。
ベースもドラムも何事もないかのように演奏を続けていた。
明らかにこの場の異分子は夏野の方だとでも言うように。
――何で……!?
自分の置かれている状況が理解できないまま、それでも夏野は何とかしようと目を閉じる。
夏野の中には変わることなく海が広がっているが、彼の混乱を表すように水面がざわざわと波立っていた。
歌詞はわからない、メロディーは自信がない――それでも夏野に歌う以外の選択肢は残されていない。
必死の思いで歌いきっても、またなんとなくしかわからない曲が続けて演奏される。
ざぱりと荒れ始める海の中で、夏野はただ無心で歌い続けた。
――不意にパラパラと拍手が聞こえてはっと現実に戻ると、目の前の観客たちは苦笑いを浮かべている。
平常心を保てないまま視線を彷徨わせていると、最前列の呆然とした表情の亜季と目が合った。
「ボーカル、ドンマーイ!」
揶揄うような色をした観客の声が響いたあとどっと笑いが起きて、夏野は我に返る。
わけもわからず、ただメンバーたちの顔を見る勇気もなく、夏野は早足でステージを降りようとした。
そして佑の横を通り過ぎる瞬間――ぼそっと低い声がする。
「――ヘタクソ」
その言葉は楔のように心に突き刺さり、夏野は最後まで顔を上げることができなかった。
***
後日亜季から聞かされたのは、佑だけでなくベースもドラムも他のバンドと掛け持ちしていたという事実だった。
それぞれ掛け持ち先のバンドの演奏は上手くいったらしい。
「――あいつら、最悪。なっちゃんを陥れるためにわざとやったんだ……!」
普段は穏やかな亜季が怒りを露わにする姿を見ても、夏野の感情はぴくりとも動かなかった。
夏野の中にあったのは、喪失感――ただそれだけだ。
佑は仲の良い音楽友達で最高の相棒だと思っていた。
しかし、そう考えていたのは自分だけ――そんな残酷な事実を夏野はまざまざと公衆の面前で突き付けられたのだ。
それからも度々、その日の情景が夢に出てきては夏野を追い詰めた。
学校ではそんな素振りを見せぬよう振舞っていたが、あの時の冷たい空気と観客たちの視線を思い出すだけで寒気がして、進学先も近場の都立高校から今の高校に変えた。
すべてから逃げ出す自分が情けなくてたまらなかったが、それでも夏野にはそれ以外に自分を保つ術がなかった。
できるだけ自分を知る人が少ない環境に身を置いて、そして――二度と人前で歌うつもりはなかった。
たとえ世界とのつながりが途切れてしまったとしても、もうあんな思いはしたくなかった。
――しかし、目の前に立つ男は自分に「歌え」と言う。
「……何で」
ニワトリの覆面をかぶった夏野は、彼に問う。
「何で、俺のことをボーカリストだと思った?」
狭い視界の中で、彼の口角が小さく上がるのが見えた。
「――理屈はないよ。あなたが俺の演奏で歌ってくれたらいいなと思った、ただそれだけ」
ギターが鳴る。
それは夏野にとって、何かの始まりを告げる合図のようにも聴こえた。
「少なくとも俺は感謝してる――今日あなたとここで出逢えたことに」
遠くから、さざ波の音がする。
ギターがイントロを奏で始め、夏野は覚悟した。