track2-3. 夏鳥は弾丸を噛む -The Summer Bird Bites the Bullet-
想定外の誘いに夏野は目を丸くする。
「……何で?」
「え? だって――あなたがすごく歌いたいように見えるから」
歌いたいように見える?
夏野は心外だった。
俺は――こんなにも、歌いたくないのに。
「――はっ、無理無理」
心に立ち込めた黒い靄を振り切るように、夏野が乾いた笑いで否定する。
「いきなり歌えるわけないだろ」
「そう? そんな風には感じないけど」
夏野の心のざわめきになど当然気付くこともなく、目の前の彼は続けた。
「――あなた、歌うひとでしょ。なんとなく、わかる」
そして彼はギターを優しく爪弾き出す。
それはMr.Loudの代表曲で、夏野も大好きで、そして――かつてNORTHERN BRAVERで佑と演奏した曲でもあって。
「無料カラオケだとでも思って、ほら。俺、知ってる曲なら何でも弾けるよ」
夏野の中で、どくん、と音が鳴る。
それが胸の高鳴った音なのか、それとも恐怖に怯えた音なのか――夏野には判別がつかなかった。
しかし、その中で一つだけ確かなことがある。
――このギターを、もっと聴きたい。
それは夏野の純粋な願望だった。
かつてバンドを組んでいた時も、佑の演奏以外にそう感じたことはない。
しかし、夏野は目の前の彼がどれだけ弾けるのか、ただ興味があった。
意を決して夏野が口を開こうとした――その時
『――ヘタクソ』
ふと記憶の中の声が頭を過り、夏野は思わず硬直する。
直後、ギターの音が止まった。
はっとして目の前の彼を一瞥すると、彼も夏野の方に顔を向けたままでいる。
その視線にいたたまれなくなり、夏野は思わず首を横に振った。
「……こんな所で歌えないよ」
「――そういうの気にするひと?」
彼は自転車の荷台に載せたリュックを漁り出す。
「じゃあ、これかぶったら。顔が隠れていればいいでしょ」
そして差し出されたのはニワトリのかぶりものだった。
手に取ってみると、声が通りやすいようご丁寧に口元には穴が開いている。
つまり、覆面ボーカリストというわけだ。
彼は何者なのか、何故こんなものを持っているのか、そもそも夏野を『歌うひと』だと思ったのは何故なのか――訊きたいことは山程あったが、夏野が口を開く前に彼はまたギターを弾き始めていた。
一人逡巡する夏野を置き去りにして、彼はイントロを弾き終える。
「もしかして歌詞わからない? 歌詞カード、いる?」
歌詞は知っている――何十回も練習した、あれから1年半経った今でも鮮明に覚えている。
しかし、夏野は歌うことを躊躇していた。
黙ったままの夏野を見て、彼は首を傾げる。
「――ひとまず、ニワトリになったら」
お言葉に甘えて、夏野はニワトリの覆面をかぶった。
視界が大きく遮られたことで少し平静を取り戻すと共に、瞼の裏には過去の情景がよみがえる。
***
夏野は混乱していた。
コンテストの会場を出てから、佑は一言も口を利かない。
ベースとドラムのメンバーは空気の重さに耐えかねて、いつの間にか姿を消していた。
コンテストの結果、夏野たちのバンドは何の賞も獲ることができなかった。
緊張していたのか、いつもより佑のギターが上滑りしているように夏野には聴こえたが、それでも演奏が終わったあとはバンドの中にやりきったという充実感があった。
――それが、表彰式で一変した。
「……トモ、良かったな」
ぼそりと佑が呟き、夏野は慌てて顔を上げる。
「ボーカル部門最優秀賞なんて、すげーじゃん」
その声はとても祝福をするようなトーンではなく、夏野は何も答えることができなかった。
『バンドではなく、夏野だけがボーカルとして評価された』
その事実が佑との間に絶対的な溝を生んでいた。
夏野が言葉を探している内に、佑がははっと乾いた笑い声を上げる。
「それに比べて、俺は無冠だし……しょーもねぇわ」
佑の言葉を最後に会話が途切れた。
普段は心地良いはずの二人の空気感が、今は重くてたまらない。
夏野は必死に言葉を探しながら口を開いた。
「……いや、佑のギター良かったよ。おかしいのは審査員の方だって、だから――」
――気にすんなよ、そう続けようとしたその刹那、前を歩いていた佑が振り返る。
その顔は、夏野が見たことのない色をしていた。
沸き上がる感情を必死で抑え付けているような、少し歪んだ能面のようなその表情に夏野は息を呑む。
しかし――次の瞬間、佑はその口元を緩めてふっと小さく笑った。
「――だよな。あいつら耳腐ってるわ」
佑らしい強気の台詞を聞いて、夏野はほっと胸を撫で下ろす。
そして、佑との関係がぎくしゃくするくらいだったら、賞などいらなかったのにと思った。
だって――自分が世界とつながっていられるのは、佑のギターのお蔭なのだから。