track4-2. 秋の少女は英雄を待つ -The Autumn Girl's Waiting for the Hero-
それから、亜季はいつも夏野の傍らにいるようにした。
彼がバンド活動を始める以前、ずっとそうだったように。
「ねぇ、二人って付き合ってるの?」
「いつも一緒でラブラブじゃん」
二人の関係を揶揄するような声は「ただの幼馴染みだよ」と笑顔でかわす。
そんなことを気にする余裕など、亜季にはなかった。
亜季にとって一番大切なのは、夏野がまた歌い始めること――それだけなのだから。
今の高校への進学を勧めたのも亜季だ。
佑たちから離れられるし、なにより鬼崎達哉という現役高校生ミュージシャンが通う高校だ。
もしかしたら、また夏野が音楽を始めるきっかけになるかも知れない。
しかし、亜季がどれだけ手を尽くしても夏野が歌うことはなかった。
たまにカラオケに誘っても、何かと理由をつけ来ようとしない。
もしかしたら、と中学に上がる時に辞めたピアノを久々に弾いてみても、練習不足の音が虚しく響くだけだ。
あの日、亜季の心を彩った歌声が返ってくることはなかった。
それでも、亜季は粘り強く待ち続けた。
夏野の歌を取り戻すことは、自分の心を取り戻すことにも似ていた。
そして、時が過ぎること1年半――そんな幼馴染みの様子が変わったのは、ほんの1ヶ月程前のこと。
あの高校生ミュージシャン鬼崎がいきなり夏野を訪ねてきたのだ。
いつの間に彼とつながりができたのか――亜季のまったく知らないところで、夏野に変化が起きている。
その日から少しずつ、何かが動き出した。
それまではクラスメートを交えて放課後遊ぶこともあったが、あれ以来終業のチャイムが鳴ると夏野はそそくさと教室を出ていくようになった。
多くは語らないが――なんだか、楽しそうに。
何が起こっているかはわからないが、確実に良い方向に向かっている。
それは、亜季にとって非常に重要なことだった。
チャイムが鳴り、ふと現実に引き戻される。
今日はこの後のHRが終われば、帰るだけだ。
亜季は2列程離れた席に座る夏野に視線を送る。
机に肘を付いた夏野は何やら考え事をしているようだが、その表情は決して暗くない。
――ここしかない、そう亜季は思った。
「ねぇ、なっちゃん」
HRが終わってすぐに、亜季は夏野の机へと近付く。
顔を上げた幼馴染みに、亜季は優しく微笑みかけた。
「たまには一緒においしいもの食べに行こうよ」
***
「――えっ、なっちゃんバンド組むの!?」
亜季が思わず歓びの声を上げる。
目の前に座る夏野はチョコバナナクレープにかぶりつきながらこくりと頷いた。
彼は小さい頃から甘いものに目がなく、亜季がスイーツ店に誘うと満更でもなさそうについてくる。
今日の店は最近開拓した場所で、夏野と来るのは初めてだった。
「まだ俺入れて三人しかいないけど――ちょっと色々あって組むことになった」
「そうなんだ、他のメンバーは同級生?」
「いや、ギターが1年でドラムが3年。二人ともすごく楽器上手いんだけど、なんか変わってるっていうか……面白いんだよね」
夏野が表情を綻ばせる。
その笑顔にまた過去の彼の片鱗を見て、亜季はまだ顔も知らないその二人に深く感謝した。
「そう……良かったね」
思わず心からの言葉が洩れる。
亜季の台詞に夏野の動きが一瞬止まり、そして――ゆっくりと頷いた。
「うん――ありがとう、亜季」
「え?」
「その……亜季にはすごく、心配かけたから。まだ先は見えないけど――でも」
夏野が亜季の瞳を見据える。
その表情には、かつての彼の面影が宿っていた。
「――俺、もう一度歌うことにした」
その決意の声に思わず涙腺が緩みそうになる。
涙を見られまいと、亜季は「じゃあ今日はお祝いだね」と慌てて席を立った。
「私が飲み物ごちそうしてあげる」
「えっマジで? じゃあ俺、コーラ」
「なっちゃんいつもそれ。本当好きだね」
カウンターで注文の品を待ちながら瞼の熱を冷ます。
――ずっと待ち望んでいたその瞬間が、思いがけず舞い降りた。
夏野のコーラがしゅわしゅわと弾ける様を見ながら、亜季は込み上げる笑みを抑えることができない。
出来上がったドリンクを受け取り夏野の方を振り返ると、誰からか電話がかかってきたようだ。
コーラとアイスコーヒーを手に席に戻ると、夏野は短い電話を終えてため息を吐いた。
「誰から?」
「さっき話したギターの後輩から。ベーシスト探してるんだけどいないって。来月の学内公演、どうするかな」
「え? 来月ライブするの?」
亜季からコーラを「ありがとう」と受け取り、夏野が一口飲んだあとで続ける。
「今のままでもできなくはないけど……できればもう一人欲しいんだよなぁ」
夏野が中学の頃組んでいたバンドは4ピースだった。
テレビの歌番組を見ても亜季にはギターとベースの違いがいまいちわからないが、以前夏野から熱くベースの必要性を語られたことがある。
曰く、ベースは弦楽器でありながらリズム楽器であり、存在があるとなしとでは大違いだと。
悩む夏野を見ながら、亜季は自分の中でちくちくと何かが疼くのを感じていた。
彼がようやく歌うことを決意したというのに、それをメンバーが見付からないという理由で反故にさせたくない。
――もう一度、夏野の歌を聴きたい。
そして、たくさんの人にその歌声を聴いてほしい。
「――ねぇ、なっちゃん」
亜季の声に、夏野が顔を上げた。
「私に手伝えることあるかな。ベースが弾けそうな人を探せばいい?」
勿論そんな当てなどまったくない。
それでも亜季は夏野の力になりたかった。
夏野は考え込む仕種をしていたが、ふと何か思い付いたかのように「あ」と声を上げる。
「亜季、今やってる部活って何曜だっけ?」
「え? バレーは火曜と木曜だけど……それがどうかした?」
亜季は友人の佳奈に誘われ、バレー部に所属していた。
とはいえガチガチの体育会系ではなく、『とにかく楽しく』がモットーのゆるい部活だ。
亜季の返答に夏野は暫し黙り込んだ後――姿勢を正して座り直す。
彼は真剣な面持ちでこちらを見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「――亜季、お願いがあるんだけど」




