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未完成のドレス

作者: Trolaien

杉林、畑で揺れる稲、朽ちかけた木製の電柱を止り木に鳴いているカラス。

この片田舎の一画は、くたびれてしまった心を癒すのには十分な療養所に思える。

灰色の密林に比べるとなんと心地の良い場所なのだろうか。

そう思いながら縁側でくつろいでると、玄関で誰かがドアを叩く音が耳を刺した。

「今行きます!」

扉を開けると汗まみれの冴えない顔をした男が立っていた。

指紋で汚れ、目が小さくなるほど度の強いメガネ。ぼさついた髪。確か彼は村の役場で働いている田宮という男だったはず。ここに越してくる時に窓口で手続きをしてくれた。その時に少し雑談をしたことがある。

「田宮さんですよね。どうされましたか?」

「お願いです。ウエディングドレスを作ってください。もう時間がないんです!」

「えっと、ウェディングドレスってどういうことですか。」

「穂波はもう1ヶ月も持たないかもしれないんです。だから、その前に結婚式を挙げたいんです。彼女にドレスを着せてあげたいんです!」

話を聞けば、病で寿命が幾許も無い花嫁にドレスを着せてあげたいということらしい。

「でも、ドレスなら注文すればいいじゃないですか。ネットでレンタルだってできる時代ですし。そもそも、私はドレスなんて仕立てられませんよ。」

「谷崎さんって、この村に来る前はデザイナーをしてたんですよね?モデルさんの服も作ってたって。」

「デザイナーをやってたのは昔の話ですよ。今の私にはドレスなんてとても。」

「それに僕にはドレスを借りられるようなお金はないんです。前は穂波の病気を治すために大きな病院で治療してたんです。でも治療費が払えなくなって。それで最期は少しでも空気が綺麗な場所にと思ってここに引っ越してきたんです。」

田宮は必死だった。作れないと何度言っても、彼は作って欲しいの一点張りで、とても断れるような雰囲気ではなかった。

「ああ!わかりました!ドレスを仕立てます。でも、材料も限られていますし、私の力量でどれほどのものを作れるかわかりません。」

「それと…」

「ありがとうございます!穂波に伝えてきます!ありがとうござます!」

私の言葉を遮って彼は行ってしまった。

勢いに乗せられ頼みを引き受けてしまった。少し後悔しながらも、押し入れの中の段ボールを漁ることにした。


ーーー

9月12日

「はい、採寸が終わりました。横になっても大丈夫ですよ。」

「あの人が谷崎さんにこんなことをお願いしただなんて、知りませんでした。ゴホッゴホッ、ご迷惑をおかけして本当にすみません。」

「いいんですよ。それに元気そうでよかったです。田宮さんが看病してくれているおかげですね。」

「ええ。病気になってからは、彼に苦労をかけてしまって。いつもつきっきりで、きっと疲れているはずです。」

「疲れてなんかないって!そんなの気にしなくていいよ!」

「ねぇ誠。お隣の農家の島津さんが体にいい山菜を取っておいてくださってるの。それを貰ってきてくれないかしら?その山菜をスープにして飲みましょう。」

「わかった!すぐに貰ってくるよ!」

「そんな急がなくても、全くあの人ったら。」

「谷崎さん。ドレスの話の続きをしましょう、ゴホゴホッ。」

「はい。家からカタログを持ってきたんです。お気に入りのデザインがあれば教えてくださいね。」

「どれも華やかで綺麗ですね。」穂波さんは細い指でカタログを熱心にめくっていた。

「これ、全部谷崎さんのデザインですか?」

「まさか。世界中の著名なデザイナーの作品です。お気に入りのものがあれば、似たものをお作りしますよ。」

「でも、私、谷崎さんのデザインが見てみたいんです。だめでしょうか?」

「すみませんが、穂波さん。田宮さんから聞いてないかもしれませんが、私は昔デザイナーのアシスタントをしてただけです。お見せできるようなデザインはできません。」

「でも、採寸してくださった時に見えましたよ。親指と人差し指の間の大きなタコ。あれって大きな仕立てバサミじゃないとできませんよね?」

「よく気づきましたね、穂波さん。もともと、私はこのカタログに作品を載せられるようなデザイナーになりたかったんです。でも、結局はやめてしまいました。」

「谷崎さんはセンスが良さそうなのに。」

「デザイナーはセンスだけではダメなんです。」

「ここに越してくる前に所属していた事務所の師匠に『お前のデザインでは誰も感動できない。』って言われちゃったんです。命の無駄だからデザイナーは諦めろって。私の命ではありません。お客様の命を無駄にしてしまうって。」

「その人は意地悪ですね、ゴホッ。毒舌すぎるというか。」

「でも、師匠のことは尊敬していたんです。師匠のデザインは海外でも評価されていました。だからこそ絶望したんです。私はデザイナーになれないって。でも、少しでもデザインに触れられるならと思ってアシスタントを続けていたんですが、少し疲れてしまってここに逃げてきたんです。」

「悔しくないんですか?谷崎さんは。」

「もう終わったことですから…」

彼女の質問は自分自身に何度もしてきた。悔しいに決まっている。この指のタコが消えていないのは今でもハサミを持っているからだ。カタログを捨てずにしまっておいたのもまだ諦めがついていないからだ。この手がなければ諦め切れる。そう思ったこともあった。

「やってみませんか?ゴホゴホッ。」彼女は自身の右手を見つめて黙る私にそう言った。

「谷崎さん、ゴホッ。私の命はもう無駄になっても構いません。だから、ゴホッ、ドレスを作ってみませんか?」

「穂波さん。オーダーメイドのドレスは既存のデザインで作るよりも時間がかかります。それに、途中でうまくいかなかったら間に合うかどうか…」

「いいんです。わがままを言ってごめんなさい。私の最期のお願いだと思って聞いてもらえませんか。」

「…わかりました。穂波さんだけのウエディングドレスを仕立てましょう。」

「その、師匠の言葉なんか忘れてください、ゴホッゴホッ。」

「お二人ことをもっと知りたいので、明日、いや、近日中にまたお話しできますか?」

「急がなくてもいいですよ。ゴホッゴホッ。いつでも会いにきてください。」

帰り道、近所の商店で方眼用紙を大量に買い込んだ。家に帰るや否や急いで部屋を片付けて、デザインを起こす準備をした。物置からは尊敬するデザイナーの名前をつけたマネキンを取り出し、何度も彼女に型紙を押し付けた。

「ココ、このデザインいけると思わないか?生地はどうしたい?シルクかシフォン、オーガンザもありかな。今回こそは君を完成させてみせる。」

「あとは…センス、インスピレーションを…」


ーーー

9月15日

「社員旅行で古座間味ビーチに行ったんです。とても綺麗な人がいてその人ばかり見てたら仲間にナンパしてこいってからかわれて。」

沖縄の海は見たことがない。どんな場所なのだろうか。

確か、事務所時代の同僚に沖縄出身の奴がいたはず。そいつに聞いてみよう。

「もしもし、大村?お前って沖縄出身だったよな。ビーチの写真とか動画ってあるか?いや、デザインの参考にしたいと思ってな。」


ーーー

9月17日

「ゴホッゴホッ、海を見ていたら突然後ろから大きい声で『すみませんっ!』て。突然謝られたと思ってびっくりしました。それで、突然連絡先を聞かれてゴホッゴホッ。面白いですよね。変わった人だと思ったんですけど、話してみると素敵な人で。旅行から帰ってから彼に誘われて、ゴホッ、彼の実家の庭を見に行ったんです。小さな庭に綺麗なコスモスがいっぱい咲いていてゴホッゴホッ。彼が手塩にかけて育てたんですって、ゴホッ。あんな綺麗なコスモスを見たのは初めてでした、ゴホッゴホッ。」


「突然すみません島津さん。農園にあるコスモスを少し採らせていただけませんか?」

「ありゃ、家内の園芸用じゃなくて出荷用なんだよ。それをやるってわけにはねぇ。一体何に使うんだい?」

「穂波さんはご存知ですよね?彼女は田宮さんと結婚式を挙げるんです。でも、容態があまり芳しくなくて。小さな式場とはいえ会場を少しでも、出来る限り綺麗に飾ってあげたいんです。」

「ああ、穂波ちゃんね。こないだ見かけたけどもうあの子は...まぁ言いたいことはわかったよ。何本かなら持って行っていいよ。」

「ありがとうございます!大切に使わせていただきます!」


ーーー

9月19日

「穂波からコスモスのことを聞いたんですか?なら、切り絵のことも聞きましたよね。あの庭で一緒に切り絵をしてお花を作ったんです。女々しい趣味ですが穂波は素敵だと言ってくれたんです。穂波、僕より切り絵が上手で。今はできませんが、入院してた時は一緒に切り絵をして過ごしました。」


沖縄のビーチの動画を見ながら家で図面を描いているとインターホンが鳴った。

「あら、あなたが谷崎さん?」農家の島津さんの奥さんだった。

「あなた、穂波ちゃんにドレス仕立ててるんでしょ?見てこのレース。私も若い頃は手芸をやってて使えそうな生地がないか探してたらでてきたのよ。」

「わざわざありがとうございます。大事に使わせてもらいます。」

「…あの、島津さんって切り絵できたりしますか?」


ーーー

9月21日

「ゴホゴホ、誠は治療費を捻出するために実家を売ったんです。ご両親はもう住んでないからと言って。ゲホッゲホッ。小さな庭は…どうなっているんでしょうか… ゴホッ、本当なら今頃コスモスが…ゴホッゴホッ、咲いている頃だと思うんですけど…」

「あの頃は一緒に…ゴホッゴホッ…アナログゲームをやっていました…誠はすぐに顔に出ちゃうから...ゴホッ、全然勝てなくて…それでも…」

「あの人には…隣に優しい人がいないと…ゴホッゴホッ…これから先どんな人が…」


ーーー

9月23日

よし、胸元のコスモスの花飾りができた。それにしても島津さんの奥さんがあんなに切り絵が上手いとは。おかげでレースを切り絵風に裁断するアイデアが浮かんだ。

穂波さんは体が細いけどパフスリーブを入れたから大丈夫。吊るし染したオーバースカートは淡すぎただろうか。いや、沖縄の海っぽくていい感じだ。

きっと気に入ってもらえる。明日、すぐに試着してもらおう。


ーーー

9月24日

「ゆっくり、はい、腕を通してみてください。」

「…ありがとうございます…谷崎さん。」

ゆとりをもってファスナーをつけておいてよかった。サイズもぴったりだ。

「綺麗…ありがとうございます。このドレスを見てると、昔の思い出が…あの頃を思い出します…」

穂波さんは私につかまりながら、姿見の前でドレスを優しく、弱々しく撫でていた。

「とても気に入りました…谷崎さん。本当に、ありがとうございます。お疲れですよね…ご迷惑をおかけしました…」

「迷惑なんかじゃありませんよ。最後に、襟や細かいところを縫い付ければ、それで本当に完成です。明日になったら、このドレスを着て田宮さんと結婚するんです。」

「私…幸せです。でも、私はこれを…あの人の前で着たらダメなんです。」

「何を言っているんですか。穂波さん、このドレスはあなたと田宮さんの、最高の瞬間のために生まれてきたんです。みんなに祝福されて、これを着て穂波さんは花嫁になるんです。」

「会場には、バルーンアーチ、メインテーブルには豪華な食事があって、町中の人たちはなんて綺麗な花嫁なんだって見惚れて感動するはずです。」

「谷崎さん…私はドレスが完成するのを期待していなかったんです…完成しなければ、彼を傷つけずに…断らずに済むと思っていました。」

「何度も、彼に断ってきたんです…でも、これ以上は…彼に…誠に申し訳なくて…」

「綺麗な最後を、幸せな瞬間を迎えられるだなんて…でも、私は、自分のことばかり考えて。」

「谷崎さん。私たちのために、ここまでしてくれて…本当にありがとう。でも、ドレスは完成させないでほしいんです。結婚なんて…したらいけないんです。」

「穂波さん。大切な時を前に緊張する気持ちはわかります。でも、一時の不安で目の前のことを諦めたらいけません。」

「私は、切り絵、得意じゃないんです…ハサミを入れたら最後…もう後戻りできないんです。絵を完成させられないなら…責任を持てないならハサミを持ってはいけないんです…」

「そんなことありません!どんな絵だとしても田宮さんは喜んでくれます!ハサミを置いてしまっては絵が完成する日は、ドレスが完成する日は永遠にこないんです!」

「そうですね。でも、完成しなくても…未来はあります。未来があれば、彼はきっと…他の人に…出会うことができますから…」

「穂波さん。ここでやめてしまったら、田宮さんは一生後悔します。」

「ええ、彼はきっと悲しむと思います…でも、約束がなければ…いつか立ち直れる日が来ると思うんです。そうなってほしいんです…」

「もう、決めてしまったんですか?本当にそうするつもりなんですか?」

彼女は静かに頷いた。

「わかりました、穂波さん…」


ーーー

9月24日 深夜

「………….ココ、残念な知らせだ。穂波さんは最初から君が完成することを期待していなかったんだ。」

「君を気に入ってくれた。でも、望んでいなかった。また命を無駄にしてしまったのかな。」

「このまま、誰も知らない場所で完成させることは出来る。この部屋に置いておくことも出来る。」

「でも、それに意味はない。それなら…」

大きな仕立てバサミをココに添えた。

「ごめんね。今回もダメだったみたいだ。」

窓から射す夜は未完成のままのドレスを照らしていた。振り上げられたハサミはココの左肩から腰にかけてドレスごと切り裂かれた。

前身頃は大きく開き、足元に薄紫の花飾りが落ちた。

「また、何もつくれなかった。また命を無駄にしてしまった…」


ーーー

9月29日

インターホンが鳴った。扉を開けると、冴えない顔をした男が立っていた。

「谷崎さん。お知らせしたいことがあって来ました。」

私は、彼が何を伝えに来たかわかっていた。

「先日、穂波が息を引き取りました。昨日、葬式を執り行いました。」

知っていた。式を挙げる予定の日の前日、彼にドレスが完成しそうにないと伝えに行った。彼は怒りも悲しみもしなかった。ただ、分かりましたと頷いて立ち去って行った。

翌日、彼女は亡くなった。人伝に彼女の死は知っていた。葬式があったのも知っていた。知っていて参列しなかった。

「わざわざ私たちのために時間を割いていただいてありがとうございました。昨日いらっしゃらなかったのでお渡しできなかったのですが…穂波が切り絵に使っていたものです。」

そう言って、彼は小さなハサミを私に渡した。

「田宮さん、その、あまり気を落とさないでください。穂波さんは最後まであなたのことを思っていました。あなたがこれからも…」

彼は私の言葉を遮った。

「太陽が堕ちたら、夜に星がいくつあったとしても、明るくなることはありません。」

「谷崎さんにはとても感謝しています。ありがとうございました。」

彼を励まそうと思った。しかし、どんな言葉をかければよいのかわからなかった。

「僕は来月中にはこの村を出て行きます。穂波のために空気の綺麗なこの村にいただけですから。」

そう言って彼は去って行った。


『ハサミを入れたら最後…もう後戻りできないんです。』穂波さんの言葉を思い出した。

どうしてあのドレスを完成させなかったのだろうか。もしあの時、ドレスを切らずにいれば、彼は悲しまずにすんだのではないだろうか。彼はきっとこの先も悲しみ続けるだろう。私は穂波さんの命も、彼の命も無駄にしてしまった。

責任を持てないならハサミを最初から持たなければよかった。

指のタコは私に罪の証拠を刻みつけていた。


杉林、刈り取られた稲、朽ちかけた木製の電柱を止り木に鳴いているカラス。

この片田舎の一画は、くたびれてしまった心を癒してくれなどしないだろう。

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