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神の流刑地

黄昏に彷徨う

作者: 林伯林

「薄明に沈む」の続編です。

そちらを先にお読みください。

 とても悲しい事がありました。


 暫く鬱々として暮らしていましたが、ある日どうにもならない衝動に駆られて家を飛び出しました。


 今はとても静かな暗い森を歩いています。





 「随分様変わりしたものだな」


 途中から連れになった魔法使いが思わずといったふうに呟いた。


 そう言うのも無理はない。


 ほんの半年前までは、この森は魔物と魔獣しかいない森で、瘴気に満ちていたのだ。


 それが今は、清浄な空気に満たされ、魔物も魔獣も襲ってこない。


 今は、丁度そういった生き物の入れ替わり時期なのか、通常の森に見られる動物もいないのだが。


 ただ木々は青々として生物としての勢いを取り戻していた。


 小鳥もどこかで鳴いている。


 すぐに恵み豊かな森になるだろう。


 「結界なしで歩けるようになるとは」


 半年前、この森を光の結界に守られながら通り抜けた。


 数多の魔物と魔獣に襲われながら。


 それを思い出したのか、魔法使いは黙り込んだ。


 身体的にも精神的にも苦しい道程だった。


 何度も死を覚悟した。


 その度、光魔法を駆使する巫女に助けられた。


 その巫女が指し示す「精霊の日だまり」を一心に目指した。


 そうやって森をなんとか通り抜けた。


 今は、どこが精霊の日だまりだったのか、判然としない。


 所々、樹木の全く生えていない丸い空き地があり、そこがそうだったのだろうと思うくらいだ。雑草が青々と茂っている。


 森の彼方にそびえたつ山は、かつて災厄の竜が住んでいた。


 瘴気で常に真っ黒な姿だったが、今は頂上に白い雪を被せた茶色い山だ。嘗て豊かだったであろう植物は瘴気にさらされ続けて枯れ果てているようだったが、巫女の浄化魔法で綺麗に洗われたので時期復活するだろう。森のように。


 巫女の光魔法は旅の一行を結界で守るだけでなく、周辺を浄化してもいた。


 最初は力の加減が判らなかったらしく、有り余る魔力があふれ出しての結果だったが、精霊の日だまりを辿って真っ直ぐ進めなかった事が功を奏して、森の浄化は一気に進んだようだった。


 巫女は力を出し尽くしてしょっちゅう気を失っていた。


 それを苦々しい顔で見ていたのは魔法使いだ。


 魔力の無駄遣いはそれだけで戦力を落とす。一行の命に係わる事だったからだ。


 もっと効率よく魔法を使え、と何とか駆け込んだ精霊の日だまりに着くなり巫女を怒鳴っていた。


 言い分は判るが、今まで魔法のない世界で生きてきて、初めてここで魔法を使う人間にあまり無茶な事を要求してやるな、と剣士はその度宥めた。


 剣士の家は、かつて同じようにこの世界へ召喚された娘の直系にあたる。


 家に残る記録は幼いころから何度も読み、また親から聞かされてもいた。


 この世界の常識を押し付けるな、と。

 

 魔法使いはかつて魔物の群れに村を襲われ、家族も含めた村人全員を食い殺された過去を持つ。


 ただ一人生き残ったのは、その時、生命の危機を前にして魔法が発現して己の身を守ることが出来たからだった。


 それまでは己に魔法が使える事さえ知らずに過ごしていたという。


 後に神殿で検査を受け、ほぼすべての属性に適性を持ち、潤沢な魔力量を持つと知った時、魔法使いは泣き崩れたという。


 知っていれば、村は全滅せず済んだかもしれない。


 それからは塔の魔法使いに弟子入りし、己を一心に鍛えて当代一の魔法使いと呼ばれるまでになったが、惜しいことに光魔法だけは適性が弱かった。


 それ故、巫女が己の強大な光魔法を効率的に使えない事に歯噛みしていた。


 もっと効率的に、と何度も何度も巫女に怒鳴っているうち、巫女はごく微量の魔力で薄い結界を張る事が出来るようになっていた。


 驚いた事に、眠っていてもその結界を維持できるようだった。


 それを持って、一行は、一気に森を抜け、山へ分け入り、災厄の竜と対峙したのだった。




 黒い靄を巫女が払いのけ、やっと実体が現れた竜は、なんと白い鳥の形をしていた。


 歪に翼の折れ曲がった。


 それを剣士の聖剣が一刀両断した時、「やっと終わった」と魔法使いは思った。


 一瞬の間を縫って、鳥のくちばしから迸った「呪い」は、三本の真っ黒い槍になって、周辺を浄化し続けていた巫女を襲った。


 魔法使いは、それを見ていることしかできなかった。


 振り返った剣士は悲痛な声で巫女の名を呼んだ。


 槍は巫女の身体を三本とも貫き、後ろの岩壁へ縫い付けた。


 巫女は岩壁へ叩きつけられた衝撃にがくりと首を落とし、だがすぐに意識を取り戻したようだった。


 顔を上げた。


 その額が、頬が、見る見る血に染まって行った。


 頭部に傷を負ったのだろうと気が付いたが、どうする事も出来なかった。


 何故なら、真っ二つになった竜の身体は黒い粒子となって押し寄せ、巫女の周囲を覆って結界となり、一行をその場から押し出してしまったからだ。


 黒い結界は瘴気とは異なっているようだった。


 それは竜を最初に覆っていた靄に良く似ていた。


 削っても焼いても、一部分が霧散するだけで効果が無い。


 誰にも何もなすすべがなく、帰路に着くしかなかった。


 帰りの道行は、行きとは正反対に静かだった。




 王都へ戻って、人々は喜びに沸き、お祭り騒ぎの最中に、神殿に雷が落ちた。


 空には雲一つない日だった。


 屋根から地下まで貫き通し、召喚の魔法陣を粉々に打ち砕いたという。


 人々はそこで漸く、召喚された巫女の事を思い出した。


 「人々の為にこの世界にやってきて、人々の為に戦って、人々の為に命を落とした」巫女の事を。


 その出来事に、何事かを感じ取って、人々は漸く日常へ返った。


 浮かれていた王も、我に返ったかのように、難しい顔をした。


 失われてしまった魔法陣をどうにか修復できないかと塔に調査を依頼し、どうにもならないと報告を受けて頭を抱えた。


 もう二度と、異世界から誰かを召喚することは出来ない。


 巫女の怒りか、と誰かが囁いた。


 それを否定出来る者は誰もいなかった。


 王は娘を剣士に降嫁させようと考えていたが、思い直した。


 王女は残念そうだったが、「巫女の怒り」が魔法陣の破壊だけで済むかどうか未知数であった為、討伐隊にはできるだけ近づけさせない方が良いと判断したのだった。


 それらすべてを剣士は呆れながら眺めていた。


 誰も、討伐隊の苦労など知ろうともせず、勝手な事ばかり。


 王も神殿も、異界から無理矢理呼び出した巫女の鎮魂すら考えなかった。




 剣士は、城の騎士に復帰せず、家を出た。


 もう一度、あの場所へ行かなくてはならない、と思ったからだった。


 最後に見た巫女の顔が忘れられない。


 額から流れ落ちる真っ赤な血と、一瞬垣間見えた不可思議な笑み。




 人知らずの森へ入る直前、魔法使いが合流してきた。


 彼もまた、あの場所へ一度戻るべきだと考えていたのだという。


 予想していた事ではあったが、同行するとは考えていなかった。


 剣士と魔法使いは、巫女に対する考えが異なっていた為、道中言い争いまではしなかったが、お互い思う所があったのだ。




 災厄の竜と戦った場所は、植物の一つも生えていない、岩のごろごろした荒れた地だった。


 そこで争った為、更に荒れ、ただひたすら冷たい風が吹き抜けていた。


 竜の死体が変化した黒い靄の結界は、未だそこにあった。




 魔導士は、弱い光魔法を薄くそよ風のようにして靄の表面をはらってみた。


 帰ってから、暫く光魔法をあれこれ工夫し、巫女の使い方を参考にしながら考え出した魔法だった。


 靄の一番外側がすっと剥がれ、薄暗がりのようではあったが、内部が見えた。




 岩壁に縫いとめられた巫女の身体はそこにあった。




 「リウ!」


 剣士は呼んだ。


 思わず手を伸ばし、結界に弾かれた。


 触れた場所は黒煙を上げた。


 無防備に触れれば、闇に焼かれる。


 剣士は護符を身に着けていた為、無事に済んだ。


 「気を付けろ!」


 魔法使いは怒鳴って、はっとした。


 巫女の身体の傍に、光が弾けたからだ。


 白い鳥が、降り立っていた。


 翼は綺麗に整っている。




 「何をしにきたの」


 白い鳥は、凪いだ美しい青の瞳で問うた。


 「巫女に会うために来た」


 魔法使いは応えた。


 「この子の身体はここにあるけど、意識はここにはないわ」


 鳥はそっと巫女の頭に己の頭を摺り寄せた。


 「死んでいるのではないのだな?」


 確認するように魔法使いが問う。


 「この子は過剰な光魔法のせいで滅多な事では死ねないのよ。知っているでしょう?」


 魔法使いは押し黙る。


 「話をすることは出来ないのか?」


 剣士が問う。


 「出来ない事もないけど……」


 鳥は巫女から離れた。


 摺り寄せた部分が赤く染まっている。


 未だ血を流し続けているのだとそれで判った。


 「ここへ呼び戻したら、この瀕死の体に入る事になるわ。闇の傷と光の治癒のせめぎ合いで精一杯の体だし、ちゃんと話出来るかしら」


 剣士は言葉に詰まった。


 「意識の方も瀕死だから、高位の生命体でなければ、その形をとらえることも、意思を通わせることも難しいと思うわ。戻るように伝言は出来るけどどうする?」


 剣士はためらったが、魔法使いは頷いた。


 「伝えてくれ」


 「おい!」


 顔色を変える剣士に向かって魔法使いは肩をすくめる。


 「何のためにここまで来たんだ。そうするしかないだろう。向こうだって嫌なら断るだろうさ」


 魔法使いはそう言うが、あの巫女はそういう性格ではないと剣士は思う。


 話をしたいと言えば、律儀に戻って来るような気がする。


 「ん~、ちょっと待ってね。今は無理みたい」


 鳥の返答に魔法使いは首をかしげる。


 「眠ってるみたい。あの子、殆どの時間を眠っているの。起こしてみるけど、ちょっと時間頂戴」


 鳥がそう言うので、少し離れた場所にテントを張って火を起こした。




 「あんたは、災厄の竜の本体だったんじゃないのか?」


 魔法使いが白い鳥に尋ねた。


 翼は折れ曲がっておらず、綺麗に羽毛も整って優美な形で身体に沿っている。


 「核だったわね」


 暫く時間がかかると聞いたが、その間鳥と話が出来ないと言うわけではないらしく、魔法使いは好奇心に駆られたように鳥に話しかけた。


 「歴史に何度か現れて、その度討伐されてきた災厄の竜って、全部あんただったのか?」


 「私であって私でないわね」


 「どういうことだ」


 「そもそも私だって、召喚された巫女だったのよ」


 流石に魔法使いは絶句した。




 鳥の話では。


 一番最初にこの地に現れた災厄の竜とは、地の始まりにここへ縛り付けられた一柱の神だったそうだ。


 ここは流刑地であったのだ、と鳥は言う。


 憤怒の炎を燃やした神は、ある日変化する。


 この地を全て燃やし尽くし、消滅させてしまう存在に。


 己の鎖を引きちぎるために、神は闇に変じた炎を吐き続けた。


 所で、この地には精霊が住まっていた。


 人の数より多いほど。


 闇に侵食されていく大地と必死で祈りをささげる人間達を見て、ある精霊が魔法陣を授けた。


 異界からこの世界にない特殊な「闇をはらう能力」を持つ人間を呼び寄せる魔法陣。


 精霊は特段この地に未練があったわけではない。消滅すれば、原初の空間に漂うだけだ。だが、人という一瞬の生命のきらめきから得るエネルギーは美味で、精霊たちをそれなりに喜ばせていた為、一計を案じた次第。


 呼び出された巫女は、他世界の力でこの世界の闇の力を蹴散らした。


 被召喚者の力は、この世界の魔法とは似て非なるものなのだという。触れ合うと、反発し合って弾け飛ぶのだとか。


 本来であれば、ほんのわずかに触れあうだけで、空間が消滅するほどの作用が現れるらしいが、そこは精霊がうまく調整しているそうだ。


 「闇に落ちて邪神となっても、神は神なのでねえ。精霊と言えど、そういう迂遠な方法をとるしかなかったようよ」


 追い詰められ、巫女の力に消滅寸前となった神は、巫女へ向かって呪いを吐いた。


 己の代わりに、この地に縛り付けられる呪い。


 「巫女は誰も、元の世界に帰りたがらなかったって伝わっているのでしょうけど、真相はそういう事よ」


 「いや、待ってくれ。私の先祖は巫女と結婚しているぞ」


 剣士が話に割って入った。


 鳥は溜息をついた。


 「ええ、そうね。前の巫女はね、うまいこと呪いを弾いたの。一体どうやったのか教えてほしいわ」


 ああでも、と鳥は首をかしげた。


 「腕一本置いて行ってもらったわ。それで見逃してあげたような気がする……。何しろ、邪神であった頃の記憶ってあんまりないの」


 怒りの感情ばかりが先走って、殆ど何も考えられなかった、と鳥は言う。


 剣士の先祖は、やはり巫女とともに討伐の旅に出た剣士であったが、道中巫女と気持ちを通わせ、恋仲であったと聞いている。


 確かに、先祖である巫女は、討伐で片腕を失ったと伝わっている。


 「私は一度呪いを吐きだして剣士に討たれ、溶けてしまったけれど、代替わりできなかったからまた邪神になってしまったわ。憤怒も二倍よ。恨みも二倍」


 鳥は折れていない翼で緩く羽ばたいた。


 光の粒子が微かに当たりを照らす。


 黒い靄が僅かばかり、それに触れて蒸発するように消えた。


 「私も元は巫女だから、邪神でなくなればこういう力も戻ってくるのね……」


 感慨深げに呟く。


 「この靄の結界、消せないのか?」


 魔法使いが僅かに消えて行ったそれを見ながら問う。


 「消したらこの子がむき出しになってしまうじゃない」


 鳥は再びリウの身体にすり寄る。


 「リウはそこから動かせないのか?」


 「この槍は戒めの鎖よ。この地の始まりから、神を拘束する為に設置された物。「神をとらえておかないといけない」物なの」


 「待て、ではリウは次代の竜なのか」


 剣士の声に鳥はくちばしを微かに開いた。笑ったようだった。


 「そうよ。そう言ったじゃない。漸く代替わりしてもらえたわ」


 「そんな……」


 剣士は言葉を失う。


 「私は二度目の竜で、その分力の蓄積があったのか、なぜか消滅せずに済んだから、この子の力と合わせてがんばったら何とかなるんじゃないかしらと思って、精霊に伝言してもらったんだけど、このままでいいって言われちゃったの」


 「なんだと……」


 魔法使いが鋭い声を上げた。


 「竜になってもいいと言ったのか?」


 「「どうでもいい」って言われたみたい」


 「どうでもいいとはどういうことだ」


 「疲れていて何も考えたくないそうよ。眠って過ごして、やがて消滅を迎えるならもうそれでいいんですって。あの子の意識は私と違ってこの世に執着もないらしく、とても弱っているの。いずれ自我が消え失せて、闇が凌駕して身体を竜に変えてしまうわ。私は意識が残っていてそれが時折浮上して苦しかったけれど、あの子にはそういう苦しみはないでしょうね」


 「竜が生まれないようには出来ないのか」


 魔法使いがリウの身体を睨みながら問う。


 「無理ね。でも、それは多分数百年先の話よ。あなたが生きている間に復活したりしないわ」


 「しかし」


 「この子の光魔法は恐ろしく強大だわ。それが出来る限り長くこの子の身体を生かし続ける事を祈るのね。もしかしたら千年持つかもしれないし」


 「その間、意識も消えずに残るのか?」


 「そうね。今の調子だと、多分殆ど眠っていることになるのでしょうけど」


 「なんとかならないのか」


 剣士は縋るように尋ねた。


 その時、ぴくりとリウの身体が跳ねた。


 「あら、起きたのね」


 鳥はリウを見やる。


 リウはゆっくりと顔を上げた。




 額の血はゆっくりと流れ落ちていた。


 未だ乾いてはいない。


 それが目の縁に溜まって頬に流れ落ちる。


 血の涙を流しているようだった。


 リウは呆気にとられたような表情を浮かべたが、直ぐに苦しげに顔を伏せた。


 「リウ!」


 剣士は呼びかけた。




 「リウ、俺だ、判るか」


 剣士は必死で呼びかけた。


 リウは眉を寄せて浅く息を吐きながら薄暗闇の結界越しに視線をよこした。


 「ああ……」


 やがてその血に汚れた唇からかすれた声が漏れる。


 「剣士さん。何の用事です?」


 剣士の隣にいる魔法使いの姿をとらえて、更に更に眉を寄せた。


 「あなたも一緒ですか。本当に何の用なんです?」


 「済まない。一言謝罪したくて、話したくてここまで来たんだ。苦しい思いをさせるつもりじゃなかった」


 剣士は言い募る。


 リウは溜息をつく。


 「何の謝罪か判りませんが、受け取りましょう。それだけですか?」


 「リウ」


 次に声をかけたのは魔法使いだった。


 「竜になるのを止められないか?」


 リウは眉を寄せながら首をかしげた。


 「君になら出来ないか?」


 はっと苦しげに息を吐きだして、リウは首を垂らす。頭を起こしておく力さえ長続きしないようだった。


 「可能かどうか、精霊に聞いておきます」


 「精霊……?」


 「ええ、願い事はないかと尋ねられました。特になかったのですが、保留にしておいてくれているようでしたので」


 再び顔を上げようとして、がくりと首が落ちた。


 「リウ!」


 「私に出来ることは以上です。もういいでしょう。帰って下さい。眠い……」


 それきり、何度声をかけようとリウから答えは返ってこなかった。





 「被召喚者は、竜を倒した時と、竜として斃された時、要するに死の間際ね、精霊から願いをかなえてもらえるの」


 意外な事を聞かされた。


 「被召喚者を搾取したまま消滅させたとなると、いろいろまずいことになるらしいわ」


 「搾取だと」


 魔法使いは眉をひそめたが、鳥は青い瞳で睨んだ。


 「あなたが逆の立場だったらどうなの。リウは十七歳だと聞いたわ。突然家族や住み慣れた場所から引き離されて、連日魔物や魔獣と戦わされて、死と隣り合わせで傷だらけになって、やっと竜を討伐したら今度は自分が竜になるのよ。全く関係ない世界の出来事なのに」 


 魔法使いは魔物に村を全滅させられ、家族を殺されてから、竜を倒す為だけに生きてきた。


 己の力を磨き、自分にも他者にも厳しかった。


 リウにはずっと苛々させられ通しで、何度も怒鳴りつけた。


 自分に持ちえなかった強大な光魔法を持ちながら、もたもたと効率の悪い発動のしかたで戦う姿が腹立たしかった。


 自分にその力があれば、もっと手っ取り早く全てが終わるのに。


 そう思って。


 だが最後には、魔法使いよりも効率よく魔力を発動させていた。


 巫女というのはそういう存在なのだと実感したのだった。


 それで満足していたのだった。


 彼女が何を考えどう思っていたかなど気にしたこともなかった。


 「そもそもなんで他所の世界から無関係な人呼んでくるのよ。そうまでしなきゃ存続できないなら、存在する意味ないんじゃないの」


 鳥は吐き捨てるように言った。


 二の句が継げず、魔法使いは黙り込む。


 「被召喚者が、竜消滅を願ってあげる義理もないわよね。本来なら自分の為の願い事なのに。図々しい」


 今まで誰も、それを願ってこなかったのは……


 「もっとも願ったってかなうかどうかは判らないわ。精霊は神を上回る存在じゃないから」


 鳥の言葉に魔法使いは我に返る。


 「この子の精一杯の心づくしだと思って帰りなさい」


 鳥は光の粒子を帯びた翼でリウの身体を覆った。


 「リウ!」


 剣士の悲痛な声が響くが、結界は再び靄に覆われてしまい、魔法使いが先ほどと同じように光魔法でそれを払いのけたが、その下には不透明な壁があるばかりだった。





 鳥の願いも精霊は叶えた。


 歪み、折れ曲がった翼を戻し、「鳥の姿」でリウの姿を見守る事。


 死して輪廻の輪に戻る事を願わなかった。


 もう一度翼を振ると、その姿は人に変じた。


 それが本来の鳥の姿だった。


 金色の髪、金色の瞳。


 金の粒子を帯びた精霊の姿。


 リウと同じ時を過ごすなら、人ではいられず、精霊になるしかなかった。


 「リウ……」


 鳥は呼びかけて、がくりと落ちた首を緩く抱きしめた。


 あの時。


 呪いの槍を放った瞬間、合わさったリウの瞳を忘れない。


 驚きと、衝撃と、諦観。


 そう諦観。


 全てを諦め、薄闇に沈む眼差し。


 それが哀れで悲しく。


 そして驚くほど美しかった。


 かつての自分とは全く違う眼差しだった。


 そして、少女は笑ったのだ。


 一瞬の、輝くような笑みだった。


 この少女に惹かれて、この少女の傍にいたかった。


 その願いを、精霊は苦笑してかなえた。





 山を下りていく二人の人間を見送りながら、鳥は溜息をつく。


 少女への恋情が忘れられない剣士。


 竜を滅ぼすことしか考えられない魔法使い。


 ただ喜び騒ぐ人間達。


 無関係な人間を巻きこむことに、何のためらいもない王族と神殿。


 今も昔も変わらない。


 これからも無意味に続いていく呪い。


 リウは召喚陣を壊すことを願った。


 この世界が今後どうなっていくのか、初めて変化の因子が出現したのだ。


 そして、そのままではいずれ消滅してしまうと思われた少女の意識体は、不思議なことにそれ以上弱まることが無く、眠ってじわじわと力を取り戻しつつある。


 いずれ別の実体を得るのではなかろうか、と鳥は思っている。


 そう、少女は消えないのだ。


 であれば、少女の本体も闇に食い尽くされる事もない。




 恐らく竜の再来は無い。




 だがそれを人間達に告げてやる事は考えなかった。


 鳥はにんまりと笑う。


 最初にここへ縛り付けられた神の力はどういったものだったのだろう。


 そしてその意思はどこへ行ったのだろう。


 少なくとも、邪神と化した記憶のある鳥は、その意思の片鱗に触れてもいた。





 この世界で、何かが蠢き始めている。




 鳥は予感に震えた。

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