第43話 高校一の美少女は照れてエアコンの温度を下げる。
ロングホームルームと夕礼が終わり、放課後。
俺は初音さんの部屋にいた。
今日は二人で夏休みの予定を立てることになっている。
「はいどうぞ。麦茶で良かった?」
ローテーブルの前に座っていた俺の元に、初音さんがコップを二つお盆に載せて持ってきた。
コップをテーブルに並べながら、初音さんは俺の隣に座る。
「ありがとう。この季節には最高だよ」
ガラスのコップには水滴が付着している。
コップを手に取ってみると、見た目通りキンキンに冷えていた。
一口、二口と勢いよく飲む。
「ふふ。安物の麦茶なのに、おいしそうに飲むね」
「実際、初音さんの用意してくれた物ならなんでもおいしいからね。それにこの暑さなら尚更」
「へへ。そう言ってくれるのは嬉しいけど、私の体温が上がっちゃうから程々にしてくれると嬉しいな」
初音さんはテーブルの片隅に置かれたリモコンを操作して、エアコンの温度を1度下げた。
「よく分からないけど、分かった」
「うーん、八雲くんは時々鈍感になるよね」
あからさまに理解していなさそうな俺の返事を聞いて、初音さんは苦笑していた。
「なんかごめん」
「別に謝ることじゃないよ。それよりも、楽しい夏休みの予定を考えよう」
初音さんはさっそく本題に入った。
さりげなく俺の方に身を寄せながら、スマホを取り出す。
体温が上がるとか言っていた割に、初音さんの距離は近い。
エアコンが効いているから、暑くはないけど。
「そうだね、まずは旅行先から決めようか」
「うん。私はやっぱり、この前言ってた温泉街がいいな」
初音さんはスマホでウェブサイトを開き、俺に見せてくる。
やけに準備がいい。
これはかなり希望度が高そうだ。
「じゃあ、そこにしよう」
「そんなにあっさり決めていいの? 八雲くんの希望があれば聞くのに」
初音さんは俺の答えに拍子抜けしている様子だ。
「行きたい場所がないと言ったら嘘になるけど……せっかくなら初めての旅行は初音さんの希望を叶えたいから」
俺が思っていたことを口にすると、初音さんからの反応は鈍かった。
なぜかそっぽを向いて、何も言わない。
「あれ? 初音さん?」
「……八雲くん、私を照れさせたくてわざとやってる?」
「ごめん。正直半分わざとだった」
「む、なんでそんなことするの」
初音さんは少し拗ねた様子で抗議の視線を向けてくる。
「思ったことを口にしたら初音さんが照れるのがかわいくて」
「ま、またそうやって……すぐ私が照れるようなことを……!」
初音さんはもはや真っ赤な顔を隠すこともなく小言を口にしていた。
「確かに……このままだと話が進まないし、言葉を慎むことにするよ」
俺は初音さんの照れ顔を満喫しながら、悠然と口にする。
陰キャぼっちだった俺が、初音さんのような美少女に対して余裕を持って接するとか、以前までなら考えられなかった。
俺も少しは成長したかな……なんて、調子に乗っていると。
初音さんがくいっと俺の制服の袖を引っ張ってきた。
「あ……その。さっきも言ったけど、程々にはお願いね?」
初音さんが物足りなさそうに、上目遣いを向けてきた。
前言撤回だ。
初音さんは俺の余裕を平気で乱すくらいかわいかった。
○
一息ついた後。
いい加減話が進まないので、俺たちは今度こそ落ち着いて予定を立てることにした。
「じゃあ、旅行先は温泉街に決定ってことで」
改めて、初音さんがそう口にする。
「うん。あとは長い夏休みの期間中、どのタイミングで行くかだね」
「八雲くんさえ問題なければ、7月の29日と30日がいいな」
初音さんは卓上に置かれたカレンダーを指す。
7月29日と30日は土日だった。
「この日に何かあるの?」
「29日の夜に花火大会があるみたいだから、せっかくならそれに合わせて行きたいなと思って」
「なるほど。でも今から予約取れるのかな」
希望の日までは、あと10日ほどしかない。
イベントがある土日となると、予約は取りにくいはずだ。
「調べてみた限りだと、まだギリギリ空室がありそうだよ」
初音さんはスマホで旅館の予約サイトを開いて見せてくる。
確かにまだ空きはありそうだ。
「そういうことなら、その日にしようか」
「うん! じゃあさっそく、必要事項を入力して……」
初音さんは黙々と予約用のフォームに名前や連絡先などを入力し始めた。
「これでよし……っと。ふふ、楽しみだね?」
「うん、そうだね」
初音さんと温泉旅館に二人で泊まる。
今から待ち遠しいな。
俺も思わず口角が吊り上がってくる。
「でも……やっぱり夏と言えば海にも行きたいよね。八雲くんに水着をお披露目したい気持ちもあるし」
「初音さんの水着か……」
ぜひみて見たいところだ。
水着姿の初音さんがビーチにいたら、注目を浴びるのは間違いない。
けど、あまり他人にじろじろ見られるのは癪だな。
「八雲くん、変な想像してるね?」
「俺ってそんなにわかりやすいかな」
「わかりやすいよー」
初音さんは口元を手で押さえて吹き出しそうになっていた。
その後、俺と初音さんは海水浴の予定や、文化祭の準備のために登校する日など、決定したスケジュールをカレンダーに記載していく。
その中で俺は、カレンダーに×印が記載されている日がいくつかあることに気づいた。
「初音さん、このバツ印は何?」
「あ、これは……」
初音さんは気まずそうに言い淀む。
「言いにくいことなら言わなくても大丈夫だけど」
「別にそれほどでもないんだけどね。この印がある日は、親戚から予定を空けておくように言われてて」
初音さんは憂鬱そうにため息をつく。
「親戚って……もしかして、財産目当てで初音さんの後見人を名乗ってるあの?」
「うん。この日は『私の家に顔を出しなさい』だってさ」
名目上は初音さんの後見人ということになっている、親戚が住んでいる家。
その場所は元々、初音さんが両親と暮らしてきた家だ。
それを「私の家」とは、随分ふざけた言い分じゃないか。
「行きたくなかったら、無視してもいいんじゃない?」
「確かに向こうの都合で呼び出されるのは癪だけど……そのせいでここに押しかけられたり、今の生活に干渉される方がかえって面倒だし」
初音さんはどこか諦観混じりにそう言った。
今までも親戚の厄介さを味わってきたんだろう。
「そういうことなら……分かった。もし何か困ったことがあったら、相談に乗るよ」
「ありがとう、八雲くん」
机の上に置かれていた俺の手に、初音さんは自らの手を重ねてきた。
指を絡めてきて、そのまま握りしめてくる。
少しして、初音さんは一つ大きく呼吸をした。
「ふー……面倒な人たちのことで暗い気持ちになっていても仕方がないし。八雲くんと、楽しい予定を立てる続きをしよう!」
こういう時、すぐに笑顔で前を向こうとする初音さんは、すごいと思う。
俺はそんな初音さんの力になりたいと強く感じた。
○
その後は気分を切り替えて、和気藹々と夏休みの予定を立てた。
「よし、これで大体埋まったね」
「これは……充実した夏休みになりそうだ」
話し合った結果、夏休み期間中に初音さんと会う予定がいくつもできていた。
「私としてはまだまだ物足りないところだけど……あとは夏休みに入ってからの気分次第でいいよね」
初音さんは満足そうに言うと、俺にしなだれかかるように抱きついてきた。
「へへ」
「どうしたの、初音さん」
「予定を立てて疲れたから、甘えたい気分なんだ」
「なるほど」
「ちなみに八雲くんは、このあと予定ある……?」
初音さんは抱きついたまま、じっと俺の目を見上げてくる。
あ。
この視線は既視感がある。
俺は、初音さんに誘惑されていた。
いつもならあっさり流される俺だけど、今日ばかりは違う。
「実は、意外にも予定があるんだ」
「それは……意外だね」
初音さんは俺にくっついたまま目を丸くしていた。
「……じゃあ、しょうがないか」
自分に言い聞かせるように呟きながら、初音さんはやけにゆっくりと俺を解放した。
ものすごく名残惜しそうだ。
思わず初音さんを抱きしめたい衝動に駆られる俺だったが、それだといつも通りの展開になってしまうので我慢した。
というわけで意外にも初音さんからの誘惑を断った八雲でした。
次回は文中に話題は出てきたけど直接は登場していない、とある人物に会いに行きます。