第39話 高校一の美少女は彼氏を信頼している。
7月7日、金曜日。
今日は初音さんと約束した日だ。
俺と初音さんは、放課後に目的地に向かうことにした。
16時過ぎに高校の最寄り駅から電車に乗る。
一時間近く電車に揺られ、ついたのは隣の県の港街だ。
そこそこ都会で、観光地としても有名な場所でもある。
「思ったよりも賑やかな場所に来たな……」
駅の改札を出て、俺がまず抱いた感想がそれだ。
駅前には観光客や学生、サラリーマンまで様々な人が多く行き交っている。
「もっとしんみりとした雰囲気を想像してた?」
「正直に言うと、そうだね」
この辺りはデートスポットとしても有名な場所らしいし。
実際に、周囲にはカップルも多く歩いている。
ある意味では俺と初音さんにはお似合いの場所なのかもしれないけど。
今回はそういう目的のために来たわけじゃない。
「確かに駅前の雰囲気だけだと、遊びに来たみたいに思えるかもしれないけど……まあ詳しいことは目的の場所に着いたら話すね」
初音さんはこの街の空気を懐かしむように一つ深呼吸をしてから、歩き出した。
○
駅から少し歩いてやってきたのは、海沿いの公園だ。
海や港を行き交う大きな船を眺めることができ、景色が綺麗な場所として知られている。
舗装された歩道を多くの人々が歩いていた。
有名な場所だけど来たのは初めてだ……と思いながら、真っ直ぐどこかへ向かう初音さんの隣を歩く。
やがて初音さんは公園内に設置されたベンチの前で止まった。
その場所は海側に面していて景色はよく見えるが、花壇に植えられた草花のせいで歩道側からは死角になっている。
おかげで誰も座っていなかった。
「よし、着いた。やっぱり誰もいない……か」
初音さんは小さく目を伏せた。
まるで誰かが座っていることを望んでいたかのような口ぶりだ。
「初音さんが連れてきたかった場所って、ここ?」
「うん。今から8年前の7月7日……この場所にいたはずの私のお父さんとお母さんが、いなくなったんだ」
初音さんは木製のベンチをじっと見つめながら、語る。
「いなくなったって……?」
「そのままの意味。失踪とか行方不明……とも言うのかな」
「失踪……」
どこかで聞いたような響きだ。
「当時小学生だった私は、両親と遊びに来ていてね。3人でこのベンチに座っていたんだけど、気づいたら私だけ居眠りしてたみたいで。起きた時にはもう私しかいなかった」
まるで神隠しにでもあったような、どこか脈絡がないように聞こえる話。
他の人が聞いたら、作り話か何かだと思って、本気にしないかもしれない。
しかし俺はまったく疑問に思わなかった。
似たような出来事を経験したことがあるからだ。
その時消えたのは、俺自身だったけど。
「初音さんの両親が立ち去る姿を見た人はいなかったの?」
俺の問いに、初音さんは首を横に振った。
「誰もいなかった。自分でも、最初はお父さんとお母さんが悪戯してるのかと思って探してみたけど、やっぱりいなくて……昔の私は、しばらく一人で途方に暮れていたんだ」
「それは……大変だったね」
「うん。結局交番に行って色々状況を調べてもらって、そこでようやく私の両親が失踪した事実が判明して……それからはずっと、一人ぼっちだった」
初音さんはゆっくりとベンチに腰を下ろした。
「それでも毎年7月7日になると、ふらっとこの場所に二人が帰ってこないかなと思って見に来るんだよね……やっぱり今年もいなかったけど」
重く、呟くような言葉。
初音さんの瞳は潤んでいた。
「ご両親以外に、頼れる親戚とかはいなかったの?」
「親戚はいるけど、私に気を使ってくれるような人はいないかな。けっこう薄情な一族だから」
「……」
それはもしかしたら、初めから誰も親戚がいないより、辛い状況かもしれない。
「まあ一応、今は私の叔父に当たる人が後見人として面倒を見ていることになっているんだけど……それは建前でね。実際は私の家族が住んでいた家とか財産を管理する名目で乗っ取られちゃったんだよね」
初音さんは妙に軽い調子で、そう口にする。
強がっている部分も少しはあるのかもしれない。
けどどちらかと言えば、単に財産に対して執着がないように見えた。
「もしかして、一人暮らししているのもそれが理由?」
「うん。中学までは元の家に叔父家族と住んでいたんだけど、高校入学する時に追い出されちゃった」
「それは……ふざけた話だ」
俺は半ば無意識のうちに、拳を強く握りしめていた。
初音さんはそれを知ってか知らずか、小さく笑う。
「そうは言っても、両親が残してくれたお金はそこそこあるんだけどね。お父さんが慎重な人だったこともあって、通帳と預金だけは死守できたんだ」
初音さんは得意げに言う。
家は一度入り込んでしまえば居座ることは不可能じゃないし、貴金属なども勝手に持ち出すことができそうに思える。
しかし預金の方までは初音さんの親戚も手出しできなかったってわけだ。
それにしても、さっきから話を聞いていると、初音さんは随分と裕福な環境で育ったように聞こえる。
「初音さんって、実はいいところのお嬢様だったり?」
「まあ、うん。実はそこそこ大きな会社の社長一族の娘……みたいな感じ? おかげで今のところは、お父さんの貯金で高校に通いながら余裕のある暮らしができているし……正直、その気になれば一生遊んで暮らすこともできたりするんだろうけど」
実際のところ、初音さんはそうしていない。
どちらかと言えば、その真逆だ。
常に学年トップを取れるくらいには、勉学に励んでいる。
「遊んで暮らさずに勉強を頑張っているのは、やっぱり何か目標があるの?」
「うん。大きな会社の社長とまではいかなくても、立派な人間になりたいと思って。きっと今もどこかにいるお父さんとお母さんが安心できるくらい、自立できるように頑張ってるんだ」
初音さんは照れ臭そうにしながら、「まあ、親戚が当てにならないからって理由もあるけど」などと付け加えていた。
「初音さんはすごいね」
「へ……? すごいって……?」
「どんな状況でも前を向けるなんて、尊敬する」
「そ、尊敬?」
俺は大真面目に言ったつもりだったけど、初音さんはきょとんとしていた。
「あ。俺、今変なこと言ったかも」
「ううん、八雲くんに尊敬してもらえるのは嬉しいよ。けど……」
「けど?」
「私が今も前を向けているのは、八雲くんのおかげだよ」
初音さんは明るい笑みを浮かべた。
「俺のおかげ?」
「うん。正直、八雲くんと会う直前はわりと限界に近かった。一人ぼっちの状況でいじめにあって、頼れる相手もいなくて。少し自暴自棄になっていた節もあるし」
初音さんは、以前を振り返りながら、自嘲する。
確かに、自分が飛び降りて騒動を起こすことでいじめてきた相手に打撃を与えるなんて作戦は、無茶があったと思う。
「あの時の初音さんは色々無茶をしていたし……自暴自棄だったっていうのも納得できるかも」
「でも八雲くんが助けてくれたあの日から、一気にいろんな悩みが解決したんだよ?」
初音さんはそう言うと、さりげなく俺の方に頭を差し出してきた。
……これは撫でろってことなんだろうか。
無言で促された俺は、初音さんの頭を軽く撫でながら、続けた。
「俺が初音さんのためになっているなら、良かった」
「うん。私も八雲くんに話して良かった。一人で抱え込んだままっていうのも、なんだか大変だし」
初音さんは撫でられて気持ちよさそうに目を細めている。
その口調はどこか軽やかに聞こえた。
「そうだね。俺も初音さんの事情を知ったからこそ、手伝えることがあるかもしれない……って言っても、あまり頼りないかもしれないけど」
何かここでかっこいいこと言いたい。
そう思った俺だったが、うまく言葉が続かなかった。
「うーん、八雲くんて相変わらず自信がなさそうだね?」
「……まあ、うん」
「私はちゃんと八雲くんのことを頼りにしてるんだから、もっと自信を持とう! そもそも信頼していなかったら、こんなこと話さないし」
信頼。
初音さんからそんな単語を聞いて、俺はまんまと嬉しくなっていた。
「ありがとう。逆に励まされてるし、もっとしっかりする必要があるとは自覚してるけど」
「ふふ、確かに。それでも私は、常に寄り添おうとしてくれる八雲くんのこと、かっこいいと思うよ」
初音さんにそう言われて体温が高まるのを感じて、思う。
俺のチョロさ、変わってないな。
それはそれとして。
大好きな人が俺のことを信頼して、自分の過去や内情をさらけ出してくれるのだ。
俺はその信頼に、応える必要がある。
なんかしんみりしつつ情報量が多い話になりましたが、今後重い話を展開していく予定は特にないです。
余談
作中では学校とか地名の固有名詞をあえて出さないようにしているんですけど、今回の舞台は横浜をイメージしています。