第29話 義妹は兄と彼女を二人きりにさせたくない。
初音さんを俺の部屋に案内した。
「おお、ここが八雲くんの部屋かー」
初音さんは部屋に入ると、感嘆の声を漏らしながら室内を見回していた。
「そんなに見て楽しい場所でもないと思うけど」
俺の部屋は特に変わった点はない。
ベッドと勉強机の他には、ほとんどゲーム専用モニターと化しているテレビと、漫画と小説以外には教科書くらいしか並んでいない本棚が置かれている程度だ。
いつもと違う点は、初音さんが来るのに備えて念入りに掃除しておいたのと、一緒に勉強するために来客用の折り畳み式ローテーブルを収納から引っ張り出してきたことくらいだ。
「だって、男の子の部屋に来るのなんて初めてだし。しかも彼氏の部屋って考えたら、わくわくしてくるよ」
「そういうものなんだ」
俺が初めて初音さんの部屋を訪れた時の気持ちと近いのかもしれない。
「この部屋、八雲くんの匂いで満ち溢れてるね……って、八雲くんがいつも過ごしている場所なんだから当然か」
初音さんは鼻をすんすんと鳴らしていた。
「え。俺ってそんなに臭い?」
「そういう意味じゃないよ。八雲くんのはこう……くっついてると安心する匂いって感じ?」
「まあ、初音さんが気に入ってるならそれでいいよ」
「うん、気に入ってる」
笑顔でそうはっきり言われると照れるので、程々にしてほしい。
「……そろそろ勉強しようか」
「うん。私としてはもっと八雲くんの部屋を観察してみたかったけど……それはまた今度にするね」
初音さんはしれっとそんなことを言ってくる。
また来てくれるつもりなのは嬉しいけど、あまり観察されるのは困る。
いや、別に困るような物を隠したりはしていないんだけど。
それから15分後。
俺はテーブルの前に初音さんと横並びで座って勉強していた。
黙々と手を動かし、そろそろ集中力が高まってきたころ。
ガチャリ、と部屋の扉が開いた。
「お兄ちゃん、真面目に勉強は……してたんだ」
真雪がいきなり部屋に入ってきた。
手にはお盆を持っている。
「何をしてると思ったんだよ。それと、人が来てるのにノックなしで入ってくるな」
「はいはい。せっかく飲み物とチーズケーキを持ってきたんだから、文句言わない」
真雪は俺の言葉に聞く耳を持たない。
構わずこっちに向かってくると、テーブルの上にお盆を置いた。
「持ってきてくれたんだ。ありがとう」
初音さんが真雪にお礼を言う。
「い、いえ。わざわざ買ってきてもらったので、これくらいは」
「そっかー、真雪ちゃんはしっかりしてるねえ」
初音さんは真雪に対して、優しげに微笑んでいる。
一方の真雪はそんな初音さんの笑顔に戸惑っているように見えた。
「わ、私のことより、彼女さんはコーヒーでよかったですか?」
「うん。それと真雪ちゃんも私のことは『彼女さん』じゃなくて名前で呼んでもらえると嬉しいな」
「じゃあ……初音さん?」
真雪は少し考えてから、初音さんの要望に答える。
「ふふっ」
すると初音さんは笑い出した。
「なんで笑うんですか。頼まれた通りにしたのに」
「真雪ちゃん、八雲くんに下の名前で呼ぶようにお願いした時とまったく同じことを言うから。兄妹なんだなあって思って」
「む……そうですか。じゃあ許します」
なぜか真雪はあっさり引き下がった。
「さて。せっかく真雪ちゃんが持ってきてくれたことだし。まだあまり勉強してないけど、先におやつにする?」
初音さんはペンを机に置くと、そう提案してきた。
「そうだね。先に一休みしてから勉強しようか」
俺はうなずいた。
いったん休憩して、初音さんが買ってきたチーズケーキを食べることにしたのはいい。
しかし。
「真雪、なんで俺たちの間に座ってるんだ」
なぜか真雪が俺と初音さんの間に割って入るようにして座っていた。
「別になんとなく、気分で」
真雪は何食わぬ顔でちょこんと座っている。
「そんなことより、早く食べようよ」
初音さんも特に気にしていない様子でそう言った。
気にする俺がおかしいのか……?
いや、そんなはずはないんだけど。
大きくないテーブルの前で3人横並びになっているせいで、狭いし。
「じゃあ、いただきます」
俺はチーズケーキを一口食べる。
有名店の数量限定品だけあって、確かにおいしい。
程よい甘さでくどすぎず、上品な味だ。
「ん〜〜っ!! おいしすぎる!」
脳内で感想を抱く俺の隣で、チーズケーキを口にした真雪がおいしさのあまり悶えていた。
「ふふ。真雪ちゃんが喜んでくれて何よりだよ」
初音さんは真雪の様子を微笑ましげに見守っている。
そうしている間にも、真雪はチーズケーキをぱくぱくと勢いよく食べ進めていた。
「はっ! いや、確かにおいしいですけど、喜んでいるってほどじゃ……」
「そうなの? 喜んでもらえて嬉しいから、私の分もお裾分けしようと思ったんだけど……そういうことなら別にいいかな」
「え? あ、その……」
謎に意地を張っていた真雪は、露骨にしゅんとした様子を見せた。
「冗談だよ。はいどうぞ」
初音さんは真雪に自分のチーズケーキを差し出した。
「ほ、本当にいいんですか……? でも、ここで受け取ったら負けを認めたも同然な気が……」
「どうしたの? やっぱりいらない?」
「……いります」
何やら葛藤していた真雪だったが、結局チーズケーキを受け取った。
チーズケーキを食べ終わった後。
「ふう……そう言えば私、中3なので今年は受験生なんですよ」
満足そうに口をティッシュで拭った真雪が、初音さんに向かってそんなことを言い出した。
「おお、そうなんだ。大変だねえ」
「はい。それで実は、お兄ちゃんと初音さんが通ってる高校が第一志望なんです」
「え! つまり来年は真雪ちゃんが私の後輩として入学してくるってこと?」
初音さんが真雪に、期待の眼差しを向ける。
「後輩になるのを目指しているんですけど、受験勉強をしていて分からないところがあるんです。もし良かったら、初音さんに先輩として勉強を教えてほしいんですけど……ダメですか?」
真雪は申し訳なさそうな雰囲気を出しながら、そうお願いする。
が、俺には分かる。
真雪はこんなに殊勝な性格じゃない。
これは猫を被っているだけだろう……なんでそんなことをしているかまではよく分からないけど。
それだけ受験勉強に本気ってことだろうか?
とは言え、初音さんだって今日は遊びに来たわけじゃない。
「気持ちはわかるけど、こっちもテスト勉強があるからまた今度に……」
「真雪ちゃんの頼みならしょうがないなあ。私に任せて!」
俺が真雪を諭そうとしたのも束の間、初音さんは嬉しそうに引き受けていた。
「ありがとうございます! それじゃあ、勉強用具を取ってきますね。お兄ちゃんお皿片付けといて」
真雪は初音さんにお礼を言った後、ついでのように俺に指図してくる。
俺の返事を聞く間も無く、真雪は小走りで部屋を出ていった。
人使いの荒い妹だ。
まあ、持ってきてくれたのは真雪だし、片付けくらいは俺がやるべきだろう。
「そういうことだから、片付けてくるよ」
「ありがとう、八雲くん」
「こっちこそ、妹の面倒を見てくれてありがとう」
「へへ。真雪ちゃんがかわいいから、つい甘やかしたくなっちゃうんだよね」
初音さんは緩んだ顔でそう答える。
俺はその表情を目に焼き付けた後、皿を載せたお盆を持って自室を出た。
(あれ……?)
一階にあるキッチンに向かうために階段を下りていた俺は、ふと思う。
さっきから、初音さんと二人きりの時間がほとんどない気がする。
次回、順調に餌付けされている真雪がついに攻略されます。