89・5番隊隊長と、誤解と安心【11/24追加】
「ネオン隊長。今日はいかがなさいましたか? お昼に隊長とお話しなさったと聞いておりましたが、御用とあればすぐ隊長をお呼びしますが?」
本部に入り、受付である9番隊物資班の受付でそう言われた私は、いつものようににっこり笑った。
「お心遣いありがとうございます。ドンティス隊長とは先ほど、実に有意義なお話が出来ましたわ。 実は伺いましたのは、先程、一人の騎士様が模擬試合で重症の状態で医療院へ運ばれてきたのです。 彼の上官と言われる方も軽症を負い医療院へ来られたので、状況をお伺いしたのですが、お話に少々不審な点があり、差し出がましいとは思ったのですがその上官を、私の命令で拘束したのです。それで、その方の事でお話がしたいのですが……こういった場合はどこに行けばよいか、お教えいただきたいのです。」
そう説明すれば、なるほど、と受付の若者は頷いてくれ、丁寧に説明してくれた。
騎士団内での不始末や故意による事件においては、特殊部隊である5番隊の中の『監察班』という班が取り締まるとのことだった。
特殊部隊は『辺境伯騎士団長』の名の下、騎士団員が事件や不正を犯した場合、詮議が終わるまでその対象となる騎士を5番隊の管轄下に置き、他部署と連携を取りながら内部調査を行い、取り締まる役目を持つらしい。
そして私が向かうべきはその5番隊であり、本部の中央階段を一番下まで下りた先にある、特殊部隊班の本部があると教えてくれ、地下はやや暗く、足元も悪いため、そこまでの案内を青年騎士が申し出てくれた。
私は彼の後をついて歩き、無事に5番隊隊長の執務室の前に到着した。
案内してくれた青年騎士がその重厚な扉をノックをすると、低い声で返事の後、細い銀縁眼鏡をした神経質そうな長身痩躯の青年が姿を現した。
「はい? あぁ、9番隊の。どうなさいました?」
「お疲れ様です、補佐官殿。お客様をお連れしました。」
案内をしてくれた青年騎士は挨拶をすると、にっこりと笑って彼を紹介してくれた。
「ネオン隊長。こちらは5番隊隊長補佐官のプアイ殿です。プアイ補佐官殿。こちらは10番隊隊長ネオン・モルファ様です。実は、先ほど剣技鍛錬所で怪我人が出て、医療班へ運ばれたそうなのですが、その件で4番隊の班長を一名、ネオン隊長は拘束するよう指示なさったそうなのです。その件でお話がおありなのだそうです。」
私は静かに微笑んだ。
「お忙しいところ申し訳ありません。10番隊隊長ネオン・モルファですわ。」
すると彼は私に対し、きっちり90度、腰を折って頭を下げた。
「ネオン隊長の事は存じ上げております。ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私は5番隊隊長補佐官ラン・プアイと申します。今、隊長を呼びますので、どうぞこちらへ。」
「案内してくださってありがとうございました。では、お願いします。」
ここまで案内してくれた騎士にお礼を言い、補佐官に促されて中に入る。
室内は案内所を兼ねている9番隊詰め所の半分ほどの広さだと思うが、中央に応接セットがあるだけで敷物などの無駄なものは一切なく、とても広く、また薄ら寒く感じた。
「どうぞ、こちらにお座りください。」
促されて応接セットのソファに座ると、補佐官は部屋の奥にある扉を叩き、返事を待たずに開けて、一礼してから中に入っていった。
すると、すぐ慌てた様子で飛び出してこられた方がいらっしゃった。
「奥様! いえ、ネオン隊長! どうしてこちらへ!?」
出てきたのは5番隊隊長ターラ・イロン隊長だ。
騎士服がはち切れそうなほどしっかりとした筋肉質の体に、刈り上げた短い黒灰色の髪、青味の強い緑の瞳の彼とお会いするのは、一度皆様で医療院へ訪ねてきてくださったとき以来2度目だ。
私は立ち上がると、静かに頭を下げた。
「イロン隊長、お忙しいところ突然やってきてしまい、申し訳ございません。」
「いいえ! 頭をお上げください! しかしネオン隊長がこの5番隊に御用事など、一体何があったのですか? いえ、とりあえず、どうぞお座りください!」
「ありがとうございます。では、失礼しますね。」
促されて再度ソファに座わった私は、目の前に座ったイロン隊長へ、先ほど医療院であったことの経緯を説明し、必要であるならば医師と共に検証と実験をした報告書も出すことを説明した。すると目の前に座ったイロン隊長は、今のお話で大丈夫ですとひたすらに頭を下げてくれ、すぐに傍に控えていた補佐官に関係者を洗い出すように指示を出した。
「お手数をおかけし申し訳ございません。」
指示を受けた補佐官が出ていくのを見送ってから、頭を下げて謝罪した私に、イロン隊長は首を振った。
「いえ、適切な判断だったと思います。ネオン隊長が嘘をつかれるとは思っておりませんし、ネオン隊長の説明された傷の件に関しては十分に納得できる説明でした。該当の班長はすでにこちらで身柄を預かっております。ここからは第5番隊の管轄下に置かれ、審議開始から処分が下るまでの間、監視室に入れられます。すでに目撃したと思われる隊員たちからの聴取が始まっていますので、結果が出次第、ネオン隊長にはご報告いたします。それとは別に、攻撃され怪我をした本人から聞き取りも行いたいと思うのですが、可能でしょうか?」
それには私はややあって、首を振る。
「本人の状態を見て確認するだけであれば短時間であれば差し障りはないかと。しかし聞き取り調査となれば、すぐにというわけにはまいりません。目が覚めて、本人の肉体的・精神的状態が落ち着けば可能、といったところでしょう。……ただ、彼を見ていただけると解るのですが、傷の範囲は上半身の前面全体です。回復までにどれくらい時間がかかるか……めどは3週間から6週間とクルス先生は言われました。しかしこれは傷の状態だけの話です。精神状態は考慮しておりません。
ですから、一応彼の目が醒めた時に一度ご連絡いたします。しかし、実際に面会を行うのはクルス先生の診断で許可が出てから、という形でいかがでしょうか?」
処置の後クルス先生が出した指示を思い出しそう伝えると、腕を組んで少しの間考えこんだイロン隊長は、わかりました、と頷いてくれた。
「解決のために出来るだけ早いうちにとは思いますが、その騎士の体調については必ず考慮します。」
「ありがとうございます。」
真摯にそう言ってくれた彼に、私はほっとしながら頭を下げた。
「本日はお忙しいところに、このような案件を持ってきてしまい申し訳ございません。よろしくお願いいたします。」
「了解しました。」
ソファから立ち上がり、互いに深く頭を下げ、頭を上げた私は、イロン隊長と目が合った。
私よりも10くらい年上であろう彼は、私と目が合うと、ぱかっと一度口を開け、それから閉口し……刈り上げた後ろ頭をぼりぼりと掻くと、もう一度、『あの……』と私に向かって口を開いた。
「ネオン隊長。このような話の後で大変申し訳ないのですが……その、個人的にひとつ、お話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
少々言いにくそうにそう言ったイロン隊長に、私は首をかしげる。
「え? えぇ、はい、何でしょうか?」
やや頬を赤らめながら、イロン隊長は、その、実は……と言葉を濁す。
「ネオン隊長が指揮された、鈴蘭祭のことなのですが……。」
「鈴蘭祭、ですか? まぁ、なんでしょう?」
(……鈴蘭祭?)
なにかあったかと思いながら、にっこりと淑女の微笑みを浮かべて頷くと、彼は言いにくそうに言葉を続ける。
「実は……その……シノ隊長やチェリーバから話を聞きまして。個人的な事ですので、こうして奥様にお願いするのは大変恐縮なのですが……。」
(シノ隊長にブルー隊長? 個人的なお願いという事は、また隊長と仲良くしてください、とかかしら? 本当にもう、うんざりなのだけれど……)
なかなか進まない話にさっさと言ってくれればいいのにと少々苛立ちを感じながら、私は話を促す。
「どうぞ、遠慮なく仰ってくださいませ。私にお願いとは何でしょうか?」
すると私の勢いに押されたように、イロン隊長は背筋を伸ばした。
「は、はい! 実は、奥様の考案なさったブランデーケーキの事なのですが、是非一度ご相伴にあずかりたく! ご手配いただけませんでしょうか!」
「旦那様の事でしたらお断……え? ご相伴……?」
「え? 隊長のこと……?」
互いの言葉を聴いた私たちは、再び目を合わせてしまった。
「誤解があったようで、本当に申し訳ございません。」
「いえ、こちらこそ本当に申し訳ありません。しかも今日の今日でいただけるなんて……光栄です!」
互いに頭を下げ合ったあと、私とイロン隊長は医療院に向かい共に歩いた。
「いいえ。ご存じの通り、私は昨日までお休みを頂いていて、ちょうど今日、医療班の皆のために持ってきていたのです。しかし、イロン隊長が甘党とは存じ上げませんでした。」
(しかも『大』が付くほどの、なんて。)
人は見かけによらないものである。ちらりと横を見ると、にこにこと口元をほころばせながら、彼は話す。
「見かけによらない、とお思いでしょう? 自覚はありますし、初対面の方や、新入りの隊員にもよく言われるんですが、実は幼少の頃より本当に甘いものに目がないんです。姉の手作りのおやつ等は、本当に奪うように食べていました。騎士団の中で私の甘党を知らない者は誰もいないと思います。隠すことでもないですし、知れ渡っているといつでも堂々と甘いものを食べられますから、いいことづくめなんです。」
無邪気。そんな言葉がよく似合う彼に、私は少しでも疑ってしまった事を申し訳なく思う。
「嗜好は本人の自由です。好きな物、美味しいものは堂々と食べたほうがいいに決まっていますわ。……それなのに少々勘違いをしてしまって……本当に申し訳ありません。」
「あぁ、団長の事ですね?詳細は……まぁ、アミアなどに聞き及んでおります。ネオン隊長も御苦労が多いようですね。 ……だからもっと早くに見切りをつければよかったのに……」
「え?」
「いいえ、なんでも。それにしても運がよかった!あのお菓子をこんなにも早くご相伴にあずかれるなんて。」
聞き取れなかった言葉じりを聞きなおすと、何もなかったかのようににこりと笑った彼は、刈り上げた後ろ頭をぼりぼりと掻き、私の隣を歩いている。
「奥様が考案されたブランデーケーキとパウンドケーキ。チェリーバとシノ隊長、それに団長までがとても美味しかったとさんざん自慢してきましてね。教会バザーの趣旨は聞いておりましたし、素晴らしい事業だと思っておりましたので、それならば是非、鈴蘭祭で買わせていただこうと思ったのですが……あいにくというか、鈴蘭祭の警護は3番隊と9番隊が請け負ってしまい、5番隊は辺境の警護を仰せつかってしまって行くこともできなくて。なので、いつかネオン隊長に会えたらお願いしようと思っていたんです。」
よほどうまいんでしょうね、俺、酒もいけるんです! と、ワクワクした顔をしているイロン隊長が、ブルー隊長と同じく大型犬に見えるなぁと思いながら、医療院に戻るまでの間、お菓子談義に花が咲いた。
「それならば早く仰っていただければ、隊の方へお届けしましたのに。しかしこうしてお話しして思ったのですが、イロン隊長は他にもいろいろなお菓子をお食べになったのではないですか? 出来れば今後の参考に、他にはどのようなお菓子がお好きかお伺いしても?」
そう聞けば、彼はそうですね、と、腕を組み、片方の親指を顎に当てて首をかしげた。
「確かに役職がらいろいろな地方に行く事もあって、土地の菓子はいろいろ食べましたね。それに、王都で有名な菓子店の菓子は新作や期間限定でない限りは一通り食べました。なにしろ先程も申し上げた通り甘党を隠していませんから、アミアなどは王都などに行くと、土産に一通り買ってきてくれるんです。特に好きなのは木の実を混ぜ込んだ焼き菓子に砂糖をまぶした物でしょうか。先日商隊が来た際も、私は書類を貯めてしまって見に行くことが出来なかったのですが、先ほどの補佐官が糖蜜漬けの揚げ菓子を買ってきてくれました。あれも美味しいですね。」
「まぁ、部下の方まで。本当にお好きなのですね。」
(なるほど! あの激甘スイーツを美味しく食べられる方なのね。)
大きなクマさんが蜜ツボに手を突っ込んでしゃぶっているイメージになって、それがあまりにも可愛らしく、つい微笑みが漏れた。
「えぇ。忙しい時などは、つい甘いもので昼食を済ませてしまう事があるくらいです。」
「まぁ、凄い。」
(う~ん、そこまで行くと中性脂肪の値と糖尿病が心配だわ……。 でもそれだったらジャムのお菓子とかもお好きかもしれないわ……ジャムドーナツとか、作ってみようかしら? それと健康の事を考えて、野菜入りのケークサレや焼き菓子もいいわね。)
うふふと笑いながらそんなことを考えていると、あっという間に医療院についた。
イロン隊長にはまず、今だ眠りについている『彼』を見てもらった。
スラティブを付けたままの状態ではあるが、今だ意識の戻らない彼の首元に見える火傷や、脱がせた衣類なども検分されると、イロン隊長は深く溜息をつかれた。
「なるほど……確かに服は上半身すべてが焼けている。傷の範囲が異常に広いですね。それに『火魔法』の残滓も感じます。これは正面から至近距離で魔法を当てられた傷であると私も断言します。……それから、貴女が拘束させた者は少々大切なことを忘れているか、知らないようです。この一件は聴取を取るまでもなく、私闘を禁じている騎士団において、明らかな規定違反です。」
深い深い溜息をもう一つ。そして彼は鋭い獣のような視線で焼けてぼろぼろの衣類と、眠る彼を見た。
「大切なこと、ですか?」
問うと、彼は少し目元を和らげて私を見た。
「えぇ。彼は今年入った新人騎士です。毎年、新人指導は私達5番隊が請け負っていますので、よく覚えています。骨のある、真っ直ぐでいい目をした少年でした。そして、彼の属性は『風』。しかも単独属性持ちであったと記憶しています。」
それはつまり、怪我を負った彼は『風魔法しか使えない』という事だ。
「それでは……。」
「ここから先は調査次第になりますか、どうあがいても、拘束された班長は厳しい罪になるでしょう。背景に何があったかはわかりませんが、彼の魔法が防衛魔法で反射して、ということ自体が完全に虚偽なのですから。」
「そうですか。」
その時、私はほっとしている自分に気が付いた。
疑わしきは罰せず。しかしあの時私は傷口以外の証拠がないまま、班長の拘束を命じた。
クルス先生の診断と状況証拠、それに彼自身の様子から、彼が虚偽を言っていると思い行動したが、しかしその事に罪悪感はわずかにだがあったようで、判断が間違っていなかったと、自分は安堵したのだ。
(冤罪を起こさなくてよかった。 でももう少し、冷静に行動するようにしないと駄目ね。)
ほっと息をついた私は、イロン隊長のために2階の執務室からパウンドケーキとブランデーケーキのハーフサイズを一つずつ、そして辺境伯家から持ってきていた焼き菓子を一包み用意すると、それらを彼に手渡した。
こんなにたくさんいただいてもいいんですか!? と破顔してそれらを受け取ったイロン隊長は、本部に戻る道すがら何度もこちらを振り返ってお礼を言っているのを見送りながら、反省を胸に医療院の中へと戻った。