88・新たな患者と、ひと騒動【11/24追加】
不安と苛立ちの中、書類仕事を黙々と片付けていると、急ぐような靴音が下から上がってくる音が聞こえた。
(……今度は何かしら。)
つい、私のところじゃないといいわねぇ、などと願いながらペン先をインク瓶につけようと思った時だった。
「隊長!急患が2名入ります!」
アルジの声に顔を上げた私は、ペンをそのままペン置きに挿すと、すぐに立ち上がった。
「クルス先生にお声をかけて下に降りるわ、どんな状況なの?」
「なんでも、模擬試合で少々手荒になってしまった、とのことですが?」
「手荒?」
眉間に皺を寄せて問い返しながら、部屋を出ると、隣のクルス先生の部屋の扉が開くのが見えた。
「はいはい、聞こえてるよ~。模擬試合という事は剣の傷かな? 見てみないと解らないけど受け入れ準備を始めようか? ネオン隊長。」
「はい、先生。」
私とクルス先生が頷き合い、アルジと3人、下に向かおうとしたところで、一階から声が聞こえた。
「患者が入りました!」
その大きな声は受け入れをしたシルバーの声だと気づき、足早に階段を降りる。
医療院の受付はすでに半分が解体され、そこに戸板に乗せられた若い騎士がシルバーの誘導で中央の診察ブースに入って来ていた。
「ベッドへ移動させるわ、手を貸し……っ!」
医療ブースの天井から吊り下げられた、魔導ランプで作った、処置をする手元が明るく、そして影で遮られないようにと工夫されて作られた無影灯の下に連れてこられた騎士を見て私は顔を顰めた。
「これはどういうことなの?」
戸板に乗せられた騎士は、痛みと衝撃で半狂乱の状態で戸板に荒縄でぐるぐると、布を口に入れられた状態で、痛みに呻き声をあげていた。
さっと全身を見れば、その状態も極めて劣悪。
鎧を身に着けていなかった上半身の前面は、全体が爆発に巻き込まれたように焼けただれて、さらに左肩から右わき腹に刀傷があるように見えた。
「まず、口の中に押し込んだ布を取りなさい、窒息してしまうわ! 物資班は洗浄用の湯冷ましの水と処置用の布を。エンゼ、シルバーは処置用の包交車と資材をもってこちらの手伝いを。移動の前に全身の洗浄を行うわ。ラミノーとアルジはもう一人運ばれてくるまでこちらを手伝って頂戴。他の皆は院内の保全と患者さんのケアに努めてください。」
「「「はい!」」」
素早く医療院内にいるメンバーに役目を伝え、私はクルス先生と共に診療スペースで、戸板に拘束され暴れる騎士をみた。
「うあああぁぁぁぁぁぁあ……っ!」
口にねじりこまれた唾液と血液でドロドロになった布をシルバーがとると、患者はそれを吐き飛ばすように激しく声を上げ始めた。
「おぉ、これはすさまじいな。 これじゃ危なくて拘束も解けないし治療も出来ないぞ。 ネオン隊長、とりあえず眠らせてくれ。しっかり深く3時間だ。」
「かしこまりました。エンゼ、シルバーは先生の指示に従って処置の用意を始めて頂戴。」
「「了解です!」」
荒縄の拘束下で、その上に巻かれた荒縄でさらに苦しみ、唯一拘束されていない頭を打ち付け振りかぶり暴れる患者の肩にそっと触れると、私は暴れる患者に集中し、魔力を注ぎ込む。
クルス先生の指示に従って、『3時間』『深く眠れ』と強く意識しながら、口の中で小さく子守唄を歌う。
以前、大きな手術を行った際は、その処置の間中、ずっと子守唄を歌い続けなければならなかったが、クルス先生や魔術師団長のトラスル隊長、セトグス隊長と研究実験した結果、私の魔力を患者の魔力の回路に流す際、眠る時間とその深度を細かく調節できるようになったのだ。先生がかけられたいと言われて行った実験では、眠りからの覚醒も、より自然に近いようだった。ただし、魔力持続時間は6時間が限界であり、魔力が切れると同時に痛みがぶり返す、と改善点は多いが、それでも、安楽に安全に治療を受けられるという事で、先生の指示に従って魔法をかける。
(痛いでしょう、辛いでしょう。 でも、今は深く眠ってください。)
私は歌う。
歌い始めて5分もしないうちに、半狂乱だった彼の手足の力は抜けおち、そのまま深く眠りについた様だった。
そんな患者の様子を確認し、酷い傷口にあえて触れて眠りを確認したクルス先生は、シルバーたちに荒縄を解くように伝えた。
「流石、完璧だね。」
「ありがとうございます。では先生、洗浄始めますね。」
クルス先生の声に頷き、患者から手を離した私は、ラミノーと共に彼を拘束する荒縄や、焼け焦げたり汚れてしまった衣類をすべて取り去ると、戸板の上に寝かせたまま、鮮血で濡れる焼けただれた上半身と泥で汚れた下半身を、シャボンの泡で丁寧に手早く洗い流し、綺麗に拭き取ったうえで患者にオムツだけをつける。
シルバーの方も医療器具をセッティングし終えて、私たちを手伝い始めた。
「戸板からベッドに移すわ。 みんな、手を貸してくれる?」
「「はい。」」
私の声に手が空いている者が集まり、汚れた戸板からシーツのかけられたベッドへと患者は移された。
「どれどれ?」
天井から下げられた無影灯を調節しながら、シーツの上の患者にクルス先生が近づいた。
「あ~、こりゃ火傷が酷い。真正面から『火魔法』をぶつけたな? 縫うべき傷だが、火傷した皮膚はダメージを受けているせいで組織の損傷がかなりひどい。縫合糸がかけられそうにないな。」
傷の断面を確認したクルス先生は、一つ頷く。
「内側の火傷を負っていない部分の傷の深いところだけを縫合し、表面はこのままスラティブを小分けに全面に張り付けよう。交換は日に1度。浸出液が酷い場合は適宜交換だ。シルバー、縫合の準備。」
「はい。」
てきぱきと傷の深い部分だけを縫合用の針と絹糸で縫い始めたクルス先生の手元に影が落ちないよう、エンゼが魔導ランプを調節する。
その様子を確認しながら、スラティブと布の用意をし始めたところで、もう一人の患者と思われる騎士が、付き添われて歩いて医療院へ入って来たのが見えた。
「隊長! もう一人来ました。」
「わかったわ。傷の確認と洗浄をお願い。こちらの縫合が終わったら先生に向かってもらいます。」
「了解です!」
患者にラミノーが近づいていくのをちらっと見た私は、左腕を布で押さえた患者と思しき騎士を見て違和感に首を傾げた。
勲章の色と階級章から察するに、今処置を受けている大怪我をした少年騎士の上官(怪我人)とその補佐官のようだが……なんだか二人でこそこそと耳打ちの後、補佐官らしき人は顔色も悪く足早に医療院を出て行ってしまったのだ。
最初に入った少年騎士には目もくれず、ただ焦るように上官に頭を下げながら出て行った。 その行動に、何やらささくれを逆なでされるような、感情のざらつきを感じた。
(こういう勘は当たるのよね。面倒ごとにならなければいいけど。)
そう思いながらも、気持ちを切り替えてクルス先生が行う処置の視界が遮られないよう、にじみ出る出血を清潔な綿花で拭う。
カラン、と針が固定されたままの持針器を膿盆に置く音がした。
「はい、終わり。後の処置はよろしく。入院は3週間から6週間程度。看護班は水分補給と栄養補給、発熱する可能性が高いから全身状態のチェックをこまめに。水分をこまめにしっかりと取らせ、排尿量も確認してほしい。 鎮痛剤は『セット2』を、1日6回を限度に。使用から3時間以上は必ず間を空けること。 いいね。」
「解りました。」
シルバーが先生の指示を素早くメモを取る中、エンゼと私でスラティブでの皮膚の保護を始める。
前開きに出来るように加工してある布で固定し、待機していた隊員たちに声をかけると、清拭と着衣交換の準備ができた最重症患者用のベッドに連れて行き、すでに用意された浴衣タイプの病衣を着せてシーツをかける。
(さて、次は。)
私はもう一人の患者を診察ブースへ連れてくるように指示をだし、最初の処置の後片付けを始めた。
「模擬戦闘中にアイツが突然逆上して、魔法を使いながら力いっぱい切りかかって来たんですよ! それでつい、剣で払ってしまって……酷いんですよ、部下なのに上司を敬うことなく、こうして攻撃までしてきて! 防御魔法があったからいいものの、一歩間違えれば私がああなっていました。あぁ、腕が、腕が痛い!」
「へぇ~ぇ、ふぅ~ん。なるほどね、そうなんだ。そんなに痛いんだぁ~。」
診察ブースに入るなり、こちらの話も聞かずそう言いだしたのは、やはり大怪我を負った患者の所属する班の班長で、先ほど共に来ていたのは副班長だったようだ。
「えいっ」
「ですから、私は無じ……痛てててっ!」
捲し立てるように話す彼の話を適当に聞き流しながら、傷を覆っていた布をクルス先生が乱暴にはぎ取ると、彼は大袈裟に痛みを訴えた。
傷を負ったのは左の前腕の外側、少し乾いた血のりがべったりとついているが、すでに血は止まっており、布についた血液も、ゲル状になっている。
「隊長、洗浄してくれる?」
「かしこまりました。こちらに手を出していただけますか?」
「え!? ネオン隊長自らですか? 嬉しいなぁ、光栄です!」
私を前に、先ほどまでの被害者的発言の勢いはどこへやら。情けないほどに鼻の下を伸ばし、班長は痛くて動かないはずの腕を素早く差し出してきた。
「お務めですから。水と石鹸で洗いますので傷にしみると思いますが、我慢なさってください。」
「もちろんです!」
ニヤニヤして私(の体)を見ている彼に、張り付けたような淑女の微笑みを向けながら、桶の上に手を出してもらうと、石鹸の泡を使って丁寧に傷口を洗う。
腕にへばりついていた血のりがなくなると、私は傷の不自然さに目を細めた。
腕の傷は、少し深めであるが、大きな血管もない場所で筋組織にもダメージがないように見える。
(振り下ろされた剣をどう腕を出して防げば、腕に水平に近い傷が出来るの……? それに大きな傷の周囲に同じ角度の小さな傷が何本も……振り下ろして切りつけているのに?)
ここまで考えて、あれ? と思う。
(……これ……自傷の時のためらい傷と一緒では? と、すると……)
いやな予感は当たったようである。
内心大きく溜息をつきながら、洗い終わった腕を乾いた手布で包み、クルス先生をみると、彼は今まで見たこともないくらい意地の悪い顔をしていた。
(一波乱おきそうね……仕方ない、私が対応しましょう。)
「シルバー、桶を取って腕を置く台を用意して。」
「はい、隊長。」
傷口を押さえた状態で、腕の下の桶を抜いてもらい、代わりに処置用の小さなテーブルを置いてもらうと、私は目の前の傷を負った可哀想な自分を演出する班長を見た。
「班長殿。」
「はい! 何でしょうか、ネオン隊長!」
「もう一度お伺いしますが、これはどうやってできた傷ですの?」
「それはですね! 模擬訓練をしていたのですが、彼は私に何度も負けて悔しかったのでしょう。試合が終わってから切りかかって来たのです。私は咄嗟にこの腕でその剣を防ぎ、己の剣で薙ぎ払ったのです。そうしたところ彼が魔法を使いまして……幸い私は対攻撃魔法の呪い石を持っておりましたから、魔法は反射し、術師である彼に魔法が返ったという次第です。」
(随分とぺらぺら話す事。)
私の胸に視線を合わせたままそう言った彼に、私は頷く。
「そうでしたか。それは大変でしたね。彼に切られたのは一度ですか?」
「えぇ、思い切り上から切り付けられました。」
「さようで……「なるほど。じゃあ、それが本当か診察してみようかな。ネオン隊長、介助して~」
「かしこまりました。では、先生が診察しますね。」
私たちの話を聞いていたクルス先生が、私の手から彼の手を取ると、傷に当てていた布を再び乱暴に外した。
「いてっ! なにするんだ! 医者ふ……」「治療院ではお静かに願いますわ。先生に腕を出してくださいませ。」
「……ちっ。お願いいたします。」
(舌打ち、ちゃんと聞こえてるわよ。)
そう思いながらも文句を言いたげな班長に微笑むと、ニヤニヤと私を見て笑った彼は、処置される腕を見る。
しかし班長はもちろん、クルス先生も容赦なく傷口を見てニヤリと笑った。
これは一触即発の雰囲気だ。
(はぁ……これは穏便に済ませるのは絶対に無理そうね。)
やれやれと内心肩を竦め、怪我人である班長と先生からそっと離れた私は、近くで様子を見ていたシルバーに伝言をたのむと、彼は頷いて医療院を出て行った。
同時に、近寄って来たラミノーに小さな声で指示を出し、治療スペースが見えないように現在いる患者の周囲に衝立を立ててもらい、患者の安全を図るようにしつつ、医療院の扉も閉めてもらったところで、クルス先生も私の動きを把握していたようで私に頷き、それから呆れたような顔で、目の前に座る班長を見た。
「君さぁ。この傷、彼が振り下ろした剣を受けた傷って言ったけど、違うよね?」
「はぁ!?」
顔を赤くした班長が、クルス先生を睨みつけ、語尾を強く叫ぶ。
「なんだと!? 貴様、医者の分際で私を侮辱するつもりかっ!」
「いや、だって見てよ、この傷。ほら、ネオン隊長も。」
急に感情を荒ぶらせた彼に対し、クルス先生は飄々とした顔で言った。
「手で遮ったって事はさ、こう肘を折って、手を前に出すよね。ってことは、角度はあるにせよ、傷は腕に向かって垂直に傷はつくはずなんだ。なのにこの傷は腕に水平に入ってる。なんでかな? あ、それと、この傷、よく見ると下から切り上げた傷なんだよ。君が言うタイプの傷ってのは、最初に刃が入った方は深く、ぬけた先の傷は浅くなる。あれ? だとするとやっぱりおかしいな。 この傷から判断すると、彼は刀を振り上げて切りつけてないね。」
「なっ!」
そう言われ、顔を真っ赤にした班長は椅子から乱暴に立ち上がった。
「そ、そんな訳あるか! あいつが切りかかって来たんだ! それでこの手でこうして避けて、そうだ、手甲を付けていたから傷が浅いんだ。そもそもあんたの言う事なぞ信じられない!」
「ふぅん。なるほど、なるほど。それで? 君は自分の身を案じて剣を横に薙ぎ払った。彼は君に向かって火魔法をかけてきて、君の対魔法防御で彼に跳ね返って火傷を負った、と。……ふんふん……」
「そ、そうだ、その通りだ!」
ぱしり、と、クルス先生は彼の傷ついた腕の手首をつかんだ。
「嘘つき。」
にたり。
班長の間近に顔を近づけ、今まで見たこともないような背筋の凍りそうな笑みを浮かべたクルス先生は、握っていた手首に力をこめる。
「彼の傷はね、診察した僕にはもちろん、傷を洗浄したネオン隊長もわかったと思うんだけど……爆発した皮膚の上から振り下ろされて切られてついた傷だった。」
「な……っ!?」
「なぜわかる? って顔をしているね? わかるさ。まず、薙ぎ払われた傷なら下から上に、腰から肩……いや、どちらかというと、体に真一文字に傷を受けるよね。そもそも切り傷が先なら魔術を受けた傷口も当然焼けるんだ。けれど彼の傷の断面は焼けていなかった。……わかるかい? 彼の傷は火傷を負った後に振り下ろされた刃で着いた傷なんだ。」
その言葉に、班長は顔を青く、ひきつらせながらもクルス先生を睨みつける。
「なんだと!? 貴様、何を証拠に言いがかりをつけるんだ! わ、私は4番隊第一部隊第一班の班長だぞ!」
「ふ~ん。 ねぇ、ネオン隊長はどう思う?」
明らかに脂汗をかきながらもそう叫んだ班長は、クルス先生に意見を求められた私に、縋り、媚びるような視線を送って来た。
それに一つ、溜息をつく。
「私はその現場にいなかったので、どう切ったか等、はっきりと断定する言い方は出来ません。」
その答えに、明らかにほっとした表情をした班長を私は見た。
「しかし、傷口の事に関しては申し上げられますわ。 あの傷は『火傷を負った後に切られた傷』です。」
「な、なんだと!」
真っ青な顔で、私に詰め寄ろうとした班長だが、クルス先生が手首をつかんでいたためその場で地団駄を踏んだ。
「そんなもの、解るわけがない! 切った後に出来た傷、焼いた後に切った傷など、解るものか!」
「解りますわ。」
彼の持論に私が断言したことで、クルス先生が『にちゃぁ』と笑った。
きっとよからぬことを考えているのだろう。 多分、じゃあ、君で実験してみようか、と、言い出しそうな勢いだ。
私の管理する医療院でそんなことをされても困る。
私は班長を見て問うた。
「貴方は、ステーキはお食べになりますか?」
「当たり前だ! それが何だ!」
「では、私たちの言っている意味が、あなたにも解ると思いますわ。ステーキの焼いた面をご想像ください。あれにナイフを入れた時、直火で焼けていない部分はどうなっていますか? 表面の様に焦げていますか? それとも、肉としての質感や潤いを保っていますか?」
「あっ! そ……それ、は……。」
言われて初めて、その意味に気が付いたのだろう。
目を見開き、がくがくと膝を震わせ始めた彼に、私は静かに告げる。
「彼の傷は、表面は炭化した3度の熱傷でしたが、刀傷の内側は血が滲み、肉質のわかる断面でした。ですから焼けていない傷の深い部分は治癒する可能性があると判断され、先生は縫合しました。それが証拠です。貴方は彼に火魔法を浴びせた後、肩からわき腹にかけて剣を振り下ろした。そしてその後でしょうか、口裏を合わせるために己の手を自分で切った。右手で切ったから、肘関節に近い傷口は深く、手首に向かって浅くなったのでしょう。どのような事情があったかはわかりません。しかしどのようなことがあったにせよ、これは圧倒的な力の差がある相手、上司から部下への一方的な暴力です。このようなこと、騎士団内であってはならないことだと私は思います。ですから、辺境伯騎士団10番隊隊長ネオン・モルファの名の下に、貴方を拘束します。」
「は!? 俺を拘束だと!?」
跳ね上がるように声を上げ、逃げようとし、腕を掴んだままのクルス先生を班長は睨みつけた。
「く、くそ! 証拠もない、あんたたちの勝手な意見で、この俺が拘束できるものか! 手を離せ! 殴るぞ!」
「殴られるのは御免かなぁ。」
クルス先生はいつも通りの笑顔をうかべると、ぱっと手を離した。
あっさり解放され、ほっとした表情を浮かべてこの場を逃げようと足を踏み出した彼は、しかし、受付の方に隠れていたシルバーの連れてきた鎧を身に着けた騎士2人によって拘束され、縄をかけられた。
「何だお前たちは! やめろ! 私の方が上官だぞ!」
縄をかける騎士に向かって叫ぶ班長に、私は溜息をつく。
「いいえ。私の方が上官ですわ。そして彼らは私の命令で動いております。」
「くそっ! くそっ!」
顔を真っ赤にし、彼は私に向かって叫んだ。
「女の癖に余計なことしやがって! これだから頭でっかちの口の立つ女は嫌いなんだ! 女は黙って男の後をついて、機嫌を取っていればいいんだ! 何が隊長だ! ふざけるなっ!」
「ご忠告、ありがとうございます。」
(隊長じゃなくても一応上官の妻なのだけれど覚えていないのかしら? まぁ弱い犬程よく吼えるというしね。)
彼の言葉に私は微笑んで流そうとしたのだが、その言葉に、医療班の班員たちが一斉に集まってきた。
「貴様! ネオン隊長に失礼なことを言うなっ!」
ラミノーが殴り掛かりに行きそうなのを慌てて止める。
「ラミノー、やめてちょうだい! みんな、落ち着いて。ここは治療院よ。騎士様、どうぞ連れて行ってください。 後で私が証言に伺うとお伝えくださいませ。」
「「はっ!」」
私は今にも彼に飛び掛かりそうな医療班のメンバーを制止し、なおも唾を飛ばしながら、女のくせに、女だてらにと騒ぎ立てながら医療院から連れていかれた班長を見送ると、私はクルス先生の方を見てわざと一つ溜息をついた。
「先生? もう少し穏便にできませんの? 処置の後で、事情聴取の際に話す、とか。」
「それは無理だなぁ、ああいう輩はね、これっぽっちも悪いなんて思ってないんだ。現にネオン隊長にだってあの態度だ。きっちりやったことをその場で解らせた方が早いよ。」
光のない目でニヤッと笑った先生に、少し背すじが冷えた気がするが、その動揺を出さぬように微笑む。
「しかしそれでは、治療院の中が騒がしくなってしまいます。患者もおりますのに……先生は、患者第一が信条でしたわよね。」
「あぁ、確かに。その点については僕の配慮不足、ネオン隊長の言うとおりだ。次からは気を付けるとしよう。」
「そうなさってくださいませ。」
いつもの表情に戻った先生にほっとしながら、私は溜息をついてラミノーを見た。
「ラミノーもすぐ殴り掛かっては駄目よ。じゃあ、私は念のために彼の事を説明に行ってきます。後をお願いしますね。」
「かしこまりました……が、今の今ですし、後でもよろしいのでは?」
班長への怒りが収まらないのだろう。むっとした顔のままだが私を気遣ってくれる彼に大丈夫よ、と笑う。
「こういうことは早い方がいいわ。……騎士が拘束されるのは本部でいいのかしら?」
「はい。」
「そう、では行ってきますね。」
その様子を見て、2階から隊服を持ってきてくれたシルバーにお礼を言いながら、私はそれに袖を通すと医療院を出た。