85・療養と、花束と、囚われの小鳥。
絶対安静を言い渡されて5日たった。
この結婚当初に離れ勤務となり、現在はすっかり仲良くなった離れ専用使用人達に、トイレと入浴以外はベッドから出ることを禁止され、さらに厨房も何を勘違いしたのか、医療院で出される重症病人食を日に3度と、10時と15時にプリンや氷菓、パンプティングを用意してくれる、という完全に病人扱いを甘んじて受け入れていた。
3日目までは熱も下がらず辛かったこともあって大人しく従っていたが、熱の下がった4日目からはベッドの上ですこしずつ、本を読んだり刺繍をしたりして過ごしていた。
手布の端にピコット刺繍をし、そこに試作品のビーズ使うととても可愛いし、実用的だ……が、疲れる。
(刺繍の試作品はこれで御終いにして……あ~ぁ。 こっちの世界にスマホや携帯ゲームがあれば療養生活ももっと楽に過ごせるんだけどね。)
そう思い、窓の外に目をやる。
(でも、この別宅の環境は、気に入っているのよね。)
もともと本宅からやや離れたこの離れは、向こうで言うところの別荘地のような感じだ。 計算して植えられた木々に囲まれ、窓を開ければ小鳥の鳴き声、木立が揺れる音、爽やかな風の入ってくる最高の療養環境だ。
その中に、朝晩と、侍女長や家令の取次ぎを要求する声さえ聞こえなければ、もっと最高であるが……そこはもう、諦めた。
彼らが言っていることは、私が旦那様に対し感情を爆発させてしまったあの時と変わらない。
『離れではなくて本宅で療養してはどうか。』
それに対し私が思う事はただ一つ。
(悪化するから絶対にお断り!)
ただそれに尽きる。
この心境に対してはマイシン先生とクルス先生がなんとなく理解してくれているようで、感染する病気だったらどうするのですか? 辺境伯まで寝込まれては困るでしょう? 患者は隔離で面会謝絶、あなた方の訴えは問題外です。 と一蹴してくれた。 しかし無駄にガッツのある彼らは、それではご不自由がないように! と、1日2回、病気お見舞いと称して来ている。 別宅の使用人たちに、扉すら開けてもらえず追い返されているようだが。
相手をさせていることに申し訳なく感じながら、私はいつも心の中で親指を立てている。
皆さんグッジョブッ! と。
(本当にしつこい、うざい、面倒くさい。 まったく懲りていないわね……。)
怒ったかいなし。 したがって、旦那様に裏拳を入れ暴言を吐いた私は反省する必要なし。
これが寝込んでいる間に出した結論である。
「嬢ちゃま。」
コンコン、と、庭に面した窓が叩かれ、私がそちらを向くと初老の庭師モリマが手を振っていた。
(モリマだわ。)
ベッドを抜け、ショールを羽織ってそちらに向かうと、彼は腕一杯のお花を私に渡してくれる。
「今日はこちらから失礼しますよ、嬢ちゃま。 まぁ、凝りもせず、裏口には侍女長、正面には執事が来ておりましてな。 侍女にお渡しできんかったのですよ。 それに、ほら。」
「まぁ! 蝶だわ!」
葉っぱをちらりと動かすと、その影に止まっていた小さな真っ白な蝶々が、ふわりふわりと外へ飛び立った。
「まぁ、蝶なぞ珍しくもないですが、今の嬢ちゃまの暇つぶしにはなったでしょう?」
「なったわ、手品みたいね。 モリマにも気を遣わせてごめんなさい。」
「なんの。 このひと月、嬢ちゃまとまともにお話しできんかったですからな。 こうしてお話しできるようになってよかった。 あぁ、しかし少しお痩せになった。 無理はせんでくださいよ。」
「ありがとう、気を付けるわ。 あぁ、今日のお花もとっても綺麗。 嬉しいわ。」
ラナンキュラスに、薔薇に、デイジー。 それに、アナベル。
「私の好きな花ばかり。 本当にありがとう……。」
ごつごつとした仕事人の手を持つ庭師は、倒れた私のために5日間、ずっと花を摘んで会いに来てくれ、昨日から、少しだけこうして話が出来るようになってからは、今植えている花の事、ハーブの事、いろいろな話を窓越しに教えてくれる。
淑女の部屋に入らないと配慮してくれているのだ。
そうしてしばらく話をしていると、扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ。」
「失礼いたしま……まぁ、ネオン様、まだお起きになってはいけませんよ!」
年嵩のいった侍女がノックをしてから入ってきて、私が窓辺に立っているのを見て大きな声を上げた。
「大丈夫よ? もう5日目だもの。 それより侍女長と執事が来ていたのね、相手をしてくれてありがとう。 モリマがどちらからも入れなかったって、こちらからお花を持ってきてくれたの。 花瓶に生けてくれる?」
抱えた花束を見せて笑うと、侍女はうんうん、と頷いてから、でも、と怒り顔になる。
「えぇ、えぇ! いくらでも。 でもお体が冷えてしまいますから、ネオン様はベッドへ。 モリマ、裏が開いたからそちらからなら入れるわ。 お嬢様からお花のお礼にと頼まれていた、ブランデーケーキが用意してあるから、お花のお礼に食べていって頂戴。」
その言葉に、庭師はぱぁっと破顔した。
「わしの大好物ですな。 嬢ちゃまは良い菓子を考案してくださった!」
「ふふ、行ってらっしゃい。」
嬉しそうに窓辺を離れ使用人専用の裏口に向かっていった老人を、ひらひら、と手を振って見送って、花を侍女に渡すと、私は促されベッドに戻った。
「あの二人、今日は、なんて?」
「侍女長の方は相変わらずです。 手が足りないようなら侍女とメイドを増やすから、奥様とお話しさせていただきたい、と。 あたしらからネオン様を取り上げるつもりなんですかね。 ネオン様はまだお休みです、と、お断りしておきました。 執事の方は、家令からの伝言で、なんでも今日、お屋敷に商隊が来るからお礼を渡しておきますが、お会いになられるか、と。 こちらは確認して、こちらからあちらへ連絡する旨を伝えてありますよ。」
「……そう。 ありがとう。 私の体調が万全ではないので、お礼だけお渡ししていただくようにと伝言をお願いできるかしら?」
「かしこまりました。 では、お花を活けて参りますね。 それから、体の温まるお茶もお持ちしましょうね。」
「ありがとう。」
硝子窓を閉め、にこにこと部屋を出ていった侍女に頷くと、私は窓の外を見る。
(会わなくてもいい。 一目見れたから、言葉が交わせたから……それでいい。)
――最後に一目。
あの日、願った事はかなった。
木漏れ日を落としながらキラキラと輝く木々が眩しくて、私は目を伏せる。
(それに、これ以上会ってもいいことは何一つないわ。 私はもう『宿屋のネオン』じゃないもの。)
私を縛る契約は、2つ。
旦那様との契約に基づいた、お飾りの妻を完璧に演じる代わりに、家族を何者からも保護してもらうという結婚。
公爵家と結んだ、私が政略結婚に従う代わりに家族に入る月100万マキエのお金と、弟妹に手を出さない。
(契約妻をやめてしまったら、母さんたちに危害が及ぶわ……。)
表立って何の危険性があるか、というのは実際にはわからない。
ただ公爵家だけは、間違いなく契約破棄を理由に、公爵家の血を引く弟妹を政略結婚の駒に使うだろう。
(私がお飾りの妻をやっていれば、どちらも何も問題はないの。 それに、一度手を付けた医療院や孤児院を放り出すわけにはいかないもの。)
はぁ、っとため息をついて、私はベッドに体を沈めた。
心が晴れないからだろうか、体も重く、怠く感じる。
もう少し、寝ようかしら……。 と、私は眠気に誘われるまま、うとうととしていた。
瞼の裏にちらっと見えたものは、夏の暑い日差しの空だったのか、闇を誘う夕焼けの空だったのか……私にはわからなかった。
「今回ばかりは! 辺境伯家の侍女をやめたことを心から後悔しました! 奥様の看病もできないまま5日ですよ!? いいじゃないですか、ちょっとぐらい私が看病しても!」
ベッドの上で夕食をゆっくりと食べながら、私は足元近くに置かれた椅子に座り、ぷりぷりと怒っているアルジの顔を見た。
「ごめんなさいね、心配かけて。」
「隊長……ネオン様のせいではありません! 全部、ぜーんぶ! 旦那様と辺境伯家と騎士団のせいです! 医療院は今、クルス先生を代表にして、断固! 奥様の環境改善を訴えていますよ!」
隊服のまま、もりもりと使用人用の賄いを食べているアルジに、私は笑う。
「あらあら、無理しないで頂戴ね。」
「してませんよ、正当なる抗議です!」
医療団で働きだしてから、アルジってば強くなったわぁ……と思いながら、私はスープをすくって口に運ぶ。
本来ならば、騎士団の中であれば許されても、辺境伯邸で辺境伯夫人と一介の隊員が一緒に食事をとる事は許されないのだろう。 が、面会に来たアルジがあまりにも怒っていると聞いたため、今日は私がいいわ、と許した。
とはいっても、アルジは賄いで、私は病人食。
場所も食堂ではなく私の寝室という、本当にプライベートな雰囲気の中で、だが。
「みんなに迷惑をかけてしまったわね……患者の様子はどう?」
「変わりません。」
もぐもぐと食事を進めながら、アルジはそうですねぇ、と首をかしげた。
「痛み止めを使うようになってからは、奥様が仰っていた通り、リハビリが進んでいます。 痛みがないって幸せだなぁってみんな言ってますよ。 再処置をした場所も、しっかり傷の回復が進んでいて、一ヵ月もたてば全員退院してもいいのでは? と、クルス先生が言ってました。」
「そう、良かったわ。」
痛みや苦しさが、どれだけ人格をむしばみ、どれだけ人の生活に影響を及ぼすかは、前世では『緩和ケア』として専門分野があるくらいには人体にとって重大事項だ。
皆、悩みは尽きないのだろう。 痛みに関しては様々な種類もあり、『痛みの専門外来』などができ、腕のいい病院やクリニックなどは、一ヵ月先の予約も取れない、なんて事もあるほどだった。
前世でも、今世でも、痛みや苦痛が人間の生活の質(QOL=Quality of Life)を脅かすという根本の事は変わらない。 それを少しでも安楽に出来るように医師の指示の下、個人に寄り添い、援助するのも、看護師の仕事だった。
「先生方には本当に感謝しかないわね。」
「はい! あ、でも、先生には別の悩みもあるようで。 今いらっしゃる患者様は皆、何かしらの肢体欠損の後遺症をお持ちです。 復帰先の悩みを抱えている方が多くて、その点で奥様と相談したいと。」
「そうね。 医療院の薬草園に、先生の助手は、軽症の方のリハビリの場になってきているけれど……物資班も手は足りているし……」
「……いっそ、厨房とか、事務員として他の隊でもお雇いになればいいと思うんですけどね。」
「それだわ、アルジ!」
ごくん、と食事を飲み込んで、私は頷いた。
「他の隊長に掛け合ってみましょう。 現在、調理場担当や補佐官担当がどのような方で、傷病者で交代できるかも含めて聞いてみるのが一番よ。 他の方の仕事を取らないように、皆が円滑に仕事できるように、ね。」
「なるほど。」
「そうと決まったら、明日から頑張らないと駄目ね。」
「え? 明日から仕事に戻られるのですか??」
「えぇ。 だって休みなさいと言われた期間はちゃんと休んだもの、明日からはまた、ちゃんと働くわ。」
(ここにいても、侍女長や家令に襲撃にあうだけだし……それに、副団長以下、各班隊長の方にもきちっと『旦那様との同行視察は、本当に必要なもの以外はお断りします!』とお話ししなければならないし!)
うんうん、と、美味しくデザートまで平らげた私は、本当に大丈夫か、と心配げに私を見るアルジに笑いかけた。
「大丈夫よ、もうこんな無茶なことはしないし、そもそもは医療班立ち上げからハードに働き過ぎたことが原因だもの。 医療院もみんなのお陰で随分と現場から離れていられる時間も出来ているし、そろそろ新棟も完成するでしょう? 休んでいられないわ!」
ね、と笑うと、アルジはう~んと考えた後、うん、と頷いた。
「わかりました! 私もお手伝いさせていただきますね! 看護班副班長として頑張ります!」
「一緒に頑張りましょうね。」
「はい! ……あっ、そうだ。」
ぐっと手を握って頑張る! とポーズを取っていたアルジは、そうだったと、持っていた鞄の中から一つ、両手に収まりそうな大きさの布包みを取り出した。
「奥様、これ、この間子供を助けてくださった、白髪の騎士様からお預かりしました。」
思いがけない言葉に、私は一瞬動きを止めた。
「……え? 私に? あの護衛騎士様が?」
持っていた匙を落としそうになりながらも、平静を装ってアルジに問う。
「なんでも、今日、お屋敷にいらっしゃったときに、奥様からのお礼だと十分な報奨をいただいた、とかで。 ジョゼフさんにこれを奥様に渡してもらおうと思ったらしいんですけど、頼み忘れてしまったんですって。 商隊の売り物の中でも一等綺麗な物、らしいですよ。 こんなに丁寧に布でくるまれて、その上紐でぐるぐる巻きにされるくらいだから、よっぽどお高い物なんでしょうね。」
にこにこと笑ってそれを私に手渡したアルジに、私も笑顔で受け取る。
「そ、そう。 で、それをどうしてアルジが?」
「それが、商隊の方たちはお屋敷に寄った後、騎士団の方……旦那様や副隊長と話し合いをする予定があったそうなんです。 とても大切な話とかで、結構時間がかかるからと、騎士団に許可を得て、砦の中で商品を広げてくださったんです。 鈴蘭祭でも出さないような珍しい物を出すと聞いて、皆で交代で見に行ったんですよ。 私はラミノーさんと一緒に行って、とっても楽しかったんですけど、その時に、例の騎士の方に声を掛けられて、事情を伺って、預かってきたんです。」
「そう……。」
(……家令に渡さなかったのは何故? 辺境伯家経由で見られたら困る物……なの?)
アルジの話を聞きながら思案しつつ、嬉しそうに話している彼女に聞いてみる。
「商隊の方が、辺境伯騎士団に何の御用事なのかしら?」
「それは私にもよくわからないですけどとにかく大事なお話だったらしいですよ。 気になるのなら、明日、ブルー隊長に聞かれてみればよろしいのでは?」
首をかしげながらそう言ったアルジの言葉に、あの大型わんこ隊長も副団長だったことを思い出す。
「そうね、そうするわ。 私も隊長だし、必要な事なら教えてくれるわよね。 あぁ、でも怪我人が出るような事じゃないといいけれど……ね。」
と、医療班隊長としての言葉を選びながらそう言った私に、そうですね、と、自分の食事を一度テーブルに置き、私の食事が終わったのを見たアルジが膝の上からそれらを取り除いて傍のカートに置いてくれた。
「では奥様、ちゃんとお渡ししましたよ。 布は開けていませんが、危ない物ではなさそうだと、ラミノーさんとちゃんと確認済みですし『過分なお礼、誠にありがとうございます』とお伝えくださいとの伝言でございます。 では奥様、私はこれで失礼いたします。 明日の朝、お迎えにまいりますね。」
「えぇ、ありがとう。 アルジもゆっくり休んで頂戴ね。」
「はい。 では、失礼いたします。」
自分の食事と、私の食事が終わった食器の載ったカートを押しながら出ていくアルジを見送ると、私は手の中の布包みの紐をほどき、品を包んでいる珍しい布を丁寧に開いた。
中からは、彫金で綺麗な意匠がこらされた、銀色の飾り箱が出てきた。
「……? これは……?」
銀製とはいえ、ただの箱を貴族の夫人に渡すわけはないだろう。
小さな飾りの彫られた留め具を外し、一度深呼吸してから、意を決して蓋を開ける。
……ポロン……
蓋が開いた瞬間、箱から音が零れだした。
「オル、ゴール……こっちの世界でも、あるのね。」
箱の中右半分には、ギミックが仕掛けられているのだろう。 蓋が開けられると、皮肉ともとれる、籠の中の虹色の羽の小鳥が、嘴をパクパクしながら歌を歌っていて、左半分は宝石などを入れられるように青いビロードが張ってあるのだが、そこには何かが詰め込まれていた。
(一体何が……?)
震える手で、私はそれをベッドの上に取り出し広げる。
「……これ、は……。」
取り出したものに、私は激しく動揺した。
東方の小さな髪飾り。
銀の細い鎖に小指の爪ほどの青い石が通されたネックレス。
綺麗なお菓子の包み紙。
大きくまじない文字の彫られた青い守り石。
茶ばんだ紙に包まれる、乾燥して脆くなったいろいろな種類のいろいろな花の花びら。
細い細い、綺麗に飾り彫りの施された腕輪。
金色の地に東方の守りの紋の刻印された綺麗な髪飾り。
それらは皆、身に覚えがあった。
(どうしてこれを、あの人が、持っていたの?)
これらはすべて、王都で家族たちと暮らしていた時に彼からもらった思い出の品で、粗末な木箱に入れていたもの。 私が公爵家に連れられて行った後、家族は綺麗な屋敷に移り住んでいる。 その時、捨てられたとばかり思っていた。
「なのに、どうして……あの人が持っていたの?」
手紙などは何も入っていない。
ただ、鳥籠に囚われた小鳥が鳴く声だけを聴きながら、私は侍女がやってくるまでベッドの上にそれらを広げ、呆然としていることしかできなかった。
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誤字脱字報告も、合わせてありがとうございます!
★『気持ちの上書き、積み重ね問題』は現在捜査中です!
★ジャンル別日別ランキング1位ありがとうございます。
いまだ夢心地というか、挙動不審ですが、最後まで、楽しんでいただけるように頑張ります!
……30万文字超えているのにお読み頂いて……貴重なお時間を使っていただいて、本当に感謝しております。m(_ _"m)