80・スライムの利用価値と、鈴蘭祭前夜
「気が付けば、というか、本当にここまであっという間、だったわよねぇ……。」
気持ちよく、力いっぱい欠伸と伸びをした後で、ずるずると浴槽をすべるように口元まで湯につかりながら、私は記憶が戻ったあの日から、思い切り走り抜けてきた一ヵ月を思い起こした。
もう、満身創痍というか、疲労困憊というか、よそに心を割く余裕なんかなかったというか、濃密濃厚、身も心もいっぱいいっぱいの一ヵ月だった。
まずは私の転機となった辺境伯騎士団医療院。
先日ようやく納品されたスクラブ。 到着日にみんなは騎士服を脱ぎそれを着用したのだが、その動きやすさと着やすさにびっくりし、そして制服を着たことで『医療班』というイメージをしっかりと作る事が出来たからか、皆、それを着て胸を張って生き生きと仕事をしてくれている。
現状、皆と一緒に現場で仕事をしたいのに、鈴蘭祭や医療院開設・慈善事業などの辺境伯夫人・医療班隊長としての雑務が襲い掛かってくる私には、 看護技術の教育と指導、新たに迎えた2人の医師とのやり取りと技術申し送り、皆からの相談に乗る時以外、現場にいることが出来ず申し訳なく思っている。 それなのにみんな、本当によくついてきてくれるなぁと感謝しかない。
心配と言えば、医療院に仮配属となっていたアペニーバも、本当に反省して志願してくれたようで、『以前の経緯』を知ってしまったアルジを含めた医療班の全員から、一発ずつ拳を食らったようだが、今では仲良くなって円滑に仕事を行っている。
ちなみに、辺境伯騎士団への常駐医師クルス先生は、あの様子からは想像がつかないほど仕事には忠実で、毎日ちゃんと出勤し、丁寧に仕事をし、魔術師団長たちと雑談をしながら真面目に働いてくれている。
正直、ずっと変わらないという外見同様、底知れない何かをお抱えの様子のクルス先生には警戒している部分もある。
しかし仕事の話は1聞けば10の答えを返してくださるし、こちらの意思も確認してくれる。 そして、経口投与できる痛み止めも実際に用意してくださったときには本当に、ほっとしたものだ。
ちなみに、先生の用意なさった薬剤の大半は『セイヨウシロヤナギ』『ダチュラ』『アヘン』などの生薬であり、先生の話から察すると、かなりの純度の物だった。
薬学に精通しているのか、いるかわからない錬金術師なのか……とにかく先生の底知れぬ恐ろしさを再認識したものである。
その純度の高さに『これは量を間違えるわけには絶対にいかない!』と慌てた私は、薬品の投与はクルス先生がいるときに、先生に量を調節してもらい使用することとして皆にも認識させ、薬は私の執務室の金庫で管理する事にした。
前世で言う麻薬と同じ取り扱い方法だ。
『君は心配性だなぁ!』 とカラカラと笑われたが、いや、それ、確実に毒薬ですからね!? とみんなの前でクルス先生にさんざんお説教をしてしまったのは……いい思い出という事にしておこう。
ちなみに製造方法は、もう少し君を信頼できるようになってから教えよう、と、意味深なことを言われたため新たな契約書を作っておく必要性を私は感じている。
その後、実際に手術をするにあたり、新たに出来上がる創部に対して、私は前世の知識を引きずり出し、創傷保護剤や様々な外用薬を噛み砕いてクルス先生に説明、提案したところ、それならばいいものがある、と、でっかい丸フラスコのようなものに入れられた魔物を紹介された。
その魔物とは……みんな大好きスライム!
ちなみにこの世界のスライムは、色は種類によってさまざまで、染色可能。 形状はガチャガチャで売ってるスライ〇バケ〇に入っているような、ねばねばアメーバ状のものだ。
実験的に行われたスライムによる創傷保護は、私がワンパンで倒せるような弱いスライムを、さらに『光』魔法で『魅了』状態とし、『僕はもともと人間の味方だよ、みんな仲良し!』みたいな顔にさせ飼育する。(その光魔法は誰が使っているんですか? ときいたら、底の見えない瞳の笑顔で『内緒♪』といわれた。 本当に怖い。)
その魅了されたスライムから、理科実験具みたいなものを使用して綺麗に、抽出した『ジェル状の分泌物』を、クルス先生が長年研究していた『回復薬』に漬け込む。 するとジェル状のそのスライム分泌液は、余分な浸出液や膿を吸収し、創部自体は乾燥させることなく、スライムの元々持つごく弱い消化酵素の力で、患者の創部を清潔に保つことが出来るのだそうだ。
『スラティブ』と名付けたその薬剤を外傷に塗り布を当て固定すれば、治癒速度も上がり、伴う痛みもかなり軽減できる。 これで、前世で褥瘡などに対して行っていた『外傷における湿潤療法(*)』が出来るようになった。 神様、ありがとう! スライムだけど! 本当に清潔かは謎だけど、いいの! 患者の傷はちゃんと治り始めているから!
(しかしクルス先生、何者なんだろう……。 光魔法の使い手に知り合いがいる? でも先生は自分の属性は教えてくれない……話をする限り、やはり外見年齢以上に生きているように思うのよね……かといって聞けばうまくかわされてしまう。 チャラいように見えて、自分の事に関してはとても口が堅い……。 『いただきます』の挨拶や『ブランデーケーキ』の事も含め、何の気なくさらっと聞いたけど、『君には負けるなぁ』と、意味深に言われてしまったのよね……)
ぱっと見はあんなに軽薄っぽいが、それだけではない。 ひょっとしたら、先生とはある意味似た者同士なのかもしれない。
これはおいおい突き詰めていくしかなさそうだ。
(それにしても、スライム様様だわ。)
クルス先生の事はいくら考えてもしょうがないので別の事を考える。
『スラティブ』の原料となっているスライムであるが、今まさに、医療院の様々な場所で活躍している。
まずはトイレ。
今までの形式は、不衛生の極みであるいわゆるボットントイレ(*)だったわけであるが、そこに魅了状態のスライムを突っ込んだところ、人の糞便を美味しく消化吸収することがわかった。 しかも定期的にいい香りと消臭効果のある香草の束を入れてやると、お口直しに食べてちゃんと消化吸収するらしく、トイレ内はいつも爽やかな良い香りが保てるのだ。
そのため、現在では医療院どころか、辺境伯騎士団内と辺境伯家内のトイレは『水洗トイレ』ならぬ『スライムトイレ』となった。
さらに、個体差もあるが、寿命を終えた彼らの遺骸を乾燥・粉末にして花壇に捨てたところ、傍にあった草花がびっくりするくらいぐんぐん育った。 それはもう、驚異的な速度だった。
(まさかの超優良有機肥料発見!?)
そう思った私は、L字型に増築中の医療院のL字の内側に、中庭と称して薬草園を作り、スライム肥料を実験的に使っている。 その成果は言わずもがな。 それはもう、見事にすっくすっくと普段の3倍速で羽振り良く育っているのである。 収穫した薬草をクルス先生が調べてくださったところ、薬効に変わりは出なかったものの、育ちが良く、身太りも良い。
(最高! もしかして、領地の公衆衛生問題と農業改革が同時に行けるのではないかしら!?)
とその結果に私は思い至り、現在は騎士団の畑の一角で、野菜作りにも転用できないか実験中だ。 これが実を結べば、領地の農家に配布予定である。
どれだけのポテンシャルがあるのだ、スライム。
いろんな意味でまさにスライム様様である。 私はもう、スライムに足を向けて眠れない、ありがとう、スライム!
そして孤児院と、併設する医療院。
こちらは開院時間を、ひとまず7日のうちの5日間、午前中だけと決め、鈴蘭祭の日に初めて開院することと決まった。 その程度の拘束時間であれば、と、ひとまず常勤医はマイシン先生が引き受けて下さったのだ。
外傷患者の発生によっては、クルス先生が領地の医療院に移動する。 問題であった領地から騎士団までの移動方法に関しては、『魔術師塔の転移陣』を、教会の医療院の地下に置いてもらった。
これで通勤はもちろん、有事の際の移動も簡単になったわけだが、この技術、王族にも黙っているもののため、マイシン先生とクルス先生には、『このことを口外したら、あそこと口が裂ける』と言う契約魔法を結んでいただいている。 魔法陣を面白がり、研究に参加したがるクルス先生にはほんのちょっと危険を感じたため、『クルス先生に至っては、さらにお尻の穴も裂ける』と追記しておいた。
これで移動距離の問題を解決した。 そしてこの方法による移動時間短縮にマイシン先生はいたく感激され、医療院の仕事の合間の時間に、孤児院と、学校に集まった子供たちに読み書きを教えてくださると申し出ていただいた。
今までかかっていた移動時間を、それに充ててくださると言うのだ。 ありがたいことこの上ない。 そこで2日に1度、お昼ご飯からおやつの時間までの間、孤児院の食堂で、リ・アクアウムの5歳以上10歳未満の子供たちを対象に『食事マナーから読み書きまで教えますよ』と、広く間口を開け、生徒を募集することが出来た。
家での野良仕事などを手伝う子供達でも、食事とお菓子が出るという事で親が納得して出しやすい時間帯である。
こちらも、鈴蘭祭の翌日からと決められ、職人たちからの口伝ですでに領地内に周知はしているが、辺境伯夫人監修! 医療院開院・学校開校と、鈴蘭祭で改めて大々的に発表されることとなっている。
そのお披露目の大きな目玉のバザーに関しても、時間がない中、しっかりと下準備を済ませ、なんだかんだと私と旦那様を一緒に視察に出そうとするシノ団長の策略を逆手に取り、出会った商人たちを使って宣伝している。 近隣の領地にも、教会で辺境伯夫人の鳴り物入りで慈善事業を行い、珍しい菓子や美しい刺繍小物を売るらしい、と噂を広めてもらっているのだ。
おかげで、是非当日伺いたいと言うお手紙を、すでにいただいている状態だ。
ちゃぷん……と、お湯が跳ねた。
「ふふ、うまくいってよかったわねぇ……。」
「今日は楽しそうでございますね、ネオン様。」
ぬるくなった湯にさし湯を入れてくれた侍女が、私に微笑む。
「だって、明日はとうとう鈴蘭祭ですもの。 楽しみだわ。」
「はい! 私たち使用人も、奥様達がお出になられた後、交代で見に行くのですよ。 教会にももちろん伺いますね! アルジから聞きましたよ、何やら美しいハンカチなどをお売りになる、とか。」
「えぇ、そうよ。 楽しみに来て頂戴ね。」
そう、騎士になったアルジだが、流石に騎士団の兵舎に住まわせるわけにはいかず、今まで通り辺境伯家の使用人居住棟で暮らしている。 夕食や朝食はこちらでとっているため、食堂でお互いの近況をやり取りしているのだろう。
「それにしてもネオン様、本当に騎士団の隊長服で行かれるのですか?」
「えぇ、そうよ。」
くすくすっと笑った私は、侍女に湯の中で手足をもんでもらいながら言う。
「明日は辺境伯騎士団の10番隊隊長としても出席するんだもの。」
そう、そのお披露目も明日おこなうらしい。
本来であれば(お飾りの)辺境伯夫人としてドレスで着飾って座っているだけでよかったのであろうが、南方辺境伯騎士団10番隊隊長を拝命するのである。 隊長服以外の選択肢はないと思ったのだが……。
「ですが、辺境伯夫人として、開会式に旦那様とご出席なさるのでございましょう? 開催の挨拶の際には、旦那様と共に壇上にお立ちになると伺いました。 その時、騎士服では辺境伯夫人としてのお立場が映えません……。」
侍女はそれが不満なのだろう。 今日は帰宅後からずっと一生懸命訴えてくる。
普段なら一人で入るお風呂も、今日はマッサージにお磨きだけでも! と拝み倒されて、仕方なくされるがままになっている状況なのだ。
「……見栄え? そうかしら? 騎士服二人じゃ、映えない?」
「はい。 あの美しい結婚式後の、初めての公式のご公務なのです! 隊長服では質素ではありませんが見栄えは……。 領民皆、美しい辺境伯夫人を一目見ようと、楽しみにしていると思いますのに。」
そんな風に言われてしまえば、悩んでしまう。
「そうなのね……そういえば、そういった段取りを聞いていなかったけれど……貴族の威信とは、そういう物だったわねぇ……。」
「えぇ、えぇ! 私が子供のころ、前辺境伯様がご挨拶をされていた時には、奥様が後ろで控えておいででしたが、それはもう、お美しく、可憐で、子供心に素晴らしかったと、今もしっかりと覚えておりますわ。」
目をキラキラさせながらそう語る彼女に、なるほど……と思案した私。
確かに今回は初公務。 開会式の挨拶を旦那様が行うと言うのも実は初耳だが、その横に立つのであれば、あのド派手なスクラブにパンツ、そして隊長服では……シノ隊長は喜ぶかもしれないが、確かに貴族的には様にならないのかもしれない。 小さい頃にお祭りで見ただけの光景を覚えている侍女がいるという事は、今までの慣習がそうだったという事だ。 まして今年の鈴蘭祭は、現当主結婚後初の行事であり、周辺貴族も参加すると手紙をくれていた。 あんまりにも面倒くさいので失念していたが、仲睦まじい領主夫妻の姿を見せることで、ここは、ひいては領地の未来も安泰だ、と、民に知らしめる効果もあるだろう。
湯を上がる合図をした私は、大きな布を体に巻き付け、余分な水分を拭きとってくれている侍女を見た。
「遅い時間に申し訳ないのだけれど、嫁入り道具の中から探してほしいものがあるの。 お願いできるかしら?」
医療小話
★湿潤療法(*)
本来私たちの体が生まれながらに持つ『自己治癒能力をフル活用し、痛みなく、早く、綺麗に傷を治す方法』
超簡単に言うと、『乾燥した傷は、治りも悪いし痛い』ので逆を行くのです。
よく傷口を洗ったら乾かして……って言いますが、水分を拭きとってラップなり、ドレッシングテープ(創傷保護剤)を張り付けておいた方が治りが早いよ! という事。 ただし皮膚がふやけては駄目。
昔は褥瘡も、洗浄→消毒→お日様の光で乾燥! なんてやってた時代がありました。 今だと外科医にも認定看護師にもぶん殴られます。
現在の褥瘡処置は、程度によってさまざまで、書ききれません、ものすごい進化です。(調べてみてください)
個人的なおすすめは、キズパ〇ー〇ッドです。 高いけど。
ただし、傷がめちゃくちゃ深くなったもの。人犬猫にかかわらず噛まれた傷、毛虫さんの傷、基礎疾患(特に糖尿病)がある人は、ちゃんと病院に行ってください。
後、作者的にはあかぎれがめちゃくちゃできるんですが、水ばんそうこう、痛いのに塗るの、大好きです。 ただ、私はあれが乾燥して周囲が剥げ出すと、「おらぁ!」と治ったところまでむしり取ってしまい、くっそ悪化させちゃうので、やっぱり〇ズパ〇ーパ〇ッド(お安いのでも可能)がいいです。
あくまで補足程度のお話なので、興味があったら『湿潤療法』で調べてみてくださいね♪
★『セイヨウシロヤナギ』『ダチュラ』『アヘン』
セイヨウシロヤナギは現在のアスピリン発見の元になったモノ、ダチュラは江戸時代、乳がんの外科的手術に使った利していますし、アヘンは古代ローマから使用している鎮痛薬として使われてた……のですが、私、薬学は苦手なので、間違っていただすみません。
★若い子はわからないかもしれない『ボットン便所』
今もあると思うんだけどなぁ……水洗トイレがなかった時代、大きな糞尿を貯める穴を作り、そこにトイレを設置していたんです。 定期的にし尿回収車が回収に来てくれるんですよ。
江戸時代から同じ形式ですが、お城や吉原では、漆塗りの金カクシ(和式トイレ)の下に、砂の入った漆塗りの箱を置いて、一回一回下男が変えてくれてたそうです……
スライムのポテンシャルを信じてみました!