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76・鈴蘭祭と、医療院開院への、明るい兆候

 到着した教会では、馬車を降りてすぐ、旦那様は私の手を取り教会本部に向かおうとされたため、きっぱりとそこでエスコートをお断りし、修繕の始まった孤児院の方へと修道士様に案内をお願いした。


 ひび割れた壁、ささくれの立った廊下や柱を、職人さんが子供たちと笑いあいながら修理をしているのを見て、心がほんのりと温かくなるのを感じながら、私は案内される方へと足を進めた。


「辺境伯夫人!」


「奥様!」


 案内されたのは、孤児院の中で最も広く机と椅子が有り、人が集まって作業のできる食堂だった。


 そこには事前に話に聞いていた通り、刺繍を教えている辺境伯家の侍女数名と、それに習って針を動かす修道士と8~10歳くらいの子供達が10名ほど集まっていて、突然の私の登場に吃驚しながらも、挨拶をするために立ち上がろうとしていた。


「挨拶は不要よ。 皆、針仕事をしているのだからそのままでいて頂戴。 お邪魔をしてしまってごめんなさいね。 医療院の事で用事があって来たから、顔を出しただけなのよ。 いま出来ている物を見せてもらってもいいかしら?」


「かしこまりました。」


 私はそれを制しながら、ゆっくりと皆の元に足を進めると、そばにいた女性の修道士が、自分が刺している物を一度置き、出来上がっている物や、今作っている物を出してくれた。


「まぁ、もうこんなにできているのね。」


 渡された完成品の入った籠の中の作品を、一つ一つ手に取ってみれば、子供たちの作った拙いステッチのハンカチから、細部まで美しい刺繍の入ったハンカチ、それにまだ刺し途中のストールまで、いろんな作品があった。 かなり品質の差は大きいが、どれも教会の教えを示す模様の特徴がよく刺繍できていた。


 本当は、大人の作ったもの、子供の作ったものと分けて値段をつけるつもりであったが、それではいけないな、と思案する。


「どれもとても上手にできているわね。 もちろん子供たちの物も素敵よ。 販売するときには、子供が作ったものと大人が作ったものを分けて販売するのだけど、子供たちの物も、作品に応じて値段を細かく付けてもいいかもしれないわね。」


 そう私が作品を手に言うと、つんつん、と小柄な男の子が私の隊服の裾をつついた。


「こんにちは。 どうかしたのかしら?」


 私は膝を折り、その子と目線を合わせると、その子はもじもじ、と恥ずかしそうに視線を動かしてから、意を決したしたように私に尋ねてきた。


「王子様なお姫様は、お菓子と、綺麗な糸をくれたお姫様と同じ人ですか?」


(王子様なお姫様とは? ……はて?)


 よくわからずに首をかしげると、くすくすと笑いながら、辺境伯家の侍女が私に教えてくれた。


「奥様。 もうしわけございません。 実は、子供達に説明するときに、これらの材料は誰からもらったの、と聞かれたので、結婚式の時の奥様の絵姿を見せたのですわ。 そうしたところ、子供たちは奥様の事をお姫様だと思ったようなのです。 なのに今日は、その……隊服でいらっしゃるので、皆、戸惑っているのです。」


 そう言われれば、私は今日は隊長用ジャケットにトラウザーズを穿いている。 王子様に見えなくもないのかもしれない。


「……なるほど。」


 子供たちの発想にかわいらしいと私は微笑むと、その子の頭をなで、昔、妹たちに見せていた笑顔でにっこりとわらった。


「こんにちは。 私の名前は『ネオン』よ。 貴方のお名前は? 何歳かしら?」


「ミーモです! 9歳です!」


 私の声を聴いたほかの子供たちが、ほら、僕が言った通りやっぱりお姫様だった!、と、嬉しそうに他の子供たちに向かって叫んでいるのもほほえましく思いながら、私は目の前にいる焦茶色の髪に茶色い瞳の男の子、ミーモに問いかける。


「ミーモは、刺繍のお仕事は楽しい?」


 それには、彼はうんうんと大きく頷いた。


「うん、面白いよ! みて! いまはこれをつくってるの。 女神さまのお飾りと、キラキラだよ! あ! お姫様がくれたお菓子、とってもおいしかったです。 いっぱいありがとうございました。」


 目をキラキラとさせ、自分が刺繍している物を持ってきて見せてくれる。お礼まで言ってくれた彼の刺繍を受け取り、ぶら下がっていた針を、刺繍枠の外の角に刺して固定してから、その縫い目を見る。


 キチンと形は模しているものの、縫い目は荒く、しかしとても目を引く独創的な色使いの刺繍に、昨日届いたハンカチもこの子の作品かしら? と、つい笑みがこぼれる。


「こちらこそありがとう。 昨日、ミーモたちが作ってくれたハンカチ、受け取ったわ。 とても可愛くてうれしかったの。 皆もお手伝いしてくれて本当にありがとう。 後でお礼のお菓子が届くから、先生たちのいう事を聞いて、みんなで仲良く食べて頂戴ね。」


 昨日届いたハンカチの礼を言うと、その場にいた子供たちが一斉に大声で沸き立ち、そばにいた修道士たちが落ち着いて、と皆に声をかける。


「お気遣いありがとうございます、奥様。」


「いいえ、こちらこそ本当にありがとう。 いいバザーが出来そうで楽しみだわ。 後でお菓子と一緒に追加資材が届きますので、そちらも使って頂戴ね。 孤児院の修復も早く進んでいるみたいだし、安心したわ。」


「はい。 修復だけでなく、おもちゃや絵本など届きました。 本当にありがとうございます。」


 少し涙ぐみながらそう頭を下げる年嵩の男性の修道士に私は首を振る。


「いいえ、これが私の仕事で、気持ちです。 子供たちが喜んでくれればそれでいいの。 ところで、こちらにお医者様が来ていると思うのだけれど、どちらにいらっしゃるかしら?」


「あの方々は医療院建設場の見える部屋にいらっしゃいます。 こちらです。」


 訊ねた私に、先ほど此処へ案内してくれた修道士が再び案内を買って出てくれたため、皆に別れを告げ、そこを離れた。







 案内された先は、孤児院の奥にある、今は人気のない子供たちが寝泊まりをしている居室の一室だった。


「失礼いたします、辺境伯夫人がいらっしゃいました。」


 促され中に入れば、2人の男性が、窓際に置かれた粗末なテーブルセットの椅子から腰を上げ、こちらに向かって頭を下げた。


 一人は辺境伯家の侍医である、背丈も横幅も大柄、黒髪に灰色の瞳の初老の男性であるマイシン先生。 そしてもう一人は、長身痩躯を黒衣で包んだ黒灰色の髪 赤褐色の瞳の、旦那様よりも年若に見える、穏やかそうな男性だった。


「お待たせいたしました、マイシン先生。 そちらが?」


「えぇ、私の恩師である……」


「オトシン・クルスと、申します。 初めまして、辺境伯夫人。」


 やぁ、と、とても気軽に手を上げて笑うその人に、私は淑女の微笑みを向け、ゆっくりとお辞儀した。


「はじめまして。 南方辺境伯家当主が妻、ネオン・モルファでございますわ。」


 静かに軽く頭を下げてから、顔を上げその先生を見て……そして……ん? と私は首をかしげた。


「マイシン先生。 今、恩師、と仰いました?」


「えぇ、恩師です。」


 口元の皺を濃くし笑ったマイシン医師は、やや恐縮したような様子で、頷きながら年若い男性を見ながら頭を下げる。


「彼は……そう、こんな見た目なのですが、私の恩師なのです。 大分口調も砕けておりますし、マナーもなっていない無作法な男ですが、腕は確かです。 もしかしたら辺境伯夫人には、不躾にお感じになるかもしれませんが、どうぞ気を悪くなさらないでいただきたい。」


「長く辺境伯家にお勤めのマイシン先生のご推薦の方ですし、変に取り繕うよりはよほど信頼できますわ、ご安心ください。」


「そう言っていただけて恐縮です。」


「お気遣いなく、ですわ。」


(私だって、生粋の令嬢ではないし。)


 と思いながら頷くと、そんな私たちのやり取りを見ていたクルス先生は、いたずらっ子の様ににやり、と笑った。


「高位貴族のご婦人、と聞いていたが、王都辺りの高慢な令嬢とは違うようで、ありがたい限りだ。」


「……先生、許可が出たとはいえ、ちょっとは体面という物を考えてください。」


「それは無理だ、私は私でしかないからな。 では、話を進めてもよろしいかな?」


「えぇ、結構ですわ、クルス先生。」


 物分かりが早くて結構! と笑ったクルス先生は、入り口に立っていた修道士様に下がるように告げると、先ほどまで自分たちが使用していた椅子に座るように私に促してくる。


 そして、私が座ったところで、彼は手に持っていた医療院の設計図を広げて言った。


「この医療院建設は、貴女の発案だとか?」


「えぇ。」


 私は頷く。


「マイシン先生から聞かれ、御存じかもしれませんが、私がここへ嫁いできたとき、辺境伯騎士団での負傷兵の扱いはあまりにも非道でした。 それを改善するための大義名分と言いますか、慈善事業の一環として、辺境伯騎士団と領内に医療院の設立を申し出たのです。 その結果、孤児院を巻き込むことになりました。 また前辺境伯夫人が孤児院の子供たちの環境改善に対し着手できぬままお亡くなりになったことを知りましたので、人に等しく平等である教会、修道院内の孤児院の傍に医療院を建てようと考えました。」


 経過はかなり端折ったけれど、間違った事は言っていないはず……と考えながら私が説明すると、クルス先生はマイシン先生と顔を合わせ、それから頷かれた。


「なるほど。 今も昔も、南方辺境伯夫人は大変に慈悲深いようだ。 嘘偽りなく、彼から伺った話のままで安心した。 それで辺境伯騎士団に在住する医師を探していると?」


「その通りです。 出来れば、騎士団とこちら、双方に常駐してくださる先生を探しています。 中でも急がれるのは、辺境伯騎士団内にある医療院の医師です。 現在の重傷者が4名います。 傷の手当はしておりますが、治療は出来ておりません。 医師でない私たちでは知識が圧倒的に足りないのです。 それで、マイシン先生に相談しましたところ、外傷・魔障に対して詳しいお医者様を紹介する、と。」


「それで呼ばれたのがこの僕、という事だね。」


 なるほどね、とうんうん、頷いたクルス先生の隣で、マイシン先生が一つ、頭を下げて願い出た。


「先生、ひとところに根を張るのがお嫌いなのは存じておりますが、奥様のため、辺境伯の民のため、ひと時腰を下ろされてはいかがでしょうか?」


「……そうだねぇ……」


 にこにこと笑ったクルス先生は、不躾なほどじぃっと私と見、それから、うん、と大きく一つ頷いた。


「夫人の魔力属性は闇、だろうか?」


 その問いには、私は少しびっくりして頷く。


「え? はい、そうですが。」


 返答すると、うんうん、そうだろうそうだろう、と、彼は頷いてから、提案をしてきた。


「貴女が僕の研究を手伝ってくれると言うのなら、僕はこの地にとどまり貴方の仕事を手伝おう。 それでいかがかな? 夫人。」


「医療院に常駐してくださるのでしたら、私の出来る範囲での協力は惜しみません。 ですがその、研究とは一体?」


「『受けた魔障を人体から完全に除去する方法』ですよ、奥様。 彼はずっと、それを求めて根無し草のように旅をしながら研究をしていたのです。」


 私の問いに答えたのは、マイシン先生だった。


「そうそう、でもね、なかなかうまくいかないんだよねぇ。 魔障を受けた患者がちょうどいるわけでもないし、治療を拒否されるときもあるし。 本当色々あったんだよねぇ。」


(まぁ、胡散臭いと思われることも当然あるでしょうね。 相手が庶民ならまだしも、体面や格式が大好きなお貴族様相手にこの調子と言葉使いでは絶対もめるでしょうとも。 でも、マイシン先生の信頼している様子や、嘘が言えない様子、私は嫌いじゃないわ。)


 ここまで観察していたクルス先生の様子に、それまでにあったであろうトラブルを想像しながらも、私はにこっと笑う。


「さようでしたか、では、利害の一致、という事でよろしいでしょうか?」


「利害の一致?」


 それは何だい? とキョトンとした表情のクルス先生とマイシン先生に、私は笑みを深める。


「私は魔障と外傷を治療してくださるお医者様に、この地にいていただきたい。 クルス先生は、魔障の患者を診ながら、私の闇魔法と魔障の研究をしたい。 お互いの思惑が一致し、協力関係を結べば、お互いに大いに利がある、という事ですわ。」


 私の言葉に大きく目を見開いたクルス先生は、ややあってから、ぷっと噴出した。


「あぁ、そうだ、利害の一致、まさにそうだな。 気に入った! 夫人、では契約を結ぼうか。」


「えぇ、お願いいたしますわ。 先生のお給金は、マイシン先生と同じ額を辺境伯騎士団よりお出ししたいと考えております。 それでよろしいかしら?」


「あぁ、結構だとも。」


「それと住居ですが……。」


「先生はすでに当家に荷物を運びこまれておられるので、御心配には及びません、奥様」


「弟子と共に暮らすのも悪くないからな。」


「マイシン先生の住居と言いますと……。」


「この近くの、辺境伯家所有の屋敷をお借りしております。」


「では、決まりでございますね。」


 にこにこしながら、契約書の内容を考えていると、マイシン先生がやや困ったように首をかしげた。


「あとの問題は、ここと辺境伯騎士団の往復の時間だがね。」


「そうだな、こちらにいるときに騎士団の方に患者が出ても、騎士団の砦に行くのに2時間弱、だったっけ?」


 う~ん、と唸った二人に対し、私はふと、思い出したことがあった。


「その件に関しては……もしかしたら、何とかなるかもしれませんわ。 ただし、決して口外しない、という契約をしていただくことになるかもしれませんが。」


 にこっと笑った私に、にやりとクルス先生は笑い、手を出してきた。


「なんだなんだ、随分面白そうなことを言ったな。 よし、いいだろう、私は君が気に入った! 改めて、こちらからも是非、よろしく頼むよ、夫人。」


 差し出された手を、私は握る。


「こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ、先生。 早速ですが、早いうちに、辺境伯騎士団の砦に来ていただけると助かりますわ。 契約と移動手段の事も、その時に。」


(よし、これで医師も確保したわ!)


 私は心の中で大きくガッツポーズをしながら、着実に前に進んでいく私の計画にほっとしていた。

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