74・強い決心と、募る苛立ち
医療院の前に立つ警護の騎士に挨拶をし、重めの扉を開けると、リィンリィン……と、昨日までかけられていなかった鈴の音が鳴った。
「……鈴? いったい誰、が?」
扉の上方につけられた2つの金の鈴に目をやってから、医療院内を見ると、昨日の昼に設えたのとは少し光景が変わっていた。
机を並べて作った受付には白の綺麗なクロスがかけられ、その上には控えめな白い花が一輪花瓶に生けられている。
「おはようございます、隊長!」
彼は扉が開いたことに気付き、それが私だと解ると杖を取り出して立ち上がろうとした。
「クーリー。 お客様の対応時以外は座ったままで大丈夫よ。 ただ、時折は(血行の循環を促す)運動のつもりで、立つ様にしてね。 ところで、綺麗なお花とクロスね。」
「御言葉に甘えてこのまま失礼いたします。 お花とクロスはどうやらアルジさんが用意してくださったらしいですよ。」
「アルジが?」
今朝がた見なかった侍女の名前が出てきて、私は首をかしげる。
「えぇ。 受付らしくした方がと設えてくださったようです。 そういえば隊長、本日午前中にお客様が一名の予定でしたが、なんでも辺境伯家の侍医様と共に、リ・アクアウムの教会の方で待つと連絡がありました。 午後一番で馬車の手配済であると、本日休暇をいただいているガラ班長より伝言です。」
「そうなのね。 わかったわ、ありがとう。 では今日一日、お願いしますね。」
「かしこまりました。 それから、看護班に本日から新規隊員4名の配属が決まっております。 すでに一番隊隊長殿と共にこちらにいらっしゃっています。」
「あら、お待たせしてしまったわね。 ……ん? 4名?」
「はい、4名です。 思い切った事されますね、尊敬します。」
「……?」
よくわからないまま受付の横を通り、斜めに設置されている衝立の隙間を通るようにして入院患者管理エリアへ入ると、ナースステーションに充たる部分に、同じく隊長服を身につけられたカルヴァ隊長と、3名の騎士服を着た人影が立っている。
(やっぱり3人では……?)
「やぁ、ネオン隊長。 おはよう。」
私は足早にそこに近づき、軽く会釈をして挨拶をする。
「おはようございます、カルヴァ隊長。 お待たせしてしまい申し訳ありませ……」
の、だが。
「アルジ!」
わたしは、カルヴァ隊長のちょうど影になる場所に立っていた、乗馬用のトラウザーズに少し大きめの隊服を着用したアルジの姿を見て声を上げた。
「貴方、何をしているの!?」
吃驚したままの勢いでアルジに詰め寄ろうとした私に、カルヴァ隊長がまぁまぁ、と、声をかけてくる。
「ネオン隊長。 私からご説明した新入隊員を連れてきました。 私の隣から、本日付で騎士団へ入団、医療班に配属になったアルジ・イーター、本日付けで正式に異動になったウィス・テリア、レンペス・グリーン。 それと、仮異動となるアペニーバ・ファーの4名です。」
「本日から、入団、配属……?」
キョトンとしてしまった私に、カルヴァ隊長は柔らかな笑顔で頷いた。
「えぇ。 辺境伯家より、正式な紹介状を持って入隊を希望してきました。 女性の入隊希望は南方辺境伯騎士団では初の事ですが、ネオン隊長がまさに女性の隊長でもありますので、今回の入団となりました。」
「アルジ・イーターと申します。 不慣れなことが多く、皆様にはご迷惑をおかけするかと思いますが、ご指導お願いいたします。」
しっかりと腰を折り、あっけにとられている医療隊のメンバーに挨拶をした彼女は、顔を上げるとびっくりして声も出ないでいる私に向かい、もう一度頭を下げた。
「奥様……。 昨夜奥様に言われたとおり、侍女としてお支えすることも考えました。 しかし私はこの医療班で、奥様と共に騎士様をお支えしたいと思ったのです。 勝手をしましたこと、申し訳ございません。」
(……この感情は何と言っていいやら……)
吃驚した?
呆然とした?
毒気を抜かれた?
どれも違うかもしれないと、額を押さえて考え……ひとつ、溜息をついて私はアルジの肩を叩いた。
「えぇ、えぇ。 貴方の覚悟が固いと言うのはわかったわ。 これからよろしくね、アルジ。 皆さんもよろしくお願いします。 では……そうね、このまま朝会を始めましょう。 カルヴァ隊長、お忙しいのにわざわざ隊員を連れてきてくださり、ありがとうございました。」
「いいえ。 では、よろしくお願いします。 何かありましたら、何時でも仰ってください。」
「ありがとうございます、よろしくお願いいたしますわ。」
会釈し、カルヴァ隊長が出ていかれたのを確認してから、わたしたちは朝会を開始する。
夜間の患者の様子と、本日の患者におこなうケアの相談を行った後、私は本日入隊したアルジを抜いた3人を、看護班の本日出勤のメンバーとペアを組んでもらい、行動してもらうようにする。
「では、ラミノー。 新しいメンバーをお願いね。」
「はい、隊長。 しかし、今日出勤して吃驚したのですが、こうして入院患者の部屋として確立すると、気が引き締まりますね。」
「ふふ、そうね。 ここはある意味戦場と似て非なる、命を預かる場所だもの。 もし、お医者様が常駐なさってくれればまた空気が変わると思うわ。 私は午後からお医者様にお会いしてきますので、不在の間はアルジと一緒に患者様はもちろんだけど、新人の様子も観察お願いね。」
そう言うと、え? とした顔のラミノーが、恐る恐る私に尋ねてきた。
「……あの、アルジ殿が看護班の班長になるのでは?」
「いいえ? 何故?」
「いえ、アルジ殿は立ち上げ当初から奥様のお傍で誰よりも働いていましたから、騎士になった以上そうなるかと。」
「それは、貴方も一緒ではないの?」
首をかしげてから、私は笑う。
「あの時、アルジと貴方とエンゼ。 3人が手伝ってくれた。 本当に嬉しかったわ。」
私はしっかりと、彼を見上げて言う。
「4人で始めた医療班なのよ。 私は責任者になったけれど、そう感じているわ。 そして今日まで働く中、貴方が適任だと思ったから班長にしたの。 それに、増築中の新棟も出来たら、ここ旧棟を重傷者、新棟を軽症者の病棟として区分けし、新棟副班長をアルジ、旧棟副班長をエンゼにして、貴方に纏めてもらうつもりよ。 私は隊長としてここにいるけれど、辺境伯夫人としての責務もあるの。 私が不在になっても、貴方には安全丁寧迅速的確に、困ったときはエンゼ、アルジと相談しながら、うまく病棟運営出来るようになってほしいと思っているわ。」
私の話を最後まで黙って聞いていたラミノーは、ぎゅっと眉間に力を込めてると、ひとつ、深く頭を下げた。
「ありがたく、頑張らせていただきます。」
その言葉を聞いた時、私は少し、反省をした。
(そんなつもりはなかったのだけど、成り行きで班長に決めたように思わせていたのかもしれないわ。 お願いするときに、こうして言葉にしなきゃだめなのね。 体験すると、師長って大変だわぁ……ありがとう、師長さん! これからも私がやる事見守って、たまに夢に出てきてご指導ご鞭撻くださいね!)
前世、頭痛持ちだった師長を思い出して心の中で拝んでいると、心配そうに近づいてきたエンゼとアルジにもラミノーは頭を下げていて、二人は慌てて首を振っている。
いいメンバーだわ、と思いながら、私は3人を見た。
「3人ともとても期待しているから、頑張りすぎない程度に頑張って頂戴。 今は4人だけの患者様だけど、最初の数を思い出して頂戴。 あれはいつか再び来る現実。 患者は少ない方がいいに決まっているのだけれど、こればかりは神様のみぞ知る、だもの。 あの状況に戻っても落ち着いて仕事が出来るようにみんなで頑張りつつ、魔物の強襲が起きないことを祈りましょう。」
「「「本当ですね……。」」」
しみじみと、最初の状況を思い出して4人でため息をついた時、鈴の音と共に医療院の扉があく音と、何かやり取りをする声がきこえ、そして衝立の隙間から、本日案内係のクーリーが顔をのぞかせた。
「隊長。」
「どうしたの?」
「実は、魔物絡みではないのですが、朝の鍛錬の時に剣で怪我をしたらしいのです。 この場合、お受けしてもよろしいですか?」
その問いに、私は頷く。
「もちろんよ。 すぐに中に入って頂いて。 ラミノー、エンゼ、入院患者の処置と清拭、それから新入隊員を任せるわ。 アルジ、手伝いを。」
「「「はいっ!」」」
私は指示を出すと、用意したばかりの診療エリアに怪我人を入れ、傷口の観察と洗浄を始めた。
「鍛錬中におふざけは感心しません。 縫うような傷ではなかったからよかったですが、これ以上深ければ傷を縫ったり、最悪そこから悪化して、腕の切断の可能性だってあるんです。 明日からしばらく、毎日傷の処置に通ってくださいね。 それから傷口が開く可能性がありますから、その手に力を入れるようなことをしないように。」
「はい、ありがとうございました……。」
剣の鍛錬で怪我をした騎士は、意気消沈したまま医療院を出ていった。
なんでも剣の鍛錬中に、遊び半分で剣を放り投げ、受け損ねたらしい。
(……しかし鍛錬用といえ剣で遊ぶとか、子供かっ!)
としこたま説教してやろうと思ったが、入隊したての15歳とのこと……本当に子どもだったので、軽いお説教で終わらせておいた。
正直最初見た時は、傷口に当てられた手布が真っ赤に染まり、これは深く縫わなければいけないかもしれないと思ったが、洗い流せば出ている血液量に対して傷口は小さかったため、止血し手布を当て、包帯で固定しただけで済んだ。
が傷口が閉じるまでは、その腕は安静にするように申し伝えてある。
(縫うのは医療行為で看護師はやっちゃダメなんだけど……この世界に前世の医師法はないし、縫うくらいなら正直、裁縫用の針を熱して縫うこともやぶさかではないけれど……医療用の針と違って裁縫の針は鋭角じゃないから、絶対皮膚に刺しにくいし、麻酔もないから激痛が予想されるわ……あ~傷が浅くてよかった。 しかし鈴蘭祭が終わったら、医療用ホッチキスや縫合代わりのテープ縫合の代用に張り付けるテープ、それに創部の保護用材の開発でも出来ないか、考えないとね……。 しかしまぁ……。)
「騎士団なのに、剣の扱いの注意点や心構えを教えないのかしら。」
後片付けをしながらぼやいた私の声を聴いて、周りにいた看護班の面々が笑う。
「まぁまぁ、隊長。 それまで騎士に憧れていた子供が、騎士として認められて、初めて自分の剣を貰うんです。 それはもう、ものすごく興奮するんです。 指導されてもつい調子に乗ってしまうんです。 俺にも心当たりあります。 ほら、ここ。」
と言って手のひらについた、古くなった刀傷を見せてくれたのはラミノー。 続いてエンゼ、新隊員のウィスも、俺も俺もと、手の甲や腕についた傷を見せてくれる。
そんな明るく軽い彼らに額を押さえた。
「まず怪我をするのが騎士の最初の関門なのかしら?」
「まぁ大体そうですね。 今思えばガキだったなぁと思いますが、剣を持った瞬間、自分がすごく強くなった気になったんです。」
「え? そういうものですか?」
「そういうものなんです。」
アルジの問いかけに、にかっと笑ったエンゼがそう答える。
「よぉく分かったわ……。」
はいはい、と頷きながら、処置を終えた皆に水分補給をしてもらい、では患者のリハビリを始めようかしらと用意を始めると、「隊長は午後の馬車の時間まで、たまった書類仕事をお願いします」と言われ、私は皆に執務室へ追いやられてしまった。
「……上司元気で留守がいいって事? まだ2週間なのに心強いけど寂しいわ……。」
そんな気持ちになるが、皆、こまめに報告連絡相談には来てくれるので、それではと安心して執務室へ向かう。
扉を開け、窮屈な隊長服を壁にかけると、執務机に積み上げられた書類をさばき、それに飽きたら気分転換に前世の記憶にある『新人教育マニュアル』に従って『看護班業務マニュアル』を作りを始める。
傷の洗浄、包帯の巻き方、清拭、陰部洗浄、食事介助、口腔ケア等。
ここで行う看護手技を『目的』『注意事項』『必要物品』『手順』『観察項目』と項目分けし纏めた看護技術のマニュアルは、これを見たら新人でも大丈夫! なマニュアル……にしたくて作り始めたものだ。
の、だが……
「……付けペンが辛い、ボールペン……いや、せめて万年筆……無いものねだり……駄目、絶対……いや、でも……」
と、呻くように声をあげながらペンを走らせる。
(解りやすく書くのって難しいわ。 清拭の部分だけでかなり飽きてきた。 ちょっと基礎看護技術の教科書だけでも転生なり転移させてくれないかしら……?)
いや、それならいっそ前世の医療自体を転生させてほしい、と癖になった『無いものねだり』をしながら、間違えないよう丁寧にマニュアルを書き綴って数時間。
突然執務室の壁が叩かれた。
「奥さ……いえ、隊長。 馬車の用意ができた、との事ですが、出発できますか?」
アルジが恐る恐る聞いてきたため、私はびっくりして顔を上げた。
「え? もう、そんな時間なの!? ごめんなさい、昼食介助も忘れていたのかしら?」
「いえ、いいえ……あの、ちがうんです。 少々出発時間が早くなったからと、9番隊隊長殿が隊長のお迎えに来られているのです。」
「え? 迎え?」
(シノ隊長が? 御一緒する予定はなかったはず……嫌な予感しかしないわ。)
つい嫌な想像をしてしまったが、この騎士団の中では新人の私。 あまりお待たせしては失礼にあたるだろうと判断した。
「すぐに参りますとお伝えして頂戴。 急いで用意するわ。」
「かしこまりました。」
アルジが一階へ降りたのに続いて、私は書類を片付け、隊長服に袖を通し一階に下りる。
馬車の中でお待ちですと言われたため、医療院の後を任せ、馬車の傍に立っていた護衛担当の騎士様に従って馬車に乗りこもうと手すりに手を掛けようとした時だった。
すっと差し出された手に、私はシノ隊長かしら、とその手をお借りして乗り込む。
「ありがとうございます、シノたいちょ……。」
席に座るために体を捻りながら、お礼を言うために顔を上げた私は、私の手を取っている人の顔を見て目を見開いた。
「えっ……旦那様っ!」
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★拙作をいつもお読みいただきありがとうございます。
本日で連載が始まって2か月です……ありがとうございます。