72・使用人の躾と心からの感謝。
「おかえりなさいませ、ネオン様。」
モルファ辺境伯領主の屋敷の大きな門を潜り抜けた私の馬車は、静かに離れのエントランスの前へと止まった。
従者に扉を開けてもらい外に出れば、離れ勤務の侍女とホームメイド、それに見たこともない青年従者がそろって頭を下げてくれた。
その中には勿論、侍女のお仕着せに身を包んだアルジもいる。
他の者と変わらぬ様子で頭を上げ、私が持つ鞄や外套を受け取ってくれているが、その顔色は明らかに悪い。
(それはそうよね、主人に叱責を受けたんだもの。)
けれど、ここで何か手をさし伸べても状況は変わらないし、後で侍女長を呼び出して話すとも決めているので、ここでは表情に出すことなく、いつものように淡々と、自分の部屋に向かおうと足を向けた時だった。
「奥様。」
「……なにかしら?」
声をかけてきたのは、名前も知らない青年侍従。 辺境伯家の侍従服を身にまとっているものの、やはりこの屋敷では見たことがない顔である。 不審者かとも思ったが、他の侍女達が何も言わないので大丈夫かと問いかけに応じると、彼は恭しく頭を下げてから私に尋ねて来た。
「本日は、お屋敷で晩餐をお召しになるのはいかがでしょうか?」
青年侍従にそう言われ、私は首をかしげた。
「なぜ?」
「家令より奥様へそうお伺いを、と言付かっておりました。」
「そう。」
(あぁ、なるほど……そういうことね……。 まったく……お節介もいいところだわ。)
お昼の憂鬱の再来である。 明らかにみんなに聞こえるように溜息をついてしまった私と、その溜息に反応するメイド達。 びくっとみんなが背筋をのばすのが見えたが、今まで怒鳴ったり癇癪を起こしたことなど一度もないのだから、そんな反応しないでほしい。
正直、『なんで契約通り、離れの引きこもりお飾り奥様として放っておいてくれないのよっ!』と思ってる。
(この苛立つもやもやした気持ちは、前世でやっていた推し活で、お目当ての物が出なくて出なくてお金を最大限まで突っ込んだのにそれでも出なかった時の絶望に似てる。)
あの時はベッドの上で枕バンバンしまくって、両手で頭を掻き毟って、枕に顔を埋めた状態で濁音たっぷりの声で怒鳴り散らしたっけな……と懐かしい気持ちと、今同じことをやりたい気持ちとがむくむく湧いてくるのを押しとどめ、ちらりと侍従の顔を見た。
「そんな気遣いは結構。 今まで通りこちらで食べると伝えて頂戴。」
「……え?」
私からの返答に、意外そうに顔を上げた侍従。
私は溜息をもう一つ吐きながら告げる。
「ジョゼフに伝えて頂戴。 最初の契約通りだと。 そして、本宅の食堂に赴かなければ晩餐が出ないというのであればそれで結構。 自分で作りますので辺境伯家に出入りしている商会を教えてくれればいいわ。 やり取りはこちらでします。」
「い、いえ! そのようなことではありません! すぐに御用意させます。」
「そう、ではお願いします。 それと、夕食後に侍女長にこちらに来るように伝えて頂戴。」
「かしこまりました。」
私の返答に慌てた侍従は、頭を下げてそう言うと数名のメイドを連れて離れから出ていった。
はぁ、と溜息をついてから、傍に控えている侍女を見る。
「先にお風呂に入ります。 用意は出来ているかしら?」
「はい。 湯は張ってありますので、このままご案内いたします。」
「ありがとう。」
私は疲れ切った気持ちをもみほぐしたいわ、と、肩をトントンと拳で軽く叩きながら浴室へ向かった。
「失礼いたします。 奥様、お呼びだと伺いました。」
「どうぞ、入って頂戴。」
夕食をいただいた後、離れの小さなサロンで、やや緊張した面持ちのアルジにハーブティーを入れてもらっているところ、扉がたたかれ、促されて侍女長が入ってきた。
恭しく頭を垂れながら入ってきた侍女長は、静かに私の傍に立つ。
「では、私は失礼いたします。」
「あぁ、いえ。 貴女もいて頂戴。」
「……はい。」
出ていこうとしたアルジを引き留め、私はハーブティーに蜂蜜を入れた物を一口飲む。
(冷静に、穏やかに、女主人としてお話しする、絶対切れたりしない。 よし。)
自分に言い聞かせながら、私は静かに立って私の言葉を待つ侍女長を見た。
「アルジから話は聞いているかしら?」
そう問えば、はい、と、侍女長は返事をする。
「本日、屋敷に返された経緯は伺っております。 ご迷惑をおかけいたしましたこと、お詫び申し上げます。」
アルジの事だから、ちゃんと騎士団から屋敷へ返された経緯は報告しているだろうと思っていたが、その通りだったようだ。
(では、話がしやすいわね。)
私はそう、と頷いた。
「侍女長。 屋敷の人事権は貴女と家令、それに執事にあるのだったかしら?」
「はい、その通りでございます。」
「もうひとつ。 侍女やメイドの教育は貴女が責任を持っているのだったわね。」
「間違いございません。」
「そう。」
確認すべき事項をしっかり確認してから、私はもう一口ハーブティーを飲んで、侍女長の方に体ごと顔を向ける。
「では、一昨日の旦那様と家令の会話が、辺境伯騎士団まで筒抜けとはどういう事かしら?」
「はい。 そちらに関しましては現在該当の使用人に確認中でございます。 執務中に使用人の事でご迷惑をおかけしましたこと、お詫びいたします。」
深々と頭を下げた侍女長とアルジ。
だが、ここはきっちり厳しく言っておいた方がいい、と女主人の心得とか何とかの、かの教育で言われていたため、私はあらためて、ただ淡々と自分から見た事実を話す。
「そうね、その通りです。 辺境伯騎士団第3隊隊長殿が、私が管理する医療院に来られ、旦那様との鈴蘭祭に向けての視察の際の出来事をメイド達が話しているのを聞いた、と言われました。 隊長が聞いた内容はかなり詳細で、その話を元にいろいろ想像した侍女やメイドたちが大変盛り上がっていたようだ、と。 事実とはあまりにも異なった方向へ発展していた内容の話と、その話を元に私に事実関係の確認と、やや夫婦間に過剰に介入するような事まで話をしていたようね。 辺境伯家の侍女・メイドは、主人と家令の会話を屋敷内どころか外部にまで筒抜けにさせるような教育をしているのですか?」
「いえ。 そのようなことは決してないつもりでした。 しかし、調査終了後、改めてご報告申し上げます。」
頭を下げたままの侍女長がそう答える。
「貴方方は懲罰ありきで考えているでしょうから、確かに調査は必要でしょう。 しかしここまで詳細な話が私の耳に届いている事実がある以上、不心得な使用人が多いことは明白。 お飾りの夫人である私から解雇しろ、とは言いません。 が、それなりの処分が必要ではないのかと考えます。
辺境伯家へ嫁いだばかりの私よりも十分に理解しているとは思いますが、人事について一言だけ。 旦那様は辺境伯であり、辺境伯騎士団の団長です。 領地の事、騎士団の事、話によっては特秘事項だってあるかもしれません。 旦那様付きの侍女は特に信頼の厚く、口の堅い者を。 旦那様の私室、執務室での会話はもちろん、本来であれば屋敷内での会話を、同僚ならいいだろうとペラペラと喋る者は信頼に値しないと私は考えます。 今回の件を含め、改めて屋敷の使用人の教育を。 いいですね。」
「奥様のお言葉の通りでございます。 家令と共に、早急に対応させていただきます。」
「そうして頂戴。」
ここまで話して、流石に疲れたな、とため息をついてハーブティを飲むと、今度はアルジを見た。
「アルジ。」
「はい、奥様。 どのような処分もお受けいたします。」
顔色が悪いまま、深々と頭を下げたアルジに私は軽く頭を振った。
「確かにブルー隊長とあのように辺境伯家の内部の事を、外部で面白おかしく言うのは侍女としてあるまじき行為だと思います、そこは反省を。」
「はい。」
「しかし、アルジの、私付きの侍女という立場を超えた献身には、この2週間本当に助けられました。 今回の事は大いに反省もしているようですし、今回の事はこの通り、私からの厳重注意という事で終わりにします。 いいかしら、侍女長。」
「かしこまりました。」
「奥様、ありがとうございます。」
一度顔を上げ、涙目になりながら再び頭を下げたアルジと、その背を擦る侍女長。
なかなかに信頼関係が出来ているようだ、と思いながら、私は二人にソファに座るように促した。
「ここからは今回の事とは全く別件ですので、二人とも、座って聞いてちょうだい。」
「はい。」
ゆっくりと座った二人のうち、私はアルジに軽く、頭を下げた。
「先ほども言ったけれど、2週間、本当に助かったわ。 心から感謝しています、ありがとう、アルジ。」
「そんな! 奥様に頭を下げていただくようなことは……。」
「いいえ、慣れない中、私と共に7日以上昼夜休みなく働いてくれた。 指示側の私だって疲れ果てていましたから、受け取る側の貴女はそれ以上に辛かったでしょう。 そこで、まずは、特別手当を。」
私は用意していた紙を取り出してアルジと侍女長に差し出した。
「今月のお給料にこれだけ、私の私費から上乗せしておわたしします。 受け取って頂戴。」
それは、事前に確認しておいたアルジの侍女としての給料1か月分だ。
「そんな、奥様! いただけません!」
「いいえ、これは貴女に対する正当な報酬です。 このことに異論は受け付けません。 侍女長、これを家令に。」
「かしこまりました。 アルジ、奥様のお気持ちなのです。 お断りする方が失礼なのですよ、ありがたくお受けしなさい。」
「……では、ありがたく頂戴いたします……。」
涙目のまま頭を下げたアルジに、私は微笑む。 献身に対してお金を払う、というのは俗っぽくてどうかと思ったが、元々主従なのだからうやむやにするよりは良いだろう、と考えたのだ。
「受けてくれてよかったわ。 それと、これからの話なのだけど。」
私のその問いかけに、二人が顔を上げる。
「もともとアルジは辺境伯家の侍女です。 今まで私の我儘で辺境伯騎士団の仕事に付き合わせてしまったけれど、医療班の人数も揃い何とか軌道に乗りそうなところまでたどり着きました。 ここで一度けじめをつけて、アルジは辺境伯家の侍女としての仕事に、ちゃんと戻って頂戴。」
「そんなっ! 奥様っ! 私は奥様のお傍で医療班の仕事を……。」
「いいえ、アルジ。」
アルジの言葉を遮り、私は告げる。
「もともと、貴方は辺境伯家の侍女よ? 雇用契約も結んでいるでしょう? 医療班の事は、私の我儘に従っただけ。 私の管理責任を問われる問題よ? 医療班でアルジがいなくなるのは寂しいけれど、貴方はここで、私の侍女として今まで通り仕えて頂戴。」
「……。」
膝の上でぎゅうっとこぶしを握り、うつむいてしまったアルジにそっと寄り添う侍女長に、私は告げる。
「侍女長にも、侍女を一人、私の我儘に付き合わせてしまった事、本当に申し訳なかったわ。 彼女は立派に私の右腕として働いてくれました。 本当に感謝しているの。 だからこそ、きっちりけじめを付けなければならないと思っていたの。 協力、心から感謝します。」
「……奥様のお言葉、承りました。」
「さて、話はこれで御終いです。 今日はもう遅いし、私も寝るだけなので、二人とも休んでください。 今日は呼び出して悪かったわ。」
「かしこまりました。 失礼いたします。 行きますよ、アルジ。 奥様にご挨拶を。」
「……お休みなさいませ、奥様。 失礼いたします。」
「失礼いたします。 ゆっくりお休みくださいませ、奥様。」
静かに頭を下げて部屋から出ていった二人をソファに座ったまま見送ると、冷たくなったハーブティーを口にした。
「……ちょっと、寂しいわね。」
私は誰に聞かせるわけでもなく、そう独り言ちた。
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