69・私から歩み寄れ? お断りだわ!
「で、何のお話でしたかしら?」
アルジがテーブルの上を片付け、新たにお茶を淹れてくれている間に、私は静かにため息をついて、目の前で恐縮しているブルー隊長を見た。
「なんとおっしゃったか、もう一度伺ってもよろしいかしら?」
やや低くなってしまった私の声に、少し顔を青ざめさせたブルー隊長は、それでも同じ問いを私に尋ねた。
「いえ、あの。 団長と和解なさったと伺ったのですが。」
(わかい……若い? わっかない? ……いえ、和解、和解ね。 なんでそんなことになっているのかしら?)
一瞬混乱した頭を押さえながら問う。
「それは誰から聞かれたのですか?」
「辺境伯家のメイド達が話しているのを耳にしまして……真偽を、と。」
「はぁ……。」
今度は本当に、深く深く溜息を吐いてしまった。
「アルジ、ごめんなさい。 お菓子を出してくれるかしら、ちょっとやけ食いしたい気分だわ。」
「え? あ、はいお待ちください。」
アルジが私のために菓子を用意してくれている間、ひとたび、額に手を当てて考える。
(一体全体、何処からどんな話になってるのかしら? 和解? 和解って何だったかしら? 漢字としては和やかに解決する、だったかしら? 旦那様と私で、何を和やかに解決するの? 鈴蘭祭? 医療院の事? まぁそれならそうかもしれないけれど……え?)
「えぇと、和解と言ってもいろいろあるのだけれど、どんな話をどんな風に聞かれたのか、確認してもよろしいかしら?」
そう問うと、顔を上げたブルー隊長は頷いた。
「えぇ。 本日教会に行く前にお屋敷に団長からの言付けを届けたのですが、その際に洗濯をしていたメイド達が話していたのを聞きまして。 先日、団長と奥様が一緒にお出かけになられたとか。 その後旦那様が奥様に、前辺境伯夫人の形見をお渡しになった、と。 ロマンティックだと盛り上がっておりましたよ。」
(侍女長に言って、メイドの躾をし直しね……)
溜息をつきながらアルジを見れば、昨日あれだけ言い含めたというのに、目を輝かせて私を見ている。
「いろいろと語弊があるようですが、旦那様……いえ、団長とは和解しなければならない事柄がありませんし、メイドがなぜそのような話をしているかもわかりません。 後、ブルー隊長からそのようにお伺いを立てられる意味も。」
「すみません、それは……あの。 シノ隊長と先程昼食を取りまして、その際にその話をしましたところ、確認をと言われまして……。」
(私が魔術と医療について悩み、患者の痛みについて悩み、バザーについて悩み、忙しくしている時に、和やかに昼めし食いながら恋バナとか、暇だろ、暇!)
と、前世口調で言うわけにはやっぱりいかないわね……と呆れと疲れでため息をつきながら、とりあえずお茶を飲む。
「各隊の隊長はお暇でいらっしゃいますの?」
(あ、言っちゃった。)
「い、いえ、そんなわけではないのですがっ……申し訳ありません。」
「冗談ですわ。」
恐縮し頭を下げるブルー隊長に、ちょっと強く言い過ぎたわと反省した私は、穏やかに(ちょっと嫌味交じりになったけれど)そう微笑む。
「奥様、どうぞ。 ブルー隊長殿もどうぞ。」
「あ、ありがとうございます。 これが例のパウンドケーキ、ですか?」
「えぇ、色の濃い方がブランデーケーキです。 男性が食べてどう思うか、ご意見頂けますか?」
「よろしいのですか? では、失礼して……」
カトラリーで切り分けながら食べられる姿は、作法にのっとった綺麗なもので、ブルー隊長の育ちの良さがよくわかる。
「これは美味しい! 紅茶とよく合う食べ物なのですね。 それにこちらのブランデーケーキ。確かにこれは大人の食べ物です。 口の中でじゅわっとあふれる酒の味がたまらない……。 これは売れます! バザーでは私も購入させていただきます。」
「よかったですわ。」
その意見を聞いてから、私も一口サイズに切っていただく。
うん、美味しい。 手に入らない材料はなかったが、この世界に精密な秤がなく、オーブンは魔道具だったため温度調節がうまくいくか正直不安だったのだ。 けれど試作を重ねた結果は、このようにして安定した味を作れるまでになってきている。 後はドライフルーツを入れた物も作りたい。 熟成させて食べるのも楽しみだ。
「それでネオン隊長……?」
「はい?」
「先ほどのメイドの話は、やはり……違う、という事でしょうか? すみません、シノ隊長から聞いて来いと、圧がすごかったんです……。 本当はご自身がこちらに伺いたかったようなのですが、業務でそれもままならず、とまぁ……私に命じられまして……。」
(あぁ、大型わんこは皆もそんな風に忠犬扱いなのですね。 それにしてもシノ隊長……。 面倒くさいわ。)
9番隊は会計や輸送を行っているし、全員の隊長の中でも最も年齢が上だから逆らえないのかもしれないが……めんどくさいお節介上司というイメージが定着しつつある。
(あの、有無を言わさない笑顔も怖いのよねぇ……仕方ないか。)
私はお皿とカトラリーをテーブルに置くと、紅茶を飲み、静かにため息をついた。
「どのような話をメイドから聞かれたかは存じ上げませんが、まず、旦那様と和解をするような事柄はございません。 たしかに前辺境伯夫人の形見、と言いますか、魔道具はいただきましたが、それは私のこの派手な眼と髪の色を隠すためのもので、私への憐れみから下賜されたにすぎません。 ただそれだけですわ。」
「では本当に、魔道具をいただいただけだった、と?」
「えぇ。」
私の話を真剣に聞かれていたブルー隊長は、首を傾げられました。
「しかしメイド達の話では、団長が奥様の瞳と髪をお褒めになり、嫌ってやるな、と言われたとか。」
「……まぁ、確かにそのようにお声がけはいただきましたが、よくご存じですわね。」
「えぇ、メイド達がそれはもう、嬉しそうに話しておりましたので。 白い結婚を言い渡され、離れに引きこもっていた奥様が、兄君や母君がお亡くなりになってから頑なに人を突っぱね、感情を殺してしまった旦那様に、表情を取り戻してくださったと。 昔話をされ、奥様の髪と瞳を褒めるなんてと、本当に大喜びで。」
私はその話を聞いて、精神的にぐったりしてきてしまった。
「……あの、なぜそんなに詳細に知っているのですか……。」
「団長が家令にそう話していたと。」
(という事は、その場にいた旦那様付きの侍女が騒いだのか。)
主人と家令の話を使用人同士で噂し、広め、しかも外部(ブルー隊長)に漏らしているなど、問題以外の何でもない。 これが広めてはいけない醜聞や事業の話だったらどう責任を取るつもりなのだろうか。
考えるだけで非常に頭が痛い。 聞いてしまった以上、お飾りとはいえ女主人として私が何とかしないといけない問題だ。
「今夜にでも侍女長と話し合いが必要ね。」
額に手を当て深い溜息をついた私に、そっとアルジはハーブティを出してくれた。
「辺境伯の本宅のメイド達は、前奥様の時代からあまり入れ替わりがないのだそうです。 ですから皆、常々旦那様の心配をしていらっしゃったとか。 そんな旦那様が、奥様にわずかにでも心を動かされた、という事に浮足立っているのではないかと。」
「それが理由でも、情報管理の問題で駄目よ。」
ハーブティを受け取った私がそう言う中、話を聞いてやや思案した風だったブルー隊長が私に提案を投げかけた。
「これを機会に奥様から旦那様に歩み寄る、というのはどうですか?」
「それはいいです! 奥様、いかがですか?」
目を輝かせたアルジも、手を叩いて私を見る。
が。
「はぁ?」
言われた意味が解らず、つい眉間にしわを寄せ聞き返す。
しかし、目の前には『ものすごくいいことを思いついた』とばかりに見えない尻尾をぶんぶん振る、旦那様の忠犬ブルー隊長が、昨日言い聞かせたばかりなのにも関わらずロマンス話に食いつくように同意したアルジと盛り上がり始める。
「しかし歩み寄り、とは、何処から始めるものでしょうか?」
「ネオン隊長はいま、離れにお住まいなのですよね? ですから、本宅に戻られてはいかがでしょうか?」
「奥様、いかがですか?」
(いかがですかもなにも、絶対に嫌だ。)
「……私が? なぜ?」
拒否する気持ちを乗せ、やや声を低くして聞いてみるが、二人には普通の返答に聞こえたようだ。
「本宅にお戻りになれば、共にお食事や騎士団へ出勤となり、会話も増えます。 お互いの事をお話しできるよい機会になるかと!」
「私共も、是非ネオン隊長には団長と仲睦まじく辺境伯領と騎士団を治めていただきたいのです。 初めてネオン隊長からお話を伺った時、お飾りと言いつつ、辺境伯領の事、領民の事、そして団長の事を心から考えお話しされる姿に感動し、そう願っておりました!」
「……だから私から歩み寄れと? お飾りになれと言ったのは旦那様です。 そのあたりの事は説明しましたが?」
「しかし、団長からの歩み寄りを待つよりも、聡明な奥様からの歩み寄りの方がより早く仲睦まじく……」
そこで私は一つ、わざと本当に大きくため息をついた。
「逆に伺いたいのですが、何故、私から歩み寄らねばならないのでしょうか?」
はっとして私の方を見たブルー隊長とアルジに、私は静かに微笑む。
「こういった場合は女性から……。」
尻尾と耳があったらしゅ~んと垂れ下がり始めている気がする。 が、配慮を欠いた発言をしたのは目の前の二人なので私は静かに問いただす。
「それは何故ですか? 私は旦那様から結婚したその夜に白い結婚を言いつけられたのよ? それにこの医療班をいただくきっかけとなった日には、女風情が、令嬢ごときが、とも言われたのは御存じですよね。 そんな私が何故歩み寄りを? そもそもなぜ、女から歩み寄らねばならないのかしら?」
正直、男尊女卑の残る現在の世界ではそう思って疑わないのは仕方ないのかもしれないけれど……いや、前世の記憶が戻った私からしてみれば、本当に余計なお世話だ。
「そもそも双方が合意の上で歩み寄ると言う前提もないのに、何故私が何もなかったかのようにすべてを水に流し、歩み寄ることをする必要が? そもそも旦那様は、今回皆が勝手に噂していることに対してどう思っていらっしゃるのかしら?」
本人不在の話をし、片方だけけしかけるなんてありえないとおもう。 しかしまだ食い下がってこようとしたのはブルー隊長だ。
「し、しかし……。」
「しかしもへったくれもありません。 よくある事、物語ではそうなるからといって、何故私がそうしなければならないのでしょう? 私は、わたしから旦那様に歩み寄るつもりはありません。 その必要性を感じないからです。」
「しかし、旦那様は変わろうとなさっておいでのようだと、家令と侍女長が言っていました……ですから……。」
「それは侍女長に言われたの? アルジ。」
「……はい。」
(なるほど。 辺境伯家では何とか私たちの仲を取り持とうと、使用人たちが裏で工作をしているのね)
確かに使用人としては、結婚を渋りに渋っていた、国防の要・辺境伯家の当主が、王命とはいえようやく結婚したというのに、『白い結婚だ!』と嫁に言い放ち、嫁も『はい!喜んでぇ!』とさっさと離れに行ってしまったのでは気が気ではなかっただろう。 何とか女主人の仕事をしていただくために二人の仲を取り持とう、いや、そこまでいかなくても、せめて跡目作りだけでも! してもらいたいと気をもみまくったに違いない。
(全ての転機となった辺境伯騎士団慰問には、その意図もあったのかしら?)
だとしたら、うんざりだ。 結局は全部私に放り投げただけではないか。
(もううんざりだわ)
「その話がもし本当ならば、周囲に察してもらおうとせずに、旦那様が自ら態度と言葉で示してもらわねば意味がありません。 貶めた相手に歩み寄ってもらいたいと本当に思うのであれば、まずは自らが歩み寄り、貶めたことへの謝罪をし、許しを乞う。 これが大前提ですわ。」
私は静かに立ち上がると、執務用の机に向かった。
「ブルー隊長殿、それにアルジに言っておきます。 旦那様の周りの皆様が、旦那様のためにと心を砕くのは大いに結構。 でも、それを他者にまで強いるのはお門違いです。 そうやって気をまわしすぎ、過保護にしてきた結果、旦那様はうまく言葉や感情を他人に伝えられず、誤解が誤解を生んで、最終的にはあのような負傷者問題につながったのではないのかしら?
人は自ら助けを借りて成長するものよ。 自分で選択をし、自分で結果の責任を取るの。 あえて苦難で傷つくべきとは言わないわ。 そんなことはない方がいいに決まっているもの。 けれど、人生で壁にぶつかった時に、周りの人間がなすべきことは、過保護に先回りをし、周囲に無理を言って壁を壊したり移動させたりするものではなく、見守り、後押しし、自分から相談や助けを求められるように手助けや助言をし、最終的には自分で壁を打破させ成功体験を積む、その支援をすることよ。 先回りして過保護にし守った先に失敗したとき、その人生の責任すべてを、周りの人間が取れるのかしら?」
トン、と執務机の椅子に座った私は静かににこやかに、微笑んだ。
「私は仕事に戻ります。 ブルー隊長もお忙しい中ありがとうございました、どうぞご自身のお仕事にお戻りくださいませ。 アルジは今日はこちらの仕事はもういいので、私の乗って来た馬車で屋敷に戻ってそちらの仕事をして頂戴、従者には夕刻にわたしを迎えに来てくれるように指示を。 夕食後、侍女長と共に私の離れに来て頂戴。」
二人は小さな声で何かを言ってから、頭を下げて部屋を出ていった。
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