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68・前進する医療班、思案する私、持ち込まれる噂?

本日、更新が遅れて申し訳ありません。

 最北の魔術師塔から本部を迂回して医療院に戻ると、医療院ではちょうど昼食が用意され始めたところだったため、皆にお礼を言ってから、一度執務室に戻りあの派手なスクラブなどを片付けると、私は急いで外の井戸でうがい手洗いを行い、洗い替えでおいてある清潔なエプロンとマスクをつけてから重傷者の食事介助に入った。


 午前中に明日からの離床訓練(病床から徐々に起き上がるための訓練)を予定しているあの患者は、今はベッド上で背もたれを使って座る、残った方の手で食事をする練習を始めていた。


(自分で食べられるのはいいことだわ。 もしかしたら今日は朝方のショックで食事を拒否されると思ったけれど今日のところは大丈夫ね。)


 そうはいっても、今日の夕方には食事を拒否するかもしれないし、訓練が本人の思うように進まなければ拒否するかもしれない……こればかりは、一進一退を何度か繰り返してようやく先に進むのを知っている。


(傷もそうだけど、精神面の事も、観察するように指示をしないとね。)


 そう思いながら彼から目を離し、私は自分の目の前にいらっしゃる、横たわって食事とっている患者を診る。


 一番重傷だった彼が意識を取り戻したのは4日前。


 彼はまだ起きあがれるほど体力の回復はしていない。 しかし食事はとってもらわねばならず、かといって平面状態のベッドで、仰向けで食事を嚥下をするのは健康な者でも難しい。


 そこで、上体を少し背板で上げ、右側を下にするように体位を変更し、消化管に負担のかからぬよう、現在はパン粥を裏ごしし、薄味のコンソメスープでのばしたものを食べてもらっている。


「大丈夫ですか? もう一口、食べられそうですか?」


 口の中のパン粥を飲み込んだ彼に問いかけると、小さく頷き口を開けてくれたため、スープ用のスプーンに2/3ほど掬い、口に運ぶ。


 彼はそれをゆっくり慎重に飲み下し、ため息をひとつつく。


 この繰り返し。


 全身にわたる痛み、食事を飲み下すための疲労で辛いのだとわかる。 それでも食事をとってくれるこの人は、どれだけ精神力が強いのだろうと舌を巻くしかない。


 そして思う。 ここで『痛みを取る』だけで、この人はどれだけ楽になるだろうか、と。


(痛みは人格をも変える最大のストレスと緩和ケアの先輩に習ったけど、その通りだと思うわ。 痛みも種類があるから、どの痛みが彼を一番苦しめているのかがわからないけれど……でもやはり、痛み止めが欲しいわよね……魔術の転用が今の時点では無理とわかったのなら、お医者様と医薬品の確保が最重要だわ。)


 痛みにも様々な痛みがある。 明確な外傷などによる侵害受容性疼痛、神経の狭窄などによる神経障害性疼痛、ストレスが原因になる心的要因性疼痛など……。


 彼の場合は腕、足の欠損と、肩から腹にかけての大きな傷があり、これが大本であると推察できる。 しかし、もしかしたら? 脊髄を損傷していたり、どこか骨折部位が神経を圧迫していれば、それは神経障害性疼痛になるし、今、魔物の強襲を乗り越えた恐怖や、現在の療養環境への苦痛が痛みを増大させているとしたら心因性疼痛となる……。


(あー、難しい。 誰もいない、情報もない中でアセスメントするのって本当に難しい。 緩和ケアの先輩の勉強会、夜勤明けだからって居眠りするんじゃなかった。 なににせよとりあえず、どうにかして痛みを取ってあげたいわ。)


 辺境伯家の侍医とは、ここを預かって5日後にようやく話をすることが出来た。


 しかし彼はどちらかというと前世で言うところの『内科医』的で、外傷や魔障などには全くと言っていいほど心得がなく助言もできない。 申し訳ない。 と謝られ、そのうえで、その分野に強い医師の知り合いがいるので連絡を取ってみると言ってくれ、明日にはその紹介された医師がここに来てくれることになった。


(痛み止め……あるとすれば多分生薬よね? ……だとすると想像できる範囲では……あれかしら。)


 頭の中で浮かぶのは、派手な赤い花の種子と、紫の可憐な花の根っこ、背が高く独特の匂いのする草だ。


(古代から使っている痛み止めでもあるし、日本でも江戸時代には使っていたもの。 生薬だと粉末にしても純粋な有効成分の含有量がわからないから、飲ませるときの量の調節が難しい……けど、純度の高い生成方法、なんてこの世界にあるはずもないし、もちろん合成薬剤は絶対にないわけで……前世の医療技術、すごいな……。)


 しみじみ先人たちの知恵と医学の進歩に頭が下がる思いである。


(まぁその分、毒物や麻薬は扱いが面倒だったけれど。 Wチェックはもちろん、使用した後の注射用アンプルは使用後に薬局に返却。 つい間違えて捨てちゃったテヘペロ、なんてしようものなら、見つかるまで周りを巻き込んで大捜索だし、見つかっても見つからなくても始末書にお説教というフルコース……最悪だ……。)


 はぁ、とため息を心の中でつきながらも、全員の食事介助を終えると、一度食器を下げ、今度は口腔ケア(*)に入る。


 食後の口の中の食物残渣から、菌が繁殖。 それを誤嚥して肺炎発症! なんて笑えない。 そんな事にならないよう、患者一人一人に丁寧に口腔ケアを行い、最後にごく薄く出した紅茶を飲んでもらってから、床に戻ってもらう。


「では、ゆっくり休んでくださいね。」


 マスク越しにでも微笑めば、患者は安心したように小さく頷いた。


(今日の昼食は5割摂取……うん、少しずつ増えてきたわね。)


 水分摂取量と同様に、食事摂取量もきちんとカルテに書き込んで、私は4人の患者の様子を改めて観察した。


 私が食事介助を行った方以外は、そろそろ離床を進めてもいいかもしれない。


(では明日からはそうしてみましょうか……。)


 いろいろと思案していると、昼食に行っていた看護班のメンバーが帰ってきたため、食事をとるために交代をする。


「奥様、難しい顔をなさっていますが大丈夫ですか?」


「えぇ、大丈夫よ。 明日からの事を考えていただけよ。」


「あぁ、紹介していただいたお医者様がいらっしゃるんでしたね。 それから、バザーのお品をモリーちゃんと作られるのでしょう?」


「えぇ、そうよ。」


 同じく、後半休憩組のアルジが私の傍に寄ってきてくれたので、頷きながら外の井戸にと向かう。


 私とアルジの食事は、騎士団厨房にいる辺境伯家の調理人が作って執務室に持ってきてくれているため、二人で執務室で食べるのが常だ。


 マスクとエプロンを外し、うがい手洗いを済ませた後、執務室にもどったわたし達は、用意されていた食事に向かった。


「「いただきます。」」


 お祈りを済ませ、食事を始める。 今日は私の考案したパングラタンで、少し前に持ってきてくれていたのだろう、ちょうどいい温度で食べやすい。


 食後はアルジに紅茶を淹れてもらいながら、休憩時間と言いつつ、重なっている書類整理をするのも日常だ。


(あら、面会についての返答が来ているわ。 患者と家族の面会は医療班の建物で良さそうね。 事前にお願いしておけば護衛の方が来てくれるのはありがたいわ。 次の書類は鈴蘭祭の警護の概要ね。 あと20日程度……では、重傷者の方は退院できそうにない。 やはり今回は、看護班はここで仕事をしてもらって、9番隊に支援をお願いしましょう。)


 私は書類の決められた場所に署名を入れ、確認済の書類入れにそれを入れていく。


 そうすると、物資班の班長であり、私の補佐官に任命されたガラが、本部へ書類を届けたり、調整してくれたりしてくれるのだ。


 最初、補佐官を誰か寄こしましょうと騎士団から言われた時そうしてもらう予定だったのだが、ここでガラを起用することで、一度放逐された医療隊物資班の人達が騎士団へ復帰出来るのでは? と考え、確認したところ会議で承認されたのだ。


 おかげでガラを含む医療隊物資班10人は、今までの様に『陰で雇われている下男』ではなく、正式に南方辺境伯騎士団へ再入隊できることになっている。 とはいっても、騎士として戦いに赴くことは出来ないため、補助騎士としての採用で、お給料は騎士より少ない。 しかし正式な騎士団員だと身元も保証され、不当に扱われることもないし、もちろん、食堂にも行けるようになった。


 しかし、一番大きいのは旦那様……辺境伯騎士団団長の目を気にして隠れながら仕事をすることがなくなった、という事だろう。 見つからぬようにと、びくびくしながら仕事をしなくてもいいのだ。


「隊長。 ブルー隊長がいらっしゃいましたよ。」


「どうぞ、入っていただいて。」


「失礼します、ネオン隊長。」


 走らせていたペンを止め、顔を上げた私は立ち上がり、会釈しながら入って来たブルー隊長に淑女の微笑みを浮かべた。


「こんにちは、ブルー隊長。 今日は何かございました?」


「はい! 午前中、リ・アクアウムに鈴蘭祭の事で行く用事がありまして。 ついでに教会に寄ったところ、こちらを預かって参りましたのでお持ちしました。」


「まぁ、申し訳ありませんわ。」


 ブルー隊長にソファを勧めながら、私もそちらに向かって座ると、ブルー隊長はソファに腰を下ろしながら、手に持っていた少し大きめの籠を、テーブルに置いてくれた。


「まぁ、ありがとうございます。 きっと試作品ですわね、後で拝見しますわ。 持ってきていただいて申し訳ありません。」


「いえ。 ちょうど教会の警備の話もあったもので行ったんです。 そうしたところ修道士の方がこちらに持っていくところだとおっしゃっていたので、ご足労頂かなくてもついでに持っていくからと預かってきたんです。」


「そうだったのですね。 では、バザーの警護は3番隊が?」


「えぇ。 三番隊が騎士体験を仰せつかったので、その流れで警護も一緒におこなうことに。 なので奥様の警護もこちらでお受けいたしました。」


「まぁ、それは申し訳ありません。 当日まで、よろしくお願いいたします。」


「はい、大船に乗ったつもりで、お任せください! それよりも、ネオン隊長。」


「はい、何ですか?」


 アルジの淹れてくれたお茶を受け取り会釈したブルー隊長は、お茶を一口飲んだ後、背筋を伸ばし、真剣な顔で私に深々と頭を下げた。


「団長と和解なさったと伺いまして、おめでとうございます。 心よりお喜びを申し上げます。」


「……は?」


「……え?」


「きゃぁぁぁ! 奥様、お茶が! 大丈夫ですか!?」


 あまりの突拍子のない言葉に、私は淑女らしからぬ、ティーカップを取りそこなって紅茶をこぼすという失態をし、そんな私にびっくりして顔を上げたブルー隊長の困惑した声と、アルジの悲鳴が重なった。

医療用語の補足


口腔ケア→食事後、自分で歯磨き出来ない患者に、それに値する歯磨きやマッサージを看護者が行うこと。 歯ブラシや口腔内保湿ケア用品を使い、日に2~3度、入院患者には丁寧なケアを行います。

食物残渣→口の中に残った食べかす。


★口腔ケアを怠ると、口腔内で細菌の繁殖、虫歯や細菌感染を招きます。 寝たきりの方は口の中で痰が固くなりこびり付きとれなくなったり、舌に舌苔がひろがったりもします。


歯ブラシでのブラッシング、舌の清掃、唾液が出なかったり乾燥している人にはそれに沿った専用ジェルを使用して保湿したりもします。


歯のあるなしは関係なくおこないます。 が、残歯があると噛まれるときに看護者は悲鳴をあげます


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― 新着の感想 ―
コミックを先読みしてこちらに来ました。 看護師さんですか?っていうほど、医療関係の内容が現実的ですね。 夜勤のカップ麺や麻薬の取り扱い…身につまされます。 (あと針刺し事故も、痛い思いして、感染の恐怖…
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