66・笑顔の怖い2人組と、不埒な彼のその後の話
カルヴァ隊長の補佐官という方に淹れていただいたお茶を飲みながら、私は渡された部隊異動希望の隊員に関する書類を受け取った。
「こちらが、医療隊へ異動したいという騎士たちの調査報告書となります。 通常であれば、入隊時に身元調査はしますので、入隊後の所属部隊異動希望に対して、わが軍は比較的柔軟に対応していました。 ですが今回は辺境伯夫人であるネオン隊長の医療隊への異動希望という事で審査を厳しくさせていただきました。 もとより、医療隊は今はまだ、手探り状態での運営を余儀なくされている隊でもありますので、その身元調査以外にも、隊での人柄の聞き取りはもちろん、本人へも面談を行い確認しましたので、ご安心なさってください。 ただ一人、最後の書類の者の異動に対してだけは、ネオン隊長に事前に異動の許可をいただく必要性があると判断されました。 どうぞご確認ください。」
「拝見しますわ。」
書類には、他者からの聞き取り調査の要約と、本人の異動に対する志望動機の記載があって、私は丁寧に目を走らせる。
(2番隊のウィス・テリア……異動動機は『医療班の仕事を間近で拝見し、真に必要な仕事だと身をもって感じたため志願した。』 まぁ、この方はこの間まで患者だった方だわ。 病床につかれているときも、とても穏やかで実直な方だったわね。 4番隊のレンペス・グリーン……『兄は騎士をやめましたが、奥様の献身に心から感謝しています。 兄に代わり御恩をお返ししたい』……今回退役なさったお兄様自身が、患者だったからなのね。)
このお二人に関しては、医療班に来ていただけるのならば是非に、とこちらからお願いしたいくらいの人柄のようで、私は安心しながら前置きのあった最後の一人の書類を見た。
(この方が異動に対して私の確認が必要、と言われていた方ね。 えぇと、5番隊アベニーパ・ファー……ん? アベニーパ? どこかで聞いたこともあるお名前だわ? 気のせいかしら? 動機は……己の行いを反省し、騎士団医療班に異動して誠心誠意お仕えしたい? なにかしら、随分と気持ちが重い方ね……。)
首をかしげていると、私の横でお茶を嗜んでいたドンティス隊長が口元だけで笑う。
「もっといると聞いていたがお前とブルーのお眼鏡にかなったのはたったの3人とは。 後の奴らはどうした? 5番隊に預けたのか?」
「えぇ。 異動の理由を聞かれたのでターラに説明したところ、それならば直々に自分らが一から鍛え直してやろうと笑顔で引き受けてくれました。 もとより、今回の事で彼の隊では1小隊が処分を受けて放逐、他は処分を受けていますし、ターラ自体も給与の半減と謹慎処分を申し出るほど猛省していますからね。 我が身と共に不埒な輩も鍛え直す、と随分張り切っていましたよ。」
カルヴァ隊長もそう言って口元だけで笑っているが……お二人とも、目が怖いですよ? もしかして異動の志望動機が果てしなく駄目だったのだろうか……。
(しかし今のお話の流れから行くと、私の隊へ不純な動機で希望した方がいるという事かしら?)
「あの、もしかして女の隊長の元なら仕事が楽になったり、手を抜くことが出来るとでも考えられた方が多かった、といった感じでしょうか?」
名簿をお返ししながらにっこり笑うと、お二人の視線が私に向き、一呼吸、間があってから、お二人はにっこりと優しく微笑まれた。
「そう、けしからんだろう? まったく、不真面目にもほどがあるんだ。」
そうおっしゃったのはドンティス隊長で。
「第10番隊に異動する者は、現在いるメンバーは心配ありませんが、これから入るものは皆、身元はしっかり調査し、何かありそうな場合は問題点を矯せ……いや、確認したうえで入隊させるので、ネオン隊長はご安心なさってください。」
と仰ったのはカルヴァ隊長だった。
「そうなのですね、心強いですわ。」
うふふ、と笑って答えた私。
お二人はきっと、可愛らしくて儚げな美少女である(外見)高位貴族の18歳の乙女であるネオン・モルファ第10番隊隊長には『自分たちが隠した言葉など想像もつかないだろうな、可愛いなぁ』とでも思われているのかもしれない。
(が、ごめんなさい。 中身はいい年をした年齢の社会人経験者です、想像がつきました。)
私はお二人が隠したい内容が何となくわかった気がして内心げんなりした。
(高位貴族の深窓の令嬢に対して、もしかしたらワンチャンあるかも、とか無理やりにでも『あ~んなこと』や『こ~んなこと』的不埒なことを考えた馬鹿がいたって事ね。 領主の嫁に対してそんなこと、口にしただけでも不敬だし、実行すれば己の命どころか、下手をすると一族郎党にまで累が及ぶというのによく考えるわ。 それなりの制裁を覚悟の上? ……いえ、多分真の貴族の怖さを知らないのね。)
この世界では庶民と貴族の身分差は本当に大きい。 市井で暮らしているときならばまだしも、現在の私の肩書は辺境伯夫人、辺境伯騎士団第10番隊長で、後ろ盾は公爵家。
そんなわたしに恋の言葉を垂れ流すことは、私はもちろん旦那様に対しても不敬もいいところだし、体目的で襲うなんて事になったら、不敬通り越して一族全員処刑レベルだ……と考えて、あぁ、と私は思い出した。
「あの、カルヴァ隊長。」
「はい、どうかなさいましたか?」
私は異動希望者の書かれた書類をテーブルの上に置き、一人の名前を指さした。
「この方の事をお聞きになりたいのは、私が許すかどうか、ですか?」
抜き出しテーブルに出した『アベニーパ・ファー』の書類。
志望動機が重い、と引っかかった名前だが、聞き覚えがあるはずだ。 だってこの名前は早朝、私を仕事明けの娼婦と間違え声をかけ、ブルー隊長に殴られて吹っ飛んで、粗相してしまったあの彼だったのだ。
そう思いだせば、彼こそ、希望しても即却下されるはずの人物なのではないだろうかと思うのだが、ここにこうして書類が来ているという事は何かあるのだろう。 とちらりとカルヴァ隊長を見ると、彼は少しだけ肩を竦めた。
「チェリーバはもちろん、私も一度は却下したんですけどね。 小一時間ほど怒られた後、本人が謝罪も込めてどうしても医療班へ異動したいと願い出まして。 諦めさせるために5日間の『ターラの地獄の訓練』に送り込んだのですが、それを2回も乗り越えましてね。 そのうえでなおも異動を希望しましたので、ネオン隊長に話だけはする、と伝えたわけです。 本人に断られたら諦めるようにと。 ですので、断っていただいて結構ですよ。」
さらっと笑顔でそう言われたのだが、そうか、あの後ちゃんと言い含められてたんですね……と感心していると、私の隣でティカップを傾けていたドンティス隊長がカップをソーサーに戻して一つ、息を吐いた。
「この者、何か仕出かしたのでしょうかな?」
笑顔なのに全く笑ってない眼がギラッと光ったのを察した私は、にっこりと笑ってその紙を再び手にした。
「いえ、一度解決した問題ですし、ドンティス隊長のお手を煩わせるほどの事ではございませんわ。」
娼婦に間違われ、兵舎へ連れて行かれそうになった、なんて説明したらどうなるかしら……と頭を抱えたくなるのを押さえながら、カルヴァ隊長を見た。
「それで、お二人から見て合格、という事ですか?」
「チェリーバの方はそもそもの行動もあってか、かなり渋っています。 私としては、面談にも真面目に答えておりましたし、当時の事は、本当に気が付かなかった、大変失礼しました、直接きちんお詫び申し上げたい、と言っていることと……」
「……と、何か?」
少し言い淀まれたカルヴァ隊長に問いかける。
「実は、奥様への言動をチェリーバが追及したところ、彼の上官がそういった規定違反を繰り返し、部下に罪を隠すように圧力をかけていたことが発覚しましてね。 しかも隊で少々問題になっていた案件でして。 彼に少しばかり協力をしてもらい、罠を仕掛けましたら、それは見事な爆弾が掘り返せました。」
「あら、そのようなことが?」
「あれが解決したのはそういう経緯だったのか。」
「えぇ。 シノ殿にもネオン隊長にも、後日、事件報告書が上がると思います。」
はぁ、とため息をついたカルヴァ隊長のその重い溜息に、結構大きくて厄介な事件だったようね、と察する。
「かかわった者全員の除隊処分も考えましたが、部下の方は被害者の立場です。 その上、あの場での発言は奥様より非公式とはいえお許しを受けております。 なにより彼の供述と協力で、騎士団内部の爆弾を掘り返した功もあり、一番下の階級へ降格しましたが除隊は免れました。 その辞令が出た時に、今回の事を心から反省し、これからは貴方の下でしっかり働きたいと申し出があっての『地獄の訓練行き』だったわけですが、2度も乗り越えた彼の真剣さに、少しだけ情けをかけることにしたのです。」
「なるほど。 事件や温情……なかなか複雑なご事情があるのですね。」
「まぁしかし、ネオン隊長ご自身が無理となれば、本人も諦めると言っていますので、どうぞお断りください。」
色々葛藤などあったようだが、私に対しても真摯にそう言われたカルヴァ隊長に、私は悩む。
(う~ん……。 私に内緒で『私が断った』とすることもできたでしょうし、カルヴァ隊長は真面目で部下思いでいらっしゃるのね。 断るのは簡単だけど、可哀そうな気もするし……どうしたものかしら?)
正直、あれはとことん不快であったし、ブルー隊長が来てくれなかったらどうなっていたかと考えると、ちょっと遠慮したいとは考えるが、すでに矯正……いえ、反省済の様子。
(温情、ね。)
ちらっと私は隣に座るお二人の顔を見、それから一つ、提案をした。
「騎士団への功もあったようですし、無下には出来ませんわね。 なので、1ヵ月の猶予期間を設けるのはいかがでしょうか?」
「1ヵ月ですか?」
「えぇ。 1ヵ月彼の人となりを私自身と私の隊員が見定める、と。 合格がでればよし、少しでも不適切と思われたらその場で不採用、という事でいかがでしょうか。」
「ネオン隊長、よろしいのですかな? 詳しくは存じ上げませんがよくない輩なのでは?」
「……まぁ最初は驚きましたが、状況的にはわからなくて当然でしたし……却下される可能性もございますので。結構ですわ。」
(夜明け前の騎士団の砦の中にいた、シャツにトラウザーズパンツにショールだけのすっぴんの若い娘に声を掛けたら奥様だった、とか、まぁ、そう見えなくもないと私自身、反省もしたもの……。)
私の返答にムスッと顔をしかめたドンティス隊長は、ひとつ、深く深く溜息をついた。
「……ネオン隊長がよろしいのであれば我らはもう何も言わずに置きましょう。 しかしアミア坊、しっかり対策はするようにな。」
「かしこまりました。 では、明日、3人を医療院へ連れて行きますので、お願いいたします。」
書類を整えてお返しすると、それを受け取ったカルヴァ隊長は頷きながら、その書類を補佐官の方に渡し手配を命じる。
「えぇ、お願いいたしますね。 本日はお時間を取っていただき、ありがとうございました。 ドンティス隊長とカルヴァ隊長も用向きがおありになるとのことでしたし、私も、トラスル隊長殿とお会いする予定がございますので本日のところはこれで、失礼させていただきますね。」
「わざわざご足労ありがとうございました。 魔術団に行かれるのでしたら、砦とは違う塔になりますので、案内を付けましょう。」
「ありがとうございます、感謝いたしますわ。」
ソファから立ち上がり、礼をしたところでカルヴァ隊長から別の補佐官を付けていただき、彼の誘導で私は魔術師団の塔へと向かうことになったのだった。
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