65・隊服の刺繍の元凶と、隊の規律?
お屋敷の半分ほどの大きさであるしっかりした石造りの南方辺境伯騎士団の本部の一階、扉を開けると大きな階段が正面にあるロビーに入った私は、階段を上らず右手に曲がってすぐの、『第9番隊・受付』と書かれたプレートの下げられた、私の執務室と同じく開けっ放しの扉をくぐった。
(わ、懐かしい雰囲気だわ。)
そこは小さな銀行の窓口を思わせる光景が広がっていた。
第9番隊は物流・会計など事務経理を担当しているため、兼任して騎士団の本部に訪れる賓客や証人に対し、受付や案内も行っていると聞いていたが、まさにそれを体現したような室内だ。 入ってすぐのところには無人ではあるが案内用のカウンターがあり、私の姿を見た騎士服の年若い青年が来てくれた。
「あ、あの……。」
「ネオン10番隊隊長でいらっしゃいますね。」
「えぇ、そうです。 あの……」
「すぐに隊長をお呼びしますので、お待ちいただけますか。」
年若い隊員服の青年は、少し急ぐように、この部屋の最奥にある扉の向こうへ消えてゆき……かわって、威厳ある雰囲気のあのドンティス隊長が現れた。
笑顔で。
(何の笑顔ですか!?)
戸惑う私に彼はカウンター越しに軽く頭を下げてくれた。
「奥様……いえ、ネオン隊長。 ご連絡いただけましたら私が赴きましたのに、わざわざお越しくださったのですか?」
(歓迎ムードが怖いわ……。)
と考えながらも、私は静かに礼を執った。
「御予定もうかがわず、突然訪問し申し訳ございません。 ドンティス隊長。 実は、病衣とスクラブの件で。 先日、隊長自らが医療院に届けてくださったと隊員から聞き及び、お礼に伺いましたの。」
(後、刺繍の件もありますけどね!)
と腹の中で言いながら頭を上げ微笑むと、ドンティス隊長はカウンター横の小さな扉を部下に開けさせ私に言った。
「いいえ、ほかならぬネオン隊長の頼みだったのですから当然です。 それより、そのような場所では狭いでしょう、どうぞこちらへ。 珍しいお茶とお菓子が取り寄せてあるのですよ。」
にこにこと満面の笑みのドンティス隊長。
だが。
(隊長! 私のためにわざわざお茶とお菓子をお取り寄せされたのですか!? いえ、これは誘われるままに奥に入ったら大変に危険な香りがするわ。 失礼だけどここで終わらせなくては!)
頭の中で瞬時にそう判断し、私は頭を下げる。
「いえ、面会の約束もなく突然来てしまいましたが、ドンティス隊長もお忙しい身でしょうし、私もこの後、他の用向きがございますので、此方で結構ですわ。 お心遣いありがとうございます。 素晴らしい病衣とスクラブで私、感動しましたわ。」
そう言うと、一気に破顔したドンティス隊長。
「見ていただけましたか!」
(えぇ!? こんなことでそこまでにこやかになってしまうんですか? ドンティス隊長は隊員たちの前ではもっとこう、厳しめのイメージなのですが……隊員がびっくりして目を見開いていますがよろしいのかしら……?)
「はい、拝見しました。」
ちょっと困惑しながらも笑顔で対応する私。
「そうですかそうですか! どうでしたか? 病衣はもちろん、作業着……すくらぶ? という物でしたな。 あれは会心の出来だと裁縫士も言っておりました。 それに!」
自慢げに言ってくれました。 あれの話を。
「隊長用に誂えました我が辺境伯騎士団の紋章を刺繍した特注品。 裁縫士の中でも特に刺繍を得意とするものが三日三晩寝ずに刺した最高の品です。」
(あの厨二センスは貴様……いえ、貴方だったのですね……)
私はにこやかに微笑むと、腕に抱えていたその制服を出した。
「えぇ、拝見しました。 病衣の方は完璧ですので、このまま一応30着ずつ作っていただければと。 それからスクラブですが、少々お願いがございますの。」
にこっと笑って、カウンターの上にその総刺繍を広げ、内側の背面を見せた。
「この刺繍ですが、刺繍をするとこのように裏側がぼこぼことなってしまうのです。 直に身に着けるものでは確かにございませんが、刺繍がしっかりしている分、伸縮性が失われ、腕周りの動きに制限が出てしまいますの。 しかしドンティス隊長のお気遣いは大変よくわかりましたので、このあたり、ちょうど両肩の中央のあたりか、もしくは左肩の下の腕周りが緩やかな部分に入れていただきたいのです。」
(怒られるかしら?)
内心戦々恐々としながら冷静にそう告げた私に、ドンティス隊長は少し、驚いた顔をされてそれを手に取った。
「ふむ、なるほど。 この紋章を背負って先陣を切るように業務に当たられる我らがネオン隊長を拝見したく作成したのですが、確かに布が厚く硬くなっておりますな……。 あのような慈悲ある業務に対し、なにかしらでも差し障りのある装飾は確かに不要……いや、しかしこの紋章は大変良くできていて……」
と、納得しながらも、そのド派手な紋章が不採用となったことに怒るどころか、明らかに意気消沈して声がどんどん小さくなってしまうドンティス隊長。
申し訳ないな、と思いつつも、これもまた仕方なし、と私は困ったように笑っていた。 が、視界にちらちら何か見えたため顔を上げたところ、ドンティス隊長のはるか後方で、9番隊の騎士様たちがおたおたと、青い顔で何かを私に訴えかけていた。
(ジェスチャー……? 隊長。 その服。 掲げて。 大喜び? ガッツポーズ? 祈る……いえ、崇める、かしら……あぁ、本当に着てほしかったのね……。 それで落ち込んで、このままじゃ仕事にならないかもしれないから何とかしてほしい、と?)
騎士様たちの懇願に、内心頭を抱えた私は、ふと、鈴蘭祭を思いだした。 そして、うまくいきますように、と祈りながら目の前で明らかに意気消沈しているドンティス隊長に告げた。
「ではドンティス隊長。 私はこれで失礼いたしますけれど、よろしければこちらのスクラブはいただいてもよろしいですか?」
「それは構わないが……しかし、これでは業務に差し障るのでしょう?」
シュン……と落ち込んでいるドンティス隊長に、私は淑女の微笑みを浮かべる。
「えぇ、残念ながら看護業務を行うには適しておりませんわね。 しかしこんなによくできた刺繍を、わざわざドンティス隊長御自らが、私のために用意してくださったのですもの。 こちらは普段は私のお部屋に飾らせていただき、バザーなどの人前に出る業務や、騎士団見学者へ医療院をご案内するようになった際には、ぜひ、こちらを隊長服の代わりに着させていただきますわ。 ……近くは鈴蘭祭もありますし、このような見事な紋章の刺繍であれば、最高の広報になりますでしょう? いかがかしら?」
「そ、それは!」
ぱっと顔を上げたドンティス隊長は、カウンターに広げていたスクラブを綺麗にたたむと、部下に先ほどまでいた奥の部屋に行かせ、小さな花束と菓子の箱を持ってこさせ、それら全部を私の腕に乗せた。
「ぜひ、そうしていただきたいですな! そしてその時にはこの9番隊に御身の警護をさせていただきたい! さぁ、これはこのままお持ちください。 鈴蘭祭でのお話は団長より本日朝議の時に伺いました! 楽しみですな。」
「えぇ。 辺境伯夫人としても、医療団隊長としても頑張るつもりではありますが、その時にはご協力のお願いに伺いますわ。」
「もちろんです。 私は以前も申し上げました通り、奥様のためならば粉骨砕身の思いでお仕えいたします。」
「ふふ、大袈裟ですわ。」
先ほどの意気消沈した雰囲気など全くなく、満面の笑みで私に話してくれるドンティス隊長の背後で、隊員たちが滅茶苦茶頭を下げて私に感謝の意を伝えてきている。 中には拝んでいる人もいる。
(あれはどういう意味合いかしら? まぁ、隊長はこれを私に着てほしかったみたいだし、それならそれにふさわしい場で着て差し上げればいいだけの話だもの。 もともと客寄せ人形の予定だし、私が厨二病みたいでちょっと嫌だけど、円滑な人間関係の構築のためにも、作ってくださった方のためにも、ここは折れましょう)
しかし、なんで花束まであったのか不明だが、その下に見えるド派手な刺繍をそっと撫でる。
(大きさの問題はあれど、一針一針こんなに丁寧に美しく刺してくれた方にも失礼だもの。 まぁ、ここまで派手な背面一杯の刺繍ならばうんと目立つし、威厳も見せつけられるし、派手な私が派手なもの着れば本当の意味で客寄せにもなって、そしてドンティス隊長もなぜか隊員の方も喜んでるし、一石四鳥くらいだわ。)
「では、申し訳ございませんが私はこれで失礼いたしますね。 それと、失礼ですが、第一番隊隊長殿と第七番隊隊長殿はどちらにいらっしゃるかご存じですか?」
にこっと笑ってドンティス隊長に頭を下げると、彼は笑顔のまま私に言った。
「ネオン隊長はアミア坊とトラスルに用がおありか。 それなら私が案内しましょう。 ちょうどアミア坊には私も用がありますので。」
(……アミア……坊……。)
とは突っ込まず、私は微笑む。
「まぁ、ありがとうございます。 では皆様、お忙しい時間に失礼いたしました。」
カウンターから出て、私を案内すると先に廊下に出たドンティス隊長の後を追うため、私は室内にいる部下の方たちににっこり笑ってから退出した。
(なんだかまだ拝まれていたけれど気にしないことにしよう……。)
少しだけ頭痛を感じながら、廊下を出たところで待っていてくれたドンティス隊長の半歩後ろをついて歩く。
中央の階段を上がり、2階の左側の廊下へと曲がる。
道すがら、飾りの少ない隊服の兵士たちは、私達の姿に驚いた顔をしながら、屋敷の使用人のように廊下の端に寄り、私達に頭を下げる。
「頭を下げられていますが、挨拶は必要ですか?」
こそっと私が後ろから確認すると、先ほどとは違い威厳に満ちた顔をしているドンティス隊長は、首を軽く振る。
「いいえ。 奥様は軍部の中を歩くのが不慣れだと思いますが、そうですね、例えるならば、屋敷と一緒とお思いになればよろしい。 主人に使用人は頭を下げる……。 騎士の彼らは使用人ではございません。 しかし上官を敬い、頭を下げる……規律、統制そのような物の一端だと、思っていただければよろしいかと。 隊の中ではネオン隊長の話は、すでに良い意味でも悪い意味でも、様々な形で浸透しておりますが、貴方はここでは我らと同じ部隊長。 前を向いて歩かれればいい。」
「はい。 お教えいただき感謝いたしますわ。」
私は静かに頷き、そのまま歩いた。
(そうだったわ。 私、新人隊長だけど、辺境伯夫人だったわね。 隊服の女は私だけらしいから、隊服+女=辺境伯騎士団夫人隊長! ってことで、良くも悪くも噂が広まっているのね。)
改めて自分の立場を思い出しながら、告げる。
「悪い意味が医療院の足を引っ張る事のないように、努力いたしますわ。」
「心配は不要ですな。 ワタシとチェリーバで、締め上げておりますから。」
「え?」
「いえ、それよりもネオン隊長。 スクラブは一人5枚支給、でしたかな?」
不穏な言葉を聞いた気がしたけれど、その後の質問の方が大切だと思ったので私は頷いた。
「えぇ。 処置中に汚れてしまう事が多く、洗い替えが必要です。 一人に5枚支給したいのです。」
「かしこまりました。 刺繍は肩口とし、病衣の件も含め、早く納品させるように伝えておきましょう。」
「感謝いたしますわ。 今の乗馬服では動きの制限があって、やはり少々動きにくいので。」
軽く頭を下げて感謝を伝えたところで、ここです、と立ち止まったドンティス隊長は、『第一番隊隊長執務室』とプレートのかかった扉を叩く。
すぐに中から声が聞こえ、扉が勝手に開くと、ドンティス隊長は中に入って行った。
「アミア坊、忙しいところすまないな。」
「坊はおやめくださいとあれほど……。 それにシノ殿。 いつもお忙しく、私には常日頃お前が出向け、と仰っている貴方が、今日はなにゆえにお出でになったのですか?」
「それは、な。」
「ごきげんよう、カルヴァ隊長殿。」
ドンティス隊長の手招きで、私はゆっくりと室内に入ると、礼を執った。
「これは、ネオン隊長! どうしてこちらへ?」
「私がお休みの時にわざわざ医療院にお出でになってくださったと隊員から聞きました。 そこで、失礼とは存じましたが、今日は私から伺いましたの。」
「隊員の件ですね、早い方が良いと思って伺ったのですが、逆に御足労をおかけしてしまいました、申し訳ない。 どうぞソファへ。 君、お茶を。」
「はっ。」
扉近くにいた青年は、私が中に入ったのを確認すると、扉を閉めてどちらかへと向かった。
私は顔を上げ、にっこりと笑うと、ドンティス隊長と共にソファへと腰を下ろした。
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