63・悩みは続くよ、何処までも(ないものねだり禁止!)
「おはよう、皆。」
派手な髪はシニョンにし、スキンケアとポイントメイクだけを侍女におこなってもらい、用意された清潔な乗馬用のシャツに少しゆとりのある濃紺のトラウザーズ、それから騎士団から貸与された、ちょっと装飾過多な隊長用のジャケットを身に着けた姿で、私はアルジと辺境伯家の離れから馬車に乗り、辺境伯騎士団の砦を少し入ったところで降ろしてもらうと、足早に歩いて医療院の扉を開けた。
「「「「おはようございます、隊長。」」」」
私の挨拶に、各持ち場や、資材庫で仕事を始めていた皆が一斉に頭を下げてくれる。
「では朝会を始めますよ。 みんな集まって頂戴。」
ちなみに私が遅いのではない。 みんなが異常に早いのだ。
……社畜だろうか。 この、仕事前残業みたいなものは止めさせないとなぁ、と考えながら、看護班、物資班、それからリハビリに来ている騎士様含め、休暇を取っている者以外の全メンバーの顔がある事にほっとしながら、いつも使用している入り口わきのテーブルにみんなを集めた。
「おはようございます。 昨日はお休みをありがとう。 こちらは変わりなかったかしら?」
「はい、隊長。」
「はい、どうぞ、ガラ。」
「はっ。 隊長、此方を失礼します。」
そっと小さく手を上げた物資班長ガラに、私は発言を促す。
この一連の『発言前に手を上げ、指名されたら話す』は『いっぺんにみんなで話さない! 意見がある人は手をあげなさい!』 と一度叫んでしまった事で、医療班でのルールになった、私の前世の名残のようなものである。
ガラはここ2日間の事柄をまとめた報告書を私に渡してくれた。
「隊長が夜勤明けで御帰宅された後、一昨日の昼の事ですが、第9番隊隊長殿より、病衣と看護着の完成品が届きました。 執務室の方へ届けてありますのでまずご確認ください。 変更点、改善点があれば言ってほしい、なければこれで、発注をかける、との伝言でございます。 それと、工事の進んでおりました医療院棟の横の建物に改築中の厨房ですが、昨日完成いたしましたので本日から使用を開始予定とのこと。 すでに辺境伯騎士団厨房係と辺境伯家から調理人の方がいらっしゃっております。」
「まぁ、どちらも早かったわね。 ありがとう。 後で確認をします。」
「かしこまりました。 それと、これは別件なのですが、第9番隊隊長殿についてこられた裁縫士の方より『もし夜会用のドレスを作られることがございましたら私共にお任せください、国一番のドレスを作ってごらんにいれます』とのことです。」
(それは何の伝言かしら……予定はないわよ、予定は。)
随分力の入った報告に、私は首をかしげる。
「そ、そう。 ではもし必要になったらお願いするわ。 他にはないかしら?」
「あぁ、大切なことを。 先ほど、鍛冶屋の親方より、奥様から発注のあった、厨房と治療院の間に造らせました大きな焼却炉の方も本日より使用できます、とのことです。」
「まぁ、本当に!?」
親方に頼んでいたのは、昔々、小学校などによくあった形の焼却炉で、体液などで汚染され、再利用できない包帯などの医療廃棄物を、移動させることなく、素早く焼却処分できるように配慮したのだ。
「親方はもう作ってくださったの? ありがたいわ。 では患者の清拭と処置が終わったら、厨房、焼却炉の順で見て回るわね。 それが終わったらすぐに試作品も見ておきます。」
「かしこまりました。 各所へ伝達をしておきます。」
「ありがとう、他にはないかしら?」
「では隊長。 看護班から。」
そこまで言って頭を下げたガラの次に手を上げたのは看護班のシルバーだ。
「はいどうぞ、シルバー。 今日は夜勤明けね、お疲れ様です。」
「ありがとうございます。」
そちらに顔を向けると、私がいなかった間の事を書きつけた紙と、患者のカルテを私の方に差し出してきた。
「隊長の夜勤明けから今日の朝まで、患者は大きく変わりはありません。 それから、自分でトイレに行く練習がしたいとの患者一名より申し出がありました。 こちらに関しましては奥様と確認してからにしましょうと説明をし納得してもらっておりますので、本日、確認をお願いします。 それから一昨日、患者のご家族が面会をしたいと来られたようです。 まだ状況が状況ですし、本日は責任者がいないため、面会のお断りと、何時から面会が出来るかは、まだ返答できないと説明したようです。」
「面会、ね。 辺境伯騎士団として、騎士様たちの面会にも決まりがあるはずよね。」
「はい、家族・親戚・婚約者に限り、面会室であうことになっています。 その際、機密情報の保護と警備の観点から護衛騎士が同席します。」
それに答えてくれたのはガラで、ふむ、と私は考えてからシルバーに答える。
「随分厳重だけれど、国境、国防を預かる騎士団としては当たり前の事よね。 では、衣類の確認後にドンティス隊長とお会いすることになると思うから、その時に医療班もそのようにした方がいいのかを確認してから、ご家族へお伝えすることにしましょう。 トイレの件は清拭の時に確認しますね。 さて、その他には何かあったかしら?」
すると、思い出したかのように手を上げたのは、医療院開始の時には顔を合わせられなかった隊員だ。
「そういえば隊長。 昨日、第1部隊隊長殿がおいでになられました。 医療班の勤務を希望している騎士がいるが受け入れてもらえるか、と。 この件に関しては、後日都合を伝えていただければ希望者を連れてこちらへ伺う、とのことです。」
「まぁ、ここに来たいと思ってくださる希望者がいるのね。」
その申し出は、医療班の活動が認められた気がしてとてもうれしいと素直に喜ぶ。
「それはありがたいわ。 もし適性があるようであればぜひに、というところよ。 今は落ち着いているけれど、ひとたび何かが起きればここは大変になるもの。 早いうちにお話しできるように、後で連絡しておくわ。」
私は舞い上がりそうになるのを『いえ、ここで気を緩めてはいけないわ』という思いで身を引き締める。
「他には特にないかしら? そうしたら、本日も事故なく、安全に、忠実に、私達の仕事をしましょう。 困ったこと、悩んでいること、何かあったら今まで通り、相談してくださいね。 あぁ、それと。 もしかしたらリ・アクアウムで来月行われる鈴蘭祭について、皆にも協力をお願いすることがあるかもしれませんので、その時は相談させてくださいね。 では、今日も一日お願いいたします。」
「「「はい、よろしくお願いします!」」」
全員がそう言うと、皆が自分の持ち場に帰っていく。
湯を沸かし始めるもの、清拭用の手布や処置用の包帯などを用意し始めるもの、様々だ。
二階に上がっているガラの横には、小間物つくりをしてくれているモリーが、私に手を振ってくれていたため笑顔で手を振り返しておく。
「では奥様、私もお傍を離れますね。」
「えぇ、よろしくお願いね、アルジ。」
はい、と頭を下げて清拭の用意を始めた皆のもとに向かうアルジの背中を見送る。
(さて、新隊員が入ってくるという事は……アルジの事を本気で考えないと。 何時までもアルジにこの仕事と侍女を兼任させるわけにはいかないから、帰るときに馬車の中でちゃんと話をしないといけないわね。)
寂しい気もするが、元々辺境伯付侍女が彼女の本来の仕事である。 今までが無茶をさせ過ぎだったのだ。
(さて、まずはお休みの間の情報収集を……。)
気を取り直して、渡された看護記録に目を通す。
私がいなかった間の、患者4人の看護記録には、食事量、排泄回数に排泄量の目安、傷の状態、本人の発言、面会があったものに関してはそのことも、簡潔明瞭に、大切なところは詳細に記載されている。
(受傷後11日目。 まだ無理できる状況ではないけれど、屋外のトイレまで自分で、か……両脚はご無事だから、体を動かしてみて、体の傷の状況を確認して許可を出すか考えることにしましょう。 ……右腕は肩から欠損……腕一本の重さを考えると、まず歩くのに苦労するでしょうね……。)
片方の腕の重さは、全体重の6~7%だと言われている。
想像しがたいだろうが、80キロの騎士様であれば大体5キロ弱だ。 その重さを失うと、ヤジロベエではないけれど、体幹バランスを崩しやすくなる。
いずれ慣れることではあるが、最初は苦労することに違いはない。
それに、現在残っている重傷者様4名のうち3名は、腕や足、どこかに欠損を伴ってしまっている。
騎士としての復帰はありえないだろうと皆は思っている。 特に足のない方は、日常生活でさえ困難になる状況だ。 物資班の中にいる同様の身体損傷を持ってる者は、一本の杖を使い器用に歩き、壁に体を押し付け、バランスを取りながら階段を上っている。
(もう少し生活の質が上がる方法はないかしら……リハビリも、私達では生活の最低限を手助けする程度しか教えられない……ここは人間工学のプロの、理学療法士や作業療法士が来てくれるのがご意見貰えるし、一番有難いんだけど……杖の改良は出来そうよね。 一点杖よりは四点杖の方が安定性はいいわ。 それに……義足、そう、義足を付けている人をこの世界で見たことがないわ。 親方にお願いして、四点杖に松葉づえ。それから義足を考案しましょう。 ……本当は理学療法士さんがいてくれるとありがたいのに……は、いけない、またこの思考にはまってたわ!)
久しぶりの、ない物ねだり炸裂であるが、こればっかりは前世の便利な記憶があるから仕方がない!(開き直り)
前世の病院では、病気が安定期に入ると医師から『はい、そろそろリハビリをしてね』と、リハビリオーダーというものが出る。 それをリハビリ専門の理学療法士さんに提出すると、年齢、性別、骨格、筋肉等々、様々な本人の状況に合わせて一番効果的なリハビリプログラムを組んでくれるのが、理学療法士、言語療法士、作業療法士といわれる専門職の人たちだ。
義手、義足などの装具に関しても、傷の状態を確認し、時には再手術で骨を削ったり切断面の形を変えたりして、その傷が完治してから、義肢装具士という有資格者の方が型取りをして義肢を仮作成する。 それを医師・患者と相談しながら丁寧に微調整を繰り返し、本作成して譲渡するのだ。 そうして作り上げた後でも、その後も定期的メンテナンスを必要とする、とても大変な苦労を要するものなのだ。
(レントゲンにしたってレントゲン技師でしょ? 超音波や病態生理検査は検査技師……あぁ、病院って、ものすごい数の職人がいたんだって思うわよねぇ……)
こうして一人で様々なことを始めると、どれだけ多職種の人たちに助けられてきていたかがよくわかる。
病院という現場は、様々なプロフェッショナル達が協力して患者を支える職場だったのだ
(……そもそも、へっぽこ看護師一人ではいろいろと限界があるってば……。)
「駄目駄目! マイナス思考もない物ねだりも厳禁っ!」
ぱちん、と、自分の頬を両手で軽くたたいた私は、気を取り直すと渡された書類をトントン、と丁寧にまとめた。
「さて、まずは清拭と処置! それから病衣と看護着の確認と、各部署への確認連絡! よぉし、たまった仕事をやりますかね。」