『ラスボラ視線』私が殺してしまった人のように。
「旦那様、おかえりなさいませ。」
「あぁ。」
騎士団から屋敷に帰り、馬車を降りるとエントランスでは使用人が私を待ち構え、頭を下げる。
その中を歩きながら、いつも通り家令であるジョゼフから本日の報告をうける。
「こちらが本日の領内から上げられた報告となります。 それから、奥様は本日は明朝、10日ぶりに離れにお帰りになるそうです。 明後日はリ・アクアウムの視察を侍女を伴われて向かうご予定との事で護衛を手配させていただいております。」
報告の中には、離れで暮らす彼女の報告もある。
「そうか。 飽きもせずよくやるものだ。 視察で向かうという事ならば、辺境伯夫人として恥じぬ行動をとるようにと伝えておけ。」
「かしこまりました。 奥様にお伝え申し上げておきます。」
「恥さらしな真似をされてはかなわんからな。」
そう言って、私は執務室に入り、騎士団のジャケットを脱いで執務机の椅子に座った。
あの日以降、彼女は本当に離れに帰ってくることはなかった。
副隊長たちに(無理やり)話を聞かされたところによると、かなり献身的に『看護』というものを傷ついた『患者』と呼ばれる騎士たちにおこなっているようで、すでに23人の収容者中19人が兵舎、もしくは自宅に帰り、そのうちの半数はすでに復帰のための訓練を始め、もう半数はしばらくの休養、もしくは彼女の管轄する医療団で『リハビリ』?という物をするのだと言っていた。
(あの状況であれば、全員が除隊……良くて3~4人しか復帰できぬと思っていたのだがな。)
今までのやり方であったなら、この予想はおそらく当たっていただろう。
しかし彼女はすでに19人を騎士として復帰させるという成果を上げた。
そんな、昔からは考えられない状況に、彼女は何か特殊な魔術でも使えるのか、と考え魔術師団に問い合わせた。
しかし、現在のところ、医術に使える魔術はないという事を、7番隊隊長トラスル、8番隊隊長セトスルから報告を受けている。 彼らも『いったい今までと何が違うのかがさっぱりわからないんですよね。 奥様は公爵家の出身でいらしたとか……もしかしたらその魔力に秘密があるのかもしれません。 かなり興味深いので、奥様に会わせていただきたいのですがよろしいですか?』と、トラスルの方から面談許可を私に取りに来た。
他の副隊長たちも挨拶をすませているようだし、そんなものは勝手にしろ、と言ったが、一応夫である私の立場を立てたのだろう。
しかし彼女は不思議だ。
辺境伯騎士団の隊長となってまだ10日ほどであるが、すでに隊員はもちろん、神父、当家の離れの使用人と家令・侍女長、第三番隊隊長チェリーバからも絶大な信頼を勝ち得ており、他の部隊長からも次は何をするのだろう、と注目を受けている。
辺境伯騎士団一気難しいと評される第9番隊隊長のシノ・ドンティスまでが、彼女と会った後はすっかり心酔してしまったようで、『第9番隊は第10番隊の行う救護活動、及び慈善事業の手伝いがしたいので許可をいただきたい』と、わざわざ書類付きで直談判に来たくらいだ。
「彼女は、何なのだ……」
あの『公爵家の宝石』と言われる派手な外見も一役買っているだろうが、それ以上に何か人を引き付ける力があるようだ。
そう思った時、胸がジリッと痛んだ。
(……何だ?)
たった一瞬の、その意味の分からない痛みに顔を顰める。
(気のせいか……。 しかし、彼女は一体何なのだ。)
最後に見たのは、私相手にまっすぐと、紫紺の瞳を向けて意見をしてきた姿だ。
闇夜に浮かび上がる儚くも美しい月女神と思った彼女は、戦場で戦旗を翻す戦乙女にその身を転じた。
(契約を交わした時とは別人のように人が変わった。)
確かに、触れれば消えてしまいそうな儚げな外見とは裏腹に、はっきりと自分の意見を言う強さはあった。
だがその後、ジョゼフが用意した彼女の調査報告書を見てからは、私は自分勝手に『鳥籠の中を鳥籠と知らず、ただひたむきに生きる、賢くも弱い哀れな少女』だと思ってしまっていた。
学のない愚かな令嬢。
世間知らずの頭の弱い令嬢。
だからあの場でそれを指摘すれば、泣いて巣へ逃げ帰ると思っていた。
しかし彼女はただ真っ直ぐに、強い意志を宿した紫紺の瞳を私に向け、私の浅はかさを指摘して来た。
面食らったのは確かだ。
そのため、やや冷静さを失って話してしまった自覚があり、猛省はしている。
それだけではない。
危ない場所へ飛び出そうとする哀れな少女を陽だまりの鳥籠に戻すために厳しい言葉を吐き続けたのに、彼女はそれをやすやすと論破し、用意した鳥籠を飛び出した。
浅はかな事をした私の心の奥に疼く傷めがけて、戦旗を突き立てながら。
(違う、そうじゃない。 鳥籠から逃げてしまったら、守れない。)
あの時、会話の途中で彼女が大変に賢く芯の強い女性だと分かったのだ。
弱者に対しては、辛抱強く、慈悲深く、見守る事が出来る強い心を持つ女性だ、とも。
(しかしそれは、戦いの場では己を傷つけるだけのものだ。)
その慈悲深さと意志の強さは危険だと私は知っていたのだ。
だからこそ、さらに酷い言葉を叩きつけるように言ったのに、逆にこちらの揚げ足を笑顔で掴みあげ、ひっくり返してきた。
(なぜ、黙って守られていてくれないのだ。)
思い出されるのは、私が幼い頃から辺境伯家の、そして辺境伯騎士団の医師をしていた大きな男。
彼は慈悲深く、そして患者はすべて治すのだと言う強い意志をもって職務を全うする医者だった。
母と兄を最後まで看取ったのも、彼だった。
辺境伯騎士団と辺境伯家に長く仕えてくれていたその医者は、重症であった兄を助ける事が出来ず、さらに、そのことで心を壊し衰弱した母を看取り、母の傍で嘆く父に頭を下げよくやってくれたと慰められ、兄と母を殺した罪の重さに潰れそうになっていた私に寄り添い続け……。
今思えば、その頃からだったのだろう。
彼は、己の不甲斐なさに徐々に心をすり減らし、その分、身を粉にして働き始めた。
バランスを崩した心身を抱えながら、ただひたすらに職務をまっとうしていた。
そうと気付いたのは、私が辺境伯騎士団の副隊長になった時だ。
長らく見ていなかった彼は、小さくやせ細り、それでも懸命に、騎士団の救護室で仕事をしていた。
辛ければ辞めても良い、と言った。
しかし、私を見た彼は私に向かって頭を下げ、これがモルファ家の家族を壊してしまった償いなのですと泣き、頑なにその職から離れなかった。
兄のように魔障と怪我で亡くなる者を減らしたいと、彼は医師として懸命に職務に忠実であり続けた。
当時は他国の襲撃や魔物の強襲が相次いでいたため、医療班の手は足りず、亡くなる者が大多数であった。仮に生き残ったとしても、騎士として復帰できる者は本当に少なかった。
そんな中でも彼は、一人でも多く生かせるように、とがむしゃらに懸命に働いていた。
医師の使命だ、と。
これが償いなのだ、と。
しかし、反比例してそれは彼を苦しませた。
魔障のせいでひどく苦しみ死んでいく者、騎士として先を失い自ら命を絶つ者、障害が残ったことにより彼を責め立て酒におぼれ自暴自棄になる者、破落戸となってしまう者が圧倒的に多かった。
『治してくれてありがとう。』と彼に感謝する者など本当に少なく……それでも何とか、彼は医師として数少ない助手と共にその場に立ってくれていた。
しかし、ある日、あっけなく彼は死んだ。
父から辺境伯騎士団を受け継いだばかりで、各辺境伯家との連携業務、連絡のやり取り、領地の視察。 以前より発生率が低下し始めたとはいえ、定期的に発生する魔物の強襲や、他国からの襲撃など、日常の業務に追われ、彼の事を思い出している時間も無くなっていく中、ジョゼフから報告があった。
使用人の体調不良のため、医師のところに赴いた辺境伯家の従者と、出勤してこないことを不審に思い家まで来ていた彼の助手、二人でそれを見つけたらしい。
彼は、家の中で首をくくって死んでいた。
前夜、傷は治ったが顔から腹にかけての酷い痛みに苦しんだ元騎士が『なぜ自分を助けたのか、あのまま殺してくれればよかったのに』と、彼を罵倒し殴りつけたことで、ぎりぎり保っていた心の糸は切れてしまったのだろうと、助手の一人は言っていたと聞いた。
私は母、兄以外にまた、人殺しをした。
思った。
私が判断を誤るばかりに、どんどん優しい人が死んでしまう。
強かった者が、弱くなる。 人を責める、酷いモノになってしまう。
それからは、医療班を撤廃し、医師を置くのもやめた。 死に逝く者はそのまま死なせてやり、残された家族に金を与え、生き残ったものには生きていけるほどの慰労金を与え、放逐するのが一番だと思った。
そうすれば、苦しむ者が減るのだと信じていたからだ。
「慰労金を出している!」
そう叫んだわたしに、彼女はひるむことなく私を貫くほどの眼光を私に向けてきた。
「もし、献身の果ての死であっても、あのような名ばかりの救護室で、血と泥と筵に巻かれた孤独な死より、ご家族や大切な方、仲間たちの傍で、暖かいベッドの中で手を取られたほうが良いと、私は思います。」
馬鹿なことを、と思った。
そんなことは知っている。
心があるから苦しむのだ。
そして、死ななくてもいい者まで死んでしまうのだ。
君だって、今までどれだけ周りの大人に踏みにじられて、心をすり減らして生きてきただろうに。
そして、私が吐いた様々な身勝手な言葉に傷ついているだろうに。
「そんなものは、戦場に出たことのない箱入り令嬢の世迷言だ。 そんなものはこれ以上聞いていられないな。 早く屋敷に帰るがいい、金輪際ここには足を踏み入れるな。」
鳥籠はいくらでも用意してやれる。
彼女が自分で鳥籠の中に帰れるように、酷い言葉を選んで言い分を笑い、踵を返した。
これで、彼女は泣いて帰って、鳥籠で幸せに暮らすだろう。
そう思ったのに。
「では、お願いがございます!」
彼女は、扉を開けている鳥籠を蹴りあげて、私めがけて戦旗を突き付けてきたのだ。
ひらめく戦旗のような言葉に、私は圧倒された。
そして言ってしまったのだ。
「今回は勝手な行動を許したが、調子に乗って勝手なことをするな、解ったな。」
と。
これから先、鳥籠を飛び出した彼女が、あの医者の様に苦しむのがわかっていて、私は彼女の行動を許したのだ。
このままでは、私はまた、人を殺してしまうかもしれない。
いや、そうならないように、せめて見失わないように、彼女を見守らなければならない。
あの美しく気高く強い、戦場を突き進もうとする彼女を。
深い思考から戻った私は、傍に控えていたジョセフを見た。
「その視察だが、何が目的だと?」
「慈善事業の打ち合わせ、と伺っております。」
「そうか。 ではそれに私も同行する。」
「……旦那様も、でございますか?」
執務室へ向かう私の後ろを歩くジョゼフが、珍しく慌てるように問いかけて来る。
「しかし旦那様。 明後日は確か会議と……。」
「彼女の慈善事業にもかかわってくる会議だ、先に話を聞いたほうがやりやすい。 軍には明日、私から説明しておこう。 彼女へは当日わたしから説明するから言わなくてもいい。 頼むぞ。」
「か、かしこまりました。」
鳥籠に入れておけぬのなら、せめて目の届く範囲で。
私は執務室に入り騎士服を侍女に預けながら、ひとつ、溜息をついた。