60・教会との話し合いと、驚きの申し出。
表通りに面した教会は、建築基準に合わせた真っ白な外壁に教会のシンボルを鐘楼塔の上に掲げた美しい作りをしている。
(ここに来るのは結婚式以来だわ。)
扉を開けてもらい中に入れば、思い出されるのは、教会の荘厳な光景……ではない。
初めて辺境伯領に足を踏み入れたあの日は、分厚いヴェールのせいで視界は悪く、嫌がらせの様にきつく引っ張られ編み込まれた髪の毛と乗せられたティアラで頭痛がし、長く引きずるウェディングドレスはやたらと重いくせに、踏ん張るはずの足には高いヒールで、介添え人がいてようやく歩けるような感じだった。
過剰な花嫁衣裳による身体的苦痛と、望まぬ貴族籍の復帰に顔も知らない人との結婚という心的苦痛で、真紅であろう淡い桃色に見える絨毯の通路と、その先、目線の高さに掲げられた女神像、そしてその下にたたずむ教会主である神父様と、新郎である旦那様以外は全然覚えていないけれど。
(こんなに美しい内装だったのね。)
建物の中を3分割にしたかのように並ぶ柱の中央のスペースには、今日は装飾もなければカーペットは敷かれておらず、美しい白い床を見せている。
その両サイドには黒褐色の台に真紅の生地を張ったチャーチベンチが並べられ、前世の教会と比較しても遜色ない美しさだ。
高いところにある窓は、ステンドグラスではなく普通のガラス窓のようで、光を和らげる薄いカーテンがかけられていて、日の光が淡く室内を照らし、清楚で厳かという言葉がぴったりの美しい空間だ
石の床を歩けば、靴音が建物の中に響く。
その音に誘われるように、女神像の下に置かれた祭壇の右隣にある黒檀の扉が開き、この教会の主である神父様が、こちらへ向かってこられた。
「お待ち申し上げておりました、辺境伯様、奥様。」
「あぁ、久しぶりだな、教会主。」
私たちを迎えてくださった神父様は、結婚式に着ていた純白の衣装ではなく、灰白色の修道士服に身を包んでいる。
「奥様もようこそおいでくださいました。」
そう言って頭を下げてくださった神父様に、私もカーテシーをした。
「結婚式の際には大変にお世話になりました。 騎士団に滞在中の神父様よりお聞きいただき、本日の用向きをご存じかと思いますが、是非、教会主様にお願いいたしたいことがございまして、本日訪ねさせていただきました。」
「えぇ、えぇ。 頂いた手紙でしっかり伺っておりますよ。 なんと素晴らしい事をお考えになるものだと、大変に驚きました。 ですから、今日は奥様とお話しするのを楽しみにしておったのです。 さぁ、どうぞこちらへ。 数名、修道士が同席してもよろしいですかな? 厨房を管理するもの、孤児院を管理するもの、会計を管理している者達なのですが。」
奥の部屋に私たちを促しながら微笑む神父様に、私は淑女の微笑みを浮かべながら頷く。
「もちろんですわ。 ぜひ、こちらからお願いしたいくらいです。」
そこまで言って、エスコートしてもらっていた手を離し、私は旦那様の方に体を向けた。
「旦那様はどうなさいますか? お話は少々長くなりますし、ぜひ先にお屋敷に戻られ……」
「いや、共に聞こう。 これから話し合う事は、以前に君が言っていた辺境伯夫人としての慈善事業の話なのだろう? 君が何をするか、確認しておく義務がある。」
私の言葉を遮るように 相変わらず険しい表情で私を見ず同席を告げてきた旦那様に、私は頭を下げた。
(あら、帰ると言うかと思ったのに。 まぁ確かに、私の慈善事業が失敗すれば、辺境伯家の名前に傷がつくかもと思ったら気が気じゃないでしょうから、当然だわ。)
「さようでございますか。 それでしたら、旦那様に別にお時間を取っていただき、許可をいただく必要がなくなりますので、私としてはとても助かります。 では、私の話を聞いていただいて、何か辺境伯家や騎士団にとって不都合な点や不明な点、良い改善案などがございましたら、その都度指摘いただけたらありがたいですわ。」
「あぁ、わかった。」
頭を上げにっこりと笑った私に、旦那様はそう答えた。
「では修道士たちが、クッキーとパウンドケーキ、ブランデーケーキという菓子を焼き、料理が不得手だったり裁縫のうまかったりする者は、此方の様な教会の教えを図式化した刺繍の入った手布や肩掛け布などの作成をし、来月に開催される鈴蘭祭で、辺境伯夫人の主催する『教会に医療院を併設させること、孤児院の処遇改善』を目的としたバザーを行い、これらの品々を売る、というわけですな。 しかもその収益は原価分は貯蓄、残りは医療院の開院と、孤児院の改善、バザーを手伝った孤児院の子供たちの駄賃とすると。」
応接室で、旦那様と教会主である神父様、男女4人の修道士様、そして私が席につき、護衛騎士とナハマスが後ろに控えている状況で、神父様は机の上に並べられた品物や菓子の試作品を手に取り、口にしながら確認してきた。
草案をまとめた紙を読み終えた教会主様である神父様は、その草案を他の修道士様たちに回しながら、私に確認をしてきた。
「さようです。 今回は初回となりますので、顔見世が大きな目的となりますが、二回目三回目からはしっかり売り上げを上げてほしいと思っております。 辺境伯夫人であるわたくしの慈善事業ですので、材料費や販売する屋台となるものの設営は私がすべて負担いたします。 収益は半分を医療院へ、残りの半分を孤児院の改善へと使用します。 原価分を教会の貯蓄とするのは、バザーを運営する際の、いざというときの蓄えと、お考え下さい。 もちろん、このような慈善事業をするにあたり、皆様にご協力を願うのですから、教会への寄進も、毎月させていただきますわ。」
私は護衛騎士より預かった籠から、テーブルの上に、商品となるものの試作品を取り出して並べる。
「こちらの刺しゅう入りの手布を『ハンカチ』、此方の肩掛け布は『ショール』という名前にし、またこちらの『サシェ』と名付けた香りのよい花を詰めた匂い袋と共に売ります。 菓子の方はこのような大きさにし、大きな物を2000マキエ、半分の物を1000マキエ、このように切った物を一つ200マキエとして販売します。 酒精のはいったブランデーケーキは、酒の分それより高くし、大きさも大きい物と半分の物だけ販売します。 もとより大人のためのケーキですから、子供が買える値段では困りますからね。」
「なるほど。」
今日の日のために試作を重ね出来上がった最もシンプルな形のパウンドケーキと、前世によく似た酒を見つけるところから始まって前日にようやく出来上がったブランデーケーキは、前世の物にかなり近く、かなり納得のいく出来になったため、今日は皆様へ試作品として持ち込んでいる。
皿とカトラリーを用意してもらい、私が切り分け配ったケーキ2種を、神父様、修道士の皆様、旦那様はもちろん、ナハマスや護衛の騎士にも食べていただいたが、おおむね大好評であった。
ちなみに、最初は訝し気な表情で食べるのを戸惑っていらっしゃった旦那様のお皿も、感想はいただけなかったものの、お残しもなく全て食べ終わられていたため気に入った様子だと受け取っておく。
その他の、今回は材料がまだ間に合わず香水と脱脂綿を使用して作った代用の『サシェ』や、手布を真四角に切り、その縁取りを教会の教えに出てくる鳥や花、四隅に教会シンボルを刺繍した『ハンカチ』、大きな三角に同じく花と鳥の縁取り、直角になった部分には教会シンボルと飾り文様を刺繍した『ショール』は、女性の修道女様に大変好評だった。
「いかがでしょうか? 教会でこのような品物を売買するのは可能でしょうか?」
教会主様にそう伺えば、彼は穏やかに微笑んだ。
「教えには、神聖なる教会で商売をしてはならないという物はございません。 何より教会に庶民は無料の医療院の建設や孤児院の現状改善が目的となされた、辺境伯夫人の慈悲のお心からの事業です。 わたくしに異論はございませんし、協力させていただきたいと思っております。 皆も其れで良いかな?」
「はい。」
修道士の皆様も皆頷いてくださり、菓子を作るための先生となる料理人の派遣を受け入れてくださり、私が休みの日に刺繍や小物の品質チェックをするという事も了承された。
「奥様、孤児院の改善、とは具体的にどのようなことをなさるおつもりですか?」
「現状を見てみなければわかりませんが、まず思いつくのは環境の改善でしょうか。 それから、孤児院の子だけでなく、この町の子供たちのために、お昼ご飯の出せる学校を作りたいと思っています。」
「お昼ご飯の出せる学校、ですか?」
「えぇ。 大きな規模でなくてもかまいません。 最初は私達が教えられること……読み書きや料理、刺繍、今いる私達が教えられるいろんな技術を、個人の好みで覚えてほしいのです。」
「なるほど。 たしかに読み書きができれば、良いことは多い……しかし料理や刺繍などとは?」
「なにかを作る。 品質が一定以上になればバザーで一緒に売る。 子供たちが自分で作ったものの半分は自分の収益になる……そうやって、商売の仕組みを知ってほしいのですわ。 読み書きができ、働けば稼げる、貯めればほしいものが手に入る、という正しいお金の使い方を知ってほしいのですわ。 そうすれば、悪い大人に騙されることも、正しい道からそれることも、予防できるでしょう? バザーでは騎士体験もしてもらうので、将来孤児院出身の騎士様が誕生するかもしれませんね。」
にっこり笑って答えると、一番端にいらっしゃった女性の修道士様が首を傾げられた。
「奥様。 学校を作る理由についてはよくわかりました。 しかしその学校でお昼ご飯を出す事には、何の理由があるのですか?」
「それはもちろん、人集めのためですわ。」
「人集め?」
皆が繰り返した言葉に、私は頷く。
「えぇ。 このあたりの子供は、働き手として学校に行かず仕事をしている者が多い、と耳にしました。 そんな子供たちにも、勉強をしてほしいと思っております。 ですから、学校に行けば勉強もでき、お昼ご飯も食べられる……一食分、その子のご飯を家族が負担しなくてもよい、とするのです。 そうすれば、通わせてもいい、と親御さんも考えてくれるでしょう。 子供たちもお友達が出来たり、読み書きが出来て、将来の糧になる。 あぁ、それとお昼ご飯は栄養価の高いものを提供することで子供たちは健康になる。 一挙両得でしょう?」
私がそう説明すれば、皆、興味深く聞いてくれ、深く頷いてくれた。
そして、そこまで私の横でただ黙って聞いていた旦那様が、ハンカチやショールなどを手に取ると。
「これは、よく考えたものだな。」
と、つぶやいた。
「え? あぁ、ありがとうございます。」
「いや、本当に感心した。 ジョゼフが言っていたことは本当だったな。」
それだけでも吃驚し、私は旦那様の方を見たのだが、続いた言葉にもっと驚かされることとなった。
「では、その騎士体験とやらには、鈴蘭祭の警護とは別に、辺境伯騎士団の一部隊をバザー中の教会の護衛も兼ねて貸し出すとしよう。」
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(頂いた報告ですが、意図している部分に対しては、削除させていただいております。 申し訳ございません。)