59・貴族の義務、家族の情愛
「後は奥様のご予定にありました、お医者様と教会への訪問、でしょうか?」
「医師への訪問についてなのですが、ナハマスはどちらかよいお医者様がいらっしゃるという話を聞かれていますか? もしくは何かあった時にかかるお医者様はいらっしゃいますか?」
私が問いかけてみると、彼は少し考えこんだ。
「お医者様ですか。 私共は辺境伯家にお仕えしておりますので、有事には辺境伯家の侍医の方に相談いたしております。 旦那様が、使用人の家族はそうするように、と仰ってくださいました。」
「まぁ、そうなのですね。 それはよいことですね。」
(可能性も失念していたけれど、辺境伯家の侍医がいるのね。 あの公爵家にだっていたしね。 しかも旦那様が使用人の受診も許しているなんて、意外だわ。)
旦那様ならそんな優しいことはしないと思ったけれど……と思って思い返す。
皆、旦那様の事をあの件以外の事で悪くいう人間はいない。 どちらかと言えばとても慕っている風に見える。
(こういう、身内に当たるものに対する優しさ? があるところが見放せないという点なのかしら? 優しいと言っていいのかわからないけれど。)
ふむ、と考えて、それでは、と質問を変える。
「では、この街で領民が受診することもできる、腕の良いと言われるお医者様はいらっしゃるかしら?」
「……それについては……難しいですね。」
ナハマスは困ったように話してくれる。
「金のない者はまず医者にかかるのは難しいでしょう。 謝礼が高額なのです。 なので、雑貨屋などにある、王都で作られ流通している安価な薬で対処する事がほとんどです。 医者に掛かれるのは裕福な商人か貴族のみ。 医者の方もそれを解っていますから、法外な報酬を相手に望む、といった感じです。」
と、ナハマスが指さしたのは、大通りに面した建物の一つ。
「あそこには、かなり腕の良いという評判の医者の所有する治療院ですが、見学されますか?」
少しばかりそこを見ていたけれど、上品なお仕着せらしき服に身を包んだ人が出入りし、何やらもらって帰っているように見える。
(基本は往診で、あぁして使用人が診察代金を支払いに行ったときに、薬をもらって帰るっていう仕組みかしらね。)
多く出入りはしていないけれど、皆身なりが良いことはわかる。
(辺境伯夫妻が見学したいと言っている、と言えば大手を振って見学させてくれるのでしょうけれど……。)
私はナハマスに首を振った。
「いいえ、結構です。 きっとこのまま見学に行っても、わたしが思う話は出来ないと思いますから。」
「医者と話すだけだろう? それに思った話が出来ないとは?」
と、そこまで黙って聞いていた旦那様が、私に問いかけてきた。
「では旦那様、ここに留まったままでは衆目を集めますし、よろしくありません。 ですので、教会まで歩きながらお話しさせていただきますわ。 ナハマス、案内していただける?」
「かしこまりました。」
そう言って、旦那様のエスコートを受け、ナハマスの誘導に沿って教会へ歩き出す。
「それで、先ほどの話だが。」
「はい。 先ほどのナハマスの話から察するに、私が求める医療を提供はしてくれないと思いました。 ですので、見学をお断りしたのですわ。」
「なぜわかる。」
「わかりますわ。 見たところ、あそこの医者は往診に行き、診察をし、金を届けさせるという形をとっているのでしょう。 出入りする者は皆、仕立ての良い衣類を身に着けておりましたが、一般庶民には見向きもしなかった……。 憶測ではありますがもとより『庶民お断り』というところでしょう。 私がしたいのは医療院の運営と、前辺境伯夫人の残されていた慈善事業である孤児院の状況改善です。 騎士団の中の医療院を本部とし、この町の教会にも医療院を立て領民は無料で医療を受けられるようにしたいと思っております。 勿論、私の慈善事業ですから、医師には報酬をお支払いいたしますが、金で動く医者にはそのような仕事、出来ません。」
「なぜだ?」
「……これは体験談ですが、金だけもらえば、と、雇い主にはいい顔をし、業務に手を抜く輩が多いからですわ。 特に金の亡者には。」
それに、と、私は続ける。
「このように大人数で、護衛を連れてあの病院に行けば、私たちの本来の地位を知らないにしろ、金銭的に裕福な者と相手はわかるためいい顔をします。 決して庶民に対する態度は見せないはずです。 きっと、上客だと察知し、私達に対しへつらう態度を取り、いかに自分が腕の良い医者かと知識をひけらかすでしょう。 もし、本当に腕が良い医者であったとしても、そういう医者は庶民に対しては診察方法がおろそかになる可能性が高い。 お金は大切です。 ですから地位や金銭に対して態度を変えるな、とは言いません。 しかし『提供する医療』を金銭で変えるような者は、医師としては決して信頼することが出来ないと考えます。」
医者は清貧を! とは言わない。
命を預かる責任ある重大な仕事であり、それを名乗るためには医師となった前も後も懸命に勉強をし、様々な苦労をしているはずだ。 人に感謝されることもあれば、罵られ、憎まれることだってあるのだ。
だから、それに見合った対価を受け取る権利があるのは当然である。
が、仕事に忠実であれ、とは思う。
金を積まれたら良い仕事をし、金がない相手と思ったら適当にあしらい診察もしない。 そんな医者が王都には多く、いまの良い先生に出会うまでには、母の薬をもらうのにいろんな医者の元を走り、水を掛けられたり(冷たかった)、前世で言うパパ活を迫られたり(殴って逃げた)と、まぁいろいろ苦労があったのだ。
「ですから、先ほどの医者に見学を申し込むのは時間の無駄だと思ったのです。」
「なるほど、確かに君の言う事は的を射ている。 君は令嬢の割に随分と知識深く、人間を観察し、聡しく物事を判断し、地位ある他者に対しては冷徹なほど厳しい評価もするくせに、傷病者や持たぬ者に対しては、愚かしいほどに甘いのだな。」
(他意はなさそうだけど、随分と棘がある言い方をなさるのね。)
嫌味で言ったわけではなく、ただ本当に感心したようにそう言った旦那様に、私は内心こぶしを握りながらも、穏やかな淑女の微笑みを浮かべた。
「さようでございますか? それは『位の高き者達は社会の模範となるよう徳を積め(ノブレス・オブリージュ)』という言葉通り、貴族や富のある者に対し、神様が私たちに課した義務ですわ。 そうでなくとも、私には辛い状況にある者を見放したり、鞭打つような真似はできません。」
にっこり微笑みながら旦那様にそう言えば、一瞬だけ苦虫を噛み潰したかのように眉間を寄せたが、すぐにいつもの険しい表情に戻り、私を見た。
「戦場では、そんなことは言っておれぬがな。」
「私は戦場に出たことがございませんので、それについては言及出来る立場にありません。 『非常時にはまず自分の身を、命を守れ』という事は私でも存じ上げておりますもの。」
前世でも、大きな震災や事故などの時は、『まず自分の身を守れ。 身の安全が確保されたところから、患者の安全を確保せよ。』が大前提だったのだから、その点について旦那様を責めるつもりはない。
患者がどうでもいい、という意味ではない。 状況が落ち着いた時、素早く次の行動である、患者の命を守る行動をとれるように、まず自分の安全を確保しろという事だ。
それが命を懸ける戦場であるなら、当然の事であると考える。
だが人とは不思議なことに、頭では理解していても、体が、心がそれに反した行動をとると言う例もある。
(弟を守るために己を盾になさったお兄様のお気持ちを、旦那様はわかっていらっしゃるのかしら……?)
家族の情愛。
それを受けたのに覚えていない、忘れるようにしているようにさえ見える旦那様に、それがわかる日が来るのだろうか。
気が付かれぬようにため息を一つ。
「着きました、奥様。」
私達は教会に到着した。
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(句読点など意図としてそうしている部分もございます。)