58・変わらない旦那様。
食事も終わり、旦那様と店の外に出ると、ナハマスが私たちに頭を下げた。
「次は、図書館とのことでしたね。」
「えぇ、お願いします。」
「では参りましょう。 すぐ近くでございますので。」
再びナハマスの先導で、旦那様のエスコートに従って歩き出す。
そしてすぐに、私は気が付いた。
(……あら?)
先ほどまでのエスコートよりも、歩きやすくなったのだ。
ふと旦那様の方を見れば、眉間にしわを寄せ前を向いて歩いてはいるものの、時折視線を私の足元にやっているようで、私に合わせようとしてくれているのだろう。
(意外と素直なのかしら?)
そのまま観察するように旦那様を見ていると、ふと目が合った。
(ここは……まぁ、お礼を言っておくべきよね。)
私はにこっと微笑んだ。
「旦那様。 先ほどよりも歩きやすいですわ。 お心遣いありがとうございます。」
「私はこんなにゆっくり歩いたことがないから変な気持ちだな。」
すると旦那様はますます険しい顔になって目をそらした。
「だが、……そうか、君にはこんな風にゆっくりと街並みが見えるのだな。」
嫌味を言われたのか思ったが、どうやら素直な感想だったようだ。
(……旦那様は、お年の割に随分幼いと言うか……騎士団で話をした時はもっと刺々しくてモラハラ! 男尊女卑! 的だったのに。 何かしら。 体と心の成長があっていないというか……随分素直な面もあるのね。 少しイメージが変わったわ。)
そう思いながら旦那様のエスコートで足を進める事10分程度。
目の前に現れた目的地は、屋根がドーム状になっているが、街の建築基準にのっとった白い大きな建物だった。
「こちらでございます。」
「まぁ、随分と大きくて立派な図書館なのね。」
この建物いっぱいに本が収納されているかと思うと、蔵書数も相当であろう、とワクワクしたのだが、申し訳なさそうにナハマスは私に笑った。
「実はここはリ・アクアウムの役場で、図書館はその中にある併設の施設なのです。 どうぞ、中に入りましょう。」
促されて中に入れば、前世の市役所のように、広くロビーや案内、受付が広がっている。
(全体的にきれいに手入れされているわね。 しかし、役場併設の図書館、か。 所蔵数は少なそうね。 大きな町の図書館だから期待したのに残念だわ。 お目当ての本はあるかしら……?)
粛々と足を進める私達に、皆が立ち止まり、頭を下げてくれる。
目と髪の色も変えているし、領主夫妻という触れ込みでないと思ったが、役場の中は違うようだ。
「お待ちしておりました。」
私達が歩いていると、女性が二人、こちらに向かってきて立ち止まり、丁寧に頭を下げて挨拶をしてくれた。
領主の名を呼んだりしないという事は、一般の領民へ私たちの正体がわからないようにする配慮だろう。
「では奥様。 私共は別の予定がありますので一度失礼いたします。 図書館へは、此方の女性がご案内してくれます。」
「私がご案内させていただきます。」
「えぇ、ありがとう。」
旦那様とナハマスは広い廊下の奥の方へと行ってしまったため、頭を下げて挨拶をしてくれた案内嬢に従って、図書室へと向かった。
茶色い髪をひっつめた、ややきつめの女性は、しばらく歩いた後、古い扉を開けて私を中に入るように促してくれた。
お礼を言って、護衛と共に一歩その空間へ足を踏み入れると、古い本の香りと共に、それらの詰まった本棚がずらりと並んでいた。
(蔵書数は一般的な中学校の図書室程度、かしらね。 それに、活用はされていないみたいね。)
館内に自分たち以外の気配はなく、案内カウンターは少し埃をかぶっているように見える。
学校に通う子供の数が少ないという事は、大人の識字率も低いかもしれない。 そう考えれば、領民で本を読むものはとても少ないのかもしれない。
これは本屋の方も期待できなさそうだ……と少々がっかりしながら中に入る。
(識字率については、孤児院だけでなく、いろいろと改善が必要かもしれないわね……。 それで、えぇと案内表示は……あぁ、あったわ。)
本棚の上につけられている本の蔵書の案内表示を見ながら歩き、医学・魔術の本棚のある方へと歩く。
医学と魔術の本棚は隣り合わせに置いてあった。
「……この並びって、もしかしてやっぱり医者がシャーマン、的な医学レベルなのかしら……」
ちょっとめまいを感じつつも、『医術入門』と書かれた背表紙の本を、恐る恐る手に取る。
少し埃の積もった本は、見る者がいないのか新品同様だった。
パラパラと目次を見ると、人体の仕組み、病気とは何か、瘴気による病気とは何か……等、本当に医学生や看護学生が最初に良く買う医学の入門書のように感じる。
(この世界の医学入門としてはこれはちょうどいいわね。 じゃあ、これと……これと、これも。 そうね、此方も……。)
それからは『病とその療養』『薬草学入門』『病と薬』『民間療法とその効果』『薬草大全』『人に害なす魔獣の病』『魔障に効く薬』など、これから私に役に立ちそうな本を次々と見聞し、腕の中に抱えていく。
その中で気が付いたのは、看護をする、患者を療養するという本が一冊もないことだ。
(ナイチン〇ール先輩だって看護学校を卒業なさっているのに、この世界はそれ以前の問題って事? ……看護師や理学療法士みたいなコメディカルスタッフの仕事は存在しないの? そうすると、看護師第一号ってことにならないかしら、うちの騎士団医療班。)
「奥様、お持ちいたしますよ。」
妙な頭痛を感じつつ、ため息まじりに本をよいしょっと抱え上げると、護衛騎士様が声をかけてくれた。
「あら、ごめんなさい。 ありがとう。」
3人付いているうちの、1人の護衛騎士が、私の様子を見かねて声をかけてくれたようだ。
気が付けばかなりの数の本を抱えていたので、それを崩して床に落とさないよう丁寧に本を渡すと、身軽になったわたしはまた、次々と背表紙を流し見て、気になった表題の本を手に取り、中を確認して借りるか借りないかを判断していく。
「『魔術の医学』? 魔術が医学へ転用できるって事かしら?」
手に取ってみれば、こういう考え方もできるのではないか、という事のようだ。
(……借りたい……でも、魔術の本は騎士団でお借りできるから、とりあえず医学書だけにして……。)
時間も限られているので、サクサクと本を見定めていく中、途中、私の手が止まった。
「『医学の魔術、魔術の医学 その関係性』……?」
比較的新しめのその分厚い本を手に取る。
パラパラと開いてみれば、それは私が食いつくのには十分なほど詳細な挿し絵がたくさん入った、魔物の瘴気による傷病者の研究の本だった。
魔物による切り傷は出血が止まりやすいが、魔障を除き手当をしないと患部は変色していき腕が腐り落ちることがある事や、魔障が体の動きを制限する呪いのようになったものもあるとある。
(ん? これは感染症による壊死じゃないって事? なんで血が止まりやすいの? それから、動きを制限する呪いって何……? 麻痺の事? ってことは、リハビリ中の彼はこの状態って事かしら?)
解らなさ過ぎて『?』マークが頭の中をぐるぐると飛び回ってしまう。
(これも借りていきましょう……。)
その本を抱え、溜息を一つ吐く。
医術だけでもこれなら、魔術が入るとどうなるのだろう。
そもそも私は魔術に触れてこなかった。
触れる機会は、酒場兼宿屋にあった魔道具に触れるときだけだ。 自分たちの家には高くて明かりをともすものなど、最低限の魔道具しかなかったこともある。
(そういえば妹たちは魔力量が高いってびっくりされたんだっけ……?)
学校に入った時に嬉しそうに帰ってきたのを覚えているが、庶民の子はその魔力を暴走させないように、日常使う魔道具を起動させられる程度以上の魔力を抑える魔道具を付けることが義務化されている。 勿論、授業でその使い方も、『魔力とは何なのか』も習うことはない。
魔力を使うことは、貴族の特権、という物らしい。
(本当に! 金と権力と特権大好きの青い血って嫌ね。 何でも一番、なんでも特別、が大好きなんだもの。 ま、いいわ。 少なくとも医術と魔術の関係性が何となくわかったし、ひとまずこれだけ本があれば、知りたいことの十分の一でも理解できるでしょう。)
「そろそろ旦那様がいらっしゃる頃合いね。 戻りましょうか。」
「奥様、何か収穫はございました……奥様、その本はどうなさるのでしょうか?」
図書館の入り口に足を向けたところで、ちょうど向こうもこちらに迎えに来てくれたようだ。
そんなナハマスは、私と護衛騎士さん2人で抱えている本の量を見てびっくりしている。
「あぁ、ちょうどいいところに。 これらの本を借りるにはどうしたらよいかしら?」
「お借りになるのですか?」
キョトンとしたナハマスさんが、本の表題とその量を見て困惑しているが、私の知りたい知識ばかりだから借りないという選択肢はない。
「仕事に必要なのよ。 図書館の利用方法はお解りになる?」
「すぐに案内嬢に確認してまいります。」
「必要ない。 その表題をメモして、本は本棚へ返してくれ。」
あまりにも遅いから出向いてきたのだろう、図書室の入り口で待っているはずの旦那様のその命令に、了解しました、と護衛騎士様とナハマスが、手分けして私が選んだ本の表題をメモして本棚へ返していくが、その様子に困惑するのはこちら側だ。
「あの、旦那様。」
「なんだ。」
「よろしいのですか?」
「なにがだ?」
「お高い本が多いですし、その、これは私の我儘ですので……」
「聞こえていた。 騎士団医療院運営のために必要な本なのだろう、これくらいであれば騎士団で購入すればいい。 これから行く本屋にメモを渡し、納入先はドンティス名義で君にしておけ。」
さらっとそんな風に不愛想に言い切られたけれど、私は高価な本を大量に買ってもらえることもそうだが、それ以上にとても気になる事があった。
「いえ、それもそうなのですが……あの……。」
「なんだ。」
「旦那様は、医療院には反対なのではないのですか?」
「なんだ、そんなことか。」
憮然とした顔のまま腕を組んだ旦那様は、私の方をちらっとも見ずに言う。
「認めるだけの成果があれば認める。 まだ図り切れていないところも多々あるが、それでも君が騎士団医療院を作って10日だが、あの状況から死者を1人しか出さず、重症の4人を除いては皆医療院を出てすでに騎士団に戻っている者もいると聞いた。 最初の成果を出した者への報償だと思っておけ。」
(これは、褒められている、の?)
『使えない駒は捨てられて同然!』くらいの事を騎士様たちの前で言い切ったあの旦那様から、今言われている言葉がよく呑み込めなくて、私は困惑するしかなかったのだが、次の瞬間、旦那様は表情も変えずにそれを言った。
「怪我を負ったものは全員死ぬと思っていたし、軽症の者ももちろん、今回の敗戦した部隊の者達は誰一人、もう騎士団へは戻らんと思っていた。 今までがそうだったからな。 しかし、君の慈善事業のお陰で戦える者が多く帰ってきた。 それは評価されるべきことだ。」
その言葉に、足元に大きな穴が開いて、突き落とされるような気がした。
(それは、戦える駒が減らなくてよかったって事? ……いいえ、私が被害妄想を持って聞いているだけでそんな深い意味はないかもしれないわ……。 あぁ、でも、何だろう。)
ザラリとした違和感に嫌悪感。
命を駒と言い切る旦那様に鳥肌が立つ。
しかしここは騎士団ではなく領地の、しかも役場の中だ。 誰が聞いているかもしれないし、何処に目があるかもわからない。
「私の力だけではありません。 皆様が頑張ってくださった結果ですわ。 でも、お褒め頂きましてありがとうございます。」
にっこり笑って頭を下げた私は、つかんだワンピースの裾を力いっぱい握り絞めた。