57・視察と食事と疑問と回答
「パンは1斤300マキエ……トウモロコシはキロ600マキエ……小麦はキロ平均350マキエ……か。 なるほど。」
私は市場の品を見ながら歩いていた。
先導してくれているナハマスが、先ほどまでよりもゆっくり歩いてくれているため、いろいろな品が見える。
通りの両サイドに連なる屋台風の店々は、所狭しと商品である野菜や果物を店先、店奥へと並べている。買い手は売り手に欲しいものとその量を伝えると、売り手が大きなはかりで量って袋に入れて金と引き換えに商品を渡すという、前世の旅番組でよく見た海外のマルシェ風の商店だ。
並べられた野菜に果物は、色鮮やかで、前世で見たような物も大変に多い。
ニンジン、ジャガイモ、トウモロコシ、玉ねぎなどはその最たるものであるし、ブロッコリーっぽい物や、バナナ、林檎、柘榴のようなものもある。 前世と違うところと言えば、随分と色味が鮮やかだったり、小ぶりだったり、大ぶりだったり、品質が一定では無いという点だが、そんなのは些細なことだ。
それよりも、パウンドケーキを作るときに必須のドライフルーツに向いているものも多いのがわたし的に嬉しかった。
(これならなんとかなるわね。 物価は生産地だからか、王都よりはやや安め……で、歪な形のものが多い。 葡萄は粒が小さくまばらだし、トマトは棘が多い。 前世の果物は甘く美味しく大きくと品種改良されたものが多いという点からいっても、この世界の野菜は、原種に近い形なのね。 これは品種改良も視野に入れるべきかしら? ……それに)
小麦が「小麦粉」の状態では売ってないことも驚きだった。 自宅で自分たちで脱穀して、粉に挽いて使っているのだろうか……それとも業者用か? と首をかしげながら、様々な小麦の品種を見ていると、見慣れた穀物が積み上げられているのに目が留まった。
「あら、米があるわ!」
小麦を売っている同じ台に、米が稲穂の状態で売っている。
「奥様は王都にお住まいだったのに、コメをご存じなのですね。 これはこの辺境の、沼が多い地帯の特産品なのです。 奥様は物知りでいらっしゃる。」
(しまった、それで王都では見たことがなかったのか。)
まさか前世では主食でした、というわけにもいかないので、私はにこにこと笑いながらナハマスに頷く。
「博学だなんてそんなことありませんわ。 私も植物図鑑で見ただけなので、本物を見たことも、食したこともないのです。 これはどのようにして食べるものですか?」
「私共も食したことはありません。 これは家畜の飼料になるのです。 実の部分は鶏などに、稲藁は冬の間の牧草の代わりに小さく刻んで使うようです。 まぁ、非常用ですが。」
「かっ!? ……まぁ、そうなのね。」
(お米が家畜の飼料ですって!? お米美味しいのに! おにぎりとか! 米粉パンとか! きりたんぽとか! 日本酒にもなるのに、これは許せない!)
ぜったい日本酒を作ろう、そして教会限定で売る! と心に決め、料理長と相談する項目としてメモを取る。
そうこうするうちに、目的であった物価の市場調査もなんとなくめどがついた。
「いかがでしたか? 奥様のお調べになりたいことはわかりましたでしょうか。」
「えぇ、大満足ですわ。 自領や近隣産地の農産物は王都よりも安め、辺境伯領の中でもここは南国だから、フルーツは安いけれど海産物はほとんど入らないという事もわかったもの。 それに、加工品や衣料品などはやはり運搬料金のせいで、王都の方がやはり品が良いものが多いし、全体的に価格が安めだわ。」
「そうですね。 運搬料もありますが、通行税を取る領地もありますので、その分は品物に上乗せになりますね。」
これは現世も今世も一緒なのね。 と思いながら頷き、市場を折り返して女神広場に戻るころには、太陽は空高く上っており、お昼前という事もあって先ほどよりも人通りは多く、様々な食べ物の屋台も出ていた。
「昼食は辺境伯邸通りのレストランを予約させていただいておりますので、向かいましょうか。」
「うむ。」
「はい、ありがとうございます。」
ナハマスの先導で、そのレストランに向かう途中も、いい匂いがあちらこちらから漂ってきて私はつい、きょろきょろしてしまった。
(あぁ、たまらないわ! 焼き肉串、美味しそう! あっちのお菓子も美味しそう! はぁ! あっちにはクレープっぽいのまであるわ!)
匂いにつられ、と、ついきょろきょろを見回していると、ぐんっと、旦那様に手を引かれる形となった。
「危ないぞ、前を見ろ。」
「ありがとうございます、申し訳ございません。」
どうやら、首から箱を下げて焼き栗を売っていた少年とぶつかりかけていたようだ。
「気を付けるがいい。」
「見るものすべて珍しく。 自覚が足りませんでしたわ、申し訳ございません。 気を付けますわ。」
「あぁ、そうするといい。」
相変わらず気難しい顔をしたままの旦那様と、これから向かい合って食事をとるかと思うと、少しだけだが、食欲が減退する。
(旦那様と別れて、屋台でご飯を食べては駄目かしら? アルジと屋台めぐり、したかったわ……。)
お友達と屋台をめぐって、街歩き、という事を私はしたことがない。 だから本当に楽しみにしていたのだ。
「こちらです、どうぞお入りください。」
次こそは絶対バレずに! と、思ったところで、レストランについて、私は旦那様にエスコートされたまま、美しい外観のレストランの奥の個室へと足を進めた。
「君は、随分と歩くのが遅いのだな。」
「は?」
広い個室の中。
護衛の方達が部屋の入り口や窓のある壁を数人で警護している中で食事を食べるのは、前世小市民としては大変に申し訳ない気持ちになるが、給仕の女性の運んでくる、新鮮野菜の前菜から始まり、スープ、パン、お肉のメインディッシュの美味しいお食事をいただいた。最後に目の前に砂糖たっぷりの焼き菓子が飾られたデザートの氷菓を運んでこられたところで、レストランに入ってからは一言も言葉を発しなかった旦那様にそう言われて、私は手に持っていたカトラリーの動きを止めた。
「歩く速度、でございますか?」
私が聞くと、ティカップを手に取りながら、旦那様は私を見る。
「ナハマスにゆっくり歩くように指示をしていただろう? 普段であればあのような視察、昼までかからない。」
(……あぁ、旦那様は自分の予定通りに進まなかったことに、文句が言いたいんですね。)
「私の足の遅さで、お手数をおかけしました。 申し訳ございません。」
カトラリーから手を離し、ナフキンで口元を軽く拭ってから、私は丁寧に旦那様に頭を下げた。
「いや、謝ってほしいわけではない。」
「……さようでございますか、それは失礼いたしました。」
(じゃあ、何なのかしらね?)
再び頭を下げてから、溜息をつくわけにもいかず、どうすればいいのか思案していた私に、旦那様はカップをソーサーに音なくおろし、首をふった。
「いや、そうではない。 なぜそんなに足が遅いのか気になっただけだ。」
(……はぁ? あ、駄目駄目、ここは前世ではなかったわ。)
そんな物言いにイラっとしながらも、私はにっこりと、旦那様に向かって淑女の微笑みを浮かべる。
「旦那様は女性をエスコートなさったことはないのでしょうか。」
そういえば、ふむ、と、腕を組み、やや考えてから、私に言う。
「同じ辺境伯家の当主に頼まれて、その令嬢のエスコートをした程度だな。」
「なるほど、女性と町歩きなさったことがないという事ですね。」
はぁ、と小さくため息をついた私は、どう答えたものかと考えながら紅茶を少しだけ、口にした。
「旦那様、今日私をエスコートしてくださったときに、どう思われました?」
「どう、とは?」
「私は、旦那様は随分と大きい方だと思いました。 エスコートしていただく手も少し高めに意識しなければ、少しつり合いが取れず不格好に見えるな、などと思いました。」
「あぁ、そう言う事か。 小さいな、と思うな。」
思い返しながら、答えている様子の旦那様に、首をかしげてさらに問いかける。
「小さい、でございますか?」
「あぁ。 頭がずいぶん下にあるし、手も、足も、私と違って随分小さいな、と思うな。」
「では、そう言う事でございます。」
「なに?」
「旦那様は言われてお気づきになったかと思いますが、私は平均女性よりやや小さい方だと思っております。 そして旦那様は恵まれたお体でいらっしゃいます。 ですからすべてに大きな差があるのです。 物をつかむ量も、口に運ぶ一回の食事の量も、歩く一歩の長さもです。」
ティカップをソーサーにおいて、私はにっこりと笑みを深めた。
「ですから、歩く速度が遅い、ではなく、私と旦那様、元々の歩く速度が違うだけ。 最初は頑張ってついていっておりましたが、躓いた際に少しゆっくり歩いていただくようにお願いしたのは、旦那様の歩く速度では、私は少し走ってついていくような状態だったから、ですわ。 旦那様は夜会で令嬢をエスコートしたとおっしゃっておいででした。 その際は、着飾った令嬢に合わせて、ゆっくりと支えながらお動きになるでしょう? 街歩きなどの際のエスコートも、それと同じと考えていただけたらと存じます。」
「……なるほど。」
難しげな顔をした旦那様は、ふむ、と納得したように一つ頷き、それから私に真顔で頭を下げた。
「それは申し訳なかった、気を付けよう。」
(え? 真面目に謝られてしまった……どうしようかしら……。)
「い、いえ。 ですから、これからは視察は……」
「今後は気を付けよう。 それより、氷菓が溶けるぞ、食べないのか?」
(今後って、断り切れない社交……だけよね?)
視察は別行動にしましょう! と言おうとしたところ、旦那様はそう先に言い切られ、私は困惑しながらもデザートを食べ始めた。
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のろのろペースですが、もう少し旦那様とのかみ合わない一日は続きます