56・え? ついて来るんですか?
「ではまず、市場だったか?」
「はい。」
そう聞いてきた旦那様に私が頷くと、では、と、すっと手を出してきた。
エスコートしてくれる、という事だろうか?
(え? この手、取らなきゃいけないかしら? 今日は辺境伯夫妻の視察だから?)
「こっちだ。 はやくしろ」
躊躇していると、少しイラついたような旦那様の声に、仕方がないか、と、私は意を決して手を乗せる。
「失礼いたします。」
「君は他人行儀だな。」
「申し訳ございません、慣れておりませんので。」
一つ、軽く頭を下げると、旦那様は何が気に入らなかったのか気難しげに顔をしかめて歩き出した。
(……え? ちょっと?)
が、足が速い。 かなり早い。
ちらっと見れば旦那様は、前を歩く年若く背の高い淡い桃色の髪の警護兼従者の方と、お話をしながら平然と歩いている。 という事は、これが旦那様やその周りの方の平均歩行速度なのかもしれない。
(私という存在がいることはわかっていても、歩く速度までは気づかないわよね。 私も男性にエスコートされて街を歩くなんて初めてだし……。 この世界の男の方ってこんなにも足が速いのね。 それともコンパスの差かしら?)
遅れないように早歩きで着いていきながら、私は旦那様の足元を見た。
(足、長いわねぇ……歩幅も大きいし。)
私と旦那様は、身長差はおそらく30センチ以上ある。 という事はそもそも足の長さが違うのだ、コンパスが! そしてそれに気が付く雰囲気もない。
(競歩のイメージで着いていくしかないわね。 ブーツじゃないのが辛いけれど、それでもヒールが低くてよかったわ……。)
お尻と太ももの筋肉が明日はプルプルしてそうだわと思いつつ、旦那様たちについて歩く。
領地の騎士団駐屯地の私たちが使用した門は、一本路地を入ったところにあるようで、それを潜り抜け大通りへ出た。そこには美しい白磁の壁に黒い屋根、同じような建物が並んでいる。ただベランダや窓と思われる場所や軒先には、色とりどりの花を咲かせているから、前世で見た美しい外国の風景のような街並みとなっている。
「まぁ、大通りの街並みは統一性があって、美しいですね。 」
「僭越ながらわたくしがお教えしてもよろしゅうございますか?」
美しさに足を止め、歓喜の声音を上げてしまった私に声をかけてくださったのは、先ほどから私たちの前を先導して歩いていた、旦那様の護衛兼従者だ。
「はい、是非。 えぇと、貴方は……?」
「騎士団では、旦那様の護衛兼秘書をしております、ナハマスと申します、奥様。」
「ナハマスさんね。 是非教えていただけますか。」
「敬称は必要ございませんよ、奥様。」
にこにこと柔和な笑顔を浮かべて、私に頭を下げてきたナハマスさんは、あちらを、と目の前にそびえたつ大きな建物を指し示してくれた。
「あちらは現在、前辺境伯、隠居された大旦那様がお住まいであった辺境伯家の別邸でございます。 建築されたのは4代前の辺境伯家当主様で、大きな魔物の強襲で街が壊滅寸前まで行った際に、現在の街並みと大きな外壁を築かれました。 領民皆を守るための大きく強固な外壁を、皆の復興の心を湧き立たせるような美しい街並みを大通りに、と。 このリ・アクアウムの街はそのようにして作られた街なのでございます。」
「先代様方の想いが、形になった街なのですね。」
「さようでございます。 あちらの辺境伯邸とこの町の入り口のちょうど中央には大きな噴水公園がありましてね、毎年鈴蘭月1日は、『鈴蘭祭』と言ってお祭りがあるのです。 辺境での戦いの被害者たちへの鎮魂の祈りと、辺境伯領の繁栄を祝う大きなお祭りになりますよ。」
「まぁ、来月じゃないですか!」
「はい。 この大通りは今もその為の花が植わっておりますが、当日は領民たちの手によって飾り付けられ、今日以上に華やかになります。今年は奥様がいらっしゃって初めてのお祭りとなりますので、領民たちも様々な趣向を凝らしているようですよ。 祭りの前の式典には奥様も旦那様と参加されることとなりますので、是非、楽しみになさっていらしてください。」
「そうなのね、とても楽しみだわ。」
と、淑女の微笑みを浮かべながら、そんな大きなイベントがあるなど初めて聞いたわぁと言う驚きと、私にとってのチャンス到来! バザー初回開催日の目標が決まった喜びが浮かんだ。
(教会のバザーを、そこに当てたいわね! 大きなお祭りとなれば近隣の方も来られるでしょうから、催し物のデビューとしてはちょうどいいわ。 バザーに売るものも少し華やかな刺繍を増やしましょう。 見本の品を神父様にお渡しするのと、お菓子のつくり方の講習会を少し早めないとだめね……。)
あぁでもない、こうでもないと頭の中で紐づけしながら、考えていたら、足元に気を配るのを忘れてしまっていたようだ。
「きゃっ!」
足元を石畳の段差にとられ、躓いてしまったのだ。
(こける!)
顔面からは行きたくない、と咄嗟に両手を前に出そうとしたのだが、その手が石畳にぶつかる事はなかった。
代わりに、右の腕にズキズキと痛みが走った。
「……大丈夫か。」
「はい。 ありがとうございます。」
自分の状況を確認すれば、右の腕を掴まれ、こけずに済んだようだった。
そのまま腕を引っ張られ地に足を付ける。
「気を付けろ。 足元を見て歩け、怪我をするぞ。」
私が自分の足で立ったのを見計らったところで腕から手を離した旦那様は、呆れたような顔でそう言った。
(こけそうになったのがお気に召さないのね。)
「大丈夫でございますか? 奥様。」
「えぇ、ごめんなさい。」
慌てて私にかけてきてくれたナハマスが、私に怪我がないかを確認してくれている。
「大丈夫よ、怪我はないわ。 それよりも、申し訳ないけれどお願いが。 頑張ってついて歩くようにしていたのだけれども、やっぱり駄目だったので……少し歩く速度を落としていただけると嬉しいわ。」
旦那様にお願いして「なぜだ」と聞かれるもの面倒くさいので、先導するナハマスにそうお願いしたところ、あっという顔をした彼は深々と頭を下げた。
「奥様がご一緒なのにとんだ無礼を……」
「いいえ、普段女人が付いて歩くことはないから当然ですわ。 私こそ、お役目の邪魔をしてごめんなさい。」
と、謝りながら、もう一度出された旦那様の手を取った。
「歩くのが早いと、先に言えばいい。」
「大切なお話をされていたようでしたので、ご遠慮したのですわ。」
私の方を見下ろし、憮然とした顔でそう言った旦那様に、私は微笑んだ。
少なくとも、まずエスコートしている旦那様が気付くべきところですよ? とは言わずに謝っておいた。
それからは、私のペースに合わせてナハマスも、旦那様も歩いてくれた。
時折旦那様が私の方を見ていたのは何故なのかよくわからないが、無事、最初の目的地である市場の入り口にもなっている噴水公園についた。
「これが噴水公園なのですね。 女神像が美しいわ。」
大きな白亜の石で作られた女神像の立つ噴水の公園は、石畳も大通りの建物と同じ白い石が使われており、そこから六方向に大通りの道が広がっていた。
「私達が来た、街の正門である南の大通りから、正面は商店や学校などが並ぶ通りとなっております。 お目当ての市場通りはその右隣、あちらでございますね。 ではさっそく参りましょうか。 旦那様はお屋敷に行かれる御用事があるとのことでしたので、ここからはわたくし共がお守りいたします。」
(ここからは旦那様と一度別行動になるのね、ラッキーだわ。)
ふふっと笑いながら、旦那様から手を離し、私は頭を下げようとした。 ここで分かれ、私の方へ来てくれる従者と護衛たちも、旦那様に頭を下げる。
「えぇ、お願いするわ。 では、旦那様、あり……」
「私もいく。」
「「え?」」
頭を下げた全員は、跳ねるように頭を上げ、旦那様の後ろについていた護衛たちは目を見開いていた。
「だ、旦那様? 御用事はよろしいのですか?」
いち早くその驚きから復帰した私が、目の前の旦那様に問いかけると、なんだ? と言った顔で私を見る。
「嫌なのか?」
(はい!)
「いえ、そうではありません。 御用事はよろしいのでございますか?」
(いまのは私の聞き違いですか? そうですよね?)
本音が口からまろび出そうになるのを押しとどめて私がそう聞くと、いつもよりも眉間にしわを寄せながら旦那様は私を見た。
「いい。 君が何を見るか、興味がある。」
「そ……そうですか……?」
(お飾りの嫁に、何の興味が?)
私の言葉尻が小さく上がり気味になるのを、周りの従者たちもおんなじ気持ちで聞いているのだろう。
困惑しながらも、私はそうですか、と、もう一度言い、差し出された旦那様の手を取った。
「では行こうか。」
「は、い……。」
再び旦那様にエスコートされる形で、私は歩きだし、護衛や従者たちは慌てて態勢を整えてその周囲を固めてくれた。