45・ブラック勤務と第9番隊隊長来訪
夕方の排泄観察業務が終了し、うがい手洗いをし終えた私の傍にやって来たのは、ミクロスだった。
「隊長。 先ほど皆で話をしていたのですが……?」
少し言いにくそうにしている彼は、私を伺うようにしている。
(あ……。)
私は手を拭いていた手布をぎゅっと握りしめた。
(やっぱりこんなお仕事はしてられないと思われたかしら。 まぁ、そうよね。)
ふぅ、とため息をついて、私は背の高い彼と目を合わせるように顔を上げた。
「そう、そうよね。 こんなお仕事はやりたくないわよね、すぐにブルー隊長にお願いするわ。」
「本日の夜勤めの者は、どうするおつもりですか? いえ、隊長のお体が心配で!」
「は?」
「え?」
私達はお互いでお互いの言葉に変な声を発してしまった。
それからは、隊員たち(主に、ラミノー、エンゼ、シルバーだが)の言葉に、私はただただ恐縮してしまった。
「隊長、俺たちは悲しいです、そのように思われていたなんて!」
「そうですよ! 決心してここに来たんですよっ?!」
「隊長、前日にもなさっていることを拝見しているのです、そんなことは申し上げません!」
「隊長、お嬢様なのにすぐに謝られるし、物凄く物事を悪くとらえられるし……というか、お嬢様らしくないですね。」
「こら、言いすぎだぞ、シルバー。」
「あ、申し訳ございません。」
「でも俺も思います。 俺たちだって下位とはいえ、一応は貴族の出ですけど、上位貴族のお嬢様と言えば、表情はいつも貴族の微笑みだけを浮かべて澄ましていますからね。 隊長はどちらかと言えば上位貴族らしから……いえ、とても表情豊かで親しみやすいです。」
(どれも誉め言葉には到底聞こえないわ……)
そんな風に思いながら、真剣に、しかし時折おどけながら、隊から出るつもりはないと言われた事を安堵しつつ、私の体の事を心配してくれていたことに感謝した。
「ごめんなさいね、流石に騎士として入った皆さんに、必要なこととはいえこのような仕事をさせていいのかと悩んでいたものだから。」
「なにをおっしゃっているのですか。 俺とシルバーは西方騎士団との合同討伐に向かった事がありますが、騎士団の医療隊は後方支援隊として戦場にも出ます。 このような仕事は当たり前でしたよ。」
ミクロスの言葉に、私は少し驚いて問い返す。
「そう、だったのね?」
「はい。 だからこそ、苦しかったのです。 南方辺境伯騎士団の医療班が名ばかりのもので、自分たちが何も出来ないことが。」
「これからは、隊長の下、堂々と医療隊の仕事が出来ますから、俺、頑張りますよ!」
みんなそう言ってくれるので、私が本当にものを知らないだけだったらしい、という事はわかった。
わかったのだが……
「さぁさ、皆様。 一度落ち着かれてください。 まずは中に入って、水分補給をどうぞ。 お話はそこで。」
医療院の中から、下にあるテーブルに水分補給の用意をしたアルジが私たちを呼んだため、わたしたちは中に入った。
「どうぞ、奥様。」
「あ、ありがとう、アルジ。」
騎士団で使う木のカップに注がれたハーブ水を飲んでいると、それまで静かにみんなのやり取りを頷きながら聞いていたミクロスが口を開いた。
「それで、隊長。」
「なにかしら?」
「先ほどの夜勤めの件です。 奥様は今晩も夜勤めをなさるおつもりですか?」
「えぇ、そのつもりよ」
「しかしそれでは丸一日以上仕事をすることになり、体を壊してしまいます。 ですので、今日は、誰かと交代を……。」
真剣にそう言うミクロスに、私は真剣な顔で、首を振った。
「いいえ。 重傷者の騎士様……ややこしいから今日から、ここに収容された傷病者の事を患者と呼ぶことにしましょう。 その、重症の患者を置いて休むわけにはいかないわ。」
そう言った私に、シルバーが顔を上げる。
「私とラミノーがやる、というのではだめでしょうか。」
それにも、私は首を振る。
「ありがたい提案ではあるけれど、まだ駄目よ。 正直に言うわね。 まだ5人の騎士様に関しては、特に夜は目を離す事が出来ないと思っているの。 その中で、たった2人で23人の患者を、まだ仕事を始めて初日の二人で見せるわけにはいかないわ。 ……私だって、市井の医療院や修道院でのお手伝いの知識を思い出してやっているだけで、全て自信があって行えていないのよ。 もしかしたら間違っているかもしれないの。 だからこそ、病状が安定するまで……そうね、最初の1週間や2週間は、ここにずっといることになっても仕方がないと思っているの。」
実は前世の医療従事者の知識と経験でやってます、なんて言えないから、そう言葉を変えて伝えると、皆は真剣に考え込んだ。
「しかし、それでは奥様が倒れておしまいになりますわ……。」
「そうね。 それは自分でもわかっているの。 それでね、実は皆にお願いがあるのだけれど……。」
立ち上がった私は、昨夜のうちに書いていた色々な案の紙の束の一枚を取り出した。
「明日からの仕事の形態をこうしたいのだけれど、どうかしら?」
差し出した紙を、皆が覗き見る。
「ラミノーとエンゼを1組、ミクロスとシルバーを2組、今日こちらにいない2人を3組とし、今日から徹底的に昼勤めの仕事を覚えてください。 その明々後日からは1組、2組、3組の順番で、私と夜勤めをしてもらいます。 隊の規則にのっとって6日に1度の休みを、体を休める意味で夜勤めの翌日に入れる形とし、昼勤め3回と夜勤め1回で1回の休日、という形式を作ります。 もちろん、用事があるときの交代は構いません。 これを2度、繰り返してもらいます。 その2度の間に、私がしっかり夜勤めをみんなに教えます。 勿論、昼勤めの時も同様よ。」
私が絵を交えながら書いていくと、皆が頷く。
「これだとあと2人、足りませんが。 それにそれ以降は?」
「隊員が増えてくれたらその方たちを入れたいですが、しばらくは私とアルジが入ります。」
そうすれば、6日のルーティーンとしてきっちり回せる。 ただしギリギリで、途中で不測の事態が起きれば、変更せざるを得ない。
我が身をかなり削っているのはわかるが、昨日に比べれば隊員がいて、誰かがいてくれる、それだけで2週間くらいなら耐えられるだろうと……ブラック企業の社畜感覚で考えることにしたのだが……。
「これでは、奥様に負担がかかりすぎます。」
声を上げたのはエンゼだ。
たしかに、最初のうちは私は24時間勤務を1週間以上続けることになる。 間に仮眠を取るようにはするし、食事もしっかりするが……それでも体力的にはかなりつらいだろう。 だが。
「そうね。 でも、最初だけです。 まず、重症患者を看護したことのある経験者がいないのですから、しょうがないかと思います。」
「しかし……」
みんな顔をしかめているし、後ろに立っているアルジは口には出さないものの、かなり渋い顔をしている。
しかしこのままでは話が先に進まないため、私はにっこりと屈託ない笑顔を浮かべて皆に言った。
「みんながしっかり仕事を覚えてくれたと判断したら、この期間でも、ちゃんと私は昼の間に上の仮眠室でお休みを頂きます。 それでいいかしら? みんなの働きを、期待していますね。」
そういえば、なるほど! とみんな頷いてくれた。
「では、私達がしっかり頑張れば奥様はお休みになれるのですね!」
(あぁ、皆なんて扱いやすい、めちゃくちゃいい子、絶対昇給の時には頑張るからね! ……それに)
私に休みを取らせようと、とてつもない熱量で意気込んでいるみんなだが、本当に申し訳ないなぁと考える。
(まぁ、その間に、いろいろやりたいことがあるのよね……。 病衣や衣料品の開発や作成に、辺境伯領の物価の確認と、庶民の食べ物の確認をしに町に出たいし、もし図書館があるのなら、これからの情報収集のためにも、魔術と医療関係の本が欲しいわ。)
と思案する。
私の知識はとても偏っている。
なぜなら、今持つのは8歳まで公爵邸で暮らしていた際に習った一通りの読み書きや、高位貴族令嬢としてのマナーだ。 10歳になると貴族の子供は貴族学園入学となるため、前段階となる本格的な家庭教師による勉強を始めるのだが、なんとその直前に公爵家から放り出されてしまった。
市井では母と弟妹を養うために仕事を優先するため、学びたいという気持ちを抱えたままそれもままならず、妹たちの教科書を読んだり、古本屋でも1000マキエ以上する自国の本は買わず、誰も読めないために叩き売りされていた10冊纏めて50マキエ! の様な隣国の本を、此方も叩き売りになっていた辞書を片手に読んでいた。
辺境伯家に嫁に来てからは屋敷の図書館の本を読み漁ったが、全体的に2~3世代前の当主が買い集めた本だったようで、我が国の成り立ちや貴族年鑑、諸国のそれに、世界情勢を伝え書いたような本が大半で、公爵家で半年間、淑女教育や社交界マナーの他に、最低限と叩き込まれた我が国の情勢歴史のお浚いに過ぎない。
つまり、私は現在圧倒的知識不足(だと思う)。
その知識を取り戻すことと、この世界の魔術についてもしっかり知って、医療と公衆衛生に転用できるものなら転用したい。
よくある「清潔」魔法とかでおしりふきが楽になったら私は本当に喜ぶ!
「……長……隊長?」
「あぁ、はい。 なにかしら?」
思案に暮れていた私に声をかけてくれたミクロスが、やはりお疲れなのでは? という顔をしながら、教えてくれる。
「お客様です。」
「客?」
ミクロスの視線の動きにつられて、私も扉の方に視線をやった。
そこには、ブルー隊長と、神父様、それに見慣れない隊長服を身にまとった素敵ロマンスグレーのおじ様が1人。
「ネオン隊長、教会での商売について、私もご意見伺いたく、同席をお願いできますか?」
そう言った彼は、私ににっこりと笑って頭を下げた。
「第9番隊隊長シノ・ドンティスと申します。」
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