44・託された物と、知識のすり合わせ
「この方たちはこれから?」
祈りが終わり、立ち上がった私は神父様に近づいた。
「昨夜奥様の聞かれた通りでございます。 騎士団からの慰労金と共に、これから家族の元へ返されます。」
そっと、一番傍にあった棺を撫でた神父様は、静かに言う。
「……ご安心ください。 棺を開けてお見せすることは出来ませんが、棺の中の彼らは新しい騎士服に身を包んでおりますし、家族にも連絡は済んでおりまして、後はこちらから家族の元へ、送り出すだけなのです。 ……ただ、もしかしたら奥様が最後にご挨拶をされたいのではないか、と思いまして、僭越ながらわたくしが、医療院にお迎えに上がったわけです。 多少入れ違いになってしまいましたがお迎えできてよかった。」
その気遣いに、自然と頭が下がる。
「お気を使っていただいて、申し訳ありません。 おかげで、約束を少しは守れましたし、天へとお祈りする事が出来ましたわ。 ……それと。」
頭を下げた時に揺れたヴェールを引っかけないように丁寧に外し、綺麗に折りたたむと、此方もお借りした教会のシンボルのついたペンダントをその上におき、神父様にお返しする。
「こちらも。 私、用意もありませんでしたので助かりましたわ。」
「それはそうでございます。 神職者でない限りは、このようなものを持ち歩くことはございません。」
自分の方へを出されたヴェールとシンボルを見た神父様は、少し目を伏せそう言うと、静かに私を見た。
「こちらは、お持ちください。」
ぱちぱちっと、私は瞬きを繰り返した。
「あの? 神父様?」
「こちらは、どうぞ奥様がお持ちくださいませ。」
「え?」
(いえ、駄目でしょう!? これ、どう見たって物凄く高価なものだもの!!)
手に持ったそれを改めてみれば、誰かの物であったのであろうが、ヴェールはどうやら大元を手で編み、その上から丁寧かつ繊細に刺繍が施された素晴らしいものであるし、シンボルのペンダントも、同じく華奢な銀の鎖は飾り彫りがしてあり、シンボル自体も繊細な彫金の上に、教会の説法の中にある七つの宝石が、決してひけらかされるようなことなく、小さく上品に配置されている。
元々高価な物には縁がなく価値を見極める目など皆無に等しい私であるが、そんな私でも、ヴェールもシンボルのペンダントも物凄く高価なもので、敬虔な信者であった貴人が大切に使用していたものだと分かる。
「駄目です、これは教会の、大切なものなのでしょう? 私が持ち出してよいものではありません。」
私が首を振って差し出すと、神父様は微笑んで、それの前の持ち主を教えてくれた。
「いいえ。 これは、代々辺境伯夫人となられるお方が使われるという物で、先の奥様が、お亡くなりになる前にこちらにお預けになられたものでございます。」
(な……なんてものだしてくるのよ!)
私は血の気が引いたような錯覚を受けて、慌てて神父様の手に、丁寧に押し付けた。
「そんな謂れであれば、ますますわたくしが受け取るわけにはいきません。 昨夜の話をお聞きになったではございませんか? 私は……」
(だって、白い結婚万歳! のお飾りの奥様なんだもの! 代々の、なんて、もらっても困るわ!)
「それでも、辺境伯夫人であられる。」
静かに微笑まれた神父様は、それをそっと手で撫でてから、私を見る。
「白い結婚であろうとも、契約された結婚であろうとも……奥様は立派な辺境伯夫人であられる。 私が知る先代、先々代の辺境伯夫人は、領地での教会慰問や鎮魂祭では、こちらをお付けになり出席なさっておいででした。 ある程度年を取った領民であれば知っていることでございます。 それに奥様はこちらで医療班隊長となられた。 領民の前に出られることも増えましょう。 その際、付けておられないと不審に思われるかもしれません。 ですからこれは、御身が辺境伯夫人として領地領民のためにこの地にある間は、どうぞお持ちくださいませ。」
ふっと、神父様が息を漏らして笑った。
「もしも、この地をお離れになるような事柄があれば、またこちらにお預けに来られればよろしいのです。」
(お飾りの間だけでもいいと、言ってくださるの?)
静かに神父様を見、その手のヴェールとシンボルを見た私は、静かにそれを受け取った。
「……では、大切に御預かりいたします。」
それに安堵したように微笑まれた神父様は、一つ頷くと、女神像の傍にある部屋に入って行かれ、それらを入れていたらしい、美しい細工物の箱をもって、私の前に現われた。
「では、奥様。 こちらもお持ちくださいませ。」
受け取った私は、女神像と神父様に、静かに頭を下げた。
「この地にある限り、大切にお預かりさせていただきますわ。」
医療院の扉を開けると、ぎゅうぎゅうに詰め込まれたベッドと、その隙間を縫うように排尿確認をしてくれていた看護班が視界に飛び込んできた。
(しまった、もうそんな時間だったのね! 教会で長居をしてしまったわ!)
「隊長、お戻りですか?」
「えぇ、急に飛び出してごめんなさいね。 少し時間もかかってしまって。 実は神父様にお願いをして、お見送りをしてきたの。 ……昨日からお会いしていなかったから。 すぐに手伝うわ。」
ショールを椅子に掛け、重症の騎士様達には手を付けず、軽症の方の排泄の手伝いを行っていたラミノーに声をかけると、彼は行っていた介助が終わったところで、うがい手洗いを終えて私の傍に来てくれた。
「お疲れ様です。 隊長。 見送りをなさったそうで……ありがとうございます。」
「お礼を言われる程のことでもないけれど、綺麗にしていただけていて安心したわ。 それよりも遅くなってごめんなさいね。 では、始めましょう。」
まだ一日しかたっていないため、皆、手技はたどたどしく、それゆえに重傷者や起き上がれない者の処置は私がいるときに、とお願いしていてよかったと思う。
(この仕事は、慢心してはいけない。 慣れたところで事故が起きるのが常だもの……私もちゃんと気を張らなきゃ!)
うん、と髪が落ちないための三角巾と、マスク代わりの三角巾を装着し、エプロンを付け直してベッドに向かい合って立つと私の動きに合わせてラミノーがたどたどしくではあるが、動き出す。
「出てるわね、良かった。 同じように水分補給を行っていきましょう。 それから、夕食の時はそれにスープの薄めたものをあわせて、栄養を入れていきましょうか。」
「これくらいの量だと奥様……隊長は安心だと思われるのですか?」
おむつ代わりの布に半分ほど出ているのを確認してそう言った私に、ラミノーは不思議そうに尋ねてきた。
「いいえ、成人男性であれば、一回の尿量はこの倍は出ていたほうが好ましいと思うわ……。 正常なお小水の色は透明から淡い黄色。 まだ黄色みが強いでしょう? でも、昨夜からお小水の量は増えてきている。 それが良い兆候なの。」
そう言った私に、ラミノーは首をかしげて私に聞く。
「……あの、隊長。」
「なに?」
「今は尿の話でしたよね? お小水とは?」
その言葉に、そうだった、とはっとする。
「ごめんなさい。 一緒なの。 尿の別の言い方なのよ。 実は地方や年齢によって、言い方がいろいろあるんだけれど、つい昔の言い方が出てしまったわ。 今度から統一するわね。」
そう言うと、なるほど、と、ラミノーは頷いてくれた。 が、内心私はちょっと焦った。
(しまった~。 外来勤務の時に、他の患者さんや付き添いの人の手前、「おしっこ出ましたか?」とか「検尿取れましたか?」 じゃなくって、「お小水取れましたか?」 って言ってたから、つい使ってたー! 統一しないとみんなにややこしいわね。)
まさかの言葉問題まで出て来たわよ、と、頭を悩ませながら、私が廃棄する布を桶に入れている間に、ラミノーが男性器に新しい布を巻き、ぱぱっと三角巾をおむつカバーの様に結びあげてくれた。
「ラミノーは、蝶結びもう完璧ね。」
「はい。 皆も今いろんなところで練習中です。」
私が感心してそう言うと、彼はにこっと笑って答えてくれた。
「そう、だから椅子の背もたれに蝶結びがあるのね。 みんな頼もしいわ。」
その笑顔に、私も笑顔で返しておいたのだが……何の話かと言えば、この世界……いや、辺境伯騎士団内に『蝶結び』の知識が浸透していなかったのだ。
紐の結び方の基本なのになにゆえ!? となったのは言うまでもない。
(病衣作る前にわかってよかった、本当によかったっ! まさかの蝶結び問題勃発とか考えてなかったわ。)
そもそもは、前世に会った病衣を思い出してその展開図を紙に書いているときに、皆が何を書いているのですか? と聞いてきたため、ちょっと意見も聞いてみようかな? と説明したときに発覚した問題だった。
青年たちに、純粋無垢な瞳で聞かれたのだ。
『蝶結びとは何ですか?』と。
いや、蝶結びを知らんとはどういうことだ!? と思い、目の前で実演すれば驚かれ、すこし確認してみれば、下着や衣類はほぼ釦。 鎧を着るときに、ベルトや紐は使用するが、その結び方は現世で言うところの『もやい結び』や『まき結び』、『本結び』が主流とのことで……というか、その方がよっぽど難しいわけなのだがそうらしい。
(そういえば私の下着やドレスもそうね……宿屋のお仕着せエプロンや制服もボタンだったわ……)
私はなるほどと思ったし、皆もなるほど、これは面白い! となったようで、皆で練習してくれている。
序でと言っては何だが、蝶結びよりも簡単な結び方があれば……と皆に紐の結び方を習ってみたが、圧倒的に蝶結びの方が簡単だった。
特に解き方。
(それはそうよね、鎧を着て戦っている最中に紐が緩んで外れたとか、本当に笑えないもの……。)
うんうん、と頷きながら、5人の重傷者の観察と排泄交換が終わると、看護記録の記入と、軽症者の排泄交換を行うため、うがい手洗いをしに外に出た。
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