41・日常業務と環境整備
*再び排泄介助のシーンがあります。耐えられない方はブラウザーを『回れ右』か、閉じてください*
食事を終え、侍女長を見送りつつ、歯磨きうがいをしに外に出たところで、鼻歌を歌いながら可愛く髪を切ったり梳いたり編んだりしているアルジと、ちょっと困惑気味のモリーに手を振った。
侍女は奥様……つまり、アルジは私の髪を整えるために切る事もあるので、腕は確かだと思っていたのだが、私が嫁入りしてからの数か月、辺境伯騎士団視察前の一度しか(実はまだ昨日)私の髪でその腕を発揮できなかった鬱憤を、どうやらモリーの頭で発散しているようだ。
髪を切って、洗って、乾燥させて、香油を少しだけ使って、丁寧に編みこんでいるけれど……
(あの頭、ガラは再現できないけれど、明日の朝、どうするのかしらね? ま、うちに毎日来てくれるなら、アルジが結い上げるでしょうけど。)
大前提である『侍女が奥様の身の回りの事を手伝いつつ、磨き上げたり着飾ったりするお仕事』のお手伝いが出来ない点を謝るべきかもしれない。だがそれは諦めてもらおうと考えつつ、手布で口の周りを拭き、私は二人に手を振って医療院の中へ戻った。
昼休憩が終わった後は、皆に手伝ってもらいながら、体位交換と排泄確認をしていく。
昨夜のうちに、あちらの知識とこちらの日常の時間をすり合わせながら、排泄の確認は日に8回と決め、水分補給もその後8回(うち3回は食事と一緒)+適宜、その際の観察・注意点を決め、みんなに説明してある。
重傷者は私とラミノーで行い、軽症の方は外にあるトイレへ付き添ったり、起き上がれずとも尿意のわかる方は、入り口が男性器をすっぽり覆って余る大きさの花瓶を尿器の代わりにして排尿を促していく。
現時点で、尿量の確認は正確にはできない。
リットル、ミリリットル、メートル、センチメートルなどの計測方法がなく、また平均身長体重などもわからないからだ。
なので、外に咲く黄色い花より色が赤く、濃かったり、濁っているときは報告してもらうようにしている。
また、出ている量が少ない場合は、決められた回数より大目に、水分を取ってもらうようにとお願いしている。
これをひたすら繰り返す。
看病、とはそんなものであるが、地道だ。
騎士になるために騎士団に入ったのに、他人の体を拭いたり、排尿を介助するために必要とはいえ、他人の性器に触れたり、出た尿の観察する、なんて想像しなかっただろうな……と、若干申し訳なく思う。
一応最初に仕事を始める前に、ここでの決まりの仕事として、ごまかすことなく簡潔明瞭だが丁寧に説明し、それを戸惑いながらも受け止め納得してくれた皆さんなので、大丈夫なはずではある。
(人を看護するうえで、排泄はもう、とっっっても! 必要な事なんだけどね。 いや、でもまぁ正直、『基礎看護技術学』の『排泄介助』の項目は、初見、こんなことまでするの!? って、びっくりした覚えがあるもんな……導〇とか……摘〇とかな……)
と思いだしながら、おむつを交換していく。
開いたおむつには、色の濃い、少量のお小水が出た後。
(はい、脱水です。 今の量だと足りないので、さらに水分補給が必要、と。)
と、観察確認考察までしながら、使用したおむつを焼却用の桶に入れ、比較的使い古した布の中から、綺麗めの手布を男性器に巻いていく。
使い古した布を!? と思われるかもしれないが、何度も洗い晒した布は、肌触りもよく、吸収がいい、そしてこの布の最後である。 いくらでも遠慮なく燃やせる。
(いや、布おむつの使いまわしも考えたのよ? 昔はやっていたからね? でもさすがに、大人のおむつ+排泄物の大or小+手袋不在+消毒液不在のこの環境下では、私には使用済みおむつを素手で洗って……は出来ません。 断固拒否です、不経済ですがごめんなさい。 素手で交換してるから一緒!? それとこれとは話が全然違うんだよ!)
と、思いつつ、清拭も傷の洗浄もない分、早めに終わったところで、全員で外に出て手洗いうがいを順番におこなっていると、アルジがモリーの手を引いて近づいてきた。
「どうですか!? 奥様! 自信作です!」
モリーの前髪は眉毛の少し上で切りそろえられ、腰まである傷んだ髪は、綺麗にお下げの三つ編みを巻き上げてお団子にしてある。
リボンは髪と一緒に編み込まれているのだが、黒髪にピンクのラインが入ると愛らしくて可愛らしい。
「とっても可愛いわ!」
私が声を上げると、二人は嬉しそうに笑って、それから一本、黒い紐を引く。
すると、お団子だった髪はリボンを編み込んだ普通のおさげになった。
「見てくださいませ、奥様! モリーちゃん、器用なので、三つ編みは覚えてくれましたからこれで完璧です!」
と、ものすごく自信満々なアルジと、恥ずかしそうなモリーに、私は可愛いわぁと頬を緩ませる。
「三つ編み姿もとても可愛いわ。 アルジ、流石ね。」
ふふっと笑った私は、モリーの前にしゃがみ、頭をなでてもいいか確認をする。
そうすると頷いてくれたので、そっと、頭をなでた。
「では、モリー。 私達は仕事があるから、今日は、お父さんと一緒に2階にいて頂戴な。 夕方、一緒に帰るようにね。 それと、わたしからお父さんに、モリーへのお願いをしてあるから、ちゃんとお話を聞いてね。」
私の仕事を手伝ってほしい、という話は、父親であるガラからしてもらうつもりだった。 大人、しかも貴族の騎士団長夫人からのお願いなどを私からしてしまえば、彼女は断ることは出来ない。 だが怖い思いをしている彼女には、拒否権があってしかるべき、という判断からだった。
頷いたモリーに私も頷き返すと、アルジに二階へ連れて行ってもらうようにお願いし、私は看護隊の方を見た。
「さて。 ではみなさん、ご自身の水分補給をしていただいて、次の排泄介助までは、ラミノー、エンゼ、シルバーは、階段下の収納の掃除をおねがいします。 入って右の階段下は手布やシーツを置く場所に、左側は小物を置く部屋にします。 掃除が終わったら家具を入れて整理しやすいようにしますので、中の物はすべて出し、床もモップで拭き掃除をしてください。 使えない物、壊れている物は焚き付けに使いますので井戸のわきに出してくださいませ。 あ、そうそう。 お休みの騎士様がいますので、出来るだけ静かに、近くの窓を半分開けて換気をしながらお願いしますね。」
「わかりました。」
倉庫掃除をお願いした3人が、モップと水の入った桶を持って中に入っていく中、残ったミクロスに私は中に入るように促すと、入ってすぐの昨夜私たちが寝泊まりしていたテーブルとベッドのブースへ移動した。
そこに、ちょうどアルジも帰ってくる。
「ミクロスとアルジは、包帯造りをお願いするわ。 まずはこの太さの物を10本ずつ。 それから、お腹を覆うための腹帯も欲しいから、この紙の太さの物を2本。 包帯造りが終わったら、また声をかけて頂戴。」
「わかりました。」
昨夜作った包帯を巻いたものと、手布と鋏の入った木箱を渡すと二人は頷いてた。
「私は騎士様のベッド周りの掃除などをしますので、何かありましたらすぐ聞いてくださいね。では、よろしくお願いしますね。」
私も外から持ち込んだモップを持つと、皆にそう声をかけた。
「失礼します! ネオン隊長、お疲れ様です。」
一時間ほど作業したころだろうか。
医療院の扉がノックされたかと思うと、入ってきたのはブルー隊長と、同じような騎士服姿の男性数人だった。
「お疲れ様です、ブルー隊長。 どうかなさいましたか?」
神父様も来たのだろうか? と、少しばかり大柄な人たちの後ろを伺いみるが、それらしきお姿は見えない。
首をかしげていると、ブルー隊長は少し困った顔をして私の方、正確には手のあたりを見ている。
そんな私の手には、モップが握られているだけなのだがそんなに見つめるもの、だろうか。
「あの、何か?」
「ネオン隊長、もしかして、今、御掃除を? 自らなさっているのですか?」
「え? えぇ。 そうですが何か?」
そんなに驚かなくても、と思いながら首をかしげると、慌てたのはブルー隊長とその周りの人たちの方で、副官だろうか? ついてきている人たちにすぐに命じている。
「奥様に掃除をさせるなど駄目だ! こちらに下男と下女をすぐに派遣を! 伝令を」
「は? いえ、駄目ではありませんよ。 隊員の皆様にもやっていただいていますから。」
「え、しかし、辺境伯夫人ともあろう方が……」
「結構ですから。」
何やら早口の壮年の男性に、私はピシッと言い切ると、その人たちを見た。
「下男下女をまわしてくださるとのこと。 手伝いの手が増えるのは有難いですが、辺境伯夫人だから、などという変な気遣いは無用です。 そんなことよりも、ここは怪我を負った皆様に休んでいただく場所です。 大声を出さないように。 で、ブルー隊長。 こちらの皆様はどなたですか?」
問えば、そうでした、という感じで彼は私に後ろの男性たちを紹介してくれた。
「1番隊隊長から5番隊隊長まで、本日は在席しておりましたので伴ってきたのですが……」
「まぁ、そうなのですね。 それは早めに言っていただきたかったですわ。」
ブルー隊長にあからさまに溜息をついてから、私はモップを壁に立てかけると、シャツにトラウザーズにブーツという姿ではあったが、静かにカーテシーをした。
「皆様、改めましてごあいさつ申し上げます。 私、ネオン・モルファと申します。」
それから静かに頭を上げ、姿勢を正すとにっこりと微笑む。
「このような姿で、ご挨拶すること、また、医療院の事ではお騒がせし、混乱を招きましたことを、心よりお詫び申し上げます。」
「いえ、奥様!」
一斉に、5人の男性が私の目の前で片膝をつき、頭を下げられました。
「我が主の妻であられる辺境伯夫人に、ご挨拶申しあげます。この度は私事辺境伯騎士団の汚点ともいえる不祥事に対し、慈悲の手を差し伸べてくださったこと、心よりお礼申し上げます。 私は辺境伯騎士団第一部隊隊長アミア・カルヴァと申します。」
「私は辺境伯騎士団第二部隊隊長プニティ・ティウスと申します。」
「私は第四部隊隊長ゼブラ・ダ・ニオと申します。」
「第五部隊隊長、ターラ・イロンでございます。」
「改めまして、第三部隊隊長、チェリーバ・ブルーです。」
(……でっかくって煌びやかな上位騎士服の皆様のこの挨拶って、目がくらんじゃう! これが逆ハーレムか、いや、興味ないけど)
と、あんまりにも丁寧なご挨拶に眩暈を覚えながらも、私は全員に淑女の微笑みを向けた。
「皆様、丁寧にありがとうございます。 どうぞお立ちになってくださいませ。 後、眠っていらっしゃる騎士様が多いものでこれ以上はここでは……ひとまず、場所を変えましょうか……。」
全員立ってもらったら、まぁデカいわけで。
(……この人数が収容出来てお話しできる場所なんて、昨日お借りした、本部の応接室しかないんじゃないかしら? でもあまり離れたくないのよね……。)
「隊長、よろしいですか?」
「ガラ?」
と、頭を悩ませたところで、背後から声がかかった。 騒ぎを聞きつけて二階から降りて来たらしい。 私の後ろに控えるように立つのは、ガラで、そっと声をかけてくれた。
「二階の突き当り、左の部屋を応接室のように設えております、そちらでお話をなさってはいかがでしょうか?」
(なんて気が利くっ!)
「ありがとう。 では皆様、此方へどうぞ。 看護班の皆様は引き続き、清掃と怪我人の皆様のお世話をお願いしますね。 また、時間になったら下りてきます。 少し抜けますが、何かあったら声をかけてくださいね。」
「「「はっ!」」」
皆が静かに声をそろえて返事をしてくれたため、私はガラに皆様をひとまず部屋へ案内してもらうようにお願いし、うがい手洗いをしに外に出た。