40・甘い菓子と、身分社会
「娘が御迷惑をおかけいたしました。」
そう言って頭を下げたガラと、それを見、慌てて頭を下げた少女を、私は微笑ましく見ていた。
(幼い頃の妹たちを見ているようだわ。)
顔を隠す前髪からのぞき見える幼い顔立ちや、粗末なワンピース姿でやせっぽっちの少女は、王都に残してきた妹たちを思い出させる。
伯父に引き取られてからは、慰問へと教会へ行く馬車を少しだけ遠回りさせ、道すがらその姿を見たのが最後になった2人の妹たち。 見た姿も体格も、自分がいた時よりいくらかマシになっていて、これなら母も弟も、異父兄も大丈夫だろうと少しだけほっとしたものだ。
そんな気持ちで、幼い妹の面影を重ねながら、そっと少女の頭を撫でようと手を伸ばした時だった。
「ゃ……ぁっ!」
少女は、悲鳴のような声をあげ、その身を父親の陰に隠してしまったのだ。
「モリーッ! 隊長、申し訳ございません!」
自分の陰に隠れた娘を叱りつつ、私に頭を下げるガラだが、私は行き場の無くなってしまった手を握って首を振った。
「いいえ、気にしないで頂戴。 急に手を出した私が悪いのよ。 それよりも娘さん、もしかして言葉が……」
「はい、実は。 その分、怖がりになってしまって。 今日はいつもの場所に私がおらず、誰にも聞くことが出来なくて、事情を知っている顔見知りの者が見つけてくれるまで泣いていたのだと。」
「そう、やはりね。 それなのに急に手を出してびっくりさせてごめんなさい。」
私が同じ高さに視線を合わせ謝ると、彼女は父親の陰から、ちらっとこっちを見、小さく頷いてくれた。
「お手を煩わせてしまい、申し訳ありません、隊長。」
「あら、そんなことはないわ。 そもそも知らない大人に突然に頭をなでられるなんて怖いもの。 私こそ配慮が足りなくてごめんなさいね。 それにしても、父親にお昼を持ってきたのにいつもの場所に居なかったから怖かったでしょう。 知ってる騎士様がこちらへ誘導してくれてよかったわね。 まぁどうぞ、座って。」
「申し訳ありません。」
恐縮するガラに笑いながら、私はアルジに侍女長の横に移動してもらい、そこに二人を促す。
「モリー? だったかしら? お腹は減ってない? どうぞ召し上がれ。」
私の言葉の終わると同時に、果実水と共に、屋敷から持ってきていたらしい手のひらサイズの丸い焼き菓子を5つ、いつの間にか食事を終えていた侍女長が一緒に少女の前に出してくれた。
当然、白い砂糖のかかった、甘い匂いのそのお菓子に、子供ならば跳びつき喜んでくれると思ったのだが、何故か、目の前の少女はそれに目を見張り、明らかに怯えたように体を強張らせ、小さく震えながら父親にしがみついた。
(遠慮している……というよりは、怖がっている雰囲気だわ。 もしかして、こういった焼き菓子を見たことがないのかしら?)
目の前にある焼き菓子は、乾燥させた果物を刻み、生地に混ぜ込んで焼き上げ、砂糖をまぶした前世で言うところのアイシングのかかったソフトクッキーのようなものだ。
こういった菓子が食べられるのは貴族や裕福な商家の人間だけで、市井では庶民が買える店には並ぶこともない。 自分が住んでいた王都の庶民街でもそうだったのだから、この辺境の地ではなおそうなのだろう。 いくら甘くていい匂いがしても、見慣れないものを食べるのは怖いのかも、とわたしはガラを見た。
「ガラ。 貴方から食べていいよって言ってあげて頂戴。」
にっこり笑ってそう言うと、彼女は、長い前髪の隙間からまるでお化けをみるような目で私を見、首を振って拒否し、父にしがみつく。
(……? 何かしら? 怒ってるような、怖がっているような……。)
その様子に、気持ちの悪い違和感を覚えて首をかしげる。
「モリー、大丈夫だから頂きなさい。これは、この方たちは大丈夫だから。」
(……これは? とは?)
ガラの言い方に何か引っかかりを感じながら二人の様子を見ていると、ガラはやや困った顔で、自分にしがみつく幼い娘にお菓子を食べるように促している。 しかしモリーは、彼の腕と体の間に顔を埋め頭を振り、けして食べようとしない。
「……どうしたんでしょうか? 私なら跳びついちゃいますけどね。 モリーちゃん、美味しいよぉ~。 わたしが食べちゃうよ~。」
「アルジ。 やめなさい。」
「は、はい。 申し訳ございません!」
茶化すように、大丈夫だよとアピールしながら、彼女の傍にしゃがみお菓子を手にしようとしたアルジにぴしゃりと声が飛び、彼女は飛び跳ねるように立ち上がると頭を下げた。
まったく、とため息をついた侍女長は、父にしがみつく少女の様子を見てから、私の方に体を向けて頭を下げた。
「……奥様、此方の方とお話させていただいても、よろしいでしょうか?」
「えぇ、どうぞ?」
私に許可を取る必要あるのかしら? と思いながら頷くと、もう一度私に頭を下げてから、ガラの方へ体を向け頭を下げ、問うように言った。
「失礼いたします。 私は辺境伯家の侍女長としてお仕えしております者でございます。 ガラさん、と申しましたでしょうか。 もしかして以前、アガロ村にお住まいだったでしょうか?」
(アガロムラ?)
意味が解らず私とアルジが顔を合わせて首をかしげる中、問われたガラは、青ざめ、顔を強張らせながらも、そうでした、と答えた。
「やはり、さようでございましたが。 でしたら、娘さんの反応は納得がいきます。 知らぬこととはいえ、大変失礼いたしました。」
頭を下げて謝罪した彼女は、次いで、私の方へ体をしっかり向けた。
「奥様。 代わりにスープをお出ししてもよろしいでしょうか?」
「えぇ、いいわよ?」
「では失礼します。」
と、断りを入れてから少女の目の前に置いた菓子を片付けスープを出した侍女長と、娘を青い顔をして宥めているガラ。 何かがあったことだけはわかる。
(食べられないお菓子、アガロ村……。 それに庶民の子供が砂糖タップリの菓子を拒否って……なにかしらね。 アルジじゃないけれど、私だって幼い頃は飛びついてしまったものよ? お手伝いに行っていた修道院でたまに分けてもらったのお菓子なんて美味しかったなぁ。 ……あれ?)
ふと、忘れてしまっていた、些細な、でも、何か今の状況によく似た記憶が私の中から出てきた気がして、首をかしげる。
(あぁ、思い出した。 あの時は確か、お情け深いと噂の伯爵令嬢が、御自慢の手製の焼き菓子を持って近所の孤児院に慰問に来ていて……楽しみにしてたのに、私はあそこの子じゃなかったし、修道女様の御供で他所へお使いに行っていて……用事が終わって孤児院へ帰ったら、皆が体調を崩してたんだったわ。 疫病じゃないかってなってそのまま私も孤児院に数日おかれて……)
思い出せば、あれは酷い状態だった。
孤児院は決して広くも綺麗でもない。 経営する貴族が、国からのギリギリ足りない(多分中抜きされているはずの)援助金と、富裕層からの寄付金などで運営していると聞く。
病気が出ても放置され、落ち着くまでは隔離されるだけの劣悪な環境で……あの時も、皆、下痢、嘔吐などの消化器症状がひどく、隔離されているはずの私も看病に回った。
だけど、私に症状が出る事はなく、10日後、孤児院はいろいろあったけれど、中の事は何もしゃべっては駄目だと、私は1万マキエの金貨を一枚握らされ、家へ帰された。
(あの時、大人がこそこそ話していた話だと、食べてなかった者は誰も無事だったから、多分お菓子に殺鼠剤が入っていたのじゃないか、と。 でも子爵運営だったから、訴えるわけにもいかず……それ以来、あの孤児院では、貴族のお菓子は廃……いやいや。)
やばいことを思い出したな、と、目を閉じる。
(……うん、これ以上は何も聞かない方がいい。 自分からは聞かない、絶対! ……あぁ、でも。)
ちらりと見れば、モリーはお菓子を食べたいと言う気持ちはありそうなのだ。
私の弟妹も、菓子が大好きだったから、私はたまにもらうチップでお菓子を買って帰っていた。 貧しい中、甘くて美味しいお菓子を分け合って食べた事は、本当に幸せな思いでだ。
なのに、目の前の女の子は、美味しいと知っているお菓子に怯え、悲鳴を上げる。
(なんでそんなことになったのか知る気はないけれど、落語の「饅頭怖い」じゃあるまいし、子供がお菓子怖いっていう悲しい状況は改善したいわね。 早めに子供のための慈善事業の整備を考えましょう。)
「奥様? いかがなさいましたか?」
座った少女に果実水を出していたアルジに声を掛けられ、私は顔を上げた。
「いいえ、何でもないわ。 可哀そうなことをしてしまった、と思って。 あ、そうだわ」
(……子供の悲しそうな顔は、弟妹たちが泣いているみたいで苦手だもの……。)
わたしは彼女を観察し、気になっていたことを口にする。
「ねぇ、ガラ。 娘の髪は、誰が切ってあげているの?」
わざと、ガタガタで乱れている髪のことを指摘すると、ガラは急な話題変更に、それでもやや安堵したように頷いた。
「それは、私が。 ただこの通り片腕なので、なかなかうまくいかず……。」
「では、少々整えても良いかしら? 前髪が目に入って痛そうなんだもの。 モリー。 この建物の外でね、このお姉さんが髪の毛を切ってもいいかしら? 髪が目に入っていたそうだし、可愛いお顔が見えないのは残念だもの。 このお姉ちゃんは、絶対に痛いことはしないわ。 それに、髪を綺麗に切れたら、このリボンで、可愛くしてもらってちょうだい? それで、その可愛い姿を私に見せてほしいのだけどいいかしら。」
私の持ち物の中の、シルクの桃色のリボンを取り出すと、髪の隙間から目を輝かせたモリーは、一度父親を見、彼からこの方たちは大丈夫だよ、と説明をされると、ようやく頷いて、そばに寄ったアルジを見た。
やや緊張している二人なので、私は声をかける。
「アルジ、可愛く切ってあげて頂戴ね。」
「もちろんです! お任せください!」
「モリー。 可愛くなってきて頂戴ね、待ってるわ。」
モリーはスープをぺろりと平らげると、アルジと共に出て行った。
そんな二人に手を振った私は、溜息をついて席に戻った。
「申し訳ございません、奥様。 神聖なる騎士団の砦に、娘を出入りさせるなど……」
深く頭を下げるガラに私は首を振る。
「いいえ、かまわないわ。 それより失礼なのだけど、髪を切ってあげているのが、貴方という事は……今、ご一緒に奥様がいらっしゃらないの?」
それに、あぁ、という顔をしたガラは、頭を下げた。
「あの子が3つの時です。 私達の村のすぐ近くで魔物の強襲が発生しました。 すぐ小隊3つが駆け付けたものの、騎士団が到着したときにはもう村は壊滅……妻はあの子を守って息絶えておりました。 あの子が言葉を失ったのもその時です。」
「そう、だったの……ごめんなさいね、辛いことを。」
「いえ。」
「それで、貴方がこちらに来ている間は、彼女はどうしているの? 学校へ行く年頃でしょう?」
「それが……言葉が話せませんので他の子に揶揄われたのでしょう。 行くのを嫌がってしまって……。 ですので、縫物や水汲み、調理など、私の手の行き届かないところを、近所の人に習いながら家で行っておりますが……時折、こうして天気の良い日は昼飯を持ってきてくれるのです。 実は、魔物の強襲などあって、止めてはいるのですけれどね……」
「そうなのね。 でもすごいわ、縫物も家事も出来るのね?」
「はい。 なにしろ私が何もできませんから、モリーがすべてやってくれています。」
この服の繕いも、と、見せてくれたのは自分の服で、貰った布からモリーちゃんが一人で作ったものらしい。
しっかりした造りではあるし、縫い目も綺麗だ。
(あらあら、こんなところでいい人材に会いましたわ。)
「まぁ、すごい! まるで小さな女主人のようね。」
ふむ、と私は考えて、ポン、と手を打った。
「ガラ、提案があるのだけれど。」
きょとん、とした顔をしている彼に、私は言う。
「もし彼女が良ければ、でいいのだけど、モリーとここに通ってくれないかしら?」
「は?」
「奥様!?」
呆然としている二人に、私はにこにこと笑った。
「看護班、救護班、の仕事をさせるのではないわよ? 私のお仕事の手伝いをしてほしいの。 ここで使う小物を作ってほしいのよ。 もちろん、お給金は出すし、お昼ご飯も出るわ。 それと、手が空いた時間には、読み書きと計算位なら私が教えてあげられる。 一人でおうちで篭っているより、貴方の目の届く範囲に居られるから安心だと思うし……どうかしら?」
は、はぁ……と、ガラは目をまん丸くしたまま、考えさせてください、と私に頭を下げた。
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