38・食べてもらえない、スープ
戸惑うアルジから聞かされたのは、侍女長の来訪の知らせであった。
慌てて落ち着かないアルジを宥めながら、扉の所で待っていた侍女長に声をかけると、此方をどうぞ、と3人の厨房服に身を包んだ男性が医療院へ運び入れてくれたのは、大きな寸胴2つ分のスープと、ふんわりと焼き立ての良い香りのする柔らかい白いパンだったのだ。
「まぁ! 本当に運んでくれたの?!」
びっくりして問いかけた私に、彼女は真剣な顔で頷く。
「お力になると、私共は、奥様にお約束いたしましたので。 昨夜のうちに料理長に話をしましたところ、朝には間に合いませんでしたがお昼ならば、と用意してくれたものでございます。」
「確かに約束はしたけれども……いいえ。 嬉しいわ。 ありがとう。 それにしても、随分と量が多いわね。」
大きな寸胴2つにパンの籠。 23人の騎士様と、私とアルジの分を考えてもあまりにも多いためそう聞くと、彼女は鍋の取っ手を指さした。
「持ち手に赤い紐のついている鍋は病人食、紐のついていない方は、働いてくださっている皆様の分とのことです。 パンも、柔らかいものを用意しました。 それと、旦那様の晩餐の用意が終わり次第、料理長が伺います、とのことでした。 私は、こちらの鍋をもって一度帰り、夕刻に家令、料理長と共に伺います予定ですが、それまでの間、お手伝いすることはございますか?。」
そう言って、真面目な顔で頭を下げてくれた侍女長に、私はお礼を言った。
「約束を守るために、わざわざ侍女長がここまで運んでくれたのね、本当にありがとう。 料理長の心遣いも本当に感謝するわ。 ありがとう。」
私は素早く指示を出した。
「では、私たち用のスープは二階へ。 物資班の皆様には、うがい手洗いの後お食事をとっていただきましょう。 看護班は交代で昼休憩にします。 兵舎まで気を付けて行ってくださいませね。 残る看護班は、食事介助の用意をしましょう。」
「「「はい。」」」
私は、侍女長には隊員用の食事を上に持って行ってもらって、物資班の方たちへの給仕をお願いし、看護班で、残るアルジとエンゼには、うがい手洗いをし皆様の食事の用意を、先に休憩に入る3人には、兵舎の食堂へと向かってもらった。
「奥様、皆、辺境伯家のスープが飲みたぁい! っておっしゃっていましたのに、なぜ看護班は兵舎に?」
二階で見つけたトレイと食器を洗って即席の食事セットを用意すると、病床に就く騎士様にとっては昨日の受傷後、初めて取る食事という事で、まずは小さめのカップに半分ずつ、ポタージュの様なスープをよそいながら、不思議そうな顔で私に聞いてきたアルジに、私はつい、溜息をついてしまった。
すると、慌ててアルジはスープレードルを置いて、私に頭を下げた。
「も、申し訳ございません、奥様にこのような口の利き方をっ!」
「あぁ、違うのよ、アルジ。 嫌な思いをさせてごめんなさい。 私がため息をついたのはね……。」
彼らだけを兵舎の食堂に行かせた理由。
それは。
ひとつは、正式な騎士団の所属である看護班の騎士様6人は、騎士団の食堂で食事が日に4度、用意される決まりがあるらしい。 その食材を無駄にしないためだ。
そしてもう一つ。 実は、物資班の方は正式な騎士団の人間ではないため、放逐後はその食堂は使えず、家から粗末な昼食を持ってきて、与えられた仕事をするその場所で、隠れて食べていたとガラから聞いたからだ。
それを聞いた時、『職だけ与えればいいってものじゃないだろ、副団長は無能なの?!』と叫びそうになったが、旦那様も食堂は使用することもあるらしいため、元騎士様たちの存在がばれぬよう、訓練場や食堂、騎士団内の教会など、人が多く集まるような場所にはいかないように言われていた、という理由があったとのことで、一応、それを口にするのはやめておいた。
それを、とても端折って簡潔明瞭にアルジに伝えると、それでもおかしいと思ったようで、スープレードルを握りしめた。
「旦那様に会わないようにっていうのはわかります! でも、だからって気配りが足りません! 個別に食事を渡すなど、方法はあると思うのです! ……あ、いえ。 申し訳ありません。」
怒ったような顔でそう言い、再び頭を下げたアルジの肩をポンポンと叩いて、私は笑った。
「大丈夫よ、私も同じように思ったもの。 まぁ、その物言いは、私と二人きりの時だけにしておきなさいね。」
「はい、奥様。」
「さ、食事介助を始めましょう。」
木のトレイにスープとパンを置き、私、アルジ、エンゼ、それから上で給仕を終えて降りて来た侍女長で、現段階で食事を自分で取れる方と、介助があれば取れる方のスープとパンを用意し、食事介助を始める。
とはいえ、食事が取れる方の数は、自分で取れる方が3人、介助が必要な方が4人だけ。
私はその中でも比較的『問題のある』方のところへ向かった。
彼は目覚め、私を見たため、微笑んで声をかける。
「お昼のお食事をお持ちしましたよ。」
それに反応はない。
それでも私は、アルジの手を借りて背を支えてるように小さな戸板を立て、彼を座らせた。
「ナプキンを掛けますね。 失礼します。」
汚さないように、首に綺麗めの手布をかける。
「さ、どうぞ。」
私の声に、彼は反応を示さない。
彼は比較的すぐに目覚めた、ここでは軽症者に入る騎士様だ。
獣のひっかき傷の様な傷を体に受け、瘴気でやられて気を失っていたのだろう。
「ゆっくりで結構ですから、口を開けてくださいませ。」
スープを掬い、ゆっくりと口元に近づける。
が。
(食べてはくださらないわね……。)
目の前の騎士様は、水分も、食事も、目が覚めてからは受け付けてくれない。
魔障による食欲低下もあるし、発熱などで体力が低下、消化器官もしっかり働かないことにより、食欲がわかないこともあるだろう。
が。
たった一日前に魔物に襲われ、どのような状況下でかはわからないが、確実に惨劇の中で意識を失ったのだ。
意識を取り戻し、初めてベッドの上で上体を起こした騎士様は、まず、魔物に襲われた時の恐怖を思い出し、混乱された。
落ち着くまで、ベッドから転落の危険性があるため、わたしとラミノーで傍にいたが、その混乱の有様はひどかった。 何とか声をかけ、背を擦り、宥めながら様子を見ながらしばらくしたところで、彼は瘴気や傷での疲労もあるだろう、徐々に落ち着かれはじめ、ぐったりとしたためベッドに横たわらせ……そこで、ようやく彼はそばにいる私達の事を認識した。
そこからようやく、言葉をぼかしながら現在の状況をお話し、今は安全なのだから休んでもいい、と言うとほっとした表情をされ眠ったのだが……朝、目覚め、トイレに行くために起き上がったところで、周囲に眠る同僚たちを見、無事である自分を見返されて……再び混乱された。
なぜ、ここに彼がいないのだ。
なぜ、自分だけが、無傷で生き残ってしまったのか、と。
泣きつかれた子供の様に、気を失ってしまうまで、彼は泣き、謝り続け、少しだけ眠った。
そうして、今に至る。
(魔物の瘴気の影響もあるのかもしれないけれど……自身もあんな場所に放り込まれて、目が覚めたところで、仲間が足りない状況ですものね……。)
右肩から腹にかけて、魔物が爪で切り裂いた2本の傷は、鎧と、何かしらの要因が阻んだためだろう、表皮を裂く程度でとどまっていたため、この中では軽症と判断した。
念のために他の外傷はないかと調べたが、そのほかには打ち身や擦り傷程度で、大きな外傷や骨折、頭部たん瘤はなかった。
勿論この世界にCTやMRIがないため検査が出来ず、絶対異常なし! とは言えないものの、言語理解はしっかりできており、明瞭な物言い、水分の飲み込みも問題がなかったため、今のところは様子観察、といった感じなのだ。
食事や水分を拒むことになった、心の問題以外は。
(恨むわよ、前世の私! 精神科は学科も実習も確かに赤点ギリギリだった! けど、ちゃんと勉強しといてよっ!)
と思いつつ、枕と戸板を使って体位を保持できるようにして、起きていただいてしばらく食事を薦めるが、彼が口を開けることはない。
ただ虚ろに宙を見つめ、時折視線を彷徨わせ、大粒の涙を流す。
声はない。
表情もない。
ただ、涙だけが、ボロボロと落ちていくのだ。
(あまり長い時間無理強いをしては駄目ね。)
「お疲れのようですので、少し、横になりましょうか。」
食事介助をあきらめ、私はエンゼに手伝ってもらって彼をベッドに横にした。
「もし、食べたくなったら、遠慮なくおっしゃってくださいませね。」
シーツをかけなおしながら、そう声をかけ、ベッドの傍を離れたのだが、肩越しに見れば、シーツは小刻みに震えている。
(根気よく様子を見るしかないわ……。)
内心だけでため息をつき、食器を片付け、意識を切り替えて、今度は食事がとれない方へ向かう。
スープの上澄みをさらに薄くしたものを、スプーンや綿花を使って口に入れていく。
経口での補給方法しかない以上は、それを続けるしか手段はないのだ。
(点滴! 点滴さえこの世界にあればなぁ! この血管なら、23Gと言わず、18Gの留置針(*)、一発で入れる自信があるのにな!)
と、つい、意識のない騎士様の前腕の血管を見ながら、私は天井を仰いでため息をついた。
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おまけ
23G → 採血、静脈注射、筋肉注射に使う針の太さ
18G → めったに使わないぶっとい針です。 献血の時に刺されるのは16G
27Gだと、予防接種等、数字が大きくなるほど針は細くなります。
インスリン自己注射用の針は31~34Gが現在主流です。