3・白い結婚と前世の記憶覚醒
旦那様は南方辺境伯当主であるラスボラ・ヘテロ・モルファ様。 緩やかに波打つ長い夕暮れの赤い髪を背中で一つにまとめ、夜の闇を凝ったような漆黒の瞳をした、精悍な顔立ちの、さすが辺境の守りをなさっているという感じの、長身にしっかりとした体躯をお持ちの美丈夫だった。
青い血の持ち主で、さらに辺境伯、というくらいだから苛烈な方だろうと思ったが、私をエスコートする仕草は武骨ではあるが優しく、気づかいもでき、このような方も青い血の人種にいるのか、と思ったくらいだ。
しかしその初夜のベッドで、青い血は青い血だと知った。
私は辺境伯に淡々と告げられたのだ。
「ネオン嬢。 君には申し訳ないのだが、私は辺境伯として、様々な政的・商的利点があること以外にこの結婚に興味はない。 死と隣り合わせの生き方を幼い頃からしているためか、愛や恋などといった浮ついたものもわからないし、興味もない。 したがって君を愛することは絶対にない。
辺境伯家はもともと王都から馬車で1週間と距離的にも離れているから、辺境伯としての業務と、どうしても避けられない最低限の社交時に、仲睦まじい夫婦としてすごしてもらう以外は、なにも君に求めるつもりはない。 後継は分家から優秀な子をもらうつもりなので子作りも無用。 君には毎月小遣いとして給与を支給するので、その範囲内であれば、子を作ること以外は好きにしてもらっていい。 公爵家と結んだ契約も、もちろんきちんと守る。 私からは以上だ。 君から何か要望はあるか?」
なるほど。
逆に潔くて笑った。
辺境伯様も、やはり普通の綺麗で青い血の生き物だってわかったから。
だからお礼と、ひとつのお願いを告げた。
「正直にお話ししてくださってありがとうございます。 実は私も望まない形での婚姻でしたので、辺境伯様のお申し出は大変にありがたいですわ。 ご命令通り、辺境伯夫人として求められるお仕事をしっかり行わせていただきます。
わたくしの、要望を聞いてくださるとのこと。 感謝いたします。
わたくしの要望はただ一つ。 婚姻関係にある間は、私と、王都に住む実家の家族を、何者からも必ず守っていただきたい、それだけでございます。 ただ、口約束ですと不安ですので、明日にでも魔法契約を結ばせてくださいませ。 そうすれば旦那様も安心でございましょう。 それから、このような形の結婚であれば、わたくしがこちらで休むのもおかしな話ですので、本日は別室で休ませていただきますね。 明日からはお互い気を使わぬよう……そうですね、隣にあるあの離れに住んでも構いませんか?」
そう言うと、吃驚した顔をした辺境伯様。
「あ、あぁ、それは構わない。 しかし君は、それでいいのか?」
(何を今更。 そういう婚姻関係だと言ったのはあなたでは無いですか。)
なんてことを言う訳にもいかないので、私は公爵家で習ったとおり、にっこりと微笑んだ。
「はい。 その方が旦那様も気が楽でしょう? それと、離れに使用人は不要です。 日々の食料品なども、旦那様が提示していただいたお給料で購入いたしますので、お使いの商会だけお教えいただければ十分ですわ。」
元々宿屋で仕事もしていたし、使用人と言う名の他人と暮らすのも嫌だ。
初夜もなかったお飾りの奥様、と、使用人からいびられるなんてごめんだもの。
しかし、そういった私に、辺境伯様は躊躇した。
「いや、それはさすがに。 君一人では生活も大変だろう?」
そういえば私は、公爵令嬢という肩書ですものね。 しかし旦那様は私の身辺を調べてはいらっしゃらないのでしょうか? 政略結婚ならなおさら……と思いながら、にっこり笑って告げる。
「いいえ。 明日、契約の時に詳しくお話しさせていただきますが、今まで自分の事は自分でやってきましたので、正式な夜会の準備は難しいですが、それ以外であれば一通りの事は一人で出来ますので。 それでは旦那さま、これから末永く、よろしくお願いいたします。」
一つ頭を下げ寝室を出た私は、そばにいた侍女に申し付け、その晩は客室を借りて休み、翌日、旦那様と朝食を取った後、旦那様の執務室へ移動し、家令と侍女頭、旦那様の御友人だと言う魔導司法士を入れて事細かに契約書を作った。
その後は、動揺を隠せない家令・侍女頭がそれでも手配をしてくれ、離れに居を移す事が出来た。
流石に誰もいないのはまずい、と、私付きの侍女を2人つけられたが、普段はこちらに来なくてもいいと告げ、離れでのんびり一人暮らしを始めていたのだ。
そんなある日、本宅の家令からの伝言、ということで執事から、一応奥様なのですから、一度辺境騎士団を視察してみては? と言われた。
なるほど、お飾りとはいえ奥様になったのだし、辺境伯夫人としての仕事は契約にあったな、と言われるままに連絡を取ってもらい、侍女と共に辺境伯騎士団の本部に向かったのが先ほどまでの話。
えぇ、ここまでは本当によくある話、だったのだ。
馬車にゆられて着いたその直後、第三辺境騎士団の一部隊が壊滅状態で運び込まれたところに鉢合わせ、前世の記憶が戻るまでは。
私の前世。
それは!
看護師!
ただし! 期待しないでもらいたい!
私は、よくTVドラマで見るようなER(救急治療室)、ICU(集中治療室)やCCU(循環器疾患集中治療室)、HCU(高度治療室)、急性期病棟などの、重体、重症患者や災害支援で怒号飛び交う場所でテキパキと仕事をこなす、キャリアウーマン的出来る女の金字塔みたいな看護師!
ではなく。
「生活と趣味のためだけに、看護師やってま~す。」と豪語しながら、老人ホームや地域包括ケア病棟、療養病棟、慢性疾患患者管理専門外来で働いていた、喧騒からかけ離れた場所にいる、日勤業務だけの、まったり看護師だったのです。
あぁ、先輩。 よく言ってましたね。
看護師として、若いうちは急性期病棟をしっかりと経験しておきなさい、と。
あの時は、私みたいなお気楽なやつにはそんなの無理です、事故起こしちゃいますから、絶対行かないです~。 って、笑ってごまかしてしまいましたが、今、猛烈に反省しています、ごめんなさい。
こんなに大勢の負傷している騎士様たちに、専門的な知識どころか、教科書の内容だって覚えていない私が、必要と思える物品だって足りないどころか存在すらしない中で、私が今できる事って、何でしょうかーっ!?