34・辺境騎士団医療班の立ち上げ
「食事も終わりましたし、本日はどうしましょうか、奥様。」
「そうね。 まずは今日はもう少し日が上がって気温が暖かくなり始めたら、換気をしながら騎士様たちの清拭と傷の処置をするわ。 そのあとは2~3時間ごとに、水分補給に排尿の確認と、ご自身で体を動かせない方は体位交換を続けるわ。 それからこの医療院一階の掃除と、環境整備をして……手が空くようなら、私は二階の方の状況を確認して、使用できるか確認……それから合間に包帯やエプロン、マスクを作って……。 そうだったわ、神父様がいらっしゃったらバザーの話もしなきゃだったわね。」
「や、やる事が多いですね……。」
アルジが朝食を終えたテーブルをかたづけてくれている端で、自分がやる事の優先順位のToDoリストを記入しているのを見、圧倒されるようにため息をついたころ。
医療院の木の扉を、何度か叩く音がした。
窓の外を見れば日は上がっているが、まだ屋敷では朝礼前と言った時間だろうか。
「あら、こんな早い時間に誰かしら?」
「奥様、私が。」
ペンを置き、立ち上がり、扉の方に向かうと、アルジが私を制して扉のまえで問いかけた。
「どなたでございますか?」
それに反応したのは、もうとても聞きなれた物となった人の声だ。
「おはようございます。 チェリーバ・ブルーです。」
「あら? ブルー第三騎士隊長だわ?」
私を伺うアルジに頷くと、ゆっくりとアルジが閂を抜き、木の扉を開けてくれる。
扉が開ききった先には、今日は先ほどと同じ騎士服姿のブルー第三騎士隊長が立っていた。
「おはようございます、奥様……いえ、モルファ第十番隊医療班隊長殿。」
「おはようございます。 ブルー第三騎士隊長。」
ゆっくりと頭を下げた彼に、私も少し、頭を下げながら笑って挨拶をする。
「先ほどは、美味しい朝ご飯をありがとうございました。 それにしても、随分物々しい呼び方になったわね。」
「お口にあったようで何よりです? 物々しい呼び方はお許しください。 なにしろ、役職名が付きましたから。」
「それはまぁ、しかたがないわね。 甘んじてお受けするわ。 でも、『モルファ隊長』だと、慣れるまでは旦那様と混同される可能性もあるわね……」
頭を下げるアルジと変わるように私は立ち上がり扉の方へ移動して挨拶をすると、ややはにかんだ笑顔を彼は浮かべた。
「しかし、言われてみれば確かに。 それでは、なんとお呼びするいのがよろしいでしょうか。」
「では、ネオンと呼んでいただければ結構ですわ。 ネオン隊長、と。 私も、もうそろそろブルー隊長と呼ばせていただきますね。」
「は、あ、そうですね! 気が付かず申し訳ございません。 ではネオン隊長、今、お時間はよろしいでしょうか?」
「えぇ、どうぞ。 このような場所で立ち話もおかしな話ですし、どうぞ。」
笑いながら中にどうぞ、と促そうとした時、彼の後ろから4人の騎士服の男性と、数人の私服男性の姿が目に入った。
「……ブルー隊長、此方の方たちは。」
「本日、ネオン隊長へ紹介させていただきたく連れて参った者達です。 皆、入れ。」
中へ誘導され、私とアルジの前に、少し緊張した面持ちで二列に整列した。
「あら、奥様。 あちらの方達は昨日の騎士様では?」
「あら、本当だわ。」
最後に入って来られ、前列に立たれたのは、昨日手伝ってくださったお二人で、私達と目が合うと、年相応に少しはにかみながら頭を下げてくださった。
「改めまして奥様……いえ、ネオン・モルファ様。 本来であれば、団長・全騎士隊長の前でお渡しするのが慣例でございますが、本日は団長、一、二番隊隊長が昨日の急襲の案件で不在のため、上官に代わりまして、私が辞令をお持ちいたしました。
本日より、辺境伯騎士団第十番隊隊長として、辺境伯騎士団長の署名をもって任命されました。 そして、此方の建物と併設する同棟の建物を『騎士団医療院』として貸与という形で奥様に使用権が移りましたのでご報告させていただきます。 後程、他部隊隊長がご挨拶に参りますので、お時間をいただけたらと思います。
そして、こちらにおります騎士4名は、本日付で第十番隊に配属されたものでございます。皆、医療班の班員だった者達で、説明したところ、奥様の下で働きたいと志願しましたので配属となりました。 また、今は4人しかおりませんが、残りの二人、昨夜此方に奥様の代わりにいた夜勤めだった者も同じく、第十番隊に配属となりましたのでご報告いたします。」
その言葉には、私はびっくりしてしまった。
「皆様、此方に来てくださると?」
「はい、是非に、と。」
そもそも元々の医療班の人にも私の下などでは働けないと別の部署への希望を出され、志願者も、誰もいなかったらどうしよう、と思っていた。 しかし、皆、残ってくれると言う。これは素直に嬉しい誤算だった。
「こんなにありがたいことはないわ。 感謝してもし切れないくらいよ。」
「そのお言葉だけで、皆喜びます。 それから……。」
6人+私とアルジ。 これでひとまずは何とかなる……と、私が安堵しているところに、ブルー第三騎士隊長は騎士服を着た方たちの後ろに、控えめに立っている庶民の普段着姿の男性たちに視線をやる。
つられて彼らに視線を移した私は、先ほどはよくわからなかったことが、そこでようやく分かった。
「奥様、彼らは……。」
「えぇ、解ります。」
私は頷いた。
「負傷し、騎士団から放逐されてなお、この騎士団のために働いていてくださっていた元騎士の皆様、ですね。」
「はい。」
すぐわかったのは、彼らが騎士服を身に着けていないから、ではない。
足を引きずっている人、顔の半分を塗りつぶすかのようにひきつった傷のある人、片腕がない人、片足を失い杖をついている人……皆、辺境騎士としては使えないと、旦那様から放逐された元騎士様たちだ。
「奥様……っ!」
私は静かに一歩、彼らの前に出ると、アルジの制止に気付かぬふりをしたまま、彼らに向かって静かにカーテシーをした。
「皆様には、はじめてお目にかかります。 モルファ辺境伯当主の妻、ネオンでございます。 皆様が辺境のために御身を捧げて戦ってくださったことを心より感謝申し上げ、同時に、そんな皆様に対し主人が非道な扱いをしました事、辺境伯夫人として心よりお詫び申し上げます。」
私の行動に、皆、あっけにとられたのだろう。
(私が謝るべきことではないのかもしれない。 しかし、それでも……お飾りとはいえ、旦那様の妻として、辺境伯夫人として……ここは、謝りたい。)
室内が、傷ついた騎士様の息遣いだけが聞こえるほどに静まる。
「そのようなことを、なさらないでください、奥様。」
どのくらいそうしていただろうか、男性の低い声が、室内の空気を震わせた。
顔を上げると、私に声をかけてくださったのは老年の、左の額から大きな傷を負い、右腕を失った大柄な男性だった。
「存じております。 つい先日輿入れされた奥様は、我々の事は何もご存じなかった。 しかし、そうと知った後は、傷ついた同胞に手を差し伸べてくれ、私たちのようにもう戦えない半端者にも、いるべき場所を作ってくださろうとしていらっしゃる。 それで、これから戦いに行く者達はどれだけ救われるでしょうか。 それだけで十分でございます。」
彼は私の前でゆっくりと膝をついた。
「奥様が頭をおさげになる必要はありません。 そして今この場で奥様のお姿を拝見し、これは奥様の同情から来る一時の気まぐれではないことも解りました。 もう騎士とは言えぬ身ではございますが、我らは奥様にお仕えさせていただきます。」
ゆっくりと、頭を下げてくださった彼に習い、その後ろにいる方たちも膝を付け、頭を下げる。
本来であれば、罵倒したいであろう。
辺境のために戦った末に、仲間を失い、体の一部を失い、捨て置かれたのだ。
自分たちはあの日以降、地獄を味わったのだと、なじられても仕方がないのに。
突然やってきた、何もわからない貴族の小娘の思い付きのお遊びになんかにつきあいきれないと、突き放されても仕方がないのに。
こうして、頭を下げ、私の下で働くと、言ってくださったのだ。
(……あぁ、神様。 ……私は……。)
「お、奥様。」
アルジの声と、私の頬にそっとあてられた手布の感触に、私は自分が泣いていることに気が付いた。
皆が顔を上げて、びっくりしているのがわかる。
泣いては駄目だと解っているのに、涙が止まらない。
「奥様。」
「だ、大丈夫よ、アルジ……大丈夫。」
寄り添って涙を拭ってくれるアルジにそう告げると、私は涙をぬぐいながら、目の前にいる騎士様の方を向いた。
「すべてを完璧にとは言えません。 まだ、自分には何が出来るかもわからない状態です。 うまくいくかもしれないし、駄目になってしまうかもしれない。 きっとみんなには迷惑をかけると思うのです。 それでも……。」
涙をぬぐい、毅然と、辺境伯夫人として顔を上げて。
「私と共に、傷ついた皆様のために戦ってくださいますか?」
それは、皆に向けた言葉でもあり、心のどこかで逃げ出したいと思っている自分への自問自答。
「「「「「「はっ!」」」」」」
「ありがとう。 では、これからよろしくお願いします。」
しっかりと、前を見据えて。
私は、辺境騎士団第十番隊隊長として、歩き出した。
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